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相続と葬儀~事務局長が語る円満な相続とは(1)

2013年09月26日 | うんちく・小ネタ

相続と葬儀、どちらも暗い話題である。インターネットを楽しむ若い世代が好む話題の対局にある重そうな話題だ。一方この二つとテーマに直面しないといけない80代前後の世代ではインターネットのヘビーユーザーは少なそうだから、この手の話題へのアクセスは少なそうだ。

だが相続と葬儀という問題は我々中高年には避けて通れない問題なので、何回かに分けて論じてみたい。

さて相続と葬儀にはどのような関係があるのか?

(1)第一に相続も葬儀も人(自然人)の死から始まる。人の死、いつ起きるかは分からないが、あらゆる人が絶対に一度、そして一度だけ経験するのが死である。「残された人に何かを伝えることができる葬儀」も「何かを残すことができる相続」も同一軌跡上にある。つまり「良い生き方」をした人は良い思い出と残された人に役に立つ財産を残すことができる。

(2)葬式の方法も相続による財産の分け方も「社会のあり方の従属変数」である。大都会に典型的な人口の都市化、高齢化、少子化が葬式のあり方と相続のあり方を急速に変えている。恐らく民法や税法が追いつけないほどの速さでである。

(3)「人はあの世に持っていける財産・地位などは何もない」という自明の理を悟った時、生き方は軽やかになり、葬儀は簡素化し、相続による揉め事は解消する。

つまり相続と葬儀に関わる問題は、それまでの人生の送り方に関わっている。先の世まで透徹する生き方ができれば、相続問題に悩むこともなく、自分の葬儀や埋葬にあくせくすることもない。

「葬式は、要らない」(幻冬舎新書)の中で著者島田 裕巳氏(宗教学者)は、次のように述べている。

「親は、子どもに財産を残したいと思う。財産は、自分が人生を頑張り通し、その結果、成功を勝ち得た証でもあるからである。しかし、親の思いとは裏腹に、財産があればあるほど、相続のときにもめる。それだったら、遺産などはない方がいい。・・・葬式で贅沢をし、金を使いきるのも案外、相続にまつわるもめごとを避ける手立てになるかもしれない。・・・ただ、人間はいつ死ぬか、予想がつかないわけで、葬式をあげた時点で、財産をすべて使いきった状態にするのは至難の業である。」

全般として私はこの「葬式は、要らない」という本は役に立つところが多い本だ、と思うがこの部分には疑問をもっている。一つは「財産があればあるほど、相続のときにもめる」という認識。事実は相続財産が少ない家でもよくもめるといわれている。次に葬式で贅沢をして金を使いきるという発想。葬式で贅沢をしても、死んだ本人には分からない。だからまさに「死に金」である。ならば元気な時に自分のために使った方が良いだろう。次に贅沢な葬式をしようと思っても、我々庶民では会葬者の数も知れているので、たいした贅沢もできないだろう。金を使いきるというのは少し大袈裟である。もっともこの部分は著者のメインテーマから離れているので、揚げ足をとるほどのことはない。

むしろ若干の批判を加えるならば、第3章「日本人の葬式はなぜ贅沢になったか」の中の「易行としての念仏」のくだりである。少し引用しよう。「釈迦の教えからすれば、死後、地獄に堕ちることを恐れたり、西方極楽浄土への往生を願って莫大な金を費やすことは、無駄で虚しい営みのはずである。ところが豊な生活を送った貴族たちは、・・・・浄土を目の前に出現させようと試みた。ここにこそ日本人の葬式が贅沢になる根本的な原因がある。」

この部分に書かれていることは正しい。

だが後段の「親鸞の活動によって、浄土教信仰は貴族から一般民衆のものへと変貌した。法然や親鸞が説いたのはひたすら「南無阿弥陀仏」と唱和することで、この教えにしたがいさえすれば壮麗な浄土式庭園や阿弥陀堂を造る必要だどなかった。」には若干著者の誤解があるようだ。

実は親鸞は極楽浄土に行くのに念仏を唱える必要もないと考えていた。何故なら阿弥陀如来は総ての人を救済し極楽に連れて行くという誓いを立てているからだ、と親鸞は説く。善人なおもて往生す、いわんや悪人をや、である。

私はこの親鸞の考え方を脱宗教的でかつきわめて現代的であると考えている。仏教が定める戒律を守ろうとも守らなくとも、仏を拝もうとも拝まなくとも総ての人は同じく極楽に行く・・・という主張は行き先を「極楽」から「何処かわからないところ」nowhereと置き換えても良いだろう。極端にいうと死ねば総て終わり、という考え方にもつながるかもしれない。そして「死後のことは阿弥陀さんが善処してくれる。立派な葬式やその後の追善供養も意味なし」ということが論理的帰結になるのである。

もっともこれではビジネスとしての浄土真宗は上がったり、宗派の方はこのような激論は述べないだろうが。

少し話が長くなったが、簡素でかつ意味のある葬式や揉め事の少ない相続を行うには、この世の後の世界について確固たるビューを持つことが必要なのだ、と考えている。そして私流に解釈した親鸞上人の教えは、科学的合理的でよく馴染むのである。

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