金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

国勢調査、マイナンバーを活用すると大幅に簡素化できるはずだ

2020年09月24日 | デジタル・インターネット
 皆さんのところにも届いている「国勢調査」の回答依頼。総務省統計局はコロナウイルス感染拡大防止の観点からできるだけインターネットでの回答を求めています。
 私も昨日インターネットで回答を済ませました。
 インターネットで回答しながら感じたことですが、マイナンバーを使うと入力項目を大幅に省力できるだろうなぁ、ということです。
 まず「本人氏名」「住所」「生年月」(国勢調査では生まれた日付までは求められません)はマイナンバーにリンクした個人情報から簡単に流し込めるはずです。
 仕事に関する情報は自動的には流し込めないかもしれません。しかし対象者のマイナンバーと勤務先の法人番号がリンクされていると簡単に流し込むことができます。
 菅内閣が掲げる「デジタル化」の具体策としてマイナンバーの国勢調査利用を掲げてはどうでしょうか?(マイナンバーの利用目的は「社会保障」「税金」「災害対策」に限定されているので法改正が必要でしょう)
 国勢調査が国の政策決定上必要かつ重要な調査であれば、迅速性・正確性・効率性を担保する上でマイナンバーの活用は必須だと私は思います。
 さらにいうとマイナンバーと住民票情報を組み合わせると「ほとんど個々人の調査回答なし」に国勢調査を済ませることが可能だと思います。
 もっともここまで国が個人に関する情報を把握することに抵抗を感じる人もいると思います。
 一方国が個人の情報を把握しても社会保障や災害対策面で国民の利便が向上するのであれば応諾するという意見もあるでしょう。
 今国に求められているのは、マイナンバーを使って個人情報を集約するメリットが個人情報を把握されることに対する不安感・不満感などのディメリットを上回るということを丁寧に説明することなのです。
 
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投資とは変動、恐れ、不確実性に耐えること~お金の心理学を読んで(3)

2020年09月23日 | 本と雑誌
 (仮題)「お金の心理学」The Psychology of Moneyは6割ほど読み進み、第15章Nothing's free(ただのものはない)まできた。
 著者は「ただものはない」という基本原則は投資にも当てはまると述べる。
 そして投資が求める対価は、金銭的なものではなく、ボラティリティ、恐怖、疑い、不確実性と後悔であると述べる。さらにこれら総ては実際の世界で取り組むまで簡単に見過ごしてしまうと警鐘を鳴らす。

 偶々このあたりを読んでいる時に米国株式相場は大荒れの模様を呈していた。 サマーラリーで急騰していたハイテク銘柄が売られた上、欧米ではコロナウイルス感染再拡大の懸念が広がり、弱気の虫が頭をもたげてきたのだ。
 "Hold stocks for the long run," you'll hear. It's good advice. But do you know how hard it is to maintain a long-term outlook when stocks are collasping?
「株式の長期保有」は良いアドバイスだ。しかしあなたは株式相場が大崩れしている時、長期的な展望を維持することが如何に困難なことを知っていますか?と著者は警鐘を鳴らす。
 そしてその答が「株式投資の高いリターンは(短期的な)価格変動を対価として得られるものだから、投資家はその対価を払わなければならない」というものだ。そして「価格変動に耐える」という入場料を払うことで高いリターンを得られる可能性がある株式投資を楽しむことができると喝破する。
 著者は株式投資を入場料100ドルのディズニーランドに譬え、入場料が10ドル程度の街の催し物や無料の自宅滞在より得られる効用が大きいと述べる。
 ただし彼は「株式相場は入場料を払うに値するけれども保証はない。ディズニーランドでも時々雨が降る」と結んでいる。
 
 
 

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「デジタル庁」は名前が悪い。「情報・コミュニケーション庁」位が良いかな?

2020年09月23日 | ライフプランニングファイル
 菅内閣の眼玉の一つが「デジタル庁」だ。コロナウイルス対策として国民への給付金支給や企業への助成金支給のオンライン申請が機能しなかったことの反省から行政のデジタル化を一元的に推進するために「デジタル庁」を新設するプランだ。
 その方向感は正しいが名前が悪いと私は感じている。
 デジタルDigitalとはアナログAnalogの反対語で、整数化・量子化という意味だ。これに対してアナログは連続的なデータを指す。たとえば気温の変化などは本来連続的なはずだ。つまり体温の変化を36.3分から37.2分に上昇したと表現するが、実際の体温はもっともっと細かい刻み(さらにいうと刻みがないほど)で変化している。アナログは滑らかでデジタルはカクカクしたイメージだ。
 デジタルは情報を数値化しているので「伝送による劣化がない」とか「統計的処理がしやすい」というメリットがある。一方アナログは表現力が豊かで情報量が多いが劣化しやすいという欠点がある。
 巷間デジタルは新しく、アナログは時代遅れにイメージがあるが私は、デジタル・アナログ双方に良いところがあるのでデジタルをアナログの上位に置くつもりはない。
 さてなぜ「デジタル庁は名前が悪い」というか?というと情報の数値化ということに力点が置かれ過ぎ、情報を発信する人と情報を受け取る人のコミュニケーションが軽視される点にある、と私は考えている。
 デジタル化と同じようなニュアンスで使われる言葉にICTという言葉がある。Information &  Communication Technologyである。日本語では情報・通信技術と訳されることが多いが、私はCommunicationを通信と訳することにこれまた問題があると考えている。Communicationはコミュニケーションとしてそのまま理解するのが良いようだ。
 Communicationは幾つかの意味を持つ単語で「通信」もその一つだが「意思疎通」という意味もある。「あの人はコミュニケーション能力が低い」という場合は、相手が発する言語的あるいは非言語的な情報(身振り・手振り)などを受け止め、理解する能力が低いという意味である。
 
 デジタルであれアナログであれ、大切なのは人間は発信する情報そのものである。我々は簡単に計数化できる情報を発信する場合もあるし、簡単に計数化できない複雑なニュアンスを発信したいと思う時もある。
 たとえばZOOM会議なで感じる物足りなさは、非言語的なコミュニケーションが制限される点にあるのだ。
 
 話をまとめよう。政府が掲げるデジタル化はともするとハード面の整備に偏する危険性が高い。無論ハード面の整備は必要条件だ。だがそれだけではデジタルトランスフォーメーションは進まない。たとえばオンライン診療を考えると患者が発信する非言語的な情報を~主にアナログな情報を~如何に医師が理解するか?ということが最大の課題だろう。無論それには人工知能の力を借りることが多い。一方で患者側に非言語的な情報をできるだけ言語化する訓練も必要になるだろう。

 つまり政府が(おそらく)考えているデジタル化を推進するには、情報を発信する側と受け取る側のコミュニケーション能力を高めることが一番重要なのだ。この点を軽視するとハードウエアの残骸が積み重なってお仕舞、ということになりかねない。
 

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盛岡の夜と朝(2)~二人の総理の墓所を訪ねて

2020年09月22日 | 旅行記
盛岡の町には以前からちょっと関心があった。その理由は極めて個人的なものである。江戸時代この地を支配した南部藩の藩主に私と同じ名前の人がいたことが盛岡に親近感を抱かせるのである。もっとも名前を付けた親父が南部の殿様のことを意識していたかどうかは分からない。親父は3年ほど前に亡くなっているのでもはや確かめる術もない。
 さて盛岡城址公園から南東に1㎞ほど歩くと盛岡八幡宮がある。広大な境内を持つ立派な神社である。盛岡は土地が豊富なのかお城も広いし、道路も広くあまり渋滞を見かけなかった。全体にゆったりした感じである。


さて盛岡八幡宮から6,7百メートル南西に行ったところに寺院が固まった一画がある。偶々のぞいた大慈寺というお寺には原敬の墓所という案内板が掲げられていた。
更にもう少し南西に進み、北上川に近づいたところに円光寺というお寺があり、ここには米内光政が眠っている。なお写真は八幡神社の参道で見かけた米内の居住地跡の石碑である。


岩手県は4人の総理大臣を輩出している。原敬・斎藤実・米内光政・鈴木善幸である。総理大臣を一番輩出している県は山口県で8名、次が東京で5名だ。岩手県の4名は群馬県と同数で堂々の3番目である。戊辰戦争時代に賊軍となった岩手県から4名の総理大臣が出ていることは中々興味深い。また原敬と米内光政の菩提寺が近いのも興味深い。原と米内の年齢は一世代離れている。二人の間に何か関係があったのか(なかったのか)?など調べると面白そうだ、と思いながら私は盛岡を後にした。
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盛岡の夜と朝(1)

2020年09月22日 | 旅行記
岩手山に登るため盛岡に二泊した。盛岡には冬安比高原にスキーに来る時、前泊することがあるが街を散策するのは初めてである。
 一日目の夜はスキーの時に立ち寄った吉浜(きっぴん)食堂で夕食を楽しんだ。ここは珍しい魚を出してくれる。この日はマンボウの刺身を頂いた。白身の淡白な魚である。酢味噌が良くマッチした。


二日目は幹事さんが選んでくれた「海ごはん しまか」。幹事さんは太田和彦の「居酒屋百名山」から選んだ積もりだったが、この店は百名山ではなかった。盛岡の百名山は「とらや」だけである。だが「海ごはん しまか」は美味しくてコストパフォーマンスの高い店だった。料理3千円+飲み放題2千円のコースで海の幸と南部の美味しい日本酒を堪能した。太田和彦が選ぶ居酒屋百名山よりは若者向きの感じがする店だが良い店だと私は思う。



さて今日は「早池峰を登りに行く」という名古屋の元気組と別れて私は一人で盛岡の町を歩いた。まず盛岡城址公園に行き、その一画にある櫻山神社をおまいりした。この神社の奥には写真の巨岩がある。その形から烏帽子岩と呼ばれている。
盛岡城は石垣が残るのみだがその石垣は立派である。また城の構えも大きい。


お城を出て中津川を渡ると岩手銀行赤レンガ館があった。百年以上も前に盛岡銀行本店として建築された建物で内部が公開されているが、時間が早かったので中を見学することはできなかった。


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