金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
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徒然草を読む(1)~死期(しご)はついでを待たず

2020年05月10日 | 本と雑誌

ふと「徒然草」を読んでみようと思った。

「つれずれなるままに 日暮らし硯(すずり)に向かひて、心にうつりゆく由(よし)なしごとを、そこはかとなく書き付くれば、あやしうこそもの狂ほしけれ」

徒然草は高校の古典で少し学び、社会人になってからもっと読んでみようと本を買ったことがある。幾つかの章を読み「ああ、あるほど」と感心したところもあったが、それっきりになり、「徒然草」は埃をかぶっていた。

今コロナウイルスの感染で思わぬ人~たとえば岡江久美子さん~の死を耳にするようになった。人の命の儚さをガツンと知らされる思いだ。

そんな時徒然草のある一節が頭に浮かんだ。「生老病死の移り来ること、またこれ(四季)に過ぎたり。四季はなほ定まれるついであり。死期(しご)はついてを待たず」

「人間の一生で生老病死が次々にやってくる変化は四季の変化より早い。死期の変化には決まった順序があるが、人間の死期は年齢という順序を待たずに突然やってくる」ということだ。

コロナウイルス騒動は大変である。しかし騒いでも嘆いても一定期間我慢しているより凌ぐ方法はない。ならばこの苦難を少しでも活かすことを考えた方が良い。それは有り余る時間を勉強に回すことだと頓悟した。

私のようにシニアになった人間は何を学ぶのが良いか?

江戸末期の儒学者佐藤一斉は「老にして学べば死して朽ちず」といった。「年を取ってからも学問を続けると死んでも人望が朽ちない」という意味だ。元々人望がある訳でもないので、人望なんか朽ちても良いと思う。ただし死期に臨んで、必要以上に死を恐れて回りの人を苦しめたりしたくはないと思う。またもし命の尽きる直前まで意識を保つことがあれば、できるだけ澄明な意識を持ち続けたいと思う。これだけは望んで叶うものとは思わないが。

ただその気持ちを持続させる準備は可能だ。

その準備は「老にして学ぶ」ことである。何を学ぶか?というと人間学である。文学や思想の歴史の長い日本には古典という素晴らしい教材がある。この教材を自分の読める範囲で読んでみようと思った。そのスタート点が私の場合徒然草になった。

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