THE WALTZ 大晦日遂にコザに上陸!

2015年11月26日 | 日記

 


 皆様、大変長らくお待たせしました、

プリンセスプリンセスではないですが(笑)

THE WALTZ久し振りにライヴします!

👏👏👏👏👏👏👏👏

今度いつ見れるかわからない人達です😂

それもこれまた久し振りの地元コザでのステージで!

正確にはコザっ子は僕とアピーさんだけなのですが、

なぜかカテゴリー的にはコザのバンドってことになってるようです。

oh yeah~メンバーも久し振りで盛り上がってるよ~

。。だといいですが。ははは。

以下詳細です。

またちょくちょくここで報告しますね。

マットミさんがやっぱり叩けないとか、

タバさんがリハーサル来ないとか(笑)

 


■2015年12月31日(木) 沖縄市 OTORAKU

THE WALTZ~2016 HAPPY NEW YEAR LIVE

Vo&Gt.ローリー

Dr.マットミ Bass.アピー

T.Sax.タバチャン Tp&Key.タマゴ
 
Start21:00   ¥2500

問098-932-3933

沖縄市上地1-2-32

 

 


愛器"サスケ"

2015年11月25日 | 日記

 

バンドの時、いつも側にいるヤツがこの"サスケ"。

思えば若い頃から、このテレキャスターという楽器に魅了され、

弾き続けてきたわけなのですが、

もうこいつは過去最高のテレキャスなんだよ。

今所有してるテレキャスは全部で3本。

どちらかと言えば、僕は楽器を集めまくるタイプではないのですが、

楽器屋さんでテレキャス見つけると、必ず手に取ります。

それぐらい切っても切れない仲なんですよ。

このサスケはfenderのヴィンテージ・シリーズというヤツなのですが、

実は信じられない安値、大声で言えないような安値で手に入れたのです。

これはきっと音楽の神様からのギフト!

なんて僕は今でも信じきっております。

 

過去にも散々テレキャスの話をしてきましたし、

話し出すと止まらないので、今回は写真多めの自慢ということで(笑)

こうウイスキーを呑みつつ、

その美しいテレキャスのシェイプを見つめてウットリする時があります。

気持ち悪り~よ~なんて言わないよーに😱

ほんとテレキャスはどの角度から見ても美しいんだ。

 

テレキャスの魅力はそのシンプルさ。このヘッドの美しさったら。。

 

わかるかなぁ~このライン。。。たまらん。。

 

 

ほらほらヤバイっ😆

 

以上、サスケ自慢でした。

こないだ久し振りにストラトを手にステージ上がったのですが、

すぐにサスケに持ち替えました(笑)

ダメだ!冒険出来ない残念な男だよ。

ポテトチップスも塩味しか食べれないし、

アイスもソフトクリームしか食べれない男なんです😞

もうほんと、ここまで来ると他の楽器弾けないかもしれません。

ずっと一緒だぜサスケ~これからもよろしくね(o^-')b


 

 

 

 


とてもいいお話

2015年11月25日 | 日記

 

女装家のミッツ・マングローブさんが若かりし頃、

プリンセスプリンセスの大ファンだったそうです。

そのプリンセスプリンセスが解散を迎え、

武道館での最後の公演にミッツさんは行ったそうです。

ミッツさんは自分の年齢とも重なり、

プリンセスプリンセスの解散劇は、

自分の青春時代に終わりを告げる夜にもなったそうです。

そしてその公演の最後の最後、

プリンセスプリンセスがみんなから去る時に、

演出で会場が暗転したそうなんです。

その時ミッツさんは自分の腕時計のネジを引き抜いて、

時間を止めたそうなんですね。

プリンセスプリンセスの終わりの瞬間、

自分の青春も終わったその証に時計の時間を止めたわけなんですね。

これだけでも充分いいお話なのですが、物語はまだ続きます。

 

何十年後、ミッツさんはタレントとして活躍するわけですが、

その時プリンセスプリンセスの再結成にあたって、

ある番組でプリンセスプリンセスと共演する機会があったそうです。

その時、あの時計を止めた話をしたらしいんですね。

で、その話を聞いたプリンセスプリンセスがいたく感動したようで、

ミッツさんにこの時計貸して欲しいとお願いされたようなんですね。

そして再結成ライヴの日、もちろんミッツさんも足を運んだのですが、

なんとオープニングのステージにスクリーンが現れ、

そのミッツさんの止まったままの時計がバーンと映ったと。

ミッツさんは驚き感動したのですが、さらになんと、

あの解散の瞬間に引き抜いて止めた時計の針が、

開演と共に動き出したそうなんです。

CGかなんか使った演出だと思うのですが、

ファンにはたまらかったに違いないですよね。

特にミッツさんの感激は言葉にならなかったでしょうね。

なんたって自分の青春とプリンセスプリンセスの解散に想いを重ね、

自らの手で時を止めた時計が動き出したわけですから。

その再結成の、そのオープニングシーンを僕も観たのですが、

パーフェクトというか、

再結成ライヴの演出としてはこれ以上ものはないでしょう。

キヨシローの復活祭のオープニングでのスクリーンショー、

抗がん剤の副作用ですっかり髪の毛の抜けた栗原清志から、

徐々に髪の毛が生えキヨシローに変貌してく

あの演出も素晴らしいものでしたね。

僕の心に残る、二大オープニングショーですね。

いやいや、ほんといいお話でしたね。

 

またミッツさんはプリンセスプリンセスの再結成のステージを観て、

こんな言葉も言ってます。

私の中に唯一残っていた『健全な細胞』が開きまくっています。

こんなにも無邪気で健やかで前向きな人格が、

まだ私の中に存在していることが何よりも驚きだったりもするのですが、

思えば10代の頃から、

こんな風に恥ずかしげもなく自分のそんな部分を解き放つことができたのは、

プリプリだけだったような気がします。

 

歯に衣着せぬ毒舌で知られるミッツさんですが、

いやいや、やはり毒舌家にはピュアな人が多いんですね。

プリンセスプリンセスの皆さんも幸せですよね、

こんなにも想われてるのですから。

素晴らしいです。

 

 

 


夏の日の思い出

2015年11月25日 | 日記

 

日野てる子さんの「夏の日の思い出」(1965年)という曲があります。

って誰も知らないっすよね(笑)

ぼくら一回り上の世代でも知らないぐらいだからね。

うちのお袋世代が知ってたぐらいの曲だからね。

とにかく知られざる昭和の名曲でね、よく作られた曲なんですね。

編曲はジャズピアニストの前田憲男さん。

イントロのギターから、南国情緒溢れるオーケストレーション、

エンディングまで見事なお仕事をしております。

最近自分でアレンジして歌ってるその「夏の日の思い出」と、

当時のコザのお話を。

僕のライヴにいらっしゃってる方はよく聞かされてるはずだし(笑)

昔のblogに書いた気もしますがいってみよう。



僕が20歳そこそこの頃、中ノ町にある某高級グラブで、

僕はウェイターとしてアルバイトしてました。

クラブと言っても最近の踊るクラブじゃなくて、

月に給料日が二回もあるゴージャスなホステスがいる高級クラブね。

なぜに給料日が二回もあるのかと言うとですね、

店の固定給とは別に、ホステスさん個人の力量、

つまり指名や同伴出勤などで得る給料のことなんですね。

そこで店のNo.1が決まるわけで、

それはそれは、

夜の女のシビアな世界が繰り広げられるわけなんです。

当時その話をオーナーに聞かされてびっくりしたんだけど、

そんな高級取りのホステスさんは、

それはそれで人一倍頑張っててね、

それがもう、露骨に給料に表れるわけなんです。

もちろん人気ホステスさんは美貌ってのも重要だけど、

なかなか単純でもなくてね、色々大変なんです。

個人の営業能力と努力が物をいいますし、

流行に目をやったり、毎日何冊も本を読んで教養を身につけたり。

あの経験はすごい社会勉強でしたね。

全然役に立ってませんが😅



そのクラブにM子さんというお姉さまがいて、

コザ中の先輩ってこともあって、とても可愛がってもらったんだ。

けどM子さんいつも泥酔状態でね、

ガキながらに「何があって毎日こんなに酔ってるんだろう?」

ってのがホントのところだった。

その頃はね、カラオケもまだ今と比べるとお粗末なも物でね、

ガチャガチャなんて乱暴に機械に突っ込んでは鳴らす、

8トラックのカラオケだったんだ。

 

でもそこは高級クラブですからね、

高級感ってことでピアニストをどこのグラブも雇ってたんです。

 で、店も終わりに近づくとですね、

決まって泥酔したM子さんがふらふらとピアニストに近づいてというか、

もたれ掛かってというか(笑)耳打ちすんだよ。

そこで例の「夏の日の思い出」のイントロが流れるんだ。

いわゆるM子さんの十八番なんだよね、夏の日の思い出は。

もちろん名曲なんだけど、

とにかく酔ったM子さんがピアノにもたれ掛かって歌う姿が、

とても色っぽくてね、

ガキの僕から見たら妙に大人の説得力があったんだ。

けして美声でも上手いわけでもないけど、

彼女のどこか寂しそうなムードと、容姿から放たれる世界観があって、

僕はいつも見とれてた。

当時はね、ヤクザのおじさんやお兄ちゃんもたくさんいてね、

そういう人達もM子さんは見事に操っててカッコよかった。

一度M子さんがその人達の前でボトル割って

「なめんな!」って言った時はさすがに店内騒然としたけどね(笑)

そんな時のオチもね、

ふらふらとピアニストのとこ行ってあの歌が始まるんだ。


よく店終わりにM子さんが

「おいバンドマン!腹減ったろ?飯食いに行くぞ」

つーてね。ご馳走になった。

その時、M子さんからこの歌伝授してもらったんだ。

つまりこの曲が、僕が初めて習って歌ったカラオケの曲なんだ。

だから今でもこの曲を歌うと、M子さんの強い香水の匂いとか、

ピアノにもたれ掛かったあの姿が浮かぶんだな。

それから何年かしてM子さんと一度だけ真夜中にすれ違ったことがある。

相変わらずふらふらと千鳥足で中の町を歩いてた。

「M子死んじゃったよ」って噂も流れたことがあった。

後のことは僕にはわからないけど、

この歌を僕が、M子さんから受け継いで歌ってるような気もするんだ。

この歌には確実にあの頃のコザ匂いがあるし、

どこか寂しげで、物憂げな、

彼女の残り香が染み込んでいるんだ。


👮おまけ👮


とある日クラブに出勤したら、ヤクザのおじさんに呼ばれた。

で、おじさんが言うには、

「普天間に車止めてあるから取って来い」と。

で、僕は一瞬戸惑い、

「仕事中なんでオーナーに聞いてみないと」と。

そこでおじさんオーナーを呼んで、こうこうこういう話だから、

こいつを行かせていいか?と。

んで、オーナーは「どうぞどうぞ」と(笑)

おいおいオーナー、それでいいのかよ!とツッコミたかったが、

取り敢えず僕は言われた通り、おじさんの車を取りに普天間に向かった。

しかし問題は出発前におじさんが僕に言った言葉。

「おいボーズ、運転席のシートの下に弁当があるからよ・・・

けしてそれを見たりするなよ」・・・と(笑)

え?

普通さ、普通そんな事言われたらさ~

誰だって想像するのってさぁ~

シートの下に隠してあんのってブツかチャカだよね?(笑)

わはは、ローリー逮捕の新聞の見出しがよぎったね。

結局普天間から中の町までの車中、

そのブツを見ることも、触ることもしなかったけど、

シートの下に弁当なんてさ、

なんでそんなよく分かんない発表したんだろ(笑)

ヘンだぞおじさん。

あの店で働いてる時の1番印象に残ってるヘンテコな事件だった。

M子さんの「夏の日の思い出」と共に、

「シートの下の弁当見るなよ事件」は 、

永遠に僕のアルバムに刻まれているのだ。

 

 

 


ポップス爺を知ってるかい?

2015年11月16日 | 日記

 

今回は久し振り新譜を紹介するよ。

2000年にこの世を去った、ポップス・ステイプルズ渾身の、

ホントに最後の最後の遺作。

こないだのツアーで東京でも探してたアルバムなんだけど、

帰沖したら追いかけるように東京の弟から、

このポップス爺のアルバムが送られて来た!…なんか以心伝心で嬉しい!

 

しかしこういうの聴かされるとですね、ギター演奏に影響が出て、

ライヴのメニューが露骨に変わったりして困ります(笑)

ポップス爺は僕の周りのギタリストやミュージシャンの間でも、

全然話題なんかなんないし、

殆どの方が知らないと思います。

しかし、このポップス爺の深ぁーい魔力に取り憑かれるとですな、

なかなか抜けられない泥沼なんですな。

かのカーティス・メイフィールドに負けず劣らずの名ギタリストであり、

テレキャスマスターでもある。

そしてポップス爺と言えば、あのスワンピーなトレモロサウンドだす。

ワワワァ~ンと鳴り響くトレモロサウンドに美しく響くポップス爺の声。

静かなディープソウル、囁きのソウルなのですな。



ロバート・ジョンソンやマディ・ウォーターズみたいに取り上げられないけど、

やっぱポップス爺の音楽も間違いなく、

アフリカ~アメリカンミュージックの源流を通ってるわけで、

ブルースからゴスペル、ソウルミュージックのエキスが

これでもかと溢れ出して来ます。

最後の最後にこんな素晴らしい作品を世に出してくれて、

娘のメイヴィスに感謝!

是非ね、ブラックミュージックファン以外の、

例えばJJ・ケイルやジェシ・エド・デイヴィスのような

ロック好きにも聴いて欲しい。

ただがなり倒したり、弾き倒したりするだけじゃない、

静かなスワンプロックがここにあります。

本物ってやつです。

それにね、なんたって僕の好きなウィルコのジェフ・トゥイーディーが

プロデュースしてて、

ジェフの息子のスペンサー・トゥイーディーがドラムを叩いているわ、

アメリカンミュージックの伝承がここにも垣間見れて、

なんとも言えない幸福感に包まれます。

オープニングの「SOMEBODY WAS WATCHING」から、もう悩殺ですよ。

ドロドロの湿地帯サウンドで、

ズドンズドンのスペンサー君のドラムも気持ち良い。

ここにジェシのスライドギターでも入って来たら、

完全にやられちゃうだろな。

次の「SWEET HOME」なんかは、

ジェフがポップス爺ばりのスワンピーなギターを聞かせてて、

なんとも素晴らしくもリスペクタブルなのだ!

ポップス爺とメイヴィスとのデュエット曲ですが、

ほんとオーヴァーダビングとは思えない一体感!

歌い終わった後の親子の会話も、なんとも言えず微笑ましいのです。

ウィルコでもそうですが、

ジェフはほんとツボを得た、憎いギターを弾くんですよ。

抜群のギターセンスです。

そしてお待たせしましたの「FRIENDSHIP」。

ポップス爺の優しい歌声とギター、それに寄りそうような娘達のコーラス、

ゴスペルライクでありながら子守唄のようです。

もーたまりませんなぁ・・。

ニーナ・シモンやレッド・ツェッペリン(激ヤバカバー!)で有名な

ブラインド・ウィリー・ジョンソンの「Nobody's Fault But Mine」、

そしてディランの「Gotta Serve Somebody」も気負いなし、

じっくりとポップス爺ワールドを展開してます。

やっぱこの人は全然動じません。素晴らしいです。

映画ラストワルツの「The Weight」でもそうでしたが、

リヴォン70%、メイヴィス80%、リック120% (わはは!)のエネルギーに対し、

ポップス爺は”ふわっ”と30%ぐらいで歌うんだな~これが。。

ヤバ過ぎなのですよ。僕も見習おっと(笑)


この音源を病床から、メイヴィスに託したポップス爺が言った言葉が

そのままタイトルになった「DON’T LOSE THIS」。

「これ(音源)なくすなよ」。。

永遠に受け継がれゆくソウル、

親を選べないってのも素敵なことですね。

なくさなかったメイヴィス、そして弟Tに感謝。

 

 


アラン・トゥーサン先生

2015年11月16日 | 日記

 

アラン・トゥーサン先生が旅立ちました。

ピアニスト、作曲家、アレンジャー、そしてプロデューサーとして、

世界中にニューオーリンズ音楽の素晴らしさを伝えてくれた偉人。

Pain In My Heart、Mother-In-Law、A Certain Girl、Yes We Can、

今やロックンロール・クラシックと呼ばれるような楽曲をたくさん書き、

ザ・バンドを初め、ウイングスやエルヴィス・コステロとの仕事で、

ロックサイドでも活躍しました。

 

 

 

 

この「MOTION」も静かな僕のフェイバリット。

特に「With You In My Mind」が大好きで。これは名曲ですよ。

トゥーサン先生の声もどちらかと言えば、

良い感じで力が抜けた声で、その人柄が音楽にも表れてる感じ。

故郷思い出す的な声というか、

のどかな田園や川などが浮かび上がってきます。

そういえば、いつぞやのニューオーリンズのフェスで、

トゥーサン先生のステージに上がったリタ・クーリッジが歌った

「With You In My Mind」。

夕暮れのステージだっけかな?

ホント素晴らしくて、幸せな気分にさせられたな。。

当時VHSのビデオ映像で聞いたのですが、音源化して欲しいな。

その穏やかな紳士な佇まいで、みんなに愛されたトゥーサン先生。

あなたの素晴らしくもゴキゲンな音楽で、

僕の青春時代がどんなに潤ったことでしょうか。

あなたは旅立ちましたが、

この小さな南の島でも、あなたのスピリッツは生き続けております。

ありがとう、そして安らかに。

今夜は大好きなA Certain Girlで踊ります!yeah!

 

  


フォトクック

2015年11月16日 | 日記

 

今年も夢のオリオンビアフェス行けなかったのだ。

なので、北中城のしおさい祭りのきいやま商店観に行ったた。

もーきいやまはね、ライヴがどうこう説明しなくても、

皆さんご存知と思うのでね。

会場はおじいちゃんからお子ちゃままで、

ノリノリで僕も楽しかったよ。

もうレポはいんで、写真いっぱい取ったた。

下手くそな写真だけど、なかなかきいやま愛に溢れてるしょ?(笑)

肩車の女の子が可愛いね。

 

 

オープニングのこの感じね。

 

 

 

クックお気に入りのショット。マストポーズを決まってるっしょ?

ラストナンバー沖縄ロックンロール!

うん、ただ誇らしいのです。

 

なんだか三人と久し振りの再会なんだな。嬉しい。

でも三人ともTHE WALTZ観たいそうです。僕もだよ。

一緒だね(笑)

 

マストのギターの穴ぼこ加減よぉ~ イカスすね。

ウィリーネルソンみたいだ!

 


コザスタイル?

2015年11月13日 | 日記

 

後輩たちに呼び出され、久し振りに朝までコース😅

しかしこのコザスタイルどうにかならんのんか。

みんな夕方の5時から飲み始め、

朝5時まで飲むって・・・

で、この吉元弁当と双璧をなす一丁目ストアーで

その後弁当を購入。。

こいつらの胃袋どないなってんのや!

吉元弁当の前でも、酔い潰れてるのに弁当かっ喰らう輩をよく見かけるが、

見てるこっちが胃もたれしちゃうよ。

コザっ子は胃袋が強いのか?

恐ろしや恐ろしや。。

泥酔バカトリオが油モンを品定め(笑)


      


でもこの子達、

ホントに良い子達なのです。

飲んで歌い、ダンスを踊り出し、人にからみ、

なんだかんだと面倒くせーのですが、

憎めなくて、何だかすごく愛しいんですな。

このように、コザでは眠れない夜がたまに顔を出します。

飲み過ぎはダメよ!

12時間はあーたぁ!さすがにさ。

せめて長くて6時間ぐらいにしなさい!

って玉城デニーが言ってましたよ(笑)

 

 

 


キジムナー

2015年11月08日 | 日記


最近、忘れて歌ってない曲を思い出して歌っています。

小さな歴史だけど、音楽に歴史ありってな感じでね、

色んな時代に色んな曲書いてたみたいなんだ。


そういうのをね、思い出しながら歌うのが、

最近のマイブームかな。

THE WALTZのアルバムWOO-TOO-TOOから外れた(外された?)

それこそ時代を描いた「さよならMr.T.K」とか、

初期の「とびきり」とか、

娘をもらいに現れたバンドマンに物申す父親を描いた

「うちの娘はやれません」とか。。。

色々思い出して歌ってます。


などとのたまいながらも、最後の最後、

「キジムナー」で壊れてしまいました。

この歌は、きっとギター初心者でも弾ける曲でね。

なんたって1コードですから、

誰にでも弾けます。

ただ毒性が異常に高いんですな。

だから始まっちゃうと我を忘れて壊れてしまいます。

昨夜もなぜに始まっちゃたのかわかんないけど(笑)

ひとり四面楚歌状態でも申しますか、エライ事になるわけです。

後半で6弦が(またしても!)切れました😨

もう歌うのやめな!ってことなんでしょうね。

はは、1コードのくせに恐ろしい毒性です。

気をつけろっ。


さて、その沖縄の妖怪(木の妖精?)キジムナーですが、

本物を殆どの方が見たことないはずで、

そのイメージは人それぞれでしょう。

それこそ可愛いキジムナーから

グロいやつ

はたまた、如何にも昔の本物っぱいやつまで。

貴方のキジムナー観はどういうタイプでしょうか?


僕のこの歌に出て来るキジムナーはですね、

アレですよ、もう怪物くんのような意地悪なやつ(笑)

キジムナーは言い伝えですから、

みんな子供の頃に、親とかおばぁーから聞かされてると思うので、

そのイメージは環境で大きく変わるかもですね。

僕が子供の頃から聞かされてるキジムナーは、

もうとにかく悪いやつなんですな。

キース・リチャーズ的なロックンロールっぱい。

だからすごく歌に乗るわけで、

もうキジムナーという響き自体がロックンロールなのです。

ヒューヒューとあちこちでイタズラをしては、

楽しげに駆け回るキジムナー。

次回からは是非お客様の、

🎵キジムナー🎵という掛け声を期待してますよぉ~ん

ニン😁


 

 

 


生誕、鶏?やっぱ鶏だよね!

2015年11月07日 | 日記

 

 

今日はKさんのバースデー。

鶏屋が相変わらずいっぱいでね、空き待ちしてました。

んで、無事バースデーがスタート。

が、今日バタバタしてたんで、ケーキ屋も閉まっててね、

が困った時のサンエーつー事で、ケーキとロウソクを買ったった。

けど、1本10歳分の大きなロウソクが売ってなくてね、

もう小さなケーキがロウソクで溢れ返って、プチ火事状態(笑)

ボーボー火を噴いてるわりには静かなバースデーでね、

わぁわぁ騒いでるのは、

ぼくらだけという。。。

でも、いつでも、どんな時でも、

人が誕生日を迎えるっていう瞬間が僕は好きなんだな。

キリストも神様もよく分かんないけど、

分け隔てなく誰にでも、

1年に1回誕生日を作った神様って、

やっぱ憎いな~ってね。

 

 


やっぱ泣けるにゃ~

2015年11月03日 | 日記

 

 

学校へ行こう!スペシャル。

やっぱいいなぁ~ほんと素晴らしいなぁ~。

最近のバラエティーとは比較にならないぐらい、断然いい。

ゲーノー人の食べ歩きとか鬼ごっこなんて興味ないもんね(笑)

特に未成年の主張はもうやられちゃう・・・涙腺がぁ~😭

最後に流れるカレンの「青春の輝き」。。。

これはイカンやろ!反則だーな。

たまにベランダから見る中学生に僕は見とれたりするんだけど。

あまりにキラキラしてて。

そりゃー僕だってキラキラしてたさ~あの頃はね。

子供逹が何の屈託もなく、楽しそうにしてたらさ、

何て言うのかな?らしくないけど、癒されるんだ。

音楽と癒しは未だに全然結びつかないんだけどね(笑)

キラキラの子供逹にはほんと癒される。


こういう子供逹をメインにした番組が、

もっと、もっともっと増えればいいね。

それこそ子供逹が社会や政治家に物申す!みたいな番組あったりね。

だって未来は子供逹の為にあるんだから。

これからおじぃーおばぁー高齢化社会つーてもさ、

その高齢化社会を支えるのも子供逹だもん。

子供逹が誰の目も気にせず、何でも言える時代だよ。

それはグローバリズムやITなんかより、

全然必要なことだと、思うんだな。

学校へ行こうで弾けてた子達も、もう30代なんだって。

そういう子達がさらに弾けて、ふざけて、

今の子供達を引っ張って行けたら、

きっと素晴らしい世の中になるって思うんだよね。

なんて、そういうのを願ってる僕です。


 

 


泡盛

2015年11月02日 | 日記

 


何年振りだろ?泡盛呑むのなんて。

ずっとワインかウイスキーだったもんな。

でもやっぱ泡盛は優しいな。

やはり沖縄の人が風土の中で育ててきた歴史があるのかな?

1番身体に合ってるんだろうね。


泡盛はワインやウイスキーに比べ、翌日の残りが軽いんだよね。

日本酒はもう翌日地獄なのですが、

ワインやウイスキーは少しズンと残る感じなんだよね。

まぁー何だろうと呑み過ぎりゃぁ~翌日ひどい事になりますが(笑)

しかし泡盛は残り具合が優しい感じだよ。

心地好い残り具合なんです。ほんと不思議だなこれは。

その昔泡盛女王に言われたこと思い出したんだよね。

「泡盛は翌日残らないんですよ、良い泡盛になればなるほどに」ってね。

よく女王に誘われて那覇で呑んでた時期があったのですが、

そこで呑める古酒の泡盛が凄くて、翌日残るどころか、

もうなんかマッサージかなんかされた翌日みたいに、

心と身体が浄化された気分になったのね。

あれは感動しましたね。ほんとに。

その店は主と供に仲良く、なくなりましたが、

ちょっと忘れられない酒場でした。

ああいう酒場はもうないだろうね。

銘柄もなく、何度で、何年物って注文しか出来ないんだから(笑)

40度の50年物で、みたいなね。

店主のこだわりか、氷なんて置いてないわけで、

ストレートで飲酒するわけだ。

これもこだわりか、チェイサーは硬水の水道水!

おつまみはスクガラス豆腐とアンダンスーのみ。

これがまた旨いんだ。

あっ、一度ヒラヤチーを出してもらったなぁ~

また食べたかったなぁ。。。

店内にBGMはなし、小さい音でTVが流れてるだけ。

口の悪い店主と泡盛!

真の泡盛好きが集まる店でしたね。

今頃女王もさぞ寂しいだろうな。



Skydust

Koko