11月17日カトマンドゥに戻って久しぶりにwifiに接続し、日本のニュースを見た。最初に目についたのが、安倍首相が衆院を解散し選挙を行うというニュースだ。
晩飯前にこのニュースを現地旅行会社の社長Baral氏に告げた。彼は片言の日本語を話す中々の日本通だ。その彼の返事が「安倍首相はそこそこ支持率はあるのでしょ。何が論点で解散総選挙を行うの?」というものだった。
おそらくこの疑問は多くの外国人が持つ極めて常識的な疑問だ。詳しい背景を知らない私は推測で「恐らく安倍首相は今が勝負どころと判断したのだろう。今ならまだ選挙に勝てるという判断。ここで選挙に勝って政権を安定させたいという狙いだろう」
Baral氏「・・・・」
外人にはそして多くの日本人にも分らない今回の解散・総選挙。「分らない」ということは論理性がない、ということである。論理性がない、ということは大義がないと言い換えても良いだろう。つまり多くの国民にとって何が争点なのかはっきりしない選挙が行われる可能性が高いということだ。
野党はアベノミクスは失敗だ、と批判する。しかし「経済に不況脱却の時間を買った」という点ではアベノミクスは正しい政策だった。そのことは連銀の超金融緩和策が奏功した米国の例でも明らかだ。だが米国は「連銀が時間稼ぎをしている」間に、着実に雇用を回復し、景気を上向かせてきた。一方日本は物価も低迷し、経済成長も落ち込んでいる。その違いはなにによるのか?
もしの違いを政治家が分析して、アベノミクスの是非を問うのであれば、興味深い。
だが現実は薄っぺらな自己主張の連呼が続いて終わり、ということになりそうだ。
今後世界各国の距離が縮まり、ブロック会議などでも日本が発言する機会が来る。そのような場所では「多様な文化・価値観を持った人に共感してもらえる話をする・提案を行う」ことが肝心だろう。
政治家は選挙戦術に終始するだけではなく、国民が納得する論理を示すべきだ。国民を愚弄してはいけない。