最近、よく「カジノ」がどうしたのか、投機がどうしたのか、という話を聞く。
要するに、投機を規制せよ、ということなのだろうが、投機現象というのは、どこにあるのだろうか?
それは確かに、今年の7月までは存在したが、現在、それはそれ自身の論理によって崩壊した。
投機の対象となっていた株は暴落し、国際商品指数もほぼ半分近くまで暴落しており、各種の市場に流れ込んでいた投機資本は、外為市場のそれを除いて、事実上、消滅した。
それは現在、投機の失敗による損失の穴埋めのために資本価値が著しく減価されているか、資本価値そのものが喪失(破壊)されており、かろうじて生き残った貨幣資本は、銀行の金庫の中で“蛹(さなぎ)”、つまり、“不胎化した貨幣資本”となっており、いつ醒めるとも知れない眠りの床に入っている。
投機がないのに、投機を規制せよ、というのはよく分からないし、それ以上によく分からないのは、このような人たちが主張しているのが中小企業向けの融資を増やせ、ということである。
現在、多くの中小企業が“貸し渋り”にあっているのは、客観的にいって、これらの企業の信用力に「?」マークがついている、すなわち、金を貸しても返してもらえるのか、もらえないのか分からないからであろう。
ところが、こういう人々は、そういった企業にまで銀行は金を貸すべきであるというのであるから、こういう人たちは本当に、「カジノ資本主義」なり、「投機資本主義」なり、に反対しているのか疑問に思われる。実際、返してもらえるのか、もらえるのかという確率が五分五分であるとするなら、そのような経済行為は丁半バクチと同様の「カジノ資本主義」以外の何ものでもないのではないだろうか。
要するに、投機を規制せよ、ということなのだろうが、投機現象というのは、どこにあるのだろうか?
それは確かに、今年の7月までは存在したが、現在、それはそれ自身の論理によって崩壊した。
投機の対象となっていた株は暴落し、国際商品指数もほぼ半分近くまで暴落しており、各種の市場に流れ込んでいた投機資本は、外為市場のそれを除いて、事実上、消滅した。
それは現在、投機の失敗による損失の穴埋めのために資本価値が著しく減価されているか、資本価値そのものが喪失(破壊)されており、かろうじて生き残った貨幣資本は、銀行の金庫の中で“蛹(さなぎ)”、つまり、“不胎化した貨幣資本”となっており、いつ醒めるとも知れない眠りの床に入っている。
投機がないのに、投機を規制せよ、というのはよく分からないし、それ以上によく分からないのは、このような人たちが主張しているのが中小企業向けの融資を増やせ、ということである。
現在、多くの中小企業が“貸し渋り”にあっているのは、客観的にいって、これらの企業の信用力に「?」マークがついている、すなわち、金を貸しても返してもらえるのか、もらえないのか分からないからであろう。
ところが、こういう人々は、そういった企業にまで銀行は金を貸すべきであるというのであるから、こういう人たちは本当に、「カジノ資本主義」なり、「投機資本主義」なり、に反対しているのか疑問に思われる。実際、返してもらえるのか、もらえるのかという確率が五分五分であるとするなら、そのような経済行為は丁半バクチと同様の「カジノ資本主義」以外の何ものでもないのではないだろうか。