目に見えているもので、絶対に所有出来ない物を自分に取り入れる学問思想がある事を20年前に知ったけどなんのこっちゃ全く分からなかった。
だけど、最近すこしずつ、なんとなくこんな感じで、そうなのかな?というのがキャッチ出来てきた。
もっと早く勘付いていたら。。と嘆くのは置いといて、きっと相応しい時に合わせて種子が芽を出すのだと納得したいけど、早いに越したほうが良い。だって昔の日本人は15で元服。18かそこらでなんの世界でも達人が腐るほどいたからだ!!羨ましすぎる。
なんでこんなに気づきが遅いかと言うと、あたまでっかちだからだ。素直に全てを捨てて人生を棒に振るのを構わず事に当たらないからだ。
教え方にもあると思う。今は本当に恵まれた時代だと心から思う。何でも関心が有ればすぐに学べるし、間違った体育会系のノリの教育が通用しなくなっている。(弊害もあるけど。)
ボクもいつの日か、自分の思想、技術を伝える指導者になりたいと思っている。とんでもない化け物が自分をキッカケに出るかもしれない。それって凄い夢があるのでは。
思想と技術は本当に表裏一体だと強く思う。
そしてそれを磨く砥石が、本当の学問だとオッサン手前でやっと気づきました。
沢山言われて来たけど、その時は全く気付かなかった。アホだったから。
最早休んでいる暇は、無さそうであります!!
あ、そうそう!最初に言った話には続きがあります。それは、『自力では絶対に行けない』
即ち、他力でしか無理なのです。この場合の他力とは、楽して人に甘えたり、何ちゃってスピリチュアル人の事を指すのでは有りません。
相応しき時と精神に、大いなる何かが手を貸すのだそうであります。別に宗教では無いです。あたり前田さんです。
無い物を纏うとは、どんな世界にも当てはまります。本当のオーラがある人は、多分その質と量がとんでもないからだとボクは思っています。
詳しくはあえて言わないけど、忘れ去られた素晴らしい学問だとボクは思っております。
身体性能もまさにこれと同じでずっと進化していくのだと信じています。