徒然草を読むと人付き合いに関する文章が多いことに気が付く。このことは兼好法師が決して世捨て人ではなく市井を生き抜いた人であることがわかる。
「成功とはただ一つしかない。自分の一生を自分流に生き抜くこと。それだけである。」という米国のジャーナリスト クリストファー・モーリーの言葉に従うなら兼好法師が成功者であったことは間違いない。成功者の話だから今なお読者を魅了するのである。
さて第二百三十三段は「よろづのとがあらじと思はば、何事にもまことありて、人を分かずうやうやしく、言葉少なからむにはしかじ」と書き出す。
「人前で失敗しないようにしたいと思ったら何事にも誠意をもって当たり、人を差別せず礼儀正しく無駄口をきかないのがベストである」ということだ。これは現在社会でも洋の東西を超えて当てはまる真実だろう。ビジネスの世界では口達者の交渉上手を自認する人がいるが、私はあまり信用していない。
人と接する要諦は「相手を信じて疑わない」ことである。ゲームの理論を勉強すると見えてくるが、双方疑心暗鬼となると得るものは少ない。
王莽の乱を収めて後漢を起こした光武帝に「赤心を推して人の腹中に置く」という言葉があるが、相手を信じることの重要性を説いたものだ。
兼好法師はこの段落の後半で「あらゆる過失は、ものに馴れた様子でベテランらしく見せ、わがもの顔をして他人を軽く見る態度から生まれる」と述べている。
買収などでつまずく政治家を見ていると秘書など自分より弱い立場の人間には傲岸に振舞っていることが週刊誌等に書き立てられていることが多い。人に対する傲岸さは遵法精神の欠如と同根なのだろう。「人を差別せず振舞う」ということを自分流として自分流の生き方をすると過ちを犯す可能性が低く、人生の成功者になることができるのだが、実践することは必ずしも容易ではないのだろう。