1 貧弱な国際法上の根拠
公表された政府原案では「給油新法」の根拠として国連決議の1776と1368と1373をあげている。
1776はあの悪名高い、国連の「謝意」決議である。もちろんいうまでもなく、国連がOEFの「海上抑止活動」と呼ばれるものに「謝意」を表したということは、国連がその活動を承認しているというわけではない。本当に国連がとり組むべき課題であると考えるならそれを規定する決議を採択すべきものであろう。それがないということはOEFの「海上抑止活動」が国連決議に基づくものではないということを再確認するだけである。
さらにこの1776は、テロ関係の国連決議にはめずらしくロシアが特定の国にのみ配慮することは、悪しき前例を残すことになるとして、棄権している。もちろんこの特定の国とは国連決議にOEFの「海上抑止活動」の正当性をもりこもうと画策した日本のことである。
しかし、日本政府のたくらみが奏功せず、OEFの「海上抑止活動」が全文の「謝意」というかたちでしか表現されなかったことは、日本政府の主張とは裏腹に、世界各国がこのようなとりくみ(OEFの「海上抑止活動」)を必ずしも積極的に賛成しているわけではないことを表しているにすぎない。
また国連決議1368は9・11の同時多発テロの翌日に採択されたもので、9・11テロを非難したものである。
1373は国連が各国にテロ資金の規制や出入国管理の厳格化を求めたものである。
政府がこのように、OEFの「海上抑止活動」への給油活動を正当化するのに、どういう関連があるのかわけの分からない国連決議しか出すことができないのは、もちろん、OEFの「海上抑止活動」を規定した国連決議がないからである。政府は国連が国際社会の共同の取り組みとして正式に認めていないものを、さもそのようなものであるかのように取り繕おうとしているからである。
2 実体のない「海上阻止行動」
そもそもこのような給油活動の対象である OEFの「海上抑止活動」とは、何であろうか?不思議なことに、政府は法案を提出するにあたって、OEFの「海上抑止活動」というのはどのような活動なのかということを具体的に説明してはいない。
「テロとの戦い」というが、テロと戦うためにインド洋でどのような活動をしているというのだろうか?
このもっとも基本的なことについて、政府が口を閉ざしているのはOEFの「海上抑止活動」というものはその実体がないからである。
当初、アメリカが想定していたのは、インド洋で「臨検」(船舶への強制的な立ち入り検査)を実施することであったが、「臨検」を行うためには明白な国連決議が必要であるが、国連はインド洋を海上封鎖するという無謀な試みに賛成することはなかった。
そしてこの海域(インド洋)での「臨検」が実施不可能であれば、各国の軍艦にできることは何もないのである。
実際、公海上を航行している船舶に対しては「航行の自由」が与えられているのだから、船を停船させたり、乗り込んで「テロリスト」が乗っているかどうか捜索したり、「テロリストの武器・弾薬」が積んでいないか貨物検査をするということは一切できない。「テロリストの攻撃および人員、武器の輸送を阻止する」といっても、阻止する手段が何も担保されていないのだから、現実問題として、OEFの「海上抑止活動」に参加している艦船が公海上でできることはせいぜい哨戒活動ぐらいのものである。
だから、OEFの「海上抑止活動」は単に名前だけのものであり、参加各国の艦船はあらかじめ指定された海域を定期的にパトロールしているのみである。
3 無意味な活動に各国が固執しているわけ
では、なぜこのような実体のないOEFの「海上抑止活動」にいくつもの国(アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、パキスタン、等)が参加しているのだろうか?
それはいうまでもなく、この活動が無意味かつ無内容であるがゆえに安全であり、「テロリスト」との戦いという煩わしい事件に巻き込まれる可能性は限りなくゼロに近いということである。
そして、なおかつ、自国もOEFに参加していおり、その一翼を担っているという実績をアメリカに示すことができるからである。
協力することによって自国の兵員の犠牲が出ることは望まないが、アメリカに恩を売りたい国、もしくは協力要請を断りにくい国、もしくは協力することによって政治的・経済的な利益を引き出したい国々がこの安全なインド洋の“パトロール艦隊”に艦隊を出しているのである。
そして当のアメリカもこのような意味のない行動を黙認しているのは、アフガニスタンでの戦争をアメリカの戦争ではなく、国際社会の戦争と見せかけたいからである。しかし、戦争の指揮権をアメリカのOEFがもっており、NATO軍が中心になって結成されているISAFがOEFの指揮下にあることはまぎれもなくこのアフガニスタンでの戦争がアメリカの戦争以外の何ものでもないことを表している。
4 日本の給油活動はOEFの「海上抑止活動」より悪質である
小泉内閣は「テロ特措法」を制定し、インド洋でOEFの「海上抑止活動」に参加する艦船に給油活動を行ってきたが、その理由はOEFの「海上抑止活動」に艦船を出している国々の事情と同じである。
アメリカのご機嫌をとるために、アメリカのアフガニスタン侵略戦争を給油活動を通して脇から支えているのだが、その関わり方は他国とは違ったものである。
第一に、日本政府は燃料・水を無償で提供することによって、OEFの「海上抑止活動」に参加する国々の経済的負担の一部を肩代わりしていることである。そういう点では、経済的負担を理由にインド洋の“パトロール艦隊”から脱走しようとする“不埒(ふらち)な軟弱者”から、逃亡の理由を取り上げているともいえよう。つまりアメリカの“囚人たち”(OEFの「海上抑止活動」に参加している国々)の看守としての役割も引き受けているのである。
第二に、OEFの「海上抑止活動」自体はまったく無内容だが、その活動に給油活動を行う日本の活動は、アメリカにとって有益であり、内容豊富なものとなりうる。それはもちろん、この法案の趣旨を逸脱することによってである。
日本の海上自衛隊の給油艦が、アメリカ海軍の艦船に対する給油活動を通して、イラクおよびアフガニスタンの戦争に深く関わってきたし、現在もそうであることはまったく明白な事実である。これはアメリカ軍自体が認めていることでもある。(現在、国会で政府を追及している野党議員の多くがアメリカ軍の各種のホームページに直接アクセスして情報を得ている)
ところが、この明白な事実をおかしなことに政府も自民党も否定している。
共産党の小池議員に対しては福田首相は「理解する気がないんじゃないですか、いくら議論したって賛成とは言わないんでしょ、結局」と答えている。
共産党の小池議員の質問は日本の自衛隊が給油したイオウジマから出撃したハリアー戦闘機がアフガニスタン南部を空爆したというアメリカ軍の「海兵隊ニュース」(06年12月4日号)が事実かどうかの確認を求めたものであったのだが、福田首相の答弁は「お前は『理解』する気がないのだ」というものであった。
この場合の「理解」というのは、「自衛隊が給油した艦船が戦闘行為に参加した事実はない」という政府のウソを本当であると信じろということである。してみると「国民の理解を得たい」という福田首相の言葉は、「お前たちはおれのウソを信じなければならない」という意味ではないか。
あの安部晋三氏の後では、誰が首相になっても天使に見える、というのが事実であるとしても、これはちょっとひどいではないか。ある新聞によると福田首相がまじめに答弁するのは民主党の方々だけだそうであるが、こんな底の浅いことをやっていたのでは、この政権もそんなに長くは持たないだろう。
そして新法案提出者である日本政府のこのぶざまな姿は、新法案も旧「テロ特措法」と同じように、法案自体は無意味であり何の効力を持たないが、法案の趣旨を逸脱することによってはじめて法案が実効的であり、威力を持つような法案なのではないかという疑念を強く抱かせるものである。
実際、旧法案に対するなんらの反省もないとしたら、新法案もまた単に名前を変えただけのものにすぎないであろう。このような法案は国会に提出すべきではないし、提出されたとしても可決されるべきではない。
公表された政府原案では「給油新法」の根拠として国連決議の1776と1368と1373をあげている。
1776はあの悪名高い、国連の「謝意」決議である。もちろんいうまでもなく、国連がOEFの「海上抑止活動」と呼ばれるものに「謝意」を表したということは、国連がその活動を承認しているというわけではない。本当に国連がとり組むべき課題であると考えるならそれを規定する決議を採択すべきものであろう。それがないということはOEFの「海上抑止活動」が国連決議に基づくものではないということを再確認するだけである。
さらにこの1776は、テロ関係の国連決議にはめずらしくロシアが特定の国にのみ配慮することは、悪しき前例を残すことになるとして、棄権している。もちろんこの特定の国とは国連決議にOEFの「海上抑止活動」の正当性をもりこもうと画策した日本のことである。
しかし、日本政府のたくらみが奏功せず、OEFの「海上抑止活動」が全文の「謝意」というかたちでしか表現されなかったことは、日本政府の主張とは裏腹に、世界各国がこのようなとりくみ(OEFの「海上抑止活動」)を必ずしも積極的に賛成しているわけではないことを表しているにすぎない。
また国連決議1368は9・11の同時多発テロの翌日に採択されたもので、9・11テロを非難したものである。
1373は国連が各国にテロ資金の規制や出入国管理の厳格化を求めたものである。
政府がこのように、OEFの「海上抑止活動」への給油活動を正当化するのに、どういう関連があるのかわけの分からない国連決議しか出すことができないのは、もちろん、OEFの「海上抑止活動」を規定した国連決議がないからである。政府は国連が国際社会の共同の取り組みとして正式に認めていないものを、さもそのようなものであるかのように取り繕おうとしているからである。
2 実体のない「海上阻止行動」
そもそもこのような給油活動の対象である OEFの「海上抑止活動」とは、何であろうか?不思議なことに、政府は法案を提出するにあたって、OEFの「海上抑止活動」というのはどのような活動なのかということを具体的に説明してはいない。
「テロとの戦い」というが、テロと戦うためにインド洋でどのような活動をしているというのだろうか?
このもっとも基本的なことについて、政府が口を閉ざしているのはOEFの「海上抑止活動」というものはその実体がないからである。
当初、アメリカが想定していたのは、インド洋で「臨検」(船舶への強制的な立ち入り検査)を実施することであったが、「臨検」を行うためには明白な国連決議が必要であるが、国連はインド洋を海上封鎖するという無謀な試みに賛成することはなかった。
そしてこの海域(インド洋)での「臨検」が実施不可能であれば、各国の軍艦にできることは何もないのである。
実際、公海上を航行している船舶に対しては「航行の自由」が与えられているのだから、船を停船させたり、乗り込んで「テロリスト」が乗っているかどうか捜索したり、「テロリストの武器・弾薬」が積んでいないか貨物検査をするということは一切できない。「テロリストの攻撃および人員、武器の輸送を阻止する」といっても、阻止する手段が何も担保されていないのだから、現実問題として、OEFの「海上抑止活動」に参加している艦船が公海上でできることはせいぜい哨戒活動ぐらいのものである。
だから、OEFの「海上抑止活動」は単に名前だけのものであり、参加各国の艦船はあらかじめ指定された海域を定期的にパトロールしているのみである。
3 無意味な活動に各国が固執しているわけ
では、なぜこのような実体のないOEFの「海上抑止活動」にいくつもの国(アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、パキスタン、等)が参加しているのだろうか?
それはいうまでもなく、この活動が無意味かつ無内容であるがゆえに安全であり、「テロリスト」との戦いという煩わしい事件に巻き込まれる可能性は限りなくゼロに近いということである。
そして、なおかつ、自国もOEFに参加していおり、その一翼を担っているという実績をアメリカに示すことができるからである。
協力することによって自国の兵員の犠牲が出ることは望まないが、アメリカに恩を売りたい国、もしくは協力要請を断りにくい国、もしくは協力することによって政治的・経済的な利益を引き出したい国々がこの安全なインド洋の“パトロール艦隊”に艦隊を出しているのである。
そして当のアメリカもこのような意味のない行動を黙認しているのは、アフガニスタンでの戦争をアメリカの戦争ではなく、国際社会の戦争と見せかけたいからである。しかし、戦争の指揮権をアメリカのOEFがもっており、NATO軍が中心になって結成されているISAFがOEFの指揮下にあることはまぎれもなくこのアフガニスタンでの戦争がアメリカの戦争以外の何ものでもないことを表している。
4 日本の給油活動はOEFの「海上抑止活動」より悪質である
小泉内閣は「テロ特措法」を制定し、インド洋でOEFの「海上抑止活動」に参加する艦船に給油活動を行ってきたが、その理由はOEFの「海上抑止活動」に艦船を出している国々の事情と同じである。
アメリカのご機嫌をとるために、アメリカのアフガニスタン侵略戦争を給油活動を通して脇から支えているのだが、その関わり方は他国とは違ったものである。
第一に、日本政府は燃料・水を無償で提供することによって、OEFの「海上抑止活動」に参加する国々の経済的負担の一部を肩代わりしていることである。そういう点では、経済的負担を理由にインド洋の“パトロール艦隊”から脱走しようとする“不埒(ふらち)な軟弱者”から、逃亡の理由を取り上げているともいえよう。つまりアメリカの“囚人たち”(OEFの「海上抑止活動」に参加している国々)の看守としての役割も引き受けているのである。
第二に、OEFの「海上抑止活動」自体はまったく無内容だが、その活動に給油活動を行う日本の活動は、アメリカにとって有益であり、内容豊富なものとなりうる。それはもちろん、この法案の趣旨を逸脱することによってである。
日本の海上自衛隊の給油艦が、アメリカ海軍の艦船に対する給油活動を通して、イラクおよびアフガニスタンの戦争に深く関わってきたし、現在もそうであることはまったく明白な事実である。これはアメリカ軍自体が認めていることでもある。(現在、国会で政府を追及している野党議員の多くがアメリカ軍の各種のホームページに直接アクセスして情報を得ている)
ところが、この明白な事実をおかしなことに政府も自民党も否定している。
共産党の小池議員に対しては福田首相は「理解する気がないんじゃないですか、いくら議論したって賛成とは言わないんでしょ、結局」と答えている。
共産党の小池議員の質問は日本の自衛隊が給油したイオウジマから出撃したハリアー戦闘機がアフガニスタン南部を空爆したというアメリカ軍の「海兵隊ニュース」(06年12月4日号)が事実かどうかの確認を求めたものであったのだが、福田首相の答弁は「お前は『理解』する気がないのだ」というものであった。
この場合の「理解」というのは、「自衛隊が給油した艦船が戦闘行為に参加した事実はない」という政府のウソを本当であると信じろということである。してみると「国民の理解を得たい」という福田首相の言葉は、「お前たちはおれのウソを信じなければならない」という意味ではないか。
あの安部晋三氏の後では、誰が首相になっても天使に見える、というのが事実であるとしても、これはちょっとひどいではないか。ある新聞によると福田首相がまじめに答弁するのは民主党の方々だけだそうであるが、こんな底の浅いことをやっていたのでは、この政権もそんなに長くは持たないだろう。
そして新法案提出者である日本政府のこのぶざまな姿は、新法案も旧「テロ特措法」と同じように、法案自体は無意味であり何の効力を持たないが、法案の趣旨を逸脱することによってはじめて法案が実効的であり、威力を持つような法案なのではないかという疑念を強く抱かせるものである。
実際、旧法案に対するなんらの反省もないとしたら、新法案もまた単に名前を変えただけのものにすぎないであろう。このような法案は国会に提出すべきではないし、提出されたとしても可決されるべきではない。