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金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

「35年目のラブレター」を観て~日本語は難しい~

2025年03月12日 | うんちく・小ネタ
 今日「35年目のラブレター」を観た。笑福亭鶴瓶が日本語の文字の読み書きができない主人公を演じる映画だ。寿司屋を定年退職した主人公は、戦後の混乱期山奥で貧しい生活を送っていたため、小学校も中学校も卒業しておらず、読み書きができない。
 退職後夜間中学に通い、ひらがな、かたかなから勉強を始める。ところがひらがなの「あ」と「お」を間違えたり、カタカナの「シ」と「ツ」を混同したりと文字の勉強には苦戦している。
 文字で苦戦するというと、ちょっと前まで日本語を教えていいたスリランカ人の中年男性が中々ひらがな、カタカナを覚えてくれず苦労したことがある。
 その時は「どうしてもっとサクサクと文字を覚えてくれないのか?」と多少苛立たしく思ったこともあった。
 でもこの映画の中では夜間中学の教師(安田顕)は、やさしく生徒たちに接していた。「ゆっくり勉強しましょう」と。
日本語が英語や中国語など他の言語に較べて難しいか易しいか?という話について私は確固たる意見をもっていない。
 敢えて言えば日本語の難しさはホドホドだと思う。具体的にいうと発音は簡単だ。文法も柔軟で、言葉の順序が入れ替わっても大体意味は通じる。
一方文字体系が複数あるとか敬語があるなど日本語の難しい点を指摘する人もいる。
 結局デコボコはあるものの、日本語は難易度の点ではそこそこの言語だと私は考えている。
 とはいえ言語の習得はやさしいものではない。どうすれば効果的に言葉を、具体的には日本語を学ぶことができるか?あるいは教えることができるか?ということは我々の課題である。日本語を母語としない人が増えていくこれからの社会にとっては。
 
 
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「坂の上の雲」で思い出した東郷神社へ

2025年03月11日 | うんちく・小ネタ
先週日曜日に原宿に行く用事があった。日本語を教えている中国人学生から作品発表(3D作品)を見てください、と依頼があったので、久しぶりに原宿に行った。作品発表の場所は竹下通りを南下して、明治通りを越えたところなのだが、竹下通りの喧騒をさけるため東郷神社の境内を通らして貰った。
奇しくもこの日はNHKの「坂の上の雲」の最終回だったので、頭の隅に東郷平八郎のことがあったのかもしれない。
東郷平八郎という人物について詳しくはしらない。「坂の上の雲」では、ロシアのバルチック艦隊は最短コースの対馬海峡に来ると断言し、日露戦争の勝利に大きく貢献したされている。しかし史実としては第二艦隊司令官の島村速雄が、バルチック艦隊は対馬海峡に来ると強く主張し、判断に悩んでいた東郷平八郎を後押ししたという説の方が真実に近いようだ。
 島村速雄は自分の手柄を誇ることがない人だったので、のちに元帥東郷平八郎が担ぎ出され、とうとう軍神にまで祭り上げられてしまったのだ。
 しかし私は東郷平八郎自身は、軍神に祭り上げられたことに対し複雑な気持ちだったと思う。日本海海戦の勝利は、一軍司令官の判断や統率力、あるいは一参謀の智謀で得たものではない。それは英国を含む多くの人々の情報ネットワーク、最新鋭軍艦の配置、下瀬火薬の使用、地の利など多くの要素が組み合わさって勝利に結びついた。
 しかし東郷平八郎を軍神に祭り上げてしまったことで、戦闘の勝敗を決める諸事情・諸要素に対する冷静な分析力と分析結果を尊重する謙虚さを失い、無謀な太平洋戦争に突入したということができるだろう。
 そのこと自体は東郷平八郎の責任ではないだろうが・・・・
 東郷神社は人で溢れかえる原宿の中で驚くほどの静かさを保っていた。

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AI時代に必要な"C"で始まる5つのスキル

2025年02月28日 | うんちく・小ネタ
 2月は残すところ今日1日ですが、株式市場では随分売り叩かれましたね。
 私もそうですが、米国株特にIT関係の株を持っている人は、株安とドル安のダブルパンチを食らっていると思います。たしかにIT銘柄はAIブームの中で買われ過ぎました。株式投資の対象としてはしばらくAIは妙味が薄れていますが、働いている人のスキルアップの対象としてはAI技術はmustの技術だと思います。
 しかしスキルの専門家はAIの時代に必要な技術は、むしろある種のヒューマンスキルだと述べています。
  世界最大のプロフェッショナルSNS・LinkedInのアニーシュ・ラーマン経済機会責任者が「AI時代に必要なスキルはCで始まる5つのスキル~創造性creativity、好奇心curiosity、勇気courage、思いやりcompassion、コミュニケーションcommunicationだ」と述べているという記事がCNBCに出ていました。
 記事の題名は'The knowledge economy is on the way out.' These are the skills workers need in the age of AI,says LinkedInです。
 記事によると「知識経済」は衰退に向かい「イノベーション経済」の時代に入ります。長い農業と工業の時代では身体的能力が仕事能力の決め手で、知的能力が仕事能力の決め手になったのは、ここ数十年の話に過ぎません。
 でもその知的能力(あるいは知識能力)と呼ばれるものは今急速にAIに取って代わられようとしています。たとえば外国語の翻訳などもAIを使えば簡単に行うことができます(もっともある程度その外国語の知識がないと誤訳リスクはあります)。
 昔に較べると「翻訳」という知的能力の価値がかなり減っているということができます。
 そんな中求められるスキルは、イノベーションに結びつく創造性などのスキルだというのが、LinkedInの主張です。
 著者は以前は「ソフトスキル」と呼ばれていたこれらのヒューマンスキルがテクニカルスキルと同様に「ハードスキル」になりつつあると述べていました。
 
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ネパールの大学は皆トリブバン?沢木耕太郎の本の話だが・・・

2025年02月25日 | うんちく・小ネタ
 この前ネパール人夫妻が日本に遊びに来た時、聞けば良かったのだが、タイミングを失し、確認できなかった笑い話がある。
 その話は沢木耕太郎のバーボン・ストリート(新潮文庫)の中のクレイジー・クレイジーに出てくる。
 「ネパールにトリブバン大学という有名な大学がある。この大学は超エリート校でこの大学を出るとエリートとして将来が約束されているので、受験生が殺到した。この過熱状況を沈静化するため、文部省のある役人がコペルニクス的転回というべき名案を思い付いた。それは全ネパールの大学をトリブバンと改名するというものだった。」沢木耕太郎は「驚くべきことに学制改革の際にこの案は採用され、ネパール中の大学はすべてトリブバンという名に変わったという。本当か嘘か確かめることもしなかったが、この話は悪くなかった。」と結んでいる。
 無論この小話は超有名校への受験生の集中を揶揄した作り話だと私は思う。
 なぜなら現在ネパールにはカトマンズ大学、ネパール工科大学など幾つかの大学があるからだ。また総ての大学がトリブバン大学では、トリブバンは大学という普通名詞になってしまうだろう。
 ということで話を面白くした小話なのだろうが、この話がネパール生まれなのかどうかをちょっと聞いて見たかったが、今回はその機会をなくした。
 ちなみにトリブバンというのは「三つの世界」という意味でヒンドゥー教では天界・人間界・地獄界を指すらしい。トリブバンはカトマンズの空港名にもなっている。
 ところで現在ネパールの大学生はトリブバン大学などネパール国内の大学に進むより(あるいは進学した後で)海外の大学で勉強することを選好するようだ。海外で先端的な学問を勉強してそのまま海外で働く若者も多い。でもそんな傾向が続くと国が空洞化してしまうだろう。もう一度国内に超エリート校を作る試みがあっても良いかもしれない。
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段取りがよくないと旅はできないが‥‥

2025年02月24日 | うんちく・小ネタ
 先週ネパールから知人のB夫妻が日本に来ていた。私が昨年11月にネパールに行った時「ネパールの観光旅行が暇な2月頃久しぶりに日本に来たらどうだ?」と私の方から誘っていたので、今月来た次第。彼はネパールで小さな旅行会社を経営しているので、春先や秋は忙しいのだ。
 来るのは歓迎だが、彼らの段取りの悪さやスケジュールをコロコロ変えるのには少々疲れた。
 まず直前までやってくる日が決まらない。これは在ネパール日本大使館にビザを申請する必要があるのだが、その申請が遅れたことにある。ビザの申請には日本側の招待者(この場合私)の招待状や滞在費や帰国費用の支払を保証する保証書が必要なそうだが、その作成の依頼がギリギリにやってきた。また作成した文書を電子メールで送るとしばらくして、サインしたオリジナルが欲しいので郵送してくれと依頼がきた。郵便局からEMSで送ると「まだ届かない。トレースしたい」というのでトレース方法をメールで連絡するなど色々な雑事が次々と発生した次第。で結局ビザは降りたが後で聞くと「サインしたオリジナルは以前は必要だったが今は不要になっていた」とのこと。旅行会社の社長なんだからちゃんと調べておけよ、と言いたくなった。
 ホテルの予約は直前になって私がBooking.comで行ったが、B氏は「東京は気に入ったし、友人と会いたいのでもう一泊したい」と前日に言い出す始末。その時泊まっていたホテルは満室で連泊不可なので、近所のホテルを予約してなんとかB夫妻の希望を適えた次第だが、彼らが日本語が分かるなら「あんたらほんとにいい加減やな。もうちょっと段取りよく旅してよ」というところだ。
 段取り悪いというのを英語でいうなら、You are not well organized.というところだが、これはちょっと強過ぎるかもしれない。
 段取りが悪い、効率的にモノゴトが整理されていないというのは、ビジネスパーソンにとって致命的な批判ともいえるからだ。
 段取りの悪さはB氏固有の問題だけではなく、ネパールの社会経済システム全体にいえることだからだ。非効率なシステムの中で暮らしているうちに皆が段取りが悪くなってしまったということはあるだろう。
 私はふとレイモンド・チャンドラーの有名な言葉を思い出した。
「強くなければ生きていけない。やさしさがなければ生きていく値打ちがない」
 言い換えるなら「段取りが良くないと旅は進まない。スケージュールの変更を許容する曖昧さがなければ旅は面白くない」ということになるのだろうか。
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