1966.6.30

2016年06月30日 | 日記

 

 



今から50年前の今日、1966年6月30日日本の音楽シーンが大きく変わった。

THE BEATLESの来日公演。

音楽そのものがそうだったように、そのファッション性や商品性、

自作自演という形態、などなど。。

とにかくその爆発力は、全てにおいて破格なのでした。

この日は兎にも角にも全てが初めてんだったわけで、

初めて神聖な武道館でロックコンサートを行うということで、

沢山の警察が動員されるし、右翼団体の抗議活動はあるわ、

全国から家を飛び出した少年少女が武道館やホテルを囲むは、

空前絶後の光景だったのです。

きっと当時の大人達にとってビートルズは、驚異に感じただろうし、

毒以外のなにものでもなかったに違いない。

今のコンサートやイベントから考えると想像出来ないと思うけど、

確かに昔は不良だのと、コンサートには健全なイメージはなかった。

武道館でビートルズを聴いた大人達は口を揃えて、

「騒音で何歌ってるのか聴こえない」と言うのに対し、

若者達は「はっきりと聴こえた」と言う。

当時のPA機材に問題があったとしても、やっぱり冷やかし半分の大人達と、

ラジオやレコードを通して熱狂した、

若者達との集中力の違いは歴然としてたのです。

今ならアーティスト側とオーディエンス側の間に垣根もないし、

一緒に歌ったり踊ったり、連体感というのが当たり前のようにある。

しかし当時、あの武道館に集まった少年少女達にはそういう前例がなく、

厳重な警備の中、その目の前に確かにいる、

ビートルズにどう触れていいのか分からなかった。

だから、ただただ、手を伸ばし、絶叫する他なかった。

髪を掻きむしり、唇を噛み締めるしかなかった。



この映像を今の若者達が観ると「え?そこまで〜」なんて笑っちゃうかもしんない。

でも、それぐらいビートルズは凄かったんです。

社会も音楽も前例がないほどにね。

当時の若者達は今60代後半ぐらいでしょうか。

武道館のチケットを額に飾ってる人、武道館の空気を瓶に詰め、

死ぬ直前にそれを開けその空気を吸うという人、

ビートルズと同じくミュージシャンになった人。

人の感じ方はそれぞれですが、

そういう諸々な困難な中から生み出された表現って、

確かに豊かな時代の証です。

 

 


美しさは歪

2016年06月27日 | 日記

 

 

 

音楽というのは完璧なのが素晴らしいのかといえば、

またそれだけではないとこもあって、

そのダメダメ感に惹かれたりするから、また面白い。

最近観たライチャス・ブラザーズの1983年ライヴは

なんかそんな感じのライヴだ

200人~300人クラスの会場でしょうか?その1983年という時代性、

けしてタイムリーでない古いロックンロールショー。

サウンドやアレンジに時代性を一切表さず、

当時のヒット曲をひたすら歌うライチャスの二人。

なんかこうなると余計に自信がみなぎって見えたりして、

とても胸が熱くなるのです。

その想いはバックバンドの人達からもすごく伝わって来て、

正に全員一丸という光景なんだ。

やたらアレンジをコネくり回して、

奇をてらうアーティストもいますが・・すまん。。私だ

逆にライチャスのような姿こそが美しかったりするものなんです。

会場にはなんとバリー・マンとシンシア・ウェルの姿もあって、

「Brown Eyed Woman」を歌う前にライチャスが二人を紹介するんだ。

「ずっとみんなに紹介したかった、バリー&シンシアです!

感謝と愛情を贈りたい」ってね。

会場は割れんばかりの拍手でね、

なんかアメリカってこういうのあるからいいよね。

ライターに敬意を表する感じ。

名曲の素晴らしさってのは、変に時代に媚びを売らずとも、

その存在の強さのみが立ちはだかってる感じでいいですよね。

名曲は時代に全く動じないんだ。

強い曲、時代に動じない曲。

いつかそんな曲書けたらいいな。

美しいってのは、きっとどこか歪だし、

どこか悲しさが同居しているとも思う。

ジョンのイマジンは誰が聴いたって、最高傑作な愛と平和の歌だけど、

そんな歌が流れる中、ジョンは嫉妬に狂ったり、

酒に溺れて迷子のように彷徨ってた

だからジョンは真実なんだな。

その歪ささえ隠さないから。

ブライアン・ウィルソンにも同じ匂いを感じます。

真のアーティストってそういうものだと思う。


ぼくのお兄ちゃん

2016年06月25日 | 日記


 

突如生まれた(生まされた?)「ぼくのお兄ちゃん」。
和むわぁ。。。


♩ぼくのお兄ちゃん 〜Rolly Music〜♩


ぼくのお兄ちゃんは ギターが好きさ  

あまり弾きはしないけど ギターが好きさ

オーイオイッ!ローリー! ぼくのモーリスを

見たいかい?弾きたいかい?と家に取りに帰ったのさ

ぼくのお兄ちゃんは ギターが好きさ

あまり弾きはしないけど ギターが好きさ


ぼくのお兄ちゃんの モーリスギターは

ネットで買ったのさ たったの5万で

だけど修理で 10万掛かったのさ

オーイオイッ!お兄ちゃん!

アンシーネー15万ヌーギター コーイシ マシアランタンナ?

ぼくのお兄ちゃんは ギターが好きさ

あまり弾きはしないけど ギターが好きさ

今夜もお兄ちゃん 誰かに弾かせては

ビールを片手に ニコニコしてる 自慢している


夏のCanvas

2016年06月23日 | 日記

 




慰霊の日。

この日が来る度に聴こえてくる曲。

ジョンの描いたBecause。

空が青いから。。僕は悲しくなる。。空が青いから。。

 

うちのおばぁのように、沖縄中を彷徨い、願い、

石コロを拾ってうちへ持ち帰った人達は多い。

何度でも問います、

この未来は、あなたと引きかえの未来でしょうか?

 

 

夏のCanvas

 

夏のCanvasに キミを描いてみた  

戸惑うキミ 守るように  賑やかな蝉の声

来年もきっと  二人で来ようよ

沈む夕陽  流れる星  溢れ出す願い事

子供達もいつかきっと  知るだろう

隠し通した  夏の鏡

道ジュネー  エイサー  消えたあの日

言えない夜の  胸の痛み

夏のCanvasに  キミはもういないけど

初めての恋  最後の恋を ずっと  信じてた

 

夏のCanvasに キミを乗せてみた  

やっと買った  僕のバイク  果てしなく続く空

どこまでも行けるさ  キミと二人なら

走り抜けた海中道路  キミと過ごした浜比嘉

子供達もいつかきっと  見るだろう

隠し通した  夏の鏡

道ジュネー  エイサー  消えたあの日

言えない夜の  胸の痛み

夏のCanvasに  キミはもういないけど

初めての恋  最後の恋を ずっと  信じてた

初めての恋  最後の恋を ずっと 見つめてた

 


共感と排除

2016年06月20日 | 日記

 

 

 

こないだのblogを書いたからかなのか、

あっちこっちから色々と反響がありました。

その中に「共感」というキーワードがあって、僕はある種の警戒をするわけです。

僕は常日頃がすごく敏感に接している、その「共感」。

どの世界でも、どの国でも、この共感(洗脳)という言葉ほど危険なものはないわけで、

先の戦争の頃の日本がそうでしたよね。

国が右へ向かうと。だから右へ向かわない人間は全員排除(拘束)すると。

俗に言う非国民というやつです。

つまりですね、共感という言葉の裏にはいつだって排除という言葉が潜んでいるんだ。

今の沖縄のが正しくそうで、右と左の間には様々な人達が、

それこそ複雑に絡んでいるにも拘らず、

どこが正義だと脅しをかけているわけなんですね。

恐ろしいですよ、

みんなが共感を武器に突っ走った時の、スピードの速さと異常さは。

戦時中の日本、アメリカ、ドイツ、現在の北朝鮮、

今世界中のあっちこっちで起こっているテロも、

理由はどうあれ、全て理想郷という共感の中から生まれているんだ。

共感?なんだろ。なんだよ共感。 

小学生の頃、先生がホームルームかなんかで「それでは多数決を取ります」

なんて言ってましたが、僕なんか「多数決ってどういうことなんだろ?」

といつも疑いの眼差しを向けていました。

選挙もそうですが、もう、とにかく決めたら右へ向かうしか選択肢がないわけです。

今でこそ教育現場も緩くなってきてますが、

あの頃は運動中、水飲んだら平気で根性なしと言われてたし、

給食残すと完食するまで、先生監視付きの居残りでしたからね。

なので廊下に貼り付けられた「個性を伸ばそう」「自主性を育てよう」という

言葉にも、どこか胡散くさい臭いを感じてたわけなんです。

だから非常に残念で、非県民な僕ですが、

「イチャリバチョーデー」という言葉をやたら連呼する人達とも、

馴染めないでいます(笑)しにゴメン。

従う以外道がないわけです。

もちろんそういう事を大人や親達は教えてくれません。

だから僕は子供達に書物や漫画を勧めたいんだ。

その中にいっぱい生きて行くヒントがありますからね。

本当はね、あの国会中継も子供達が観れる時間帯、

もしくは授業の一環として、学校でも観せて欲しいと思っています。

で、政治家の人達にもですね、難しい言葉ではなくて、

小学生が理解出来る範囲の、優しい言葉で話して欲しいのです。

いま国はこうなってて、政治家はこういう事を考えてるということを、

きちんと伝える教育が今1番必要だと思いますね。

だって未来は政治家のものではなく、子供達のものなのですから。

 

 

 

僕ら音楽の世界でもそういうことはあって、 

若い頃ですが、そういうある種の共感性みたいなものに

抵抗があったことも、事実ありました。

みんな同じ気持ち、みんな同じ動き、みんな同じ表情。。。

ステージ上がんのなんかヤだなぁ。。みたいなね。

今に思えば、それこそ人それぞれですから、楽しみ方は色々あっていいわけです。

共感がとても素晴らしい方向へ向かう事を、僕は心から望んでいます。

ネットも中では上手く活用されてて、仕事だったり支援だったり、

世の中の人の為に役立ってる人達も大勢いますが、

誹謗中傷や◯◯叩きなど、悪用してる人達も少なくないようです。

つまるところ、共感は毒にも薬にもなるわけなんですね。

子育てや人間関係もそうですが、様々な人、そして個性があります。

共感出来ない奴は排除するでは、そこからは何も生まれません。

親が子を殺め、子が親を殺めるという図式にも、

根本に共感出来ないという事があるかもしれませんが、

泣き止まない子を手にかけるというのは、共感以前の問題。

僕が30年続けて来たTHE WALTZというバンドもそうです。

最初から共感出来たわけじゃないし、

それこそ少しずつ共感を積み重ねて来ただけなんですね。

メンバーが抜けて行ったことはあっても、排除したことはありません。

どうしてわかってくれないの?という想いは、

確かに若い頃は強いんですね。若さ故の情熱とも言いますね。

でも、共感ってのはそういうものじゃないんです。

想いを伝えることや、理解してもらう事なんかより、

良い演奏、そして僕の場合だったら良い曲を書けばいいわけなんです。

すごくシンプルで説得力ありますよね。その方が。

僕は政治家でも活動家でもないし、

単なるバンドマン、昭和で言うならギターを持った渡り鳥? 

 でもね、そういう共感性の持つ脅威が、

文化や言葉を奪った歴史を僕は知っているんだ。

あの対戦中、ドイツも日本も自国からジャズ音楽を奪われたんだよ。

敵国の音楽だからね。

が、それでも彼らは地下室や洞窟に潜んで、大好きなジャズを聴いたり、

演奏したりしたんだよ。

そういう過酷な現状でも、国はけして彼らから音楽だけは奪えなかったんだ。

ブルースや沖縄民謡も然り、

国がどうあれ人種がどうあれ、歌だけは絶対奪えなかった。

 


肉体を通してないものには魂は宿らない

2016年06月15日 | 日記



今日は平和を祈りつつ、真剣なお話しますね。

そしてひとりひとりが意識を持って本質を見極めて欲しいのです。

生活というのは声高に何かを叫ぶことではありません。

しかし、現在の沖縄では、そうせざる得ない現実が目の前にある事も事実なんです。

先の戦争でここ沖縄は、唯一の激しい地上戦を強いられてきました。

その体験者を通して僕らは幼い頃から、そう遠くもなかった戦争を身体に覚えてきました。

僕はご承知の通り音楽を生業としてるわけですが、

どんな職種だろうが、哲学だろうが文学だろうが、

肉体を通してないものには魂は宿らない、と僕は思っています。

僕が影響を受けた人達もみんなそうでした。

手塚治虫さん、岡本太郎さん、瀬長亀次郎さん、

ブルース・リー、スナフキン、ジョン・レノン

沖縄のおじぃーやおばぁー達もそうですよね。

僕のおじぃーは戦死してしまいましたが、

この辺で最後見かけたという噂を聞きつけ、カメおばぁーが小さい石コロを拾って来て、

今は静かにその石コロがお墓の中で眠っています。

もちろん石コロなので何も喋りません。

それでもその魂は、永遠にカメおばぁーの中に息づいていました。

沖縄も、僕も今揺れています。

そしてその揺れで多くの人達が分裂しています。

右派だの左派だの全く興味のない僕ですが、

人の弱みを見つけては、これ見よがしに暴言を浴びせかけたりする輩は見てられません。

明らかに本質を見失ってるんだ。

彼らには想像することや、他者に寄り添うことが欠如しています。

まるで国会中継でも見てるかのようです。

何度でも言います。

肉体を通してないものには魂は宿らない。

声高に叫ぶことだけではないです、静かに耳を傾ける事も大事なんです。

今回はすごく長い長文になっちゃいますが、僕の友人、そして知人からシェアさせてもらった、

沖縄でお医者さんをされてる本土の方の言葉を聞いて欲しいのです。

ギャーギャーとうるさい人達の声は、全然僕には響きませんが、

彼らの声は響くのです。

もちろんそれは、肉体を通している彼らの言葉だからです。

ほんと耳を傾けてもらいたいのです。

 



ー友人Kよりー


ゴメンね。シラフでドクはきます。
Facebook投稿もお休みします。
オキナワの悲しい事件

数字のウソ
"とうけい"では、米兵のはんざいはすくなくなってます。とうけいではオキナワケンミンのはんざいがおおいです。とうけいではザイニチ○○じんのはんざいがおおいです。
こんなことばにウンザリする。

まるで他人事
まるで物知り顔

ケーサツが、わがくにの"せーふ"が把握した数字が全て"現実"ですか? 

想像してほしい

決して人にいえないような恐怖と凄まじい陵辱を受けても、誰にも言えず相談もできず…泣き寝入りしながら墓場まで深い悲しみを持っていった女性たち

悲しみや憎悪をひたすらに隠し通した親と兄弟たちの胸をかきむしるような辛さが

統計に出るんですか?

数字のウソ

身近なお年寄りや、おじさんおばさん達に聞いてごらん

オキナワでは、拾い上げられないほど多くの悲しすぎる事を、見たり聞いたりしてるよ

あの悲しい事件も、数日で過去のニュースになるんだ。
みんな頭の隅にあっても…
おびただしい情報に流されて薄れていくんだ

おれは過去アメリカの軍人のナイスな奴らとたくさん友だちになった。 

ホントにいい奴らだったから、一部のゲス以下の犯罪者のせいで本気でココロを痛めていた海兵隊員も知ってるんだ。

「米兵の全てが悪者じゃない」ということば…

あたりまえだろ?
知ってますよ、バックネットで騒いでる人達よりもさ

数字のウソ

第三者の通報があったり
勇気ある被害届が出されたり
十分な証拠あって正式に起訴された事案が確認された犯罪の数字は、その条件において一握りの"統計上の事実"でしょうが

未確認の非業非道行為…
目撃者もなく証人もなく

被害者の心を一方的に破壊し、尊厳を踏みにじり、親から貰った大切な身体をもてあそび、平気で傷つけ、被害者の一生を狂わす冷酷残忍な体験を強いられた人たちの心の叫びは…

"とうけい"には表れない
決して数字に表れない 
絶対数字には表れない

その人にとって一生消えない"真実"なんだ

オキナワの人たちは長年の経験で知ってるんだ 

もうDNAレベルで刻み込まれてしまってるんだ

ミンナワルイヒトジャナイ

そう考えないと暮らせないんだよ

悲しすぎるだろ?

ナカニハイイヒトモイル

そうだよ、それもまた事実なんだ。

性根は愛に満ちたムリンコー(海兵隊員)をたくさん知ってるんだ。
彼らは無慈悲な任務にも絶対従うように徹底的に教育されてるんだ。

一方卑怯でズル賢いオキナワ人もたくさん知ってるんだ。
彼らは自分の損得だけ考え平気で嘘をついて他人を傷つけるんだ。

人種や国籍の問題ではないよ

でもね…
女性の存在価値や生きる喜びまで無残に引き裂かれた
被害者本人が、おぞましいその体験を誰にいえるかい?

言えば親が悲しむ…
あの人も悲しむ…
さいばんになったら…
もしも報復にあったら…

言えば自分も生きて行けない

死ぬほどの恥辱や恐怖を公けに告白できる女性が何人いるかい?

"とうけい"でオモテにでたのは一握りなんだと…
みんな知ってるんだよ

だから底知れぬ怒りがこみ上げるんだ

"とうけいでは…"
"数字のうえでは…"

そんな数字のウソのカラクリに
みんな辟易してるんだよ

もう一度いうよ
想像してほしい

あなたの妻が
あなたの娘が
あなたの妹が
あなたの最愛の人たちが

そんな目にあって

その本人にいえるのかい?

世界情勢がなんたら?
日米安保がなんたら?
歴史がなんたら?
基地問題がなんたら?
国益がなんたら?
タイミングがなんたら?

あぁ…
ココロに入らないね
ひびかないね…

「人が悲しいから
自分も悲しい」

「人が嬉しいから
自分も嬉しい」

ささやかなんだけど
そんな世の中にあこがれる

 
Kosho Ihaihaさんの写真
 
 

沖縄も僕も、みんなも揺れてます。

右派と左派の罵り合いとかよくわかんないけど、高山義浩さんの言葉にはうたがあります。

小さな地域に寄り添ってみませんか?マチヤーの復活です。

マチヤーは影の交番なんです。

エラソーな公共施設なんかより、ずっとずっと未来に必要だと僕は思います

では高山さんの言葉です。

 
 
高山義浩さんの写真
 · 
 

沖縄に住んでいることを告げると、「基地問題が大変ですね」とか、「やっぱり皆さん怒ってるんですか」とか、おそらく共感でも、同情でもない、何というか探るような質問を受けることが増えてきました。

たしかに私は沖縄県に住んでるんですが、ヤマトンチュ(本土出身者)ということもあって、米軍基地について判断を差し挟むような発言をしないようにしています。私なりの想いはあるのですが、たぶん、ウチナンチュ(沖縄の人)とはズレがあるはず。いや、だいたいウチナンチュが何を考えているか、よく分からなくなるときもあるのです。

たとえば、先月、売り場面積が県内最大(九州で2番目)のショッピングモール「沖縄ライカム」がオープンしました。赤瓦を基調にした沖縄らしいリゾート感覚で、地上5階建てに220ものテナントが入居した壮大なアーケードに、多くの沖縄県民が連日集い、楽しげに歩いています。ところで、この「ライカム」というネーミングですが、かつて北中城村にあった琉球米軍司令部("Ry"ukyu "Com"mand headquarters)の略に由来しています。これだけ基地問題に敏感な時期にライカムという名をショッピングモールにつけ、とくに疑念もなさそうにウチナンチュが集まっていることが、どうにもヤマトンチュには理解できません(私に知識と経験がないだけ ^^;)。

まあ、とっても複雑なんですよ。きっと・・・ だから、沖縄に住むヤマトンチュは誤解を招かないようにした方がいい。

ただし、本土で「沖縄の人は怒ってんですか?」と聞かれたときは、私は(福岡出身であることを断ったうえで)「いや、ほとんどの人は怒ってるというより、この状況を悲しんでいるように見えます」と答えています。その方が、私にはしっくりくるからです。

ここで話は、新型インフルエンザが流行した2009年に遡ります。

当時、私は、厚生労働省の新型インフルエンザ対策推進本部で全国の疫学情報を分析し、必要な対策について検討する仕事をしていました。そして、7月下旬頃より、全国に先駆けて沖縄県において急速にインフルエンザ患者が発生していることを憂慮していました。さらに、沖縄県の状況をいろいろな側面から検討するなかで、ある仮説が有力となってきました。それは、子どもたちのエイサーの練習です。

沖縄県では、8月の旧盆前後に、各地で催されるエイサー祭りに向けて、子どもたちがエイサーという踊りの練習をしていました。ヒトへの適応の過渡期にある新型インフルエンザは、(トリやブタの平熱に近い)高体温で効率的に感染すると言われています。このため、5月から7月の小流行においても、子どもたちが高体温になって接触するスポーツ大会での流行が目立っていたものです。

エイサーの練習はかなり怪しい・・・、流行を抑止するためにはエイサー祭りを中止させるべきではないだろうか・・・? そんな疑念をもった私は、沖縄県で感染対策の陣頭指揮をとっていたE先生に電話をかけてみました。

「エイサーまずいんじゃないですか? 中止した方がよくないですか?」と私は言いました。
「高山先生・・・、それは言っちゃだめだよ。国は言わない方がいい」とE先生。
「どうしてですか?」

「沖縄の人がね。悲しむからさ・・・」

この言葉には、ドキリとさせられました。自らの無神経さを指摘されたような気がしたからかもしれません。それ以上の説明がないまま、しばらく、電話口では沈黙が続いていました。

ついに、私は「わかりました」と言いました。「エイサーのことは沖縄にお任せしたいと思います。もし、やっぱり中止すべき状況になって、そのとき県で決定するより、国から要請した方がよいという場合には連絡ください。こちらで泥をかぶります」

「ありがとう。そのときはよろしく」とE先生は言って、電話が切られました。

実は、このあと相談した他の人からも、「悲しむ」という言葉が聞かれました。あのときは、よく分からなかったんですが、いま沖縄で暮らすようになって、何となく理解できるようなってきました。どうにもならない不条理、矛盾・・・ こうしたことに腹を立てる沖縄の人たちもいます。でも、どうすれば良いかわからず、悲しんでいる沖縄の人たちが大勢いるのです。

沖縄に暮らすヤマトンチュとして、そして医師として、これ以上、沖縄の人たちを悲しませないでほしいと思っています。沖縄の人たちの多くが、どうすれば良いかわからずにいます。それは、沖縄の責任ではありません。沖縄が解決すべき問題でもないはずです。

なかには、「沖縄は日本の安全保障を軽視している」とか、「日本を裏切って中国にすり寄ろうとしている」とか、ひどい言葉を平気で発する本土の人たちがいます。でもですね、大田中将の「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」を引用するまでもなく、沖縄ほど日本の安全保障のために住民と土地を犠牲にしてきた県はないのですよ。また、その後のアメリカ占領下においても、日本人であろうとする想いを沖縄の人々は貫き通してくれました。どこの県民よりも、沖縄県民ほど、日本人であろうと努力した人々はいないのです。そんな真の愛国者に投げつけられる、あまりにも無知で軽率な言葉の数々に、ヤマトンチュの私ですら深い悲しみを覚えずにはいられません。

行政の役割とは、住民に泥をかけることではないと思っています。不条理とか、矛盾とか、そういう困難に直面している住民たちの前で、泥をかぶってみせるのが行政の役割じゃないでしょうか。せめて、沖縄の人たちの声に耳を傾けてください。それは、基地の前でシュプレヒコールをあげている人ばかりではありません。飛び交う砲弾と裂け散る閃光のなかを生き抜き、同胞のいのちを奪った軍隊に占領され、依存して生きるように求められ、それでも日本人のひとりとして繁栄の時代を築いて、そして静かに年老いている沖縄の人。そんな人たちに向かい合うことができずに、いったいどんな政治があるのかなと・・・ そう感じています。

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僕はこの高山さんの、静かだけど真摯な言葉には胸打たれました。
 
僕は30年ずっとマチヤーの復活を望んできました。

小ちゃなことからなんです。何気ない生活の中で大事なものを、

失ったものをまた育むこと。

年中日夜開け続け、いつでも食できる便利なコンビニもいいでしょう、

でも健康健康と騒ぎ立てている昨今、医学が進歩してるわりには増え続ける患者を見るにつけ、

なんか物凄い世の中の矛盾を感じたりします。

とあるおばぁーが、コンビニの前でたむろする若者に言いました。

「お茶はお家に帰ってゆっくり飲むものだよ〜」ってね。

みなさん、たくさんの言葉を聞いてくれてありがとう。

最後にこの映像観てもらいたい。

虚像と実像。本質を見極めなければ、いつまでも世界はこのままだ。

根源を立つ。それ以外の平和はありえないのです。

 

空席の国会演説 バーニー・サンダース 1991年 (日本語字幕)

 

 
 
 
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僕と英国女子

2016年06月15日 | 日記



昔から英国女子の声が大好きなんだ。

ヘレン・シャピロやペトゥラ・クラークに始まり、 ジャッキー・マクシー、サンディ・デニー、

マリアンヌ・フェイスフルやヴァシュティ・バニヤンまで多数。

どうしても英国の場合、その抜けない空や空気感、閉塞感と若者達、なんてイメージがあってね。

これが僕の五感を刺激するわけだ。勝手な思い込みですが(笑)

 


まずはこの人ヘレン・シャピロ。「you don't no」もうこれが決定的な英国女子と僕の出会いです。

HELEN SHAPIRO - YOU DON'T KNOW

その野太い声、彼女当時14歳ですよ!あーたぁ!!!

ほんと大好き!子供の頃から聴き続けてるのにまったく飽きない。。

 


そしてペトゥラ・クラーク!この「恋するダウンタウン」。。もう涙腺決壊でございます・・。

Petula Clark Downtown. original version

若きウィノナ・ライダーやアンジェリーナ・ジョリーが出演してた、

映画「17歳のカルテ」の中でも使用されてましたが、その映画の良さも手伝ってか、

その時も僕は涙腺完全決壊でしたな。。はは。

なぜこんなにキュンキュンとするんだろう?

もうイントロのピアノから来ますが、歌い出すと急に静かになったりして、

凄く変わった構成の曲なのですが、そこがまた英国的な魅力なのです。

昔はね、よくラジオから流れてたんだよ。それもAMね。

こういう古い曲は断然AMで聴くのがいんだな。

 

 


ジャッキーマクシーはやっぱこれでしょう!

 Pentangle - Hunting Song

 

この映像を昔手に入れた時の興奮は忘れられません。

僕の大好きな英国的なアコースティックバンド「ペンタングル」。

なんたって英国を代表するフィンガーピッカーのジョン・レンボーンとバート・ヤンシュが在籍してましたし、

奇才ダブルベースのダニー・トンプソン(彼の参加作品はなんでも好き!)、

木こり吟遊詩人ドラムのトニー・コックス 。とにかく破格の集合体なのです。

ジャッキーってどこか浮世離れしてるというか、妖精のような、

どこかムーミン谷にでも住んでいそうなムードいっぱいなんですよね。

その風貌や声も相まってヨーロッパの神秘って感じです。

そういえばジャッキー来月来日するんだよ。うちのガチャピンさん観に行く!って張り切ってました。

興味のある方は是非!

 

Sandy Denny - The Quiet Land of Erin

 


サンディ・デニーはとにかくミュージシャンズミュージシャンという人で、

レッド・ツェッペリンを始めその筋ではファンが多い事でも知られています。

ツェッペリンの「限りなき戦い」でロバート・プラントとデュエットしてるのが彼女で、

そこからロックファンにも広く知られていくことになります。

 サンディは「Who Knows Where the Time Goes?」、「Crazy Lady Blues」

Late Novembe」とオリジナル曲も素晴らしいのですが、

「Green Grow the Laurels」や「Fhir a Bhata」といった伝承歌を歌わすと凄まじい威力を発揮します。

なので、ここではこの「The Quiet Land of Erin」を紹介。

名曲ですよね。

最初僕はこの曲、アメリカのフォークシンガーが歌ってるのを聴いて好きになったのですが、

元々アイルランド民謡で、ここでもなんかひとつアメリカンフォーク・ミュージックへと繋ぐ、

強い糸のようなものを感じたんです。

それをサンディが歌うのですから、これまた涙腺決壊でありまして。

これはサンディが自宅録音(カセット?)したもので、後に海賊盤の形で世に出ます。

僕もこの曲聴きたさにやっと探したのですが、けして良質な音源ではないですが、

この美しい声を前にすると音質なんぞどうでも良くなっちゃいます。

サンディは31歳の若さでこの世を去る事になるのですが、

その伝説は永遠に語り継がれることでしょう 。

 


返り咲いた歌姫ヴァシュティ・バニヤン

 Vashti Bunyan - Just Another Diamond

Day


その牧歌的な素朴で叙情的な歌に、ぼくは瞬時で魅了されました。

ギターに笛がからみ、優しいそよ風のような声が響いた瞬間、

ふわぁ〜と英国の田園風景が目の前に広がります。

もう僕なんかヴァシュティを聴くと、こう深い森の名へ迷い込んだような気分になって、

幻でも見てるような錯覚さえ起こします。

やっぱお城の国ですし、環境が音楽を育んでいくのが手に取るように分かりますよね。

ヴァシュティは元々スウィンギン・ロンドンを闊歩してるような女の子だったらしく、

このアルバム以前はポップな作品をたくさん残してて、

ミック・ジャガーやキース・リチャードのプロデュース、

"Some Thing Just Stick In Your Mind"という曲でデビューしています。

このアルバムを最後にヴァシュティは音楽シーンから遠ざかるのですが、

突如90年代後半から復活して新作もリリースして、確か来日公演も行ないました。

こういうシンガーとデュエットしたいです!ぼかぁ〜。。

さぁちゃんの「僕が君を見つけたあの夏は」も相当凄いですよ!

そうですね、ヴァシュティだったら「舵のない舟」か「cherry feilds」辺りを一緒に歌いたいな。

妄想ですのでほっておいてね(笑)

こういう素晴らしい作品がCDで再発されるなんて、ほんと幸せな時代です。

このアルバムのオリジナル盤は何でも高値で取引されてるらしく、

僕は再発でリリースされたアナログ盤を大事に聴いています。



 

そして大トリがマリアンヌ・フェイスフル嬢。

まさに60年代のスウィンギン・ロンドン象徴のような天使マリアンヌ。

もうこの愛くるしい表情に若き日の僕と悪友のNはメロメロでした!



 Marianne Faithfull - Yesterday (with lyrics)


まずは敢えて嫌いな「 Yesterday」から(笑)

なぜにこの Yesterday」を嫌いかと申しますとですね、

小学校の時だっけ?

廊下でほうきか何か片手に持って、気分よく「エスタデ〜」なんて僕が歌ってたんです。

すると僕に近づいて来たハーフの女の子が言ったんですね、

「あんたの英語でたらめだから!」と。

ガビ〜ン。。それ以来廊下で軽く歌う事なんか出来なくなりましよ、そりゃ〜さ。

あの娘元気かな?

会って「エスタデ〜」なんてまた聴かせたいな。

「今も全然ダメ!」とか言われたりして(笑)

そういや10代の頃、その悪友Nと「OH マリアンヌ」って歌作ったっけ。

どんな歌詞だったか忘れたけど、ミックをこき下ろした内容なのはしっかり覚えてる。ハハ、青春だーね。。

確かベースの牧さんもマリアンヌ大好きで「ミックなんか大嫌いっ!」って言ってましたね。

もしかしてマリアンヌ好きはみんなミック嫌い?

彼女は今では女優さんで有名ですが、当時は歌手としても人気でした。

マリアンヌは歌がどうというよりですね、ただたんにこのムードにまどろんでいたい!みたいな(笑)

この Yesterday」の美しさにみんなやられちゃって下さい!

でも「As Tears Go By」だけはミックよりマリアンヌの方が好きかな。

そして珍しい、66年パリはオランピア劇場での公演から。


 Marianne Faithfull - Live at L’Olympia, 1966 (Come & Stay With Me, Plaisir D'Amour, As Tears Go By)


この映像観てびっくりしたのですが、なんとギターがあのジョン・マークさん!



殆ど方が知らないと思われますが、あの英国メソメソ男のジョン・マークさんです。

このアルバムで75年にソロデビューするマークさんですが、60年代ロンドンでスタジオの仕事してたり、

ミックやニッキー・ホプキンスと交流があったことは知ってましたが、

マリアンヌの伴奏者として巡業してたとは知りませんでした。。これは貴重な映像ですぞ。

このマークさんのアルバムもよく亮くんと聴きましたね〜

「亮、今夜はメソメソしてぇーか!メソメソグズグズしてぇーか!」みたいな感じで(笑)

この爆音小僧はですね、実はこういう映像的なセンチなメソメソ音楽も好物なんだ。

マークさんは霧がかったようなベルベット・ヴォイスでですね、

のっけからメソメソとやられちゃうよ。

そういえばいつも亮くんは間奏のガッドギターが入って来るとこで、「ヤバイヤバイ!」と連呼してましたね。はは。

 

Jon Mark - Signal Hill


 


ローリーソロ~Summer Splash!

2016年06月14日 | 日記

 

ローリーソロ~Summer Splash!も無事終えました。

駆けつけてくれたたくさんの皆さん、ありがとです。



6月6日(月)オフ日


遂にやって参りました、東京のオフ日!

ここからはレンタカーを借りての移動となり、最終日の大船までドライヴなので、

テンション上がりまくりです!

先ずは今日の宿のある三鷹を目指すことに。

ですが、ホテルがサラリーマンなどに時間を合わせてるのか、

チェックインが3時頃なんですよね。

毎回思うのですが、チェックアウトが10時〜11時頃だったら、

チェックインもそれぐらいにしてもらいたのだが、どうだろ?

なので、下北〜吉祥寺というレコ屋周りにルートを変える。


下北到着。

なんだか来る度に店が増えてるように感じるのは、僕だけ?

30年前の下北の僕のイメージは、ほんとお年寄りが多く、だから店並みもね、

お年寄りの服屋さんとか、ちょっとした商店街がある感じでしたけど。

静かで若者も今ほどギュウギュウと詰めかけてなかった気がします。

今の下北はね、古着屋がすごい充実してて、もう見ててこれが全然飽きないんだな。

ほんとコザもこんな店あってもいいのにね。

色とりどりのカラフルなシャツ、不思議な形の靴や帽子・・・

テンション上がります!

亮くんいたらきっと爆買いしてただろうな〜中国の人みたいに(笑)

そして何年振りだろ?久し振りにフラッシュディスク・ランチの階段を登る。

相変わらず安いですね椿さん!

色々物色した後、椿さんと近況を話したりして店を出ました。

フラッシュはまたBGの音が良くてね、僕は来る度レコードを探しながらステップを踏んでます。

椿さんが店でチョイスして流す音楽がまた良くてね、

「これ誰ですか?」なんて聞いてよくチェックしたりね。

椿さん、また東京来たら寄りますね。

いつか下北でもライヴしたいな・・下北で歌う「下北の町を」。。いいな。。

そしたら遠いあの頃の下北を思い出せるかもね。


痛快な下北の煎餅屋さん。下町っぽくてそそりますよね。


さっ、次はこれまた大好きな町、吉祥寺へ移動です。

しかしここで車のナビが壊れる・・・

何やらナビというのは、値段でクオリティーが違うらしいのですが、

もう、うんともすんとも言わなくて、いやいや困りました。

東京一方通行も多いし、突如不思議に道路が分かれたりするので、

安い、親切じゃないナビには(笑)ご注意を!

PCの地図で調べたり、通り道の住所確認したりね、

なんとか無事吉祥寺へ到着。



ここ吉祥寺は、今やもっとも若者が住みたい町なんて言われてましてですね、

昔は下北同様、もう少し静かな感じだったのですが、

今やその賑わいは下北以上です。

ユニオンでガサガサ、BALLROOMでガサガサとレコード漁って来ました。

もうこっちはレコ屋巡りのプロですからね(笑)素早く険盤見極めて、安い名盤をチョイスするわけですな。

東京はほんと探せば安くて良いレコードがゴロゴロしています。

地方のレコ屋より相当安いのは、やっぱ需要と供給のスピードが違うのでしょうね。

今回の収穫のブツはこんな感じです!

相変わらずのジャンルレスですが、500円クラスがウヨウヨ、

中でも珍しい、山本リンダと弘田三枝子の当時の実況録音盤(懐かしい響きですね)は即ゲットでした

クリフォード・スコットのこのアルバムも昔から探してたブツ。

いずれまたここで紹介しますね!



夜はのんびりと過ごし、久し振りにBayou Gateに顔出して来ました。

以前、隣でのボヤ騒ぎがあり、お店の損傷もヒドかったと聞いてましたが、

店を見る感じでは、全然そんな事があったようには感じられないほど修復されてました。

彼からボヤの時に電話あって、その呆然としてる感じは受話器の向こう側からでも感じたので

きっとすごく頑張って店を復活させたんだなっと、感心させられました。

椿さんやパレードのオーナーさんともその話になったのですが、

みんなほんとに「良かった良かった」と、口揃えて言っていましたね。

復活おめでとう!有。みんなから愛されてますね。

これからもずっと素晴らしい音楽を、Bayouの天の邪鬼な客に投げつけて下さい!

んで、色々と音楽の話から僕のアルバムの話になって、ゴソゴソと有が物置きから僕のCDを出して来ました。

今回名古屋、大阪、大森とCD置いてないの僕だけだったので、助かります。

せめてこれで残り2箇所は物販行けそうです。

と思いきや、なんと出てきやがったよ!デッドストックの「ファッキン・シーサーTシャツ」が

懐かしいですね〜ホント。


特にこの2枚は何年振りかの再会です。僕の1stと2nd。


 

6月7日(火) 王子ハイビスカス


さて、ローリーソロ~Summer Splash!の初日、 王子へ移動です。

ナビは大丈夫か?マイケルはいないか?

でも王子まで道のりはなかなかスムーズでしたよ。

素晴らしい東京の景色も見れて、あっと言う間の王子でした。

しかし豊さん亮くんと離れて少しだけ寂しいなぁ(笑)

なんか一昨日まで一緒だったのが嘘のよう。

今日から豊さんの切り札が聞けないのも、なんか安心のような寂しいようなね。

亮くんは今夜辺り古い仲間達と都内でセッションするとか言ってたし、

どっかで誰かが爆音にさらされることでしょう。

え?そういえば豊さんはどこ向かったんだろうか?

ネバーランドへ帰ったかもしれないね・・


 


ハイビスカス手慣れたもんです。ちゃっちゃっとリハを終え、いざ本番です。

大森からの関東組、勇気の友もすでに集まっています。

独り、新鮮です。っていつも独りですが

古い友達のけんちゃんや、ノーズのへんざん君もいつも駆けつけてくれます。感謝です。

ソロは通常セットメニューは決めず、いつもステージ上がるんですが、

やはりお客さんの感じだったり、雰囲気で曲どんどん替えて行きたいんで。

なので、ここから増々ジャンルレスなローリーワールドを展開しました。

またこの日、僕初めてステージ上から言ったんですね。

「CDたくさん余ってまーす!みんな買ってちょ!」と。

いやいや、売れるもんですね(笑)

買って〜なんて昔は恥ずかしくて言えなかったんですけど、

僕も少しだけ大人になったのかもしれません。ニン。

ファッキン・シーサーTシャツの方は秒殺完売でした!3枚しかないからそりゃそーか。はは。

せっかくCD物販してるんで「カメジロー」歌いました。

以外にあまり歌わないのですが、さすがに「買ってちょ!」ですからね、

歌わないわけにはいかないわけで。

曲がシンプルだけに、カメジローの大合唱でした。

大合唱と言えば「週末はA&W」、

そして物議醸し出しソング「あきらめが肝心なのだ〜親は選べない」の大合唱が起こりましたね。

はは、あんたも好きねぇ〜

王子ハイビスカスありがとー!



6月8日(水)大船花いちぜん


昨夜も打ち上げなしなので、この日も早起きです。

そして横浜、そして大船に移動です。

高速使わないので横浜までは2時間ぐらいかな?

こりゃ楽しみです。


ここは人形町辺りかな?この辺もすごい独特ですよね。

おばちゃま達とか、特に女性がすごくお洒落です。

 


大森から出発して行くとね、東京の町の変化が見れてすごく面白いんですね。

下町っぽい町から徐々にビルが増えて来たりして、

気がついたら超高層ビル現れて、THE新宿!みたいな感じでね。

新宿抜けたら、また徐々に閑静な感じになるのがまた面白くてね。

東京から川崎、横浜と近づくにつれファミリーマートがどんどん増えてくるのも、

なんか面白かったな〜。

しかし、横浜に入った瞬間事件は起きたとです。

なんかですね、得体の知れない、初めて見るような車線が現れたとです。

標識も見たのですが、普通に考えても侵入出来る道だと確信してそこへ入ったとです。

すると、反対車線に運悪くいたパトカーがピーポーピーポーと追いかけてくるとです。

マジ?指示に従い停車するとですね、ポリスマンが意気揚々と駆けつけ、

「ここは進入禁止です。はい、免許証見せて」と。

免許証を見たポリスマンが「うん?オキナワですか?」と。

一瞬「見逃してくれょ〜」とキョンキョン状態になった私でしたが、

横浜ポリスマンはそう甘くはなかったとです。

切符を切られ、本土で初めての違反ソウルマンとなったとです。

因に、その時来てた僕のTシャツが囚人服姿のブルース・ブラザーズだったとです。

出来過ぎな話ですが、これホントの話だったとです。

あ〜テンション下がるぅぅぅ・・・

横浜なめてたとです・・東京より複雑だったとです。日々勉強です。

テンション落ちたまま、違反者ローリーは横浜から大船へ。

気落ちした僕を老舗の焼き鳥屋さん「なお吉」のぼんじりが癒してくれました。


この店凄い店で、この老舗感丸出しにも関わらず、

店内に響き渡るBGがパンキッシュな高速ロックンロール!

有線かなんかで1曲だけかと思いきや、永遠ロックンロール(笑)

きっと店主の好みなのでしょう、バチバチの炭の音とロックンロール、

素晴らしいお店です。

そして宿に戻り、軽くクララとウォーミングアップ。

今夜最終日だとクララに告げ、今夜もいいステージにするぞ!と

違反者ローリーは息巻くのであったとです。

 

 

 花いちぜん。オキナワのアーティストがすごくお世話なっています。

 

ジャーン!ファンの皆様がSummer Splashグッズで、

賑やかにステージを演出してくれました。ありがと。イルカに乗った違反者ローリーです。

 


デカイ音、チグハグなMC(笑)前野さんいつもお付き合いありがとうです。

いつも温かい、この花いちぜんムードに包まれますと、

もうわたくし違反してたのもすっかり忘れ、どんどん加速していかせてもらいました。

すっかり昨日から味をしめた「買ってちょ!」攻撃も冴え渡り、

CDもたくさん買ってもらい、サインもたくさん書かせてもらいました!

いやいや、大事ですね「買ってちょ!」は(笑)

この夜も大合唱が起こり、後半の「銀座カンカン娘」「週末はA&W」がピークでした。

終演後とあるお客さんと話したのですが、

復帰前にオキナワ来られたようで、そりゃ瀬長亀次郎さんの影響は凄かったと、

僕に熱弁されてました。

本土の方にもその影響力は広がってた事を、僕は今回のツアーで知り、

この夜もカメジロー不屈の男と何度も叫ばせて頂きました。

幸せな最終日でした。

不意な進入禁止に福来る。。。おそまつでした。


んで最終日、ホントの打ち上げらしい打ち上げは、いつものここ。

Oさん、いつもごちそうになってます。ありがとー

この鮪と磯辺揚げがあれば、もう何もいりません!

と、大船最後の夜はあっという間に過ぎてゆくのでした。

いやいや、なんだかんだとありました。

佐渡山切り札事件から始まり、RollyRyo&Asukaワイン祭り、

ナビが壊れ、違反者ローリーまで。

これもあれも全ていい思い出!楽しい毎日でした。

みんなも元気で!Yeah~it's beautiful day!!!

いい毎日を。ローリーでした。

 


KOZAからの風に吹かれて 名古屋~大阪~東京

2016年06月13日 | 日記

 


KOZAからの風に吹かれて(佐渡山、ローリー、国吉亮)に足をお運びのみなさん!どうもありがとう!

今年も思いっきり歌う事が出来ました。

このskydustも止まったままの状態で、楽しみに待ってた皆さん、ごめんなさい。

新しいPCの使い勝手がよく分からず(言い訳ですが)モタモタとしておりました。

今回のツアーでも「もうblogはやめたのですか?」とか、「お勧めのCDまた教えて下さい」と言われ、

あーこんなblogでも楽しみにしてくれてる人達いるんだなぁ~と、感激した次第です。反省。

手始めに今回のツアーの模様を写真メインで(笑)お伝えしたいと思います。ではでは。

 

 

6月2日(木)那覇空港

今回はなんでも豊さんの習慣らしく、佐渡山、ローリー、国吉は前乗りで名古屋入りました。

そう言えば豊さんに、前乗りの理由聞くの忘れちゃったな。

なんか街や会場の空気に触れたいのかな?今度会った時に聞いてみよう。

空港から3人で飛び立つってのもなんだか新鮮です。

取り敢えず亮くんの二日酔い度を確認(笑)

義務です、悪しからず。兄なので。

 

名古屋到着。

この夜は、オキナワAサイン・バーKOZAのプレイベントで、僕らが会場着く頃には、

出演者のSHYと達也のステージがクライマックスでした。

終演後、記念ということで全員でパチリ。

この並びの写真も最初で最後かもしんないね。

豊さんとSHYが並ぶのなんてレアですなぁ~。

この夜は明日の為に早々に切り上げる。うん?国吉どこ行った?

 

 

6月3日(金)オキナワAサイン・バーKOZA10周年

 

この日は早起きしまして、街をブラブラとかなり歩きました。

どの街に行っても地図広げて、トコトコと歩き出すのですが、名古屋の道ははすごく分かり易いですね。

少なくとも浦添よりは分かり易いかもです(笑)

途中、ブレイクタイムで漫画喫茶へ。

んで、久し振りの絶賛ローリー瞬き中!

 

 

かよちゃんと紺野くん。。。んで、つぐおちゃ~ん!などと真っ昼間から号泣してると

げっ!もうリハーサルの時間じゃん!

急いで会場へ戻る。

 KOZA、そして拓さん、想像以上に気合いが入りまくってます!

これは良いライヴにしなきゃ!っと僕らも思わず力が入ります。

 

実は今回の3人の公演ですが、内容を事前に聞かされてなんですね。

なのでリハーサル中に豊さんに聞いてみたら、僕が最初ソロで出て、途中から亮くん呼び込んでRollyRyo、

続いて佐渡山ソロ、そこから佐渡山と亮くんの二人、で途中から僕も加わり最後まで行くということらしい。

僕はまるっきり自分はソロだと思ってたので、慌てセットリスト変える

僕がトップなんでね、そりゃー気合い入ってたよん。

 

んじゃ~行ってくんね!と僕(PHOTO 国吉)

 

KOZA10周年を祝い、我が街KOZAの歌もたくさん歌いました。

それで途中から亮くん呼び込むんだけど、

後々豊さんが根に持つような言葉を僕が放っちゃったんですよ!

「それではご紹介します!ヤングボーイ国吉亮!コザから連れて来たぜぇー」つてね。

はは。もう豊さんはステージで早速「さっきローリーが亮を連れて来たって言ってたけど、

亮は俺が連れて来たんだ!」と。

もーしょーがねーなぁー(笑)僕は自分が連れて来たって言ってないよん!

まー会場を盛り上げる為にですなーコザのやんちゃな子を連れて来たぜぇーつーてね、

勢いでさ。。言ったまでさ。

しかしこの「連れて来たぞー発言事件」が残りの公演の佐渡山MCの切り札となることに

残念っ!

フィナーレは拓さんと鼓動君参加の「ドーチュイムニー」と「it's beautiful day」。

素晴らしい夜になりました!拓さん、KOZAスタッフの皆さんお疲れ様、そしておめでとうございます!

 

 

6月4日(土)大阪 音屋食堂

 

さぁ、今日から移動でバタバタですぞ。

うん?国吉は?

あー飲み過ぎてないようで大丈夫です(笑)

名古屋から大阪は電車で移動。

 

旅人ローリー(PHOTO 国吉)

 

距離感がないものなのでよく分かりませんが、何だか結構な山を越えてるような・・・

耳がまるで飛行機に乗ってるみたいにキーンと。

広がる田園。。。こういうトコ来ると、日本は広いなと感じます。

 

 

なんて風景を楽しんでると、いきなり国吉が珈琲をこぼす!

ケラケラ笑う国吉!まだお酒残ってるのか、と周囲をザワつかす(笑)

 

珈琲こぼしてバタバタと踊り狂う国吉(PHOTOローリー)

 

 

二日目、会場は大阪江坂の音屋食堂さん。

 

 

リハは豊さんと亮くんスタートになってるので、僕はひとり江ブラ。

が、そんな時間もないのですぐに会場戻ると、

ギャンギャンのグゥワングゥワンのノイズギターが聴こえて来る!

当然国吉だっ!

ドアを開けて中に入ると、例のあのワハハ声が店に響いていた。

「ここハウっても気にしないで、そのままにしてて下さい!ワハハ!」と音響の人にさり気なくコクる

ヤングボーイにつられて豊さんも僕も笑う。

 


モハメッド・アリ(カシアス・クレイ)を弔う「A CHANGE IS GONNA COME」からスタート。

凄いを越え、その存在が破格だったボクサーでした。

「週末はA&Wで」何度のあなたの名前を叫ばせてもらったのか知れません。

長くも短い人生、お疲れさまでした。そしてありがと。

天国でサムと会えるといいね。

しかしさすが大阪でございます、客席からカウンターからボケとツッコミの応酬が(笑)

客A「亮くん弾き過ぎとちゃうん?」と言えば、

客B「おっさん、だぁーっとれ!」

いやいや、さすがです。

んが、んが、この夜も出たよ~佐渡山の切り札

ローリーが亮を連れて来たって言ってたけど、亮は俺が連れて来たんだ!」が!

すごい良いタイミングで放つのよこれが!

で、さらに新たな切り札を僕と亮に投げつけて来やがった。

二人でギャンギャンとギター弾いて、盛り上がりに盛り上がってたら、

突如「おいおい、あまり盛り上がんな!メインは俺だからな!」と。

ちょいちょい豊さん、いや兄貴!

僕と亮を乗せて煽ってるのはあーたぁですから!残念っ!

まっ、ここで笑いの国、大阪の人達がドっとウケるもんだから、もう豊さんは相当ご満悦なわけ。

もうイヤ!この人こんな人だっけ?はは、芸風変わったとか?

大阪の佐渡山組の方達もみんな元気でね、楽しい夜でした。

今夜も軽い打ち上げがあったのですが、

とにかく国吉がやっと魚料理にありつけたので、もう国吉曰く「死んでもいいと」(笑)

帰り際豊さんに「ローリー飲み過ぎんなよ!」と言われたので、僕はまるで流れ作業のように、

「亮、3時までには帰るんだぞ」と続く大阪の夜でした。


初対面のひだっち。にビールを横取りされる。

帰沖後、カメっちが誕生するのを知る由もない二人です(笑)



6月5日(日)東京 風に吹かれて

 


この感じ。東京というこの感じ。好きです。

しかし初めて乗りましたが、大阪~東京えらい早く、あっという間です。

那覇から石垣島より早い感じ?

なんかバス乗ってたみたいな感覚でした。

しかし豊さん、また大阪で空港向かう車中でもやらかしました!

これまた豊さんの弟的な存在であるいっこく堂の番組が、その時間たまたまTVで放送されてたんです。

この番組なんと豊さんも一緒に出演したらしく、

慌てて観ようと運転手さんに番組をリクエストするんですが、

なんと朝日とかTBSとか局名を告げず「いっこく堂つけて!」と(笑)

ポカーンとする運転手。。。いやはやロックなお方です。


最後の東京は、ここ大森の風に吹かれて

 

凄い不思議な空間です。風に吹かれて。

でも、なんだか1番豊さんにマッチした箱に感じたのは、やはり旧友の店だからでしょうか。

空気全体が70年代の残り香が残ってるような。

また、BGMが凄く良くてね、モロ僕好み。

流れてたアメリカンフォークのオムニバス、僕も手に入れたいな。

お客さんもみんな心から、音楽好きなのがひしひしと伝わって来ましたし、

こういう場所オキナワにも欲しいですね。

60年代初頭のGreenwich Villageってこういう感じだったのかな・・

とても良い空間でやらせて頂きました。

 

この写真、上にある楽屋から撮ったものなのですが、楽屋から見下ろしたこのムード見た瞬間、

ここから写真撮って下さいとお願いしたんです。大好きな角度とムードです。写真苦手なこの僕が(笑)

(PHOTO 森田)

 

佐渡山もまるでホームグランドのようにリラックスして歌います。

国吉?はは、ギュインギュインと暴れまくってますよ!手を抜く気配さえありません。

僕はなぜかここで踊りたい衝動に駆られまして、佐渡山の曲に軽くステップを入れて遊びました。

すげぇー楽しんだよ。ステップ踏んでギター弾くのは。

んが、(んがで、もう既にイヤな予感してますよね?)

また始まっちゃうのさコレが!佐渡山の切り札「亮は俺が連れて来たんだからな!」が!

クドイ!佐渡山クド過ぎっ!佐渡山クドイって改名した方がいいくらいクドイ!

まるで水戸黄門の印籠のように、ここぞとばかりに出すわけさ。

頭が高いみたいな?ひかえろう!みたいな?(笑)

もちろんもうひとつの決め台詞、お待ちかねの「俺がメインだぜ」も飛び出し、

ウケる観客に豊さんは高笑い!ほんと水戸黄門じゃん!

つーことは俺と亮は格さん助さん?

まぁー三人で旅してるから、そー見えなくもないけどさ~

亮さ、きっと豊さんホテルで密かに練習してるはずなんだよ。

バスで鏡見ながらさ~・・「亮は俺が連れて来たんだ!」とか、「俺がメインだぜ!」とかさ(笑)

うんうん、このタイミングでとかね。

じゃないとあんなスムーズに、1番いいタイミングで出せるわけないんだよ。

あれは相当リハーサル積んでるね。あーオレはそう見たね。

だって「いっこく堂つけて!」だぜ?

そうとう努力したに違いないね。間違いにゃい。

まーここはその努力の兄貴に花を持たせてやろうぜ!

最後は頭脳警察のベーシスト石井正夫さんを呼んで「ドーチュイムニー」でした。

またいつか歌いたい大森風に吹かれて。ありがと。


3公演終え、明日は僕も亮くんもオフっつーことで、

ほんと久し振りに格さん助さんゆっくり呑みました。

帰りは移動の疲れもあってか、僕も亮くんも足下ヘロヘロのヘラヘラ。。

アスカも僕らにつられてポヨヨ~ンって具合。

とても笑った最後の夜でした。

なぜって?だって酔っぱらった僕らの前にマイケルが現れるんだも~ん!

ポーーーーーっつーて。

それもシルエットだよ!

豊さん懲りずにまた誘ってねー!それまでに僕も切り札用意しておきまーす

豊さん、亮くん、関係者のみなさんありがと!

 

 


Skydust

Koko