ローリー伊江島へ行くの巻

2019年02月24日 | 日記

 

 

 

 

 

 

一足先の春休み?みたいな。。。

初めて伊江島渡ってみたよ(写真多目で)

久し振りの本部港は佐渡山さんとのツアー以来だね。

その本部港を出るとすぐに抜けるのが瀬底大橋。

 

 

ここから見える瀬底島の砂浜、

Rolly’s Beachのジャケット撮影はここでしたね。

沖縄サミットで結構この辺の警備も凄くてさ、

暑い夏の日に、チャーボーと重ちゃんと頑張って撮ったんだな。

 

 

船内はこんな感じです。

 

20分〜30分?

あっという間の伊江島でした。。

タッチューがお出迎えね♪

 

 

キレイで立派なターミナルにびっくりでした。

 

 

離島特有のゆったりと流れる時間だったり、

贅沢な作りの小学校や中学校、

そのわりには見ない子供達ってのはどこの島でも共通してるね。 

 

しかし久し振りだね、胸いっ吸い込むのは。

10代〜20代の頃と比べると、確かに圧倒的に海に行かなくなった。

若い頃は何かといやぁー海だった気がする。

あれは何だったんだろか?

いやいや、やっぱ単純に行くとこや遊ぶ場所がなかったんだろね。

もちろんディスコやbarなんかもあったけど、

ちょっとしたドライブや、

「あのさ、ちょっと話あんだけど」なんて時は決まって、

海だったような、、気がする。

なんたって海風が気持ちいいし、

何よりも静かで話しやすい環境ってのが大きかったのかな?

あの頃はもう異常なほど自由過ぎて、

ホント海でビールたらふく呑んで、何度車で帰って来たことか!笑

信じらんねーよ、今思うと。

 

何つーてっと、目の間にドーンとタッチューが!

伊江島タッチューって本島から見っとさ、

もっと大きくて細長いと思ってたんだけど、近くで見ると意外に小さいんだ。

 

 

これから登ります♪

 

この日朝は太陽出てたのですが、徐々に曇り模様に。。。

なのでタッチュー入ったら、風もあって少し肌寒かったですね。

結構急な階段で、なかなか登るの楽しかった。

これタッチュー頂上からの景色だで。。

足元グラグラで、ここ強風の日は登るのヤバイやろね。

 

タッチュー降りたら島を車で探索してみました。

伊江島ってベースあるんだよね。。

 

のどかな島の風景にいきなり基地が現れるから、すごく不思議。

でもコザみたいに米兵が遊ぶような場所もなさそうだし、

夜はどうな感じなんだろう?

 

そして、ここも一度来たかった場所

 

やっぱ本やTVで見るのとは違い、とても生々しいです。

伊江島はこの跡地や海の感じもそうですが、

どこかサイパン島に似てる感じがしました。

ここも戦争の恐ろしさを後世に残す為に、そのままの形で残されてます。

 

で、なんと伊江島のクロスロードを発見!

 

 

カッコイイ!

ロバート・ジョンソンが悪魔と一緒に出てきそうなムードだね。

つか、もしかしたらここで琉球空手の猛者達が戦ってたかも。

そういう話子供の頃おじーから聞いたことがあんだよ。

戦前は夜な夜な琉球の猛者達が、強い奴がいるという噂を聞きつけては

月夜の下で死闘を繰り返してたって。

なんか琉球ロマンですな。

 

で最後はここです。 

 

ここも悲惨な戦争跡地なのですが、

今は安産祈願の場所にもなってるらしいです。

という複雑な場所なのですが、
 
どうも僕は洞窟という場所に来ると、なぜかとても落ち着きます。
 
僕にとってこういう場所がとても沖縄らしいんだな。

 

 

いいなこの景色。ちょっとしたアートだね。

 

沖縄の海は復帰を機にそうとう汚れてきましたが、

このいう手つかずの海はホント美しいです。

 

僕の伊江島歩きもあっという間でしたが、

今度は暑い夏にでも来てみたいな。

賑やかな夏祭りとかいいやね♪

それまでタッチュー、元気で!

 

 


夜のあいさつ

2019年02月20日 | 日記

 

 

 

 

 

ちょっと前から気になってたのが、

部活帰りや塾帰り、遊び帰り、

◯◯帰りの、子供達の夜のあいさつ。

街灯のないような場所なんかで急に「こんばんわ!」

なんてやられちゃうと、こっちの方がびっくりするんだけどね。

いつからか、急にそんな事になってるわけで。。

これはもしかして不審者などへの安全対策のひとつなのかな?

と思ったわたしですが、どうだろう?

だって子供達、お昼急にこんにちわ!なんて挨拶しないもんね

それで少しでも抑止力になればね、それに越したことはないわけで。

まっ、そんな時でもやっぱり僕は、

あのマチヤーの復活を、しつこくまだ切望するのですが。

昔は夜になるとあっちこっちの地べたで、

おじさんなんかがお酒飲んでたりしてたし、商店街もまだ賑やかだった。

要は交番の代わりになるような場所が多かった。

けど大型スーパーの台頭でマチヤーや商店街が消滅してしまい、

コンビニなんて24時間眠らない、得体の知れないマチヤーが増えた。

しかし最近、また親の身勝手な行き過ぎたしつけで、

子供達が犠牲になってる。

警察がそれこそ、月光仮面のように疾風のように現れない事は、

とーに国民の皆さんは知ってるわけで、

自分の身は自分で守れという、、、

という事で、この夜の挨拶が行われているのかもしれません。

   

普通に殴られたり蹴られた僕ら世代に言わせてもらったら、

ウチだけはゆっくり眠れる場所であって欲しいわけで。

 帰りたくないウチなんか、だよ。

  Come on a My House Eri Chemi (江利チエミ)


電話ボックス

2019年02月19日 | 日記

 

 

 

 

 

しかし懐かしいね、電話ボックス。

だいぶこういう電話ボックスも見なくなったけど、

近所にポツンとひとつだけあんだ。

今や人が入ることもなくなった電話ボックスだけど、

やっぱり人間がやる事だからさ、

何か災難があって携帯電話が使えなくなったら、

きっと慌てふためいて、ここに長蛇の列が出来ると思うのね。

って、その時に電話番号ひとつ覚えてない事に気がついてさ♪

 

 

昔はさ、それこそ家族に聞かれちゃマズイ話の時とか、

長電話したい時なんか、

ずいぶん重宝したよね、この公衆電話ってやつは♪

もちろんテレビもそうだったけど、

電話も一家に一台の時代ですからね(^ ^)

思春期の子供にとっては、

電話の近くに親や家族がいるというのが、

非常にマズイ状況が多いわけで。。

 

それこそ公衆電話も色々とモデルチェンジしたと思うけど、

やっぱこのプッシュ式より、

ジーコジーコのダイヤル式タイプに愛着ある世代ですよね、僕らは。

知らない世代はフィンガー5の恋のダイヤル6700を聴くべし!

特にあのピンクの公衆電話!

なぜか喋る方の送話口が甘い匂いしてね、、

なんかちょっと夜のスナックお姉さん的な官能的な匂いでさ。。

確か当時、夜のお姉さん達って名刺も匂い付きだったもんね。

アレは一体何だったんだろう?

何か奇抜な夜の営業作戦なのか?

今思えば実に不思議な。。その匂い。

あっ、10円しか使えなかったね(^ ^)

それがまた、アタフタしてヨロシでね。

 

 

 


大原麗子

2019年02月16日 | 日記

 

 

 

 

 

 

 

唯一、声だけで持ってかれちゃう女優さんがいる。

それが大原麗子さん。

キレイなお姉さん以前に、とにかく僕を魅了したのがその声。

もうこの人は僕にとって別格なのですな。

僕は子供の頃から異性のアイドルを持たなかった。

持たなかったというか、持てなかったというか、

いつだって僕のアイドルは、怪物くんに始まり、

スナフキン、ブルース・リー、キース・リチャードと同性ばかり!

それでも大原麗子さんは別格だった。

正確には声が別格だったのだ。

舌ったらずで、ちょっとハスキーな声で、

甘ったるい喋り方をする女性だった。

それはそれは、子供ながらにも魅力的な声だったのだ。 

その衝撃的な声のピークは、ブラウン管から流れた例のあのウヰスキーのCMだ。

着物の着たお姉さん(麗子さん)が不機嫌そうに物に当たり散らし、

トローンとささやくのだった。。


少し愛して 長く愛して

 

ブルース・リーの影響で毎日ピーナッツを食い散らかし、

鼻血を出してた少年ローリーには、それはそれは刺激的な声だった。

その時、ノートの切れ端にずっと書き残してた、

その少し愛して 長く愛して。

何年後、僕はそのノートの切れ端の言葉を見つけてひとつの曲にした。

今でもよく歌ってるなかなか気に入っている曲。

しかし昔のコピーは哲学的だね。

 

 

 

そんな彼女が70年代に貴重なアルバムを残している。

「愛のつづれ織り」というタイトルの、彼女唯一のアルバム。

まっ、それがまた時代が時代でね、、、

当時は中島みゆきさん辺りから発信された、

女歌というのが歌謡界でも流行しており、

研ナオコさんや桃井かおりさん、梓みちよさんなどなど、

似た感じの曲を歌う歌手が実に多かった。

この大原麗子さんのアルバムもご多分に漏れず、

そういう女歌が大半を占めている。

ちょっとそういう女歌と彼女のキャラクターが微妙に合わず。。

まっ、彼女のファンにはそれでも貴重な記録だ。

彼女はけして歌が上手いわけではない。

どちらかと言えば不安定な(失礼)、、フラフラなあの感じだ。

まっ、90年代以降そういう歌い方が、

アンニュイだのオシャレだのみたいな感じでもてはやされたが、

当時は“けちょんけちょん“に酷評されてたに違いない。

なんたって大橋純子や渡辺真知子、

五輪真弓など、いわゆる本格派と言われるシンガー達の時代でもあったわけで。

でも、その歌詞世界と、あの声が見事にマッチした時、

それこそ世間で言うトコの本格派や実力派というシンガーも、

太刀打ち出来ない程のパワーを発揮する声なのだ。

やっぱり彼女のキャラクターとあの声を考えると、

今なら最高なプロデュースとアレンジで、世にリリース出来たかもしれません。

時代が追いつくのが遅かった。。ホント残念。

 
 

それでも1996年に麗子さんの声で名曲が生まれた。

彼女の生前最後の曲として。

それが「背中から抱きしめて」という曲で、

作詞がなんとあの大物プロデューサーの秋元康さん。

秋元康さんの作品ってあれですよね?おニャン子とかAKBとか。。

もちろん世代でもないし、全然よく知らないのですが、

この曲に関してはもう素晴らしいの一言!

「秋もっちゃん!スゲェーじゃん!」と、

もうこの1曲で、僕にとってのアキもっちゃんの功績は充分ですね。

もうこの曲があるとないのでは、

麗子さんの歴史が全然違ってくるわけで、、、さ。

ホント最後の最後によくぞ残してくれた、秋もっちゃんに感謝!

そして作曲がこれまた大好きな作曲家三木たかしさん!

もうイントロからエンディングまでパーフェクト!

変に芝居がかってないし、歌とセリフの中間ぐらいで、

とにかく何よりも彼女の声が生きている。

もしかしたら秋もっちゃんも、

例の少し愛して長く愛してにヤラれたクチかも(^ ^)

じゃないとそんな歌詞書けないもんね。

その生き方自体が不器用だったと言われてる彼女に、

これほどマッチした曲もない。

せっかくならこの時一緒にアルバム作ってくれてたらな、と、

思わず唸ってしまうくらいの名曲だよ。

しかし背中から抱きしめて、、

後ろからではなく、背中からという響きがとてもイイ。

さぁ女子の皆さん!今からこの歌を覚えてカラオケへ行きましょう!

で、好きな人の前で甘えた感じで歌ってみてはいかがでしょう?

メロメロ効果発揮すること間違いない!yeahーー

ってこの曲カラオケにないらしい。。げっ。

因みに秋もっちゃん、歌詞は違うが、

同じ背中から抱きしめてというタイトルの曲をAKBに歌わせている。。

そっちの方はカラオケあるらしい、、、ガクッ。

頑張れ、、オレ。

 

 背中から抱きしめて ~大原麗子

 


不可能性の時代を生きる

2019年02月09日 | 日記

 

 

 

 

 

 

 

 

不可能性の時代を生きる〜大澤真幸  



私たちはいま、理想や希望を持つことが不可能な、

「不可能性の時代」を生きています。

戦後、1970年ごろまで続いた「理想の時代」は、

人や社会にとって何が理想か明確で、

そこに向かって歩むことが「良き人生」「良き社会」なのだと

信じることができました。

ところがいまは、何を信じて進めばいいのかわからない。

自分が何のために生きているのか、自らの生を意味づける物語を描けない。

これがいま、私たちが感じている閉塞感の源です。

だけど私たちはこの不可能性に開き直っているわけでも、

諦めているわけでもなかった。

理想を取り戻し、「ここではないどこか」へ抜け出したい

やっぱり思っていたのだということを、

「あまちゃん」と「半沢直樹」という2つのドラマのヒットは示していると思います。


「半沢直樹」は細部にわたるリアリズムに支えられた

上質なドラマでしたが、唯一、

半沢直樹という主人公だけがリアリティーを欠いています。

…彼は絶対的な善の体現者で、

だからこそ「倍返しだ」が許されるわけですが、

この「不可能性の時代」に半沢のような人は存在不可能です。

絶対的な善なるものがもはやあり得ないからです。

要するに彼は、理想の時代から連れてこられた

極めて時代錯誤的な人物なのですが、視聴者は彼に称賛を贈り、

連続ドラマとしては今世紀最高の視聴率をたたき出した。

理想を取り戻したいという強い欲求が、

私たちの中にあるからでしょう。


「あまちゃん」は、

「ここではないどこか」に私たちは行ける、その扉は必ずある

ということを暗示し続け、

この時代の閉塞感を打ち破ろうとした意欲的なドラマです。

東京に行く。地元に帰る。

そのどちらもゴールとして設定されているわけではなく、

そこにたどり着いたら必ず、

その「先」が提示されるというお話の構造になっています。

そして、「先」に行くために重要な役割を果たすのが、

主人公アキの母である春子と、祖母の夏という、

異なる時代のエナジーです。

夏と春子に背中を押され、

地味で暗くてこの時代の閉塞感を一身に背負っていたアキが、

新しい世界の扉を開けていく。視聴者は、

自分の背中も押されたように感じたのだと思います。

…根源にあるのは、

ここを抜け出したい、生きる意味を獲得したいという猛烈な欲求です。


――私たちはなぜ「次」の言葉を見いだせないのでしょうか


原因は大きく言って2つあります。

1つは、いつか必ず沈むとわかっていながら、

資本主義という船を下りることができないからです。

…資本主義はとてつもない格差を生み、

善でも美でもないことを人間に要求する。この船は必ず沈む。

だけど他に船はない。

社会主義という船はもっと危なそうだし、外は嵐だから下船したら即死だと。

だからみんな必死にしがみついて、一見すると、

資本主義が信奉されているかのようにしか見えない。

笑えない喜劇のような現状です。


もう1つは日本固有の問題で、

「ここではないどこか」を目指すと必ず、アメリカという壁が立ちはだかる。

アメリカは日本人にとって絶対に取り換えられない、

そして絶対に失ってはならない壁としてイメージされています。

日本は冷戦期、

たまたま戦略的に重要な位置にあったからアメリカに守ってもらった。

しかし冷戦終結で国際情勢が大きく変わり、

アメリカには日本を守らなければならない

内在的な理由が実はないことがはっきりしてきました。

愛されなくなったらおしまいだという焦りや不安が、

アメリカに愛されるためなら何でもやるという

思考停止を生んでいる。特定秘密保護法もその文脈で理解されるべきです。

恋人はどうやら自分から離れたがっている。

秘密も打ち明けてくれない。だから特定秘密法をつくりました、

さあ安心して打ち明けてと。

これは国際社会に向けてのアピールにもなる。

「あいつはどうやらアメリカに秘密を打ち明けられているらしいぜ」と。

それでなんとなく一目おかれたいということでしょう。

とはいえ今後何十年間も

このままの日米関係が続くとは到底考えられません。

どうやったらアメリカに依存せずに我々はやっていけるのか。

それを考えることが、この社会の閉塞感を打ち破る第一歩になるはずです。



根拠ない願望でも、口にしてみると思考は回り始める


今年(2013年)の流行語大賞の1つは、「今でしょ!」でしたね。

みんな「今でしょ!」って何かを決然と選択し、

この閉塞状況から抜け出したいんですよ。

だけど人生や社会にとって何が本当に良いことなのか、

判然としない「不可能性の時代」にあってはそれが難しい。

3・11を経た昨年の総選挙は当然、原発が争点となるべきだったのに、

みんな考えるのをやめてしまった。

原発をやめたら日本経済は破綻するかも、

でも原発を続けたらもっと悲惨なことが起きるかも……

リアルに考えるととても選択できない。

だったら考えても仕方ないねと、私たちは何も選択しなかった。

選択しなかったがゆえに選択されたのが安倍政権です。

05年の「郵政選挙」のように、

比較的どうでもいい問題についてならば「今でしょ!」で盛り上がれるが、

本当に重要な問題ほど棚上げされてしまう。非常に逆説的です。


もしかしたら、

ずっと不可能だと思ってきたことが

可能になるかもしれないという期待が高まったのが、

09年の政権交代です。しかし民主党政権は結果的に、

「不可能なことはやっぱり不可能だった」を証明してみせただけだった。

続く安倍政権は逆に「可能なことは可能だ」をやっていて、

いかにも起こりそうなことだけが起きると。

政権交代が無念な結果に終わったことが、

理想を語ったり語られたりすることへの忌避感につながっていて、

安倍政権がそういう気分に乗じているのは事実でしょう。

ただ一方で、無念な思いを残しているからこそ、

私たちはいつかそれを取り戻しに行かなきゃいけないという

気持ちもどこかで持っている。

願望や希望って、未来に落っこちているというよりは、

過去に満たされなかったものの中で育まれる感じがしませんか。

そう考えると、政権交代への失望があることは、

失望すらないよりはある意味いいことだと思います。


政治が本来やるべきことは、人に思考停止させないことです。

人間はね、やっぱり「不可能だ」と言っちゃだめなんですよ。

「道はある」という感じを持つと、人の思考は回転し始めるのですから。

特に政治家は、

根拠がなくても「不可能は可能になる」と言ってのけるある種の勇気と、

それを人々に信じさせる言葉の力を持たなければなりません。

現実主義だリアリズムだと言って、可能なことだけを追求するというのは単に、

船が沈むのを座して待つということにしかなりません。

みんなが可能なことしか求めなかったら、

可能なことしか起きないじゃないですか。

沈まない別の船を求めるのならば、不可能なこと、

現時点ではあり得ないようなことを要求する方がむしろ現実的です。

歴史的には何度も不可能だったはずのことが起きている。

それは不可能なことを求める人がいたからに他なりません。

自分が本当は何を望んでいるのか。

どんな社会を目指したいのか。まずは口にしてみましょうよ。

あなたが口にすることによって、

不可能は可能になる可能性をはらむのです。





新宿歌舞伎町

2019年02月09日 | 日記

 

 

 

 

 

もうどれぐらい行ってないだろ?新宿歌舞伎町。

東京には好きな場所いっぱいあって、

僕の中央線界隈好きは結構有名なのですが、

新宿や渋谷にも青春の甘酸っぱい想い出がある。

新宿歌舞伎町もそのひとつ。

よくTVでもやる例の“眠らない街歌舞伎町“ってアレっす。笑

僕も初めて歌舞伎町で遊んだ時、

その喧騒ぶりというか、賑やかな感じがコザの街と似ててね、

あー落ち着くみたいな感じでしたね。

夜の喧騒が落ち着くってのも可笑しな話だけど(^ ^)

 

一度、夜中?、朝方?、

に歌舞伎町の病院行ったことがある。

まぁーその病院に来る人達ってのが、

酔って足をひねった女の子とか、階段から落ちた人とか、

そこはもう歌舞伎町ならではの光景でね、また面白かった。

みんな酔っぱらいだから院内うるさいわ、酒臭いし!(^ ^)

 

あの頃は歌舞伎町ですれ違うホステスやホストの顔が、

全員浜崎あゆみとGLAYにしか見えなかった僕でしたが、

今はどうなんだろう?

EXILEやAKB風にでも変わってるのかもしんないね。

でも、歌舞伎町で働いてる子達好きなんだ。

純粋に一生懸命働いているから。

歌舞伎町で生きる人達はとにかく呑む。。ひたすら呑む。

なのでイコール身体にガタが来る。

昔からずっと思ってることなのですが、

お酒呑んで生計を立ててる人ってホント凄いんだよ。

身体を犠牲にしてまで仕事に徹するという意味では、

僕にとっては相撲取りと同じクラスなんだ。

僕の近くにも夜の世界で生活してる人が少なくない。

体調を崩しても呑んで「あーヤバイヤバイ」ってのも日常茶飯事だし、

当たり前に若い頃のように呑めなくなったのに無理して呑んだり、、

ホント文字通り身体張ってる!なんて職種なんだな。

そりゃ立派な仕事さ。

歌舞伎町にはさ、スペシャルな歌舞伎町らしいクリニックがあって、

そこでは“アルコール対策スペシャル点滴“なんてのがあるらしい。

仕事前や仕事後に利用するんだろうか?

ホストやホステスの間で「今日何本打った?」

なんてヤバイ会話が日々交わされてるんだろうか?

ここオキナワにもそういうクリニックあんのかね?

一度試してみる?笑

うん?

この点滴はウコン的な、

酒がスルスルとたくさん呑める効果があるってこと?

それとも二日酔いが柔らぐってな効果なのかな?

はは、点滴してみたいから呑み方選ぶってのも、アホアホな話だーね♪

今夜もきっと歌舞伎町ではたくさんのドラマが生まれてることだろう。

またいつか、遊びに行きたいぞ歌舞伎町。

では今夜は、新宿の女3部作をどうぞ!

 

トップはこの人!

コラコラ藤圭子が通るぞ!どきなさいよ!ってな感じ。

 

藤圭子ライブ 新宿の女 昭和54年 新宿コマ劇場

 

とにかく僕にとって、強力に新宿臭を放ってるお方なのです。

何度もライブに足運んだ、伝説の不世出シンガー。

 

浅川マキ「それはスポットライトではない」(1977年 ライヴ)Maki Asakawa

 

もうこの二人出すと、さすがの林檎ちゃんもチョー若手ね♪

しかしこの女子みんなに共通するのは、やはりのBLUES!

新宿女のブルースをこれでもか!と浴びてくれぇーい。。。

 

椎名林檎 - 歌舞伎町の女王

 


いいじゃないの幸せならば

2019年02月09日 | 日記

 

 

 

 

 

 

TVになんと!

佐良直美さんの姿がぁ。。。

なんでも32年振りのTVとか。。

本人の話では、歌手を突如やめた理由はポリープが原因だったようです。

一般的には佐良さんは、歌手と女優半々ぐらいの認知度なのかな?

歌手ってわからない人意外に多いんだ。

 

つか、この番組!

もうちょっと佐良さんの歌にスポット当ててほしいな。

佐良さんはね、言っときますが凄い歌手なんよ。

今や伝説とまで言われてる、

ちあきなおみさんにも引けを取らないぐらいの歌手なんですぞ。

こういう歌手ももういないですね。。。

ふくよかで安定感のある声の人って。

これで20代というのだから恐ろしいわけで。

ちょっと低めの声で歌う人はたくさんいたけども、

やはり身体の鳴り方がみんなと違うんですよね。

60年代後半から70年代初頭ぐらいの歌謡曲というのは、

特別な感じがあって、和モノというか、

アメリカ文化の影響ももちろんあるのですが、

それほどまだ洗練されてないような、日本独自の感じが最高なんです。

73年ぐらいから日本のポップスも凄く洗練されて来るのですが、

その前夜というか、とにかく何処にもない独特の世界観があります。

フルートやヴィブラフォンなどの楽器の選び方なんか、

編曲の方がジャズ畑の人が多いのも特徴です。

あとね、ピアノがさり気なく、実に小気味良くSwingしてるんだな。

クラブなどで言うとこのGrooveじゃないよ!

Swing、Swingしてるんよ。

♪ボサノバのリズム♪なんて歌詞から始まる曲「私の好きなもの」なんか、

ホント軽いポップなボッサという感じで、今聴いても全然古臭くない。

何たって永六輔&いずみたくという黄金コンビですからね♪

またいずみたくさんは当時、平和運動なんかにも参加してたり、

フォークソング的な曲もたくさん書いてるんだ。

佐良さんの殆どの曲を書き下ろしてるってのもあるけど、

アルバムでは「君の祖国」「500マイル」「朝日のあたる家」

なんて曲もカバーしてるんだ。

当時は「世界は二人のために」という曲もあったけど、

僕はなぜか「いいじゃないの幸せならば」というこの曲が好きでした。

ちょっと哀愁を帯びた曲調でね、子供ながらに惹かれた。

しかしこの「いいじゃないの幸せならば」というタイトル。

なんてぶっきらぼうで突き放した響きなんだろう。

今こういうタイトルないもんね。

こういうのも、もはや死語ならぬ死題かもしれんね。

あかん、90年代ブーム宣言したのに、やっぱ60年代行っちゃうわい(^^;;

頑張れ〜😎 

では、ぶっとい声とぶっといサウンド、お聴き下され。。。

 Very cool‼️

 

いいじゃないの幸せならば/佐良直美

 


バイバイ

2019年02月08日 | 日記

 

 

 

 

 



その訃報は去年突然入って来た。

ずっと書けずにいたけど、やっとさよならを。

あまりにも偉大な二人。

全然職種の違う二人だけど、

僕にとっては新しい女性の在り方を世に知らしめた二人でした。 

サム・クックをアイドルにもつアレサは、

同じゴスペル出という境遇にもシンパシーを感じてたと思うが、

ゴスペル出のシンガーが、世俗的なポップスの世界へ転身するというのは、

当時はご法度であり、神への冒涜とも取られかねなかったという。

それゆえか、サムもアレサもポップス界における

ソウルミュージックの普及への尽力を惜しまなかった。

2人に共通してたものは、やはり精神の解放だ。

時代も後押ししたのかもしれないが、

やはり2人の後世への影響は計り知れないものがあります。

アレサは大の飛行機嫌いというのも有名な話ですが、

そういう女王らしからぬ一面も、何だか親近感持っちゃいましたね。

そのおかげで最後まで日本に来る事はなかったのだから、

残念でならないソウルファンも多かった。

アレサは常にトップにいつ続け、

この21世紀まで、自身のギリギリの命の限りまで、

そのソウルを惜しみなく披露してた。

どんな強靭な喉の持ち主でも、年齢と共に声が衰えてゆく。

それが自然だし、僕なんか、

変わらない事に美学を感じてる人達はよくわからない。

アレサのシャウトする♪Hey!♪は、

どんな言葉をも超える女性の解放そのものでした。

ソウルの女王はカバーソングの女王でもあったけど、

ホントに当時ディオンヌ・ワーウィックやダイアナ・ロスは

どう感じてたんだろうか?

「Respect」を見事にカバーされたオーティスなんかは、

「いやぁ〜めぇーった!めぇーった!」と呆れ返ったという。

コロンビア時代や70年代のアトランティック時代にも

好きな曲多いけど、

 今日は初めて動くアレサを観たって事でこの曲を。

たくさんの夜にソウルをありがとう!アレサ、バイバイ!


Aretha Franklin - I Say A Little Prayer: her very best performance!







さくらももこさん。

もうその名を知らない日本国民はいないんじゃないかと

思うぐらいの偉人だ。

僕にとってよく記憶のない90年代のテレビの世界で、

サザエさんと共に仁王立ちしてるような存在が、

ももこさんだった。

ちびまる子ちゃんは一見、

子供達や、その回りの大人達が入り乱れたドタバタ劇なのですが、

実はこう大人でも“うちあたい“させられたり、

考えさせられる世界なのですな。

それはそのまま子供達への教育にもなるんじゃないか?

と思わせる内容も実に多かった。

それまで少女漫画にはそういうのって少なかったですよね。

今でも放送されてるちびまる子ちゃん。

その昭和チックなドタバタ劇は、

昨今のような過剰なコンプライアンス時代には、

潤滑油のような存在ではないだろうか?

昔のような根性論も嫌だし、最近のハラスメント病も馴染めない僕は、

いつもどうして日本人には中間がないのか?と思ってた。

日本には“いい塩梅“という素晴らしい言葉があるじゃないか、って。

そのいい塩梅の好例がももこさんが生んだ、

ちびまる子ちゃんではないだろうか?。

ほらほら、そこでSNSでしつこい書き込みしてるチミ!

そんな暇あったら、家族とケンカでもしなさい、

犬と会話のひとつでも交わしてみなさい、

と、ももこさんは伝えたかったのかもしれませんね。

いつかももこさんの故郷の静岡行ってみたいです。

そして作品に登場したゆかりの地を回るのだ!

ももこさんバイバイ!

yeah!オレも主題歌に使って欲しかったぞ(^ ^)

♪天然のプゥ〜♪なんぞを!

 

 


ブレッドでポカポカ

2019年02月02日 | 日記

 

 

 

へへ、久し振りの♪おきな〜わ〜南いんたぁ〜♪だす。

今回はお使いで本部まで。

南いんたぁ〜から行くと、那覇向けと名護向けでは、

当たり前ちゃー当たり前ですが、その見る景色が違うわけだ。

共通してるのは少しベースの中が覗けるぐらいかな。

こういう景色もいつか、見れなくなっちゃうのかもしれませんね。

なんとなくそんな気がすんだな。うん。

 

 

しかしちょっと北部に行かなくなると、

もう新しい道路があちこちに出来とる!という。。。

もう道がどーなってるのかよくわかんない(^^;;

え?ここからホントに具志川行けんの?

というようなトコに道路が出来てたりしてた。

次回はそこ通って具志川まで行ってみようかね。

 

しかし、やはり北部は寒い。

 

若干みんな厚着だし、なんたってみんな急ぎ足だ。

まー僕としてはもうちょっと気温が低くなって、

思いっきり冬服着れるぐらいになってもらいたいんですが♪

 では、このブレッドの曲で心も体もポカポカになってくれぇーい!
 
この曲もラジオで覚えた曲。
 
だからレコードで聴くってよりは、それこそお得意の不意にね、
 
こうラジオから流れちゃうと、えらいテンションが上がるだばぁーよ!
 
そんな曲みんなにもあるといいね。
 
なんて言ってたら、ラジオからきいやまが流れ出したぁぁ!
 
ふ・ふ・不意に。。
 
 
Bread - Make It With You {HD}

Skydust

Koko