ぱにぽん

徒然なる言いたい放題

地名

2008年06月08日 21時28分51秒 | Weblog
小学校六年生の頃、実家の農作業をしばしば手伝っていましたが、秋の収穫の時期だと、トラックに乗って一時間ぐらいの近隣の農村まで行くことがありました。小学生の頃はせいぜい半径2km程度の範囲で遊んでいましたから、普段行かないようなところへも手伝いをしていると行く事になります。

当時、トラックの助手席でぼんやりしていると、交差点や看板の地名が目にとまります。読めない地名も沢山あります。「後三年」「台所町」など、歴史に由来するわかりやすい、読みやすいものはまだしも「剰水」(せせなぎ)「婦気」(ふけ)など読めないものは全然読めない反面、なんでそういう地名になったのか?という地理的、歴史的背景に興味を持つようになりました。父に聞くと由来を知っているものは教えてくれましたが、知らないものもやはりあります。

そんな事がきっかけで、中学校に入ってからの夏休みの自由研究で地名の由来について調べたことがありました。調べると言っても、文献はあまりありませんでした。そこで、父親に相談をして町の物知りな骨董品屋さんを紹介してもらい、その方にお話を聞くというカタチで調べたことがありました。

その方は郷土史研究家としても著名な方で、菅江真澄の研究家でもありました。影響を受けて、菅江真澄全集を父に買ってもらい、江戸時代の文語調や候文が混じっているので詳細な意味はわからないものの読みふけった事があります。

全集の中でも「雪の出羽路」は、当時自分が住んでいる場所やその地域についての歴史や土地風俗の話なので、興味を持って読むことができたように思います。私も郷土史研究会に入って、会員に郵送配布される定期刊行物を結構楽しみにしていました。しかし、高校卒業とともにすっかり縁遠くなっていました。


今日は、ふとしたことがきっかけでそんな事を思い出し、珍しい地名・おもしろい地名・読めない地名というのは全国的にあるんだよなぁ、、、などと思いつつwikiをひいて遊びました。


以下、WikiPedia 『難読地名』より一部引用~
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地名の場合には、地名はその土地の歴史や文化に深く根付いているものであり、地域の人々に分かってさえいればどんな表記をしようと“読みにくい”かどうかは本来は問題にはならない。しかし交通機関の発達による人々の行動範囲の拡大、テレビや新聞といったマスメディアの普及によって難読地名というものが生まれてきた。すなわち地方によっては同じ綴りや漢字を別の読み方をする、同じ音に別の綴りや字を当てる、方言によって音が変化する、歴史に由来して常用漢字外の漢字を当てる、等の例である。

ただし、地名は歴史や文化に根付いている以上、それを一般化したり統一したりしなければならないものではない。それにもかかわらず、日本においては、近年の市町村合併や区画整理などによって、古くからの地名がなくなったり、新たな地名が付けられたりすることが多く、新たな地名には読みにくい地名は採用されないことが多いため、難読地名は減少する傾向にある。
-----(引用ここまで)


難読地名だけでなく、地名・町名そのものが都内でもどんどん消えているように思います。昔は別々のエリアであり町名だった場所が、ひとまとめに○○町と呼ばれ、昔の町のエリアを○丁目で呼んでしまう、といういパターンが多いように思います。

地名から歴史や風土が失われていく事は、とてももったいないと思います。