しましましっぽ

読んだ本の簡単な粗筋と感想のブログです。

「二月大歌舞伎」 夜の部

2006年02月23日 | 観劇
2006.2.2(木)~2.26(日) 歌舞伎座

『梶原平三誉石切(かじわらへいぞうほまれのいしきり)鶴ケ岡八幡社頭の場』
青貝師(螺鈿の細工師)の六郎太夫(歌六)と梢(芝雀)父娘は、
鶴ヶ岡八幡宮を参詣中の平家方の大名・大庭三郎(彦三郎)へ、所望されていた名刀を売りにやって来る。
大庭は、梶原景時(幸四郎)に刀の目利きを依頼。
梶原は、人間を二人重ねて斬る「二つ胴」を、六郎太夫の身体を使って行うと言い出します。
「二つ胴」のほか、石の手水鉢を真っ二つに斬る「石切り」も披露。

人間や石に手水鉢がふたつになる演出がある。人間を半分にすると、ハムの様だった。
会話中心に静かに進行する。
オリンピック疲れからか、眠気に誘われてしまった・・・・。


『京鹿子娘二人道成寺(きょうかのこむすめににんどうじょうじ)道行より鐘入りまで』
安珍清姫伝説をルーツに持つ「道成寺物」。
歌舞伎の『京鹿子娘道成寺』は、女性のさまざまな表情を踊り分ける、女方随一の華やかな舞踊として定着している。
二人の女方の競演を趣向とする本作は艶やかさもひとしおで、2年前に実現した円熟の美貌・玉三郎と時分の花・菊之助の舞台は、大きな評判となった。熱望にこたえて再登場。
清姫によって溶かされた鐘を再建。それを祝う席に清姫の怨霊が鐘を奪いに現われる。
女人禁制の寺の鐘に近付く為に、坊主を惑わす舞いを舞う。

これが夜の部のメイン。
ふたりであわせて踊るのも綺麗だったし、衣装の早替え、踊りも色々あり、見ていて楽しめた。
三味線や、笛太鼓の演奏も多く、本当に華やかだった。
優雅な踊りだが、鞠をつきながら(実際に鞠はないのだが)の早い動き、のけぞる仕草の多さなど、結構体力を使いそう。
お坊さんが24人ほど登場して、わいわいしているのも、微笑ましかった。


『人情噺小判一両(にんじょうばなしこばんいちりょう)』
若いころ放蕩の限りを尽くした安七(菊五郎)は、父の死に目にも逢えず、その父が「堅気になれ」と遺した一両の小判を自らのお守りに、今はまじめに笊屋として働いている。
凧を盗んだと凧売りの吉六(権十郎)に責められている少年・小市を見かねた安七は、その父孫市(田之助)が浪人中の苦しい身であることを知り、心から同情。孫市が固辞するのも聞かずに、お守りの一両を小市に渡す。
この様子を見ていた侍の浅尾申三郎(吉右衛門)は、その義心に感じ入り、安七を料亭でもてなす。
そこまでしながら、なぜさっきは見て見ぬふりをしたのか。いらだつ安七の疑問に、申三郎は、孫市の武士としての矜持を尊重したつもりだと語るが、安七はその考え方を否定。
納得した申三郎とともに孫市のもとを訪ねますが……。好意のつもりが相手を深く傷つけていたという、ドキッとするような悲劇。
江戸時代の随筆集から想を得た宇野信夫が、六代目菊五郎と初代吉右衛門の個性を生かして書いた佳品で、当代「菊・吉」による同役での上演は、初めて。

身分の違いが考え方の違いにもなる。悲しい結末の話。
武士と平民のような身分の違いは、今はないかも知れない。しかし、考え方は多様化しているので、何が他人を傷つけているか、わからない事も多い気がする。
安七は、小心者だけれども、本当に人が良くて、心の優しい人物として書かれているので、この結末ではあまりに可哀想な気がする。
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