2泊以上の旅ではキンドル本を読むことにしている。その方が荷物が軽くなるからだ。先週末山形から横手に旅行する前にキンドル本を2冊タブレットにダウンロードしてでかけた。
その中の一冊が江上剛氏の「退職歓奨」という短編小説集である。タイトルは「退職歓奨」であって「退職勧奨」ではない。「退職勧奨」はリストラ等のため、会社が従業員に自主退職を勧めることだが、この短編集の主題は定年年齢に近いサラリーマンが新しい生き方を選択することで自分の人生と妻との関係を取り戻すというもので、それ故「歓奨」という言葉が使われたのだと思った。
ふと選んでダウンロードした一冊(キンドルunlimitedという定額読み放題サービスを使っているので「外れ」であっても損はない)だが、後で考えてみると、今回の旅の目的の一つである横手の酒蔵の社長Sさんと会うことから無意識ながらこの一冊をピックアップしていたような気がする。
Sさんは銀行時代の3年先輩で大阪地区の某支店の支店長をしていた時、ご実家の酒造業を継がれるため中途退職された方である。
家業を継がれた後一度お会いしたことがあった。その時Sさんが「人事部に然々(しかじか)の理由で退職したいと話にいったら、いとも簡単にOKしてくれたよ。内心少しは引き止められると思っていたのだが」と話していたことを思い出した。
Sさんが退職されたのは今から17,8年前のこと。つまり1990年代の終わり頃だ。当時は山一證券や拓銀の破たんで金融界は騒然としていた。人事部は会社の生き残りのためリストラ策を進めていたので、Sさんのように自主退職を申し出る人は大歓迎だったのだろう。
Sさんは人望の厚い親分肌の人で本来はもっと銀行に残るべき人だと私は思っていたが、当時の人事部や経営陣にはそんなことまで考える余裕がなかったのかもしれない。
さてそのSさんは旧銀行のOBを含む我々一行を大歓迎し、自宅の内蔵(母屋の後ろに隣接した土蔵で母屋と一緒の上屋で覆われている)をはじめ、増田町の内蔵を案内してくれた。
家業は順調で跡取りの息子さんも一緒に働き始めて3年になるという。Sさんの場合は退職歓奨だったといってよさそうだ(無論社長として事業を運営される上でのご苦労は多かったと思うが)。
だが継ぐべき家業や手に職のないサラリーマンの場合、必ずしも退職は歓ぶべきものではない。
「退職歓奨」の中に「ハローワーク」という短編がある。信用金庫で41年間勤務した男性が定年退職し、妻の強い奨めでハローワークで職探しをする話だ。妻は妻はのんびりしようと思っていた主人公に「ボケます。あなたなにか趣味がありますか?仕事ばかりで・・・」と言い、少し前に退職した先輩が朝から酒浸りになり体を壊し入院したと伝える。
男はしぶしぶハローワークに出かけるが、担当者から再就職の厳しい現実を突き付けられ気持ちが折れてしまう。
男はそこでアルコール依存症になった先輩を訪ねた。
先輩を男を諭す。「所詮、サラリーマンはサラリーマンだ。朝起きて、仕事に行く、定められた仕事をこなし、帰宅する。この繰り返を絶対に崩すな。このパターン化した生活が心の安定をもたらすのだ」
「仕事なんてどんなものでもいいじゃないか。・・・働かせてもらっていると感謝すればいいんだ。退職したら趣味三昧で暮らそうなんて思いあがったことを考えたのは、この感謝の思いがなかったのだ」
話はここで終わる。娘が一緒に退職祝いをしようと自宅にくるという妻の電話を受けて男は深々と礼をして先輩の病室を去る。男がハローワークで職をえることができたかどうかはこの短編の射程範囲には入っていない。
★ ★ ★
旅行中に山仲間の後輩から近々予定していた飲み会をキャンセルしたいというメールが入った。少し前に飼い始めた子猫が死んでしまってそのショックが尾を引いているという。彼は定年再雇用でまだパターン化した生活を続けているが、心の安らぎを求めて飼い始めたペットが不幸に見舞われたことで一時的にせよかえって安らぎを失ったとようだ。生きていくことは楽なことではないとないと感じた。
釈尊は「人生は苦である」と教えた。最近英語の仏教書を読んだところ、「苦」とはsufferingだけではなく、unsatisufactory(不満足)を意味するという解説があった。今の自分に満足できないから苦しみが生まれるという意味だ。
人の中には安定を求める気持ちと冒険を求める気持ちが同居していると思う。その割合は個性やライフステージによって異なるだろうが。
パターン化した生活が心の安定を生み、心の安定が満足につながるとすれば、退職というのはサラリーマンの生活パターンからより自由時間の多い生活への移行transitionということができる。定年後しばらく仕事をしても死ぬまで続けるわけにはいかないだろうから、いずれはtransitoinを経験しなければならない。金銭的な話を別にすれば、その時期が多少早いか遅いかという問題である。
退職歓奨とは新しい生活パターンを作り出すことに他ならない。そしてそこには一つ正解はない。正解は人の数ほどあるというべきだろう。
★ ★ ★
出版した電子本
「人生の山坂の登り方・降り方」 http://www.amazon.co.jp/ebook/dp/B00LYDWVPO/
「インフレ時代の人生設計術」 B00UA2T3VK
「海外トレッキングで役に立つ80の英語」
「英語の慣用表現集」 http://www.amazon.co.jp/ebook/dp/B00LMU9SQE/
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます