goo blog サービス終了のお知らせ 

金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

Life Planning Holder構想(1)基本コンセプト

2015年01月19日 | パーソナルファイナンス

昨年暮れに年賀状を作成している時に「来年(今では今年)はエンディングノートの準備をしよう」と決めた。そして色々考えているうちに、大まか構想がまとまってきた。

その柱は次のとおりだ。

1)「良い生き方」の後に良いエンディングがある。納得のいく生き方をしないで良いエンディングはない。だからスタート点は「良い生き方」とは何か?を考え、それを実践することだ。

2)既に自分が作っている、あるいは使っているデジタル資産を最大限に活用しよう。エンディングノートのためにわざわざ転記するするような無駄はしない。

3)自分に意思能力がなくなったり、いなくなった後、残された家族の負担をできるだけ軽くすることを考えよう。

そしてその構想を簡単にまとめると次のような絵になった。

 

スタート点は左下の「自分が目指す良い生き方」だ。金融機関などが出しているエンディングノートを見ると「心の資産」などとして、「思い出やエピソード」を書いておくページがある。だがいなくなってから家族がそれを見て「あの人こんなことを考えていたのだ」と思ってもそれほど意味はないだろう。それよりは、今までの社会的生活で何に価値を置き、そのためにどんな行動をしてきたか?を今のうちに書いておく方が良いと私は思う。そこで「心」の部分は、電子本やブログに書き綴ることにした。

この電子本・ブログに加え、大手ベンダーが提供するクラウドコンピュータを活用している部分を「広義のクラウドファイル」と名付けることにした。私の場合主なものとして、ここにGoogleカレンダーとソニー銀行が提供している「人生通帳」が入る。

「人生通帳」とは簡単にいうと、複数の金融機関(銀行や証券会社)の資産残高やクレジットカードの請求額などをインターネットを通じて自動的に収集し、一覧表示する機能で、aggregation servicesと呼ばれるものの一つだ。

市販のエンディングノートを見ると、肉筆で現預金残高や有価証券明細を記載することになっているが、これは二つの点でナンセンスだ。まず残高や投資明細は刻々と変化する。年に一回程度更新するにしても、手間がかかる。次にある時点の資産断面を紙に書き抜いたところで、「残高を示す」という以外に活用方法がないということだ。ところがaggregation servicesを使うと、一覧リストの中から必要な項目を開くことで「明細」(クレジットカードの支払明細など)を見る、という具合に日常生活の中で色々活用することができる。

資産残高やポートフォリオをリスクを把握しておくことは、それ自体に目的がある訳ではないと私は考えている。もっと大事なことは「将来のキャッシュフロー」つまり収入と支出予想を現在価値で把握して、それと手元の金融資産を比較し、プラスになるようにライフプランを見直すことだと私は思う。なお現在価値で把握する場合、利子率を使って現在価値に割り引くのが、正しいやり方だが、当面金利やインフレ率が低いので、単純な足し算でも良いだろうと思う。

「交友関係」は年賀状送付リスト(エクセル作成)をベースに「関係」や「親密度」などの情報を加えていく。また「預金口座と公共料金の引き落とし」「クレジットカードの各種料金の引き落とし」などもエクセルで管理するのが簡単だ。

これらのファイルは、PCのハードディスクに保存するのではなく、クラウド上のサーバに保存する。そうしておくと、PCがクラッシュしても影響を受けないし、万一の場合家族や頼りにする人が他のPCやディバスからアクセスすることができるからだ。

私はこれらのファイルを「ライフプラン」と名前をつけたフォルダーの中に格納し、マイクロソフトのOneDriveというクラウドサーバで管理している。もちろんGoogle Driveを使っても良いだろう。大事なことは「永続的なサービス提供が期待できること」「多くの人が使っていて簡単にアクセスできること」だ。

以上が私のLife Plannning Holderの基本構想だ。Holderの名付けたのは、そのHolderの中に、複数のアプリケーションやFileが入っているからだ。これらのアプリケーションはクラウド上で維持・管理されるが、自分が決めた節目(たとえば年初とか誕生日)にプリントアウトして、クリアブック(複数のクリアファイルをまとめたもの)に入れておけばそれが「紙ベース」のライフプランニング・ホルダーになり、そして世間でいうところのエンディングノートになる訳だ。

なおもう少し具体的な記述が進んだところで、電子本のような形でまとめてみたいと考えている。ただしそれぞれの人やその家族のデジタル環境や情報漏えいに関するリスク感は異なるだろうから、どれほどこのコンセプトが受け入れられるかは全く分らないが。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

相続学会、1月のセミナー少しお席があります

2015年01月19日 | パーソナルファイナンス

1月29日金曜日 一般社団法人 日本相続学会では、社員総会の後、記念講演とセミナーを行います。

記念講演のスピーカーは元国税庁長官(現㈱証券保管振替機構社長)の加藤治彦氏。演題は「相続税制の論点」

セミナーは「都市農地と生産緑地のコンサルティング」(講師は㈱オオバの岡田 寛之氏)

こちらはかなり専門性の高そうな話ですが、生産緑地を保有されている方やそれらの方にコンサルを行っている人には、お役に立つ内容だと思います。

まだ少し席が空いておりますので、ご関心のある方はこちらよりお申込みください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

相続学講座(6)良い生き方の先に円満な相続がある

2015年01月15日 | パーソナルファイナンス

私は「良い生き方の先に円満な相続がある」と考えている。もっとも良い生き方をすれば、それだけで円満な相続ができるか?というとそうではないだろう。その人の家族構成や持っている資産の内容、健康状態などによって、色々なアレンジメント(準備・手配)が必要な場合がある。具体的には相続に関する知識を持ち、有効な遺言書を作成することが代表的な例として挙げられる。しかしこれらのアレンジメントにばかり気を取られて、「良い生き方」をすることを疎かにすると円満な相続を行うことは難しいと考えている。

第一相続は自分が死んでからの話だ。まず今をどう充実して生きるか?ということを疎かにして相続のことに頭を悩ませるのは、馬の前に馬車をつなぐような話だ。しかし巷間に溢れている相続本やセミナーはアレンジメントに関するものが多い。何故ならそれらが売れるからであり、アレンジメントに携わる人にとって飯のタネになるからである。しかし「良い生き方」を考えないでアレンジメントに気を取られるのは、ゴルフに例えると、狙い先(グリーン)を見定めないで、小手先のスイングに気を取られているようなものだ。たとえ良いボールを打つことができても、狙い先が悪いとかえってマイナスということもある。

さて「良い生き方」とはどんな生き方なのだろうか?実践できていないこともあるが、私は次のような生き方が良い生き方だ、と考えている。

1.ぶれないことである。少なくともブレをできるだけ小さくしようと心掛けることである。何がぶれないか?というと人生における価値観や死生観がぶれないことである。私は時々ネパールにトレッキングに出かけ、彼の地の友人やシェルパたちと人生観について話をすることがある。その時感じることは彼らは、宗教(ヒンズー教や仏教)に裏打ちされたぶれない人生観や死生観を持っているということだ。

その基本は輪廻転生reincarnationを信じていることだ。人は死ぬと必ず何か(六道のいずれか)に生まれ変わる。良いことをした人には良い転生があり、悪いことをした人には悪い転生がある。だからこの世で良いことをしようと努力する。そして寿命で死ぬことを慫慂として受け入れる。墓は作らない。死んだら火葬して、ガンジス川(の上流)ながす。何故なら魂は必ず転生するので、肉体そのものには蛇の脱け殻程度の価値しかおいていないからだ。また無用と思われる延命治療もない。

我々は「輪廻転生」観をそのまま受け入れるには、少し複雑な場所に来過ぎている。しかし彼らから学ぶことは多い。

2.柔らかく生きることである。我々を取り巻く環境はどんどん変化するし、我々自身も年とともに変化していく。過去に固執するばかりではロクなことはない。変化を受け入れる柔軟性が必要だ。根っ子の部分はしっかりしても、上の部分は柔らかく変化に対応する。いわば昆布のような姿を私はイメージしている。

3.人のためになることをすることである。仕事でもボランティア活動でも趣味でも良い。人のためになることをしようという意識を持ち続けることである。

4.生かされている、という意識を持つことである。一人で生きていると考えるのは大間違いで、自分の後ろには、地球で命が誕生してから面々とつながる命の鎖がある。遺伝子の繋がりがある。また我々に肉体には多くの微生物が住み、我々の命を助けている(時には悪さをするものもいるが)。我々は植物や動物を食べて生きている。我々の体には多くの命が入っているのだ。そう考えると私の命は私だけのものではない、という気持ちになってくるはずだ。そうすれば人間以外の生物や環境にももっと優しくなれるはずだ。

5.学び続けることである。教養を身に着けることである。1~4で述べたことを実践していくには、知識や技能が必要だ。それは学びにより習得するしかない。江戸末期の儒学者・佐藤一斎は「少(わか)くして学べば、則ち壮にして為すこと有り。壮にして学べば、則ち老いて衰えず。老にして学べば、則ち死して朽ちず」と説いている。教養を身に着ける理由は、人に奢るためではない。世界には色々な価値観を持ち、さまざまな環境の中で生きている人がいる。それらの多くの人を理解するためだ。多様性を受け入れるためなのだ。

6.健康に留意することである。時々深酒をする私にこの項目を語る資格はないかもしれないが、それでも健康を大切にしたいという気持ちはある。だが健康は目的ではない。健康は良い生き方をする手段の一つである。

以上述べたことは私が今考えている「良い生き方」のゴールである。

このような話をしても、お金にはならないから、多くの専門家はお金につながる「相続アレンジメント」の話をするのである。しかし節税などの相続アレンジメントは「手段」の話で、良い生き方とは何かということをまず考えないと、私は「手段の目的化」ということが起きるのではないか?と懸念しているのである。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

相続学講座(5)先生と呼ぶから間違いが起きる(番外編)

2015年01月14日 | パーソナルファイナンス

相続問題で「最初から専門家に頼んではいけない」ということは前回のブログで書いた。

今回は話を少し深堀して、色々な問題は「専門家を先生と呼ぶから間違いが起きる」ということを考えてみたい。

私は相続学会という小さな学会の事務局を担当している。時々研究会などに顔を出すことががあるが、そこで違和感を覚えるのは、税理士や司法書士などがお互いを「先生」と呼び合っていることだ。まあ、大学教授や弁護士位は多少敬意を表して「先生」でも構わないだろうが、それ以外の「専門職」まで「先生」と呼ぶのは如何なものか?と感じている。

おそらくclientから「先生」と呼ばれ(人によっては先生と呼ばないと機嫌が悪い人もいるのかな?)ている内に、「先生」慣れしているのだろう。税理士や司法書士クラスを先生と呼んでいるのは、私が知る限りでは日本位ではないだろうか?

日本は業法により「専門職」の権益が保護されている。例えば税理士法により税理士しか「税務代理」「税務書類の作成」「税務相談」を行ってはいけないことになっている。この対極にあるのがイギリスだ。イギリスでは誰でもこれらの業務を行うことができるし、法律業務についても弁護士でない人がかなりのことができるはずだ。

では海外ではこれらの「専門職」は一般にどのように見られているのだろうか?

私が不動産ファイナンスの仕事をしていた米国での経験をもとにしていうと、これらの「専門家」の評価(=pay)は、案件を組成するバンカーなどに較べてかなり低い。バンカーは、開発業者と資金の出し手の条件をすり合わせ、ディールをまとめていくので、総合的な力が必要だが、「専門家」はディールに必要なパーツを提供するだけなので、その位置づけは低いのだ。

そう、「専門職」というのは実はパーツ屋(部品屋)であることが多い。会社にしろ個人にしろ、事業や人生は自分で設計し、関係者との利害の調整を行っていかなくてはならない。無論その過程で「専門家」を効率よく使うことは多い。だが主体はあくまでclientにあるのだ。「専門家」を先生と呼ぶことで、その主体性が曖昧になる可能性があると私は考えている。

まずは「専門家」を先生と呼ぶことを見直してみてはどうだろうか?もっともそんなことで貴方があてにしている「専門家」がへそを曲げては困るだろうから、ケースバイケースではあるのだが。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

相続学講座(4)「困ったら最初に読む本」(書評)

2015年01月13日 | パーソナルファイナンス

今年から相続税制が変わり、課税対象者が5割くらい増える可能性がある。それ故一般の方の関心も高まっている。書店には相続関係の色々な本が並んでいて、どれを読んだら良いか?迷っている方も多いだろう。

そんな中で私が最近読んだ「相続に困ったら最初に読む本」(曽根恵子著 ダイヤモンド社)は、中々良い本だな、と感じたので紹介しておきたい。最初にお断りしておくが、私は著者と面識はないし、この「紹介」もあくまで私個人の意見である。

良い本だと感じる理由は次のとおりだ。

  • 相続手続に関するプロセスが平易にかつ体系的に書いてあるので、相続に詳しくない一般の人でも分りやすい。
  • 安易に専門家(弁護士・税理士・信託銀行等)に相談することを戒めている。そして「相続では、なにごともオープンにして家族のコミュニケーションを取りながら、選択決断し、専門家に手続きを頼むにしても、自分たちで選択、決断するのです」と著者は述べている。

   この部分は大事なことだ、と私は考えている。というのは「相続」問題~あるいは「争族」問題~をビジネスにしようと狙っている「専門家」達が「相続ブーム」を引き起こしている側面があるからだ。

 もっともこれは「相続」問題だけではない。「健康」「美容」「医療」「改築」など色々な分野でビジネスチャンスを掘り起こそうとする人々が、ブームを引き起こしている可能性がある。「専門家」に依頼する前に、顧客側がある程度知識を蓄積し、相談内容を整理しておかないと、コスト倒れどころか、カモにされて、とんでもないことになる可能性がある。

この本の著者は「相続コーディネーター」として、万を超えるコンサルティングを行ってきた人だが、最初に「専門家任せはいけません。自分でできることは自分でやりましょう」と書いている点が良心的だと思う。

複雑に見える相続手続だが、プロセスを分解していくと大部分は専門家に頼まずとも自分でできることが多い。そのためには、煩雑に見えるお役所の手続も時間があれば、日頃から自分でやるという習慣をつけておくと良い、と私は考えている。

具体的には税金の申告や簡単な登記申請(例えば抵当権の抹消など)などだ。最近はお役所の窓口の相談コーナーが親切になり、かなりの手助けをしてくれる。そのような手続きに慣れておくことで、専門家の利用の仕方も見えてくるというものだ。

広い意味で騙されないで生きるためには、それなりの努力が必要だ、ということを教えてくれる本である。

  •  最後に著者は「キーワードは『不動産』と『相続の専門家チーム』で、不動産を所有する人は『不動産』の専門家に相談することが必要」と結んでいる。

不動産が相続問題のキーワードであることは間違いないが、「不動産の専門家」については慎重に考える必要がある。というのは「専門家」と言われる人も、不動産関連のビジネス(仲介・賃貸物件の建築・ローンなど)で飯を食っていることが多いからだ。本当は「私はコンサルティング報酬を頂きます。しかし私は顧客であるあなたの利益を第一に考え、忠実義務を守ります」というようなコンサルタントがいれば良いのだが・・・

   本書とは離れるが「タダで相談に乗ります」という類の話は、顧客を自分のビジネスに誘導する魂胆だ、と考えておいて良いだろだろう。結局専門家を上手に使うには、クライアント側にそれなりの知識とコンサルティングフィーを支払う覚悟が必要なのである。世の中タダほど高いものはないのである。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする