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追憶の彼方。

思いつくまま、思い出すままに、日々是好日。

あな!おそロシア

2022年05月22日 | 国際政治
あな!おそロシア

プーチン大統領が国連の本部ビル最上階で、バイデン大統領と会談した際、コーヒーブレイクの余興としてそれぞれの側近の忠誠心を試してみようと言うことになった。
初めにバイデンが自身の側近の1人に言った。「おい、そこの窓から飛び降りろ」、すると部下は泣きながら「勘弁してください。私には妻も子供もいるのです」。バイデンは笑って答えた。「冗談だよ。すまなかったな」。続いてプーチンが自身の側近の1人に言った。「おい、そこの窓から飛び降りろ」。 するとその側近は、泣きながら窓に向かって近づいていった。バイデンが驚いて彼を止めて言った。「本気にする奴がいるか! こんな所から飛び降りたら死ぬぞ」。 それを聞いた彼は叫んだ。「止めないでください!」彼は続けた。「私には妻も子供もいるのです!」。あな恐ろしあ!!!、これこそプーチン、ロシアの本質を見事に表すジョークである。
意外な事にロシアは「アネクドート」と言う政治風刺のジョーク大国である。暗く永いソ連時代、共産党による弾圧が激しく、自由を奪われた民衆は陰に隠れて指導者批判、恐怖政治批判を標的にしたジョークで溜飲を下げストレス解消を図ったのである。従ってイングリッシュ・ジョーク等に比べて、内容が暗く、笑い飛ばすと言う様な雰囲気に乏しく、どちらかと言えば顔を引きつらせて笑う、「ブラックジョーク」に近い。
ソ連がロシアに替わったこともあって、我々が抱いていたロシアに対するイメージは精々「寒い、広大、暗い、=不気味」程度であったが、ウクライナ侵攻によってロシアに対する印象ががらりと変わってしまった。周りの人の印象を総括すると上記に加えて「独裁、唯我独尊、残忍、スパイ、秘密警察(KGB)、嘘つき、脅迫、不正(ドーピング)、領土拡大、孤立・孤独、愚か、恥知らず、ハッカー大国」数え上げたらきりが無い。ロシア人程外国人に向って「ロシアをどう思っているか?」を聞く人はいないと、よく耳にするところだが、プーチンの浅慮によってロシアは大国としての名声と評判を一挙に喪失してしまった。失ったものは余りにも大きい。かって強国でありながら後に衰退し最終的に復活した国は存在しない。この法則を打破して呉れる人物こそ「プーチン」だと一部の情報リテラシーの乏しいロシア国民は思い描いたが、この夢想は霧散してしまった。自由・民主主義・平和主義等、ヨーロッパの価値観を拒否し、文化的にも地政学的にも、ヨーロッパ・アジアの何れの信頼も失い、双方から受け入れられず、多くを敵に廻してしまって、ロシアは確実に衰退に向かうことになるだろう。

ロシアのウクライナ侵攻…へと続く

戦争責任最終回―5  続太平洋戦争責任者を総括する 

2022年05月13日 | 国際政治
戦争責任最終回―5  続太平洋戦争責任者を総括する 

戦争犯罪人被疑者に対する東京裁判(正式名極東国際軍事裁判)は1946年5月から48年11月迄2年半に及んで行われた。判事団は米、英、中国、ソ連、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、フランス、オランダ、インド、フィリピンの11ヵ国で構成された。
日本の軍人を中心にA級戦犯として28人が起訴され、裁判中に死亡した松岡洋右(元外務大臣)、永野修身(元海軍元帥)、病気で免訴となった大川周明の3人以外、全員が有罪、 東条英機、土肥原賢二、松井石根、武藤章、板垣征四郎、広田弘毅、木村兵太郎の7人が死刑判決を受け、12月23日に絞首刑が執行された。首相・外相の広田以外、全員陸軍・軍人だった。残り16名が終身禁錮刑、2名が有期禁錮刑となった。絞首刑が執行された12月23日は皇太子(現・上皇様)の誕生日でわざわざこの日を選んだとの言説もある。
この裁判では戦争と無関係な国の裁判官が起用されなかった為、戦勝国が敗戦国を裁く報復の場,所謂「報復裁判」だったと言う疑念を残す事になった。又日本人が検事や裁判官に選ばれなかった為、日本国・日本国民に対する犯罪行為と言う視点が欠落乃至希薄となった点も極めて問題である。更に被告の選定・量刑にも問題があった。「A級戦犯」とされた被告28人以外にも、法廷に立つべき人間はいたし、量刑にも疑問符が付く。昭和天皇の終戦に関する玉音放送直後に戦争関係者が一斉に重要文書を焼却処分した為、証拠不十分な儘、重要な判決も行われた。世界各地で行われたB・C級戦犯の裁判では、逃亡した上官の身代わりや杜撰な伝聞調査、虚偽の証言、通訳の不備、裁判執行者の報復感情などが災いし、不当な扱いを受けたり、無実の罪を背負わされる事例も多数あった。「栄養失調の捕虜にゴボウを食べさせた」、或いは「肩凝りや腰痛の捕虜に灸を据えた」、そのような収容所関係者が捕虜虐待の罪に問われ有罪とされたと言う文化・習慣の違いによる誤解の事例も報告されている。
特に戦争の計画・実施(開戦・継戦・戦略等)に主導的役割を演じた多くの高級参謀が対象から外れた事は異常であり、極めて公平性を欠く結果となった。
鬼検事と言われた首席検察官・キーナン(米)でさえ『なんという馬鹿げた判決か。重光は平和主義者、無罪が当然だ。松井、広田が絞首刑などとは、まったく考えられない。松井の罪は部下の罪だから、終身刑がふさわしい。広田も絞首刑は不当だ。どんなに重い刑罰を考えても、終身刑迄ではないか。』と判決を批判している。
又東条の(取巻き愚将)の一人・木村兵太郎(陸軍大将・ビルマ方面軍司令官)も兵士や関係者を置き去りにし敵前逃亡し味方に大きな損害を与えたが、絞首刑に値するような戦闘行為は行って居らず、相手側に損害を与えるどころか利敵行為的色彩が強く、敵側の過大評価との揶揄する論評がなされている。上記の様な問題点に加え、当時侵略戦争を個人の罪として裁く法的根拠はなく、後から作った法律で裁かれた為「事後法の禁止」という法論理に反するものであるとの批判がなされている。確かに東京裁判は非常に問題の多い裁判だったと思われるが、裁かれた為政者たちに問われるべき責任がなかったことを証明することにはならない。太平洋戦争では日本人だけで310万人が死に多くの国富を失った。前途有為の青年が無意味な死を強いられ、生き残った者たちも、心身に大きな傷を負った。日本社会全体、対外的な問題も含め現在に至るまで大きな負の影響を及ぼしている。戦争は誰かの「作為」なり「不作為」によるもので、責任を問われるべき為政者はたくさん居たのだ。
戦争責任の問題を調べて行く過程で明らかになった点も多い。その纏めとして「個人的な見解」ではあるが、その責めを負うべき人物(終身刑以上)を示しブログ・戦争責任の締め括りとしたい。
1) 開戦責任(満州国建国・日中戦争)…*石原莞爾(参謀本部・作戦部長…予備役)、*板垣征四郎(関東軍参謀総長・陸相…A級・絞首刑)、*土肥原賢二(奉天・ハルピン特務機関長…A級・絞首刑)、*近衛文麿(首相…A級・服毒自殺)
2) 日米開戦(対連合国)責任・継戦・終戦……*武藤章(陸軍省・軍務局長…A級・絞首刑)、*永野修身(海軍軍令部総長…A級・公判中病死)、*岡敬純(海軍省軍務局長…A級・終身刑)、*石川慎吾(海軍・軍務局2課長…予備役) 、*鈴木貞一(企画院総裁・開戦決定に誘導…A級・終身刑)、*松岡洋右(外相・大政翼賛会副総裁…A級・公判中に死去)、*嶋田繁太郎(海相・軍令部総長…A級・終身刑)、*阿南 惟幾(航空総監・陸相…自決) 、*小磯国昭(陸軍軍務局長・首相…A級・終身刑)、*及川古志郎(海相・軍令部総長・特攻開始…終戦時依願予備役、蒋介石・国民党に対する軍事顧問団)、*梅津美治郎(関東軍司令官・参謀総長・本土決戦主張…A級・終身刑)、*豊田副武(連合艦隊司令長官・軍令部総長・戦艦大和特攻命令・本土決戦主張…無罪判決)、*大西 瀧治郎(海軍・軍令部次長・・・特攻推進者・本土決戦主張…自決)、*宇垣纏・海軍中将…私兵特攻)、*黒島亀人(連合艦隊参謀・軍令部第2部長…特攻兵器開発、重要文書焼却…戦犯被告対象外)、*牟田口廉也(15軍司令官・インパール作戦失敗…BC級・嫌疑不十分釈放)
「*田中新一(参謀本部作戦部長)、*服部卓四郎(同・作戦課長)、*辻政信(同・作戦班長)」…この3人の参謀は数々の失敗により多くの将兵等を死に至らしめたにも拘らず、東条等の偏向人事のお陰で、しぶとく生き残り、対米開戦を最も強く主張し、連合国・日本双方に大きな損害を齎したが,戦犯被告のリストにも上がらなかった。服部に至ってはGHQ第2部長ウイロビーの下で太平洋戦争の戦史編纂を行い、更に日本再軍備の研究の命を受け、再軍備研究のための「服部機関」を発足させる等完全に占領軍に寝返った。 占領政策の一環として不問に付された可能性が強く、余生は恩給で優雅に暮らした。日本人の手で裁判が行われていれば極刑は間違いない。
*東条英機(首相・陸軍大臣・参謀総長…A級・絞首刑)、*杉山元(参謀総長・陸相…自決)、*平泉澄(東大教授…軍上層部への侵略教唆、玉砕・特攻思想の浸透)
3) 最終纏め……
***⇒「東条・杉山・平泉・田中・服部・辻」の6人は極刑に値すると考える。
***⇒松井石根(上海派遣軍司令官・陸軍大将)は南京事件の責任を問われ死刑判決を受けたが、キーナン主席検察官が指摘するまでも無く、これこそ中国等による報復裁判である。松井は方面軍司令官として南京攻略時「南京城攻略要領」の中で略奪行為禁止、不法行為厳罰、中国人尊重という厳しい軍規を設定して居る。各軍隊の軍紀、風紀の直接の責任者は司令官ではなく連隊長等現場責任者である。道義上の責任はあっても、軍規に照らし「法律上の責任」は無く死刑は不当である。
同じくフィリピン・バターン死の行軍の罪を問われた本間雅晴14軍司令官(中将)のケースも報復裁判であった。本間が英国通の人道主義者であったことは米軍も熟知していたが、捕虜の移送不手際から多数の死者を出し非人道行為として銃殺刑に処せられた。この訴状はこの裁判の為に作った事後法の「指揮者責任」であった。
***⇒広田弘毅(首相)に付いては、キーナン主席検察官に加え、オランダのレーリング裁判官も無罪を主張している。「戦争責任最終回―4」で触れた通り広田は平和主義者であったが、梅津や土肥原の対中強硬勢に抗し切れ無かった。公判では「広田氏は軍国主義者ではないものの、政府を支配しようとする陸軍の圧力に屈しており、侵略を容認し、その成果に順応することでさらなる侵略に弾みをつけた者達の典型で、アジア侵略の共同謀議と南京事件の非人道的な行動を黙認した罪に当たるとして死刑判決を受けた。本人が裁判で一切弁明をしなかったこともあり、典型的な報復裁判となった。
***⇒オランダのレーリング裁判官は広田以外にも、畑俊六、木戸幸一、重光葵、東郷茂徳の被告人については無罪を主張している。畑俊六(支那派遣軍総司令官(広田の後任)、陸相,戦陣訓作成者の一人)は死刑は免れたが、米内内閣の倒閣にも加わって居り、無罪は不当であろう(終身禁固刑)。木戸(終身刑)、東郷(禁固20年)、重光(禁固7年)も無罪が妥当だと考える。但し木戸(貴族院議員・木戸孝允の孫)が東条を首相に推したのは大きな間違いであった。
***⇒その他の終身禁固刑受刑者…*荒木貞夫(陸相・男爵・軍国化教育推進)、*橋本欣五郎(陸軍大佐、ファッシズム運動、クーデター三月事件・十月事件計画)、*平沼騏一郎(検事総長・首相)、*星野直樹(満州国・国務院総務長官、東条側近―内閣書記官長)、*賀屋興宣(第一次近衛内閣・大蔵大臣…戦時公債等による日中戦争の予算措置作成) 、何れも戦争責任はあるが、終身禁固刑に該当するかは不明である。獄中死亡者を除けば10年程度で釈放されている。
• ***⇒陸軍では「良識派は出世できない」、海軍では「良識派は孤立する」と言う事実が日本を破滅に追いやった。東条が首相になれたのは情報を無視し終始根拠無き強硬論を唱えたからに過ぎない。
• *今村均(第8方面軍司令官・ 陸軍大将)…ジャワ島攻略で大戦果、オランダ・米・英・オーストラリアを無条件降伏させ、軍政では陸軍中央からの「シンガポール並みの強圧政策命令」を拒否し、軍規・治安維持、インフラ整備、産業の復旧等抜群の指導力を発揮。B級戦犯として、ジャカルタでのオランダ軍事裁判は無罪、ラバウルでのオーストラリア軍事裁判で禁錮10年の有罪判決は報復裁判である。

• 小野寺信(スウェーデン公使館附武官・陸軍少将)…ドイツはソ連に負ける等の重要な情報を送り、連合国から日本人スパイの親玉と恐れられていた。日米開戦反対の情報を送り続けたが、中央は白鳥等のドイツ絶対優勢の情報に頼り、無視された。
• 井上成美(海軍次官・海軍大将、ドイツ語等語学極めて堪能)シナ事変時、海軍軍務局長就任、米内光正・海相、山本五十六海軍次官と並んで海軍省左派トリオ…海軍良識派として有名。)対米戦争を回避する為軍務局長の仕事は米国を刺激しない事、ヒトラーの日本利用の目論見を見抜いて居た為「三国同盟」阻止に全精力を費やした。支那方面参謀長の時、陸軍との合同会議で支那との戦争だけでも大変な時に、国力も大きく異なる大国・米英と事を構える等は狂気の沙汰と正論を述べ陸軍を沈黙させている。1941年8月第四艦隊司令長官を命じられたが、この人事は日米開戦に反対し、南部仏印進駐に関する局部長会議の席で海相の及川を怒鳴りつけた井上を栄転と言う形で体よく海軍中央から遠ざけるものであったと言われている。理性的・合理的思考の井上は右翼の狂信性を嫌い海軍兵学校・校長の時、上層部からの命令に抗して「死を美化する平泉の話を年少の生徒に聞かせるわけにはいかない」として教官だけに聞かせることにしたと伝わっている。
• 米内光政(連合艦隊司令長官、海軍大臣、首相、海軍大将)
三国同盟を論ずる五相会議の席上で、日独伊と英仏米ソ間で戦争となった場合、海軍の見通しを聞かれ、米内は「勝てる見込みは無い。日本の海軍は米英を相手に戦争ができるように建造されて居ない。独伊の海軍にいたっては問題にならない」と言下に答え、昭和天皇から米内に「海軍が(命がけで三国同盟を阻止したことに対し)良くやってくれたので、日本の国は救われた」という言葉をかけられている。米内首相に大命降下時、陸軍は三国同盟反対の米内首班に激しく反発、畑・陸相を辞任させ軍部大臣現役武官制を使って半年余りの短命内閣に終わらせた。昭和天皇は米内内閣が続いて居れば大戦を回避できたのにと悔しがらせた。戦後・東京裁判では畑は米内内閣倒閣などの罪状によりA級戦犯として起訴された。占領軍の見解では、米内内閣は親英米派内閣であり、その倒閣は死刑に値すると言ものであったが、この絶体絶命の危機に米内が弁護側証人として出廷し、畑を徹底的にかばったお陰で畑は死刑を免れ、終身禁固の判決となった。畑は6年の服役で出所し裁判長の威嚇・非難に抗して弁護してくれた米内に多大の感謝の意を表した。
戦後、米内は戦犯として拘束されることを予期し、収監された場合の準備をしていたが、結局容疑者には指定されなかった。 米軍側は米内の以前の言動を詳細に調査しており、GHQの某軍人が元秘書官の麻生孝雄のもとを訪ね、「米内提督については生い立ちからすべて調査してある。命を張って日独伊三国同盟と対米戦争に反対した事実、終戦時の動静などすべてお見通しだ。米内提督が戦犯に指名されることは絶対にない。我々は米内提督をリスペクトしている」と断言したと伝わっている。全体的な評判は「私心がない人、欲というものが全くない。国の立場に立った欲があるだけだ。 カミソリの切れ味の井上成美を参謀長、次官として上手に包み込んで使っておられ、一回り大きな軍政家であった。

戦争責任最終回―4

2022年04月25日 | 国際政治
戦争責任最終回―4 太平洋戦争責任者を総括する

作家・司馬遼太郎は【大正生まれの「故老」】と言うエッセイの中で、東条英機を軍事の初歩も弁えない様な軍人であると痛烈に批判し【集団的政治発狂組合の事務局長】のような人物と断じている。
確かに東条は知識の詰め込み教育一辺倒の偏差値教育の中でペーパーテストには優秀であったが、内政・外交等の国家戦略、其の為の思想・哲学等には凡そ無縁な軍事官僚に過ぎなかった。従って善悪は別にして昭和陸軍の戦略構想を立てたのは陸大出身のエリート軍事官僚の中で統制派と言われた『一夕会』の中心メンバー、永田鉄山、石原莞爾、武藤章、田中新一の4人で、東条はその構想に乗っかって動いていたに過ぎない。そういった意味で【……事務局長】と言う命名は、成る程言い得て妙である。ある時は昭和天皇の意向に沿って避戦を唱え、そうかと思えばすぐさま田中新一の様な狂気の戦争推進者のお先棒を担いで徹底抗戦を唱えたりして多くの生命・財産を灰燼に帰した。
英米との衝突を避ける為【協調外交】を唱える荒木陸相や小畑敏四郎中将を中心とする皇道派は生ぬるいと主張する永田をリーダーとする統制派メンバーは、来るべき戦争に備えるべく【国家総力戦思想や満蒙領有論(中国への侵攻)】を主張し、皇道派排除に乗り出した。これが皇道派による【永田の暗殺、更には2.26事件】に繋がり、皇道派の衰退、軍上層部や政治家のクーデターへの恐怖心を煽って統制派のやりたい放題・暴走、太平洋戦争に繋がって行くことになる。
皇道派の中心人物、陸軍中将・小畑敏四郎は統制派・岡村寧次、永田鉄山と共に陸士同期で陸軍三羽烏の一人とされていたが「小畑と永田」の盟友二人の路線闘争が陸軍の派閥抗争に繋がり、小畑・永田の俊英を失ったことが、東条の様なバランス感覚の乏しい事務局長的な人間に太平洋戦争の舵取りをさせると言う悲劇を生むことになったのである。但し石原莞爾らが関東軍を使って惹き起こした満州事変を、永田を含めた一夕会は支持して居り、永田が関東軍の暴走を結果的に支持していたのは事実で、彼に対する評価は割れるところである。尚永田は東条が陸大試験に失敗した際、自宅に呼び、つききりで試験勉強を指導しており、永田が暗殺された時、東条に染み付いた皇道派憎しの感情が2・26事件の際に真っ先にクーデター討伐の声を上げさせることになった。この時同じ強硬意見を唱えた梅津美治郎が事件後、陸軍次官に登用され、その後梅津の推薦で東條はゴボウ抜きの様に陸軍次官に昇格し、陸軍の中枢を歩むことになった。又この無定見極まりない人事を反映し陸軍内では強硬意見を吐くことが出世に繋がると言うジンクスの様な悪弊が出来上がり、沈着冷静、俯瞰的視野で物事を判断する有能な人材が登用されなくなった。
一方小畑は皇道派の一掃を図る粛軍人事により、8月に予備役に編入され表舞台から姿を消した。尚終戦時1945年9月2日の太平洋戦争降伏文書調印式に、陸軍参謀総長であった梅津美治郎が出席を渋って居るのを見て、当時退役軍人として国務大臣に就任していた小畑は梅津を叱り飛ばし、梅津に降伏調印式に出席させたという逸話が残っている。

石原は関東軍赴任前から、20世紀後半期に日米間で戦争が行われるとする「世界最終戦争」という一種誇大妄想に近い世界観を持っていた。石原は将来的に、アジアの指導国家となった日本と、欧米を代表する米が世界最終戦争を戦うと予想し、その戦争に勝つためには鉄・石炭などの資源が必要で、その方策として全満州を領有し中国大陸の資源確保を確固たるものにする必要があると考えていたのである。太平洋戦争の根源はこの石原の妄想に端を発する。
当時の若槻礼次郎内閣は戦線の「不拡大」を決めたが、関東軍は政府や軍上層部の方針を無視して戦線を拡大した。陸軍省の軍事課長だった永田も、石原らの行動を支持した。満州事変は永田を中心とした一夕会の周到な準備によって遂行されたものだったのだ。石原らの謀略、越権行為に対し若槻はこれを罰する事はせず容認した為、以降出世欲に凝り固まった現地軍トップの暴走を、政治・軍首脳が抑止出来ず,逆に追認してしまうと言う大きな悪弊「石原モデル」が出来上がってしまった。
 
此処で纏めとして太平洋戦争の責任を負うべき者を総括しておきたい。
❂❂(1)⁂―太平洋戦争の引き金【満州事変】……関東軍参謀・石原莞爾、板垣征四郎、参謀本部・橋本欣五郎 林銑十郎(朝鮮軍司令官)
⁂―関東軍・朝鮮軍の現地軍暴走容認…若槻礼次郎首相、南次郎陸相
⁂―満州国の建設…土肥原賢二(奉天特務機関長)
❂❂(2) 【日中戦争の拡大】……近衛文麿(首相)、杉山元(陸相)、武藤章(参謀本部作戦課長)、田中新一(陸軍省軍事課長)……上司である石原(参謀本部作戦部長)の戦争不拡大方針を無視して、武藤、田中が戦線を拡大、杉山陸相もこれを後押しした。   
広田弘毅外相は日中戦争に至る過程で外相・首相・外相を歴任し、外務省・文官として、中国進出の軍拡路線をとる軍に対して一貫して対峙していたにもかかわらず極東軍事裁判では軍国主義者ではないとされたが、南京事件での残虐行為を止めなかった不作為の責任を問われ死刑が言い渡された。田中新一始め、太平洋戦争のあらゆる局面で脅迫的に戦争拡大路線を主張した軍首脳が裁判を巧みにすり抜けたのに対し、周囲の助言にも拘らず一切弁明せず文官として唯一人死刑を受けたのである。作家城山三郎がこの悲劇の宰相の生涯を『落日燃ゆ』と言う小説に表し、テレビドラマ化されたりもしている。

❂❂(3)【三国同盟】……近衛文麿(首相)、松岡洋右(外相)、大島浩(駐独大使)、白鳥敏夫(駐伊大使)……親独・反米の二人の外交官の偏った情報で軍首脳に独・軍事力の優位を盲信させ同盟締結の空気を醸成した。この3国対英軍事同盟にソ連を加えて4国の対米軍事同盟化しアメリカを孤立させようとのドイツ礼賛者の松岡外相の動きにより同盟は対米軍事同盟化が明確となった。国際連盟脱退で派手なパフォーマンスを演じた松岡の構想倒れがもたらした禍である。海軍も独・留学経験者で長期に亙り軍令部総長を務め隠然たる勢力を誇った伏見宮博恭王が親独派で同盟賛成に回った。昭和天皇は同盟に強い危惧を示したが近衛が押し切り締結となった。独・ヒトラーを嫌悪する米国を一層硬化させる事となった。

❂❂(4)【日米開戦】……東条英機(首相・陸相)、杉山元(参謀総長)、田中新一(参謀本部作戦部長)、服部卓四郎(同・作戦課長)、辻政信(同・作戦班長)、佐藤賢了(陸軍省・軍務課長)、伏見宮博恭王(軍令部総長)、永野修身(軍令部総長)、岡敬純(海軍省軍務局長)、石川慎吾(軍務局2課長) 
杉山が集めた参謀【田中・服部・辻】は日米開戦の最強硬派で最悪の人選であった。特に服部・辻は上層部や組織の命令を無視して軍事行動を起こし多大の損害をもたらした悪名高い【ノモハン事件】の首謀者である。こんな人物を登用した杉山(参謀総長)の責任は極めて重い。東条が昭和天皇の避戦要請に応えられなかったのは、これら強硬派に対し何等指導力を発揮できなかった為で【発狂組合の事務局長】と称される所以である。海軍では多くが米国には勝てないと考えていたが、伏見宮博恭王(軍令部総長)を筆頭に一部の対米主戦論者に引きずられ、或いは陸軍に対する対抗意識・面子から戦争に突入した。服部はおめおめと生き残り、あろうことか敗戦後もGHQ情報部ウィロビー将軍などと結びついて再軍備を画策した。
*―ノモンハンで惨敗し日本軍潰滅・敗走して来た中尉以下約40名が第一線は全滅したと報告した際、辻参謀はいきなり司令部壕から飛び出し、彼等を大喝した。  「何が全滅だ。お前達が生きてるじゃないか。旅団長、連隊長、軍旗を見捨てて、それでも日本の軍人か‼」、潰走してきた兵は辻参謀の命令に従い、背嚢を下し、手榴弾をポケットに入れて前線に戻って行って全滅した。ノモンハン惨敗の責任を隠すため、自決すべき理由の全くない3人の部隊長が辻の命令で自決させられた。戦後辻参謀(元陸軍大佐、辻政信)は、戦犯逃れの為、アジアに逃亡したが、逃亡生活が終わると国会議員となり、昭和36年ラオス視察中に行方不明となった。
❂❂(5)【連戦連敗・但し継戦気運衰えず】……小磯国昭(首相)、梅津美治郎(参謀総長)、杉山元(陸相)、及川古志郎(軍令部総長) 戦争指導班が出した厳しい現状認識を無視し勝算根拠無きまま戦争完遂を唱えた。戦争終結の時機を失して、硫黄島玉砕・沖縄戦併せて20万人強の戦死者を出した。サイパン・硫黄島陥落により本土大空襲が可能となり日本各地が焦土と化した。
⁂……特攻作戦 山本五十六少将(連合艦隊司令長官)は新聞記者に対し「僕が海軍にいる間は、飛行機の体当たり戦術を断行する」「艦長が艦と運命を共にするなら、飛行機も同じだ」と語っており、特攻作戦が意識され始めていた。マリアナ沖海戦の敗北を受け、伏見宮博恭王が「戦局困難回復の為、陸海軍ともになにか特殊な兵器を考える必要がある」と発言、参謀本部総長東條英機は「風船爆弾」と「対戦車挺身爆雷」他2〜3の新兵器を開発中と答え、軍令部総長嶋田繁太郎も2〜3考案中であると答えて、特攻戦略が本格化し、1944年6月元帥会議で承認される事となった。 海軍・ 大西滝治郎(中将)、同源田実(航空作戦参謀)達がこれを推進した。
草鹿龍之介(連合艦隊参謀長)は戦艦「大和」の司令官に特攻命令の説得を行った際、 「いずれ一億人・総特攻ということになるのであるから、 その模範となるよう立派に死んでもらいたい」と述べた。これに対し「大和」乗員の発言は「連合艦隊の作戦というのなら、なぜ参謀長は横浜・日吉の防空壕に隠れ潜んでおられるのか。防空壕を出て、自ら特攻の指揮をとる気はないのか」。戦艦大和の乗組員3332人のうち3063人が死亡した。
⁂……インパール作戦…日中戦争の発端となった盧溝橋事件の責任者・牟田口(当時連隊長)司令官が己の名誉挽回を図る目的で行った太平洋戦争の中で最も無策・無謀と言われるインド東北部インパールの占領作戦。大本営や南方郡司令官等から兵站に問題ありとして猛反対があったにも拘らず杉山(参謀総長)や東条(首相)のゴーサインを得て、食糧、医薬品は敵に求めるか現地自給を原則とし、ジャングルでは、雑草・蛇・野鼠等の小動物、昆虫が食料、これによりコレラ・チフス、マラリア、デング熱、栄養失調に陥る者が多く、病人は見捨てていく方針で、進撃を強行した。戦死者はおよそ3万人、傷病者は4万人、従軍兵士の口から作戦上の最大の敵は「①牟田口司令官、次いで②雨季とマラリア・疫病、③飢餓、最後に④敵兵・英国軍」であったとの記録が残されている。牟田口は3人の師団長に敵前逃亡等の責任を押し付け解任し、自らは第15軍司令官を罷免されて参謀本部附となり、12月に予備役編入されたが、翌1945年(昭和20年)1月に召集され、東条等の肝いりで応召の予備役中将として陸軍予科士官学校長に任命された。
❂❂(6)徹底抗戦・本土決戦、原爆、ソ連参戦……小磯国昭(首相)、及川古志郎(軍令部総長)、梅津美治郎(参謀総長)、豊田副武(軍令部総長)、阿南惟幾(陸相)、大西滝次郎(軍令部次長) *―45年2月東条が参謀総長兼務の天皇への上奏に際し「我が国知識階級の敗戦必死論は遺憾、アメリカは厭戦気運蔓延、本土空襲は近いうちに弱まる、ソ連参戦の可能性は薄い」と述べて居り、このような楽観論は軍上層部に共通していた。天皇の信頼を得ていた東条であるが部下には「天皇の命令といえども、国家に益なき場合は従う必要はない」と強硬意見を吐いている。東条は7月予備役となり重臣会議と陸軍大将の集会に出るだけとなったが、政府の和平工作に反し最後まで徹底抗戦を主張し続けていた。
*―45年8月ソ連参戦に対し、阿南陸相が布告を出した。「全軍将兵に告ぐ。 ソ聯遂に鋒を執つて皇国に寇す、名分如何に粉飾すと錐も、大東亜を侵略制覇せんとする野望 歴然たり、 事ここに至る又何をか言はん、断乎神洲護持の聖戦を戦ひ抜かんのみ  仮令(たとへ)草を喰み土を噛り野に伏するとも断じて戦ふところ、死中自ら活あるを信ず、 是即ち七生報国、「我れ一人生きてありせば」てふ(と言う)楠公救国の精神なると共に時宗の「莫煩悩」「驀直進前」以て敵を撃滅せる闘魂なり 全軍将兵宜しく一人も余さず楠公精神を具現すべし、而して又時宗の闘魂を再現して驕敵撃滅に驀直進前すべし。」 楠公(楠木正成)とか時宗(北条時宗)とか、一体全体将兵の誰が理解していると思うのか、「草を喰み土を噛り」等々、国家存亡の時に自己陶酔の極致、信じられない様な馬鹿丸出しの公文書、まさにこれを告げられた将兵や国民こそ「何をか言わんや」 である。
しかしこのような狂気に似た考え方は当時宮中、陸軍上層部に蔓延していた節がある。東京帝国大学の歴史学者・平泉澄が説いた皇国史観に基づく「平泉史観」が軍上層部にウイルスの如く蔓延し、東条や阿南の様な高官や中堅将校、更には近衛の様な政治家迄が一種マインドコントロールに陥ってかのような様相を呈した。
そもそも皇国史観とは古事記・日本書紀の神話部分も含め日本の国家統治は万世一系とする天皇によって連綿と行われて来たと考える歴史観で「明治憲法(第1条)や教育勅語」にもその旨明記されている。薩長土肥の下級武士と下級公家の討幕派によって行われた明治維新は、新政府の権威付けを行う為に、欧米のキリスト教に替わるものとして、天皇を超越的権威に仕立てあげ、新国家結集の旗印として利用する為に皇国史観を取り入れたのである。 
昭和に入り軍国主義化と同時に万世一系の天皇をいただく日本の国家体制の優位性や永続性を強調する国粋主義が強まり、世界最終戦争を唱え満州事件を起こした石原莞爾も著書『戦争史大観・最終戦争論』で「現人神(あらひとがみ)たる天皇の御存在が世界統一の霊力である。」とし、「人類が心から現人神の信仰に悟入したところに、王道文明は初めてその真価を発揮する。最終戦争は結局、天皇を信仰するものと然らざるものの決勝戦、具体的には天皇が世界の天皇とならせられるか、西洋の大統領が世界の指導者となるかを決定する、人類歴史の中で空前絶後の大事件」と言う様な誇大妄想的な国体論を現している。
政府も国民の思想統一を図る為、文部省が「国体の本義」を発表し、これに迎合するように東大の学者の中には「天皇は神の子ではなく、神自身である(加藤玄智)、概念上神とすべきは唯一天皇(上杉慎吉)」と言った言説が相次ぎ、その集大成が平泉澄が説く独特の皇国史観であった。平泉史観とは南北朝時代、南朝公卿の北畠親房が著した歴史書「神皇正統記」の現代版に過ぎず学問的価値は甚だ乏しい。その要旨は日本は神武天皇以来、神勅により神孫が「正統」に君臨し,神の擁護が変わらず実現する「神国」であり、臣民の天皇への奉仕こそ「最高の道徳」であるとする考えである。又武将・楠木正成や北畠親房が活躍した南朝こそ正統だとする皇位継承論を展開している。平泉は満州事変以降、戦時体制が強化されていく中で、この歴史書の神話的言説を巧みに使って、ファッシズム、日本の領土拡張政策等の日本帝国主義のあらゆる行動を正当化する理論を展開し時代の尖兵となった。これに目を付けた軍上層部は陸海軍将校の教育に活用し、軍への講演活動の数は 1933 年の一年間だけで 43 か所、聴衆は1万4千人に昇ったと言われている。
平泉が特に強調したのは、小説「太平記」で描かれている世界、「後醍醐天皇への忠義の為に勝算の無い絶望的な戦いの中であっても,敢えて非業の死を遂げる」、これこそ「忠」であり「純正日本精神の美学の極致」であって、北畠親房、楠木正成らがこれを体現したと言う点であった。講義中には日本刀を振り回し「陸軍よ、願わくば精鋭にして豪壮なる事、この太刀の如くなれ………云々、但し武力は忠義の精神によって指導せられ、(天皇の)勅命によって発揮せられよ!!!」。何の事は無い三文講談師のアジ演説レベルであるが、この講義を参観し、惚れ込んだ東条が平泉邸をわざわざ訪問し、「士官学校の今迄の教育は間違っていた、これを立て直したいので平泉の弟子を士官学校の教師に出してほしい」と申し入れたのである。これ以降、平泉精神に凝り固まった多数の弟子達が士官学校教師に送り込まれ洗脳教育が行われる事になった。平泉教授は学外に私塾・(青々塾)を持ち、その出身者だけを東大の助手等にする公器私物化を行い、学内では(朱光会)と言う東大の右翼団体も組織していた。平泉は,「楠公精神」「皇国維持の道」「純正日本精神」等を主題に日本全国の陸海軍学校・基地を巡り公演を行った。講演会では太刀や短刀を抜き放ち、一朝有事には桜花の如く陛下の為に散らん……と言う様なセリフを時には和歌・短歌を交え朗々と芝居がかった口調で語り、若い将校の中には涙を流すものもいたと言う。オームの麻原彰晃顔負けのマインドコントロールである。
その教育の柱の一つは太平洋戦争は幕末、吉田松陰や橋本佐内が主張したように天皇親政を大日本帝国(朝鮮、台湾、千島・樺太、南洋諸島を含む)からアジア一帯に、更には世界全体に広げようとする、日本民族の神聖且つ正義の戦いであって、皇国無窮の発展の為にはこれを断行する以外にない。
更には太平洋戦争末期敗色濃厚となりつつある時には、「子や孫も含め一族郎党、天皇に忠義の限りを尽くして死ね、死んだら七度生き返って更に天皇に忠誠を尽くせ」と言う楠木正成の教えを日本人全員に求める事であった。
神孫である天皇を戴く我々に常に正義があるのだから、勝ち目は無くても先人に倣って天皇の為に命を捧げるのが最高の道徳である。この洗脳活動によって「玉砕」、「特攻」を命じる将校達から罪悪感が抜け去り、人間の死を前提とした人権無視の無茶苦茶な作戦がエスカレートして行くことになった。東条が作った「戦陣訓」もこの考えが下敷きにある。 海の特攻・人間魚雷「回転」の創案・開発者黒木少佐は熱烈な楠木正成の崇拝者で平泉教授の魂の分身と言われた人物である。又特攻隊は別名楠木正成ゆかりの寺の名前金剛にちなんで金剛隊又は楠木の家紋にちなんで菊水隊、更には楠木親子の別れの有名な地名・桜井にちなんで桜井隊とも呼ばれるなど一種異様なヒステリー状況を示していた。昭和20年6月に出された本土決戦基本大綱の一億玉砕の精神もこれがベースになって居り、鈴木首相もその席で「倒れるまで戦う所に日本人の本質があり、国民の信念は「七生尽忠」であります。」と決意を語っている。
東条以上に平泉教授に心酔していたのが阿南陸相である。阿南が近衛歩兵第二連隊長・大佐の頃、教授に紹介され、
足繁く「青々塾」を訪ねるようになり、終戦時、阿南陸相の廻りは塾生出身者の幕僚で固められるようになっていた。前述の「将兵に次ぐ」の告知文も塾生が代筆したものと推測される。
8月15日、この塾生出身の陸軍省・軍務局の竹下中佐、井田中佐、畑中少佐の3人が無条件降伏の天皇聖断による「ポッダム宣言受諾」は国体(天皇制)護持が保障されないとして日本の降伏を阻止する為、近衛第一師団長森赳中将を殺害、師団長命令を偽造し近衛歩兵第二連隊を用いて宮城(皇居)を占拠した。しかし陸軍首脳部の説得に失敗し首謀者の畑中少佐等の自刃によりクーデターは終息し天皇の玉音放送は無事行われる事になった。元々軍隊では聖徳太子の17条憲法3条の「承詔必謹」(天皇の命には必ず従え)が本分であったが、平泉は塾生たちに「純正日本人の臣道」として吉田松陰の「諫死論」を教えていた。諫死論は天皇の判断が間違っている時には一命を賭けて諫めなければならないと言う考え方で、畑中等の塾生達はこれを忠実に実行しようとしたものである。このクーデター計画は阿南陸相、梅津参謀総長も巻き込む大掛かりなものであったが、天皇の聖断が出て阿南等は腰が引け、畑中少佐等は事前に平泉にも相談を持ち掛けたが、手をぶるぶるふるわせるだけで終始無言を通し、畑中等は裏切られたとの思いで半ば自暴自棄の心理状態で皇居前の広場で自刃したものと思われる。この時刻平泉は教授会で終始無言、終わると辞表を提出し、さっさと福井の生家・白山神社に戻り、宮司に収まった。終戦直後、阿南陸相や特攻隊推進者大西中将が責任を感じて自刃したが、特攻・玉砕を煽りまくって多くの若者を死に至らしめた平泉には何の自責の念も無かった様である。そればかりか戦後も各地で、「狂信的な天皇崇拝思想と自分が日本陸軍を立て直した、日本を指導したとの自我自賛」の講演活動を続けていた。
思想家・大川周明がA級戦犯に指名されたが、平泉が国家・国民に与えた損失、被害の大きさから言えば遥かにこれを上回り、考えようによっては東条や阿南等と同等以上の罪科に値すると考えられる。
その後は皇学館大学学事顧問に就任し、「日本会議」の前身となる「日本を守る国民会議」発起人などで活動した。1956年文部省に教科書調査官制度が出来ると平泉のバックアップで皇国史観イデオロギーで凝り固まった朱光会出身の、村尾次郎、鳥巣通明、山口康助、平泉門下生が任官し、教育委員会にも進出、教育の国家統制に貢献危うい活動を行っている。


戦争責任最終回―5 続太平洋戦争責任者を総括する に続く

葉茶茶滅茶総理(3)…「コロナウイルス問題」(d) 

2020年05月02日 | 国際政治
葉茶茶滅茶総理(3)…「コロナウイルス問題」(d) 
破落戸大統領&破茶滅茶総理の終わりの始まり…(3)

アメリカ破落戸(ゴロツキ)大統領が窮地に立っている。世界中を敵に回してパリ協定を脱退してまで守ろうとした石炭を始めとする化石燃料産業、斜陽のラストベルトの鉄鋼、自動車、破落戸大統領肝いりで強固な支持基盤であるこれら産業どれもが失速してしまって、失業者が急速に増加している。破落戸を敵視するIT・AI関連産業が2019年のアメリカ経済の好調を支えているのは皮肉な現実である。他国を恫喝・無理難題を押し付け、不要な武器を買わせ、関税引き上げ等やりたい放題をしまくって来たが、ほとんど効果が無く、逆にその付けがアメリカの消費者にブーメランとなって跳ね返って、化けの皮がすっかり剥がれ落ちてしまった。
そこに降って湧いたようなコロナ騒動、忍者さながらの強敵に恫喝・虚言・他者他国への責任転嫁等得意の戦法がまるで通用せず無知・無能振りを曝け出してしまった。アメリカの感染者数は104万人、世界全体の3分の1、死者数も5万8千人強で世界の4分の1強に達し、何れも世界一、遂にベトナム戦争の米国人犠牲者数を超えてしまった。
最近では頭に血が昇って逆上の余り、恐ろしい形相で患者に「消毒薬を注射しろ」或いは「紫外線を照射しろ」等、殺人鬼さながらの惑乱状態に陥っている。
然しこのコロナ戦争で米国が危機に陥った責任の追及はすでに始まっている。破落戸政権は「前政権、民主党、中国、WHO(世界保健機関)」などに責任転嫁しようと何時も通りの悪態の限りを尽くしているが、大統領のパンデミック対策に大きな問題があった為に取り返しの付かない犠牲に繋がったことが徐々に明らかとなりつつある。事態を悪化させたのは「不十分な備え、感染拡大時の対応の遅れ、非常時に欠かせない大統領のリーダーシップの欠如」の3点が指摘されている。(恐ろしい事に無能と言う点では引けを取らない日本の破茶滅茶も全く同じコースを辿ったと言える。)
破落戸の発想は「外国によって米国が汚される」と言うアメリカ・1stの危機意識からいち早く中国からの入国制限をし、3月には欧州・カナダ・メキシコからの入国制限を行ったが、秋の大統領選に向け経済活動を重視するあまり、「4月までに少し暖かくなればウイルスは奇跡的に消滅する」「新型コロナウィルスは、でっち上げだ。インフルエンザで年間死者数2万7000万人。それと比べればコロナなど小さい」として殆ど手を打たなかった。これが一挙に感染拡大に繋がった。
 オバマ前政権は「豚インフルエンザ、エボラウイルス、ジカウイルス」といった様々な感染症対策を経験し、その教訓から、「クリムゾン伝染病」と命名した架空の「呼吸器系ウイルス」を想定しパンデミック対策シュミレーション迄行っていた。コロナ危機到来の予想を正に的中させ、(破落戸)新政権に対し国家安全保障の重要事項として引継ぎ迄行っていたのである。知性派のオバマ氏に強烈な劣等感を抱く愚かな破落戸はオバマのレガシイをことごとく否定し国家安全保障の軸足を移民政策に移し、オバマ政権が国家安全保障会議内に設置した「パンデミック専門チーム」を無駄金使いだと称して安全保障担当のジョン・ボルトンに命じて2018年5月に解体してしまった。惜しい事にパンデミック危機に対する政権内の体制は崩壊してしまっていたのである。パンデミック専門チームがない状況下で、独裁者破落戸大統領に対し対策を助言する正式ルートがなく、政府としての対策が遅れた。初の感染者がワシントン州で報告されたのは1月だが、トランプ政権が本格的に動きだしたのは3月で、2カ月の貴重な時間が失われる事になった。大統領が指導力を発揮しないため外出禁止令も州毎にまちまちで州境間をウイルスが気儘に行き来した。又国防生産法(DPA)という有力な武器も有効活用できていないことだ。不足する医療物資の生産をGMなどに命じたが、共和党保守派や産業界からの反発に配慮し、遅きに失した。DPAの重要条項で便乗値上げを禁じることが出来るが、大統領はいまだにそれを利用していない。連邦政府が医薬品や医療機器の資源配分を管理できていないことが、問題を悪化させている。
更に3月6日、大統領は「望む国民は誰でも(コロナ)検査を受けられる」と語ったが、いまだにほとんどの国民は検査を受けられていない。2月末以降、これまで約300万人が検査を受けたが、これはアメリカの人口の1%にも満たず、比率は多くの国に引けを取る。戦争と同様、コロナという敵を正確なデータを基に理解しなければ有効な対策が打てない。サイレント・キャリヤーが多くいる中、検査が大幅に進まないかぎり、国民はどこが危険であるかもわからず、いつまで経っても外出自粛を継続するしかない状況が続く。
アメリカでは約500人に1人の規模まで感染者が拡大している。この為外食産業や観光産業などに従事する多くの国民が失職あるいは一時帰休に陥っているが、最近では弁護士、建築士、コンサルタントなど想定外の職種にまで失職は広がり経済危機は第2派到来となった。アメリカの失業保険給付の申請件数が、3月中旬からの3週間で合わせて1600万件を超えた。米国労働省4月3日発表によると、就業者数が前月から298万7,000人の大幅減少となったが、3月後半には企業・学校の閉鎖が実施されており4月以降は数字がさらに悪化することは避けられないとしている。

更にオバマは国民皆保険に注力し、その実現を図るために国民の保険加入を義務付けるといった医療保険改革法案を2010年3月に成立させていたが、27日、オバマ前大統領が署名した医療保険制度(オバマケア)の廃止を最高裁に申し立て、とん挫状態になっている。富裕層に対する課税を強化することで、民間保険への補助や低所得者向けの公的保険を通じて、低・中間所得層が保険を利用して医療を受けられる制度であった。
アメリカでコロナによる死者が多いのは医療費が高額で健康を害したまま放置されるケースが多いと言う 現実が背景にある。
コロナ軽視が感染爆発を引き起こし、医療崩壊がこれを加速した。専門家の強力な対策呼びかけを契機に始まった株価急落に「不必要に怖がらせている!」と激怒した破落戸だが、急激な死者増加と経済悪化が不可避となった3月中旬、初期対応の甘さ、医療必需品の準備不足に批判が集中し始めると矛先を交わすため中国の責任追及に注力し始め、同時に10人以上の集会も禁止せざるを得なくなった。支持者を嘘八百でマインドコントロールし繋ぎ止める有力手段の大規模集会が開けなくなったことが破落戸離れに微妙に影響し始めている。最近ではもう一つの武器である、嘘発信器・ツイッターによる情報操作を強化することで支持者固めに動いているが効果は薄いと見られている。狙いはトランプ支持者の中国嫌い、『中国は貿易でアメリカを搾取し、アメリカの知的財産を盗み、今度はウィルスでアメリカをアタック(攻撃)してきた』「巨額の損害賠償を検討している」。仏マクロン大統領提案によるG7テレビ会議や国連安保理でコロナ関連の決議案が「ウイルスの起源は中国」の文言にこだわった為、採択されなかった。エイズ対策で8兆6千億億を投じ1300万人の命を救ったブッシュ大統領、エボラ出血熱対応に国際会議を主導し、米軍3千人を現地に派遣、感染国の孤立化を防ぐ為、入国制限撤廃の決議に主導的役割を果たしたオバマ大統領、アメリカの有識者から「世界的危機に於いて米国がリーダーシップを発揮できない,或いは発揮しようとしない初めてのケースになる」との非難が相次いでいる。
破落戸大統領にとって失業率を下げ株価を上げることが再選への道と考え、時期尚早との批判がある中、4月16日、経済活動再開の指針を発表した。だが、経済活動再開で最も重要な検査体制に関わる全国的な戦略を政権は打ち出しておらず、州政府任せとなっている。気温・湿度が上昇し感染が一時的に下火になれば一定の支持率を得ることになると思うが、喉元過ぎればで対策を怠れば、大統領選後に変異したコロナ第2波襲来でアメリカは悲惨なことになりかねない。

一方コロナの抑え込みに一定の目途をつけた中国は、破落戸の罵詈雑言に対し「感染源の特定は科学に委ねる」「米国の差別的言動に付き合う積りはない」とし、コロナに振り回され自国中心主義に走る「醜い米国の姿」を世界はどう見ているか注視しており、「感染が米国の世紀を終わらせた」との声に耳を傾けている。
この様な状況を背景に中国は「多国間主義」の守り手の旗手を鮮明にしつつ、医師団の派遣やマスク等医療機器の提供等国際協調を強化している。いま世界でものをいうのは、物資・知識・経験の支援力、この先中国の影響力は益々強まる事になるだろう。
有名な『サピエンス全史』の著者で哲学者のユヴァル・ノア・ハラリ氏によれば、歴史的に見て感染症の発生率も影響も劇的に減少した。エイズやエボラ出血熱などの恐ろしい感染爆発はあったものの、21世紀に感染症で亡くなる人の割合は、石器時代以降のどの時期と比べても小さい。これは、病原体に対して人間が持っている最善の防衛手段が隔離ではなく情報であるためだ。人類が感染症との戦いに勝ち続けてきたのは、病原体と医師との間の軍拡競争で、病原体がやみくもな変異に頼っているのに対して、医師は情報の科学的分析を拠り所としているからにほかならない。20世紀には、世界中の科学者や医師や看護師が情報を共有し、力を合わせることで、病気の流行の背後にあるメカニズムと、大流行を阻止する手段の両方を首尾良く突き止めた。進化論は、新しい病気が発生したり、昔からある病気が毒性を増したりする理由や仕組みを明らかにした。遺伝学のおかげで、現代の科学者たちは病原体自体の「取扱説明書」を調べることができるようになった。新型コロナウイルスの大流行をグローバル化のせいにし、この種の感染爆発が再び起こるのを防ぐためには、脱グローバル化するしかないと言う。壁を築き、移動を制限し、貿易を減らせと。だが、感染症を封じ込めるのに短期の隔離は不可欠だとはいえ、長期の孤立主義政策は経済の崩壊につながるだけで、真の感染症対策にはならない。むしろ、その正反対だ。感染症の大流行への本当の対抗手段は、分離ではなく協力なのだ。破落戸に対する大きな警鐘である

この項続く…葉茶滅茶総理終りの始まりへ

破茶滅茶総理(3)…「コロナウイルス問題」(d) 

2020年04月26日 | 国際政治
破茶滅茶総理(3)…「コロナウイルス問題」(d) 
破落戸大統領&破茶滅茶総理の終わりの始まり…(2)

25日朝TBSラジオで大宅英子氏が「急募・総理大臣」と言うチラシがネット上で話題になっていると言っていたので調べてみたところ、まさに大賑わいの様相を呈していた。
紹介すると、「急募・総理大臣! *原稿を読むだけの簡単なお仕事です! *学歴不問! *経験不問! *教養不問! *漢字読めなくても大丈夫! *スタッフが親切丁寧にルビを振ります! *時給一万円、8時間勤務、なんと遊んでいても月収240万円以上! *税金使い放題、仕事中寝放題!」
修正版として
(1)「*寝てて作文読むだけの簡単なお仕事です。口だけ達者ならどなたでも、超高級優遇保証付」 
(2)「・学歴不問 ・平仮名が読める方 ・日本語が不自由でも大丈夫! 仕事内容は至って簡単!国会での答弁、記者会見、マスコミ幹部との会食、地元のフグを食すなどです!答弁や記者会見では、官僚の作成したカンペ(ふりがな付き)を読むだけ!国民から巻き上げた税金で豪遊し放題!(官民挙げての忖度付きで後顧の憂いなし!)」
(3)「急募!日本の総理大臣職!現職が仲間との会食浸りで仕事をしないため、急遽、後任を募集します。会見は台本ありで平仮名さえ読めればOK。国会で答弁に窮しても委員長が野党の邪魔をしてアシストします。ネトウヨも応援。年に数回、夫人同伴での「外交を装った観光旅行」もあるおいしい仕事です。」
(4)「総理大臣の仕事って、
「新型コロナの感染拡大を防ぐために、国民の皆さま方に、外出の自粛をお願いをする。
その中において、まさしくワタクチ自身が、大好きなゴルフや政治資金(国民から吸い上げた税金)を使って高級料亭で会食をするなどの行為を我慢する、自粛をする、そうしたワタクチの自己犠牲の姿を、国民に示す、ワタクチが、まさに首相公邸ではなく「自宅」で過ごすことで、国民に範を示す、そのなかにおいて、その様子を国営放送を使って報道させる。こうしたことは、コロナ感染を防ぐ、もしくは国民の命を守る上では、何の役にもたちませんが、ワタクチの政権を維持、存続させる為には、 先日ワタクチが決断した「布マスク2枚」、アベノマスクと同じように、”極めて有効であると考えている”のであります。」
(参考);破茶滅茶の不快な口癖。2012年12月に第2次安倍政権が発足してから2018年6月現在に至るまでの間、安倍が国会答弁で「不快ワード」を何回使ったのか、「まさに」が341件、「中において」が298件、「つまり」が257件、「そもそも」が232件、「その上において」が178件、「いわば」が144件もあった。
又1回の答弁中にこれら6つの「不快ワード」が全てあったのは3件。この無茶苦茶な日本語用法じゃあ、質問者も国民も胸クソが悪くなるわけだ。また「お答えは差し控える」(=答弁拒否)は2019年だけで420回に達した。
色々な感想……
***「現実に、今、募集要項通りの人間が総理をやってるから恐ろしい。」
***「日本全国各家庭にポスティングして欲しい。応募してくる大半は安倍よりも上を行っているという結果で、一次審査の9割は合格。 ハードルが低すぎて、多くの皆さんが合格採用される。結果、総理大臣が1000人とかになってしまう。」
***「こういう皮肉画像って、「ちょっと誇張し過ぎじゃないか?」というのが普通だと思うが、今回はそのまま正直に言っているだけだ。ある意味、恐怖だよ。レベルが低すぎるという恐怖。」
***「(平気で)嘘八百が言える人に限ると条件を付けたら、結構合格者はほとんどいなくなるかも。国民が何人犠牲になろうとも顔色も変えずにしらを切り続けられる人、じゃないとポスト安倍の総理は務まらないでしょうから。結構そこが〝人"には通れない狭き門かもしれません。「安倍の持っている悪の側面」を合格基準にすると、狭き門になるという。この基準ですと、菅、下村、萩生田、和泉、辺りが有力候補でしょう」
以上個人的には付け加えたい事は山ほどあるが,この嘲りに近い国民の多くの声を反映するかのような調査結果が発表された。
新型コロナは、世界各国(首脳)に対するセンター試験のようなもの、忍者のような強力な相手には恫喝・虚言・忖度・買収工作・文書改竄等一切通用せず、その能力が如実に具現化する。
ジャーナリスト・猪瀬聖氏が4月20日ヤフーニュース「新型コロナ対応、最低の指導者は誰」で取り上げた米調査会社モーニング・コンサルトの調査を報じている。これによると新型コロナ危機の勃発以降、世界10カ国(オーストラリア、ブラジル、カナダ、ドイツ、フランス、インド、日本、メキシコ、英国、米国)の大統領や首相の国民からの支持率を独自に継続調査し、その推移をホームページ上で公開している。 同社が出している支持率は、「支持する」から「支持しない」を引いた正味の支持率で、新型コロナの大流行が続く中、世界のリーダーの支持率は高水準を維持して居り、10カ国中7カ国の首脳が4月14日現在、プラスの支持率を維持し、又年初に比べて支持率が上がっている首脳が7人もいる。 支持率の上げ幅が大きいのは、オーストラリアのモリソン首相、ドイツのメルケル首相、カナダのトルドー首相など。「モリソン首相」は、国家が総力を挙げて新型コロナに立ち向かうため、3月13日、同国初となる「国家内閣」の立ち上げを決断し、早期に外国人の入国禁止に踏み切るなど強力なリーダーシップを発揮してきたことが、支持率の大幅上昇につながった。同首相の支持率は1月1日には-26だったが、4月14日には+26と、52ポイントも上がっている。
「ドイツのメルケル首相」は、新型コロナの感染拡大に備えて医療体制を早くから整え、その結果、致死率を非常に低く抑えられていることなどが評価された。
一方支持率が大きく下落した不人気トリオは、10ポイント下げた「ブラジルのボルソナロ大統領」と、15ポイント下げた「日本の安倍首相」、感染者数、死者数ともに世界最多となっている「米国のトランプ大統領」。但しボルソナロ大統領はそれでも正味の支持率は+8と依然、水面上に顔を出しているが、安倍首相は-33と水面下深く沈んでおり、支持率の水準と推移、両面で断トツのワースト1位は、安倍首相となった。エ~ジャナイカ、エ~ジャナイカ‼ 夫婦揃って能天気・お気楽な破茶滅茶の面目躍如というところか。
また、米経済誌フォーブスのオンライン版は新型コロナ危機の勃発後、メルケル首相やマクロン大統領の支持率が大きく上昇したほか、欧州で最も多い犠牲者を出したイタリアのコンテ首相や、自身が新型コロナに感染し入院した英国のジョンソン首相の支持率も上昇したと指摘。一方、トランプ大統領、ボルソナロ大統領、安倍首相の3人は「コロナ危機への対応が批判を浴び、支持率が下落、特に安倍首相については新型コロナ危機への「甘い対応」が世論の批判を浴びた」と報じている。
又この3氏に共通しているのは、国民の命よりも経済活動を優先していると取られかねない発言の数々や政策面での対応だとしている。 安倍首相はオリンピック開催や経済活動への悪影響を懸念するあまり緊急事態宣言の発令が遅れたと批判されており、トランプ大統領も新型コロナに関する会見で株価を気にしたり、自身の再選が危うくなるとの懸念から強引に経済活動の再開を進めようとしたりする態度が、民主党支持者や無党派層の批判を招いている。「ブラジルのトランプ」との異名を持つボルソナロ大統領も、感染拡大防止のために国民の行動制限を強く主張していたマンデッタ保健相を解任するなど、経済優先の姿勢が批判された。 昨年の今頃、日本で2人仲良く、ゴルフをしたり炉端焼きを楽しんだりしていた時は、まさかその1年後に2人そろって「支持率最低のリーダー」と呼ばれるなんて、思ってもみなかったことだろうとの声もある。

この項続く