右膝前十字靱帯再建の手術とそれに関連するリハビリなどなどのlog.
受傷直後に診察を受けたのは自宅の最寄りの
十日市場整形外科内科だったが、そこの提携病院が昭和大学藤が丘で、スポーツ整形外科の専門医がいいと判断した場合はとっとと昭和大学の先生に回すという、ここ10年ぐらいでようやく定着してきた感のある地域医療連携によって、昭和大学藤が丘の先生に看てもらう事になったのでした。
スキーだけでなく今後の人生においてもスポーツは継続したいので、「断裂」が確定した時点から再建以外の保存療法といった選択肢などはなからあり得ない私。
のっけからACL再建術の方法と日程について相談に乗って貰えて、そういう意味ではストレスフリーでした。
執刀は
昭和大学藤が丘病院整形外科の
膝関節班の先生。
しかし、手術を行った場所は昭和大学藤が丘ではなく、その先生が手術枠を持っている他の一般の総合病院、昭和大学医学部と連携している
横浜旭中央総合病院、でした。
-1D. 手術日前日。入院(5/21)
実は手術前の5/1に一度、横浜旭中央総合病院で執刀医に診断して貰っています。
手術の事前検査という事で、レントゲン、血液検査、尿検査、肺機能検査(?)などなどを行いました。
その時に、「手術予約日の前日午前10時にこの病院の入院受付窓口に来て手続きするように」と指示されました。
というわけで、手術前日。
10:00 書類手続き
事前に書いてくるように言われていた、保証人のサイン捺印入りの同意書や、
保証金(預かり金?この病院は5万円)、
限度額適用認定証、などなどを渡して医療事務の人の受付をしてもらいます。
10:15 病室案内
医療事務担当の人が、入院病棟のナースステーションのところに連れて行ってくれました。
ここで事務担当から看護師(病棟チーム)に引き渡される訳ですね。
※ 仕事の業務分担や流れとして眺めているといろいろ面白かったです。
さて、当日の担当看護師さんから入院中のルールとか、大まかな日程などなど各種説明と、事前に書いてきたアレルギーや病歴などのアンケートっぽいもの等をお渡ししつつ内容を再確認する続きと、「看護師さんから説明を受けました」サインをいくつか。。。
ここで説明された内容の一部をご紹介すると、
固形物は夕食以降は禁止、24時以降は飲み物も禁止。
手術日は絶食。
全身麻酔なので、人工呼吸器を使います。ヒゲのそり残しは密閉度が下がったり、必要なテープが剥がれたりと、命に関わるので手術日の朝には必ずヒゲをキレイに剃ってください。
手術開始予定時間は13:30ですが、救急搬送・救急外来などによってやむを得ず前後する場合がありますので、勝手に病室から動かないでください。。。。
など
など
など
血圧と体温計測される。 80-130/36.0
ここまでで、だいたい11:15くらい。
トイレ行ってから病室で荷物整理してたら麻酔科に呼ばれる。
11:30 麻酔科説明
太ってハズレなくなってしまった左手薬指のリングは、万が一の場合は切断してもいいですか?いいです。などのやりとり。
※「万が一の場合」:体調が急変して開腹手術が必要になり、電気メス使わざるを得ない場合、など。
11:50 病室戻った途端に、装具やさんが採寸に来室。
「マジ?現金のみ?振り込めるけど、できるだけ現金で頼む?それ、足を手術して動けない人の装具つくっている装具屋さんの言うこと? おまえら、金払っている患者を客と思って無くて、先生を客と思ってんだろ。。。。まぁそうだよな、オレはあんたらのとこから買うのが嫌だと言っても他を選ぶ時間ないしな。」
というようなコミュニケーションをとりつつ採寸は滞りなく終了。
12:00 昼食.....初病院食......蕎麦、天ぷら(かき揚げ、ナス) 梅おろし、水ようかん。水ようかんがBCAA入りでタンパク質7gで60kcalしかないのが、入院を実感させる。
さて、装具屋さん用の現金を用意するタイミングはここしかないので、急いで近所の銀行へダッシュ。
現金は部屋のSafetyBOXで管理するしかないんだけど、やだよねぇ、これ。
15:00 薬剤師から、明朝より点滴する薬の説明
その後、点滴針挿入してその日の必須業務は終了。
18:35 夕食
21:00 消灯
なるほど、事務方と日勤帯の看護師とで対応しようとすると、前日朝に入院しろって話しになるわなぁ、と理解。
やってる中身は、仕事終わってから行けば消灯までの間にできちゃうような事なんだけどね。
0D. 手術日(5/22)
午前中から生食の点滴(抗生剤混ざっているやつかな)開始。
でもね、もうね、昼ぐらいにはちょっとひもじい感じになるのよね。
幸にも13:00過ぎには呼ばれ、点滴キャスター引きずりながら自分の足で歩いて手術室へ。
手術台に載せられ、横向きに寝させられて、脊髄硬膜外へ針挿入。
この時、本格的な硬膜外へのルート針を刺す前に、部分麻酔みたいなのするみたいで、その注射が痛いし、注射液が入ってくるのが気持ち悪かったー。
あとはだんだん下半身の感覚がなくなりはじめ、その確認が取れると点滴から全身麻酔。
その後の記憶は、手術台から病室ベッドに「せーのっ!」と載せられるところまで一切ありません。
全身麻酔すると自律呼吸できないでしょうから管が鼻やら口やらから入ってたんでしょうね。しらんけど。
手術した足は凄く重たい感じですけど、痛みらしい痛みは感じられません。この時点では脊髄の硬膜外腔へのルートは確保されたままで、そこへ鎮痛剤がちびちびと供給されていた模様。
もうね、頭もぼーっとしてます。
病室で自分の時計見たのが17:00ぐらいだったような記憶なんですが、いまいち定かでありません。
そのまま寝ました。
+1、+2D. 手術翌日(5/23)〜術後2日目(5/24)
翌日は、朝食の時間に起こされ、朝食が出てきました。
ぼーっとしながらも、酸素吸入マスクを外してあっという間に食べちゃいました。
血圧と体温:110-60/37.3
手術着から、通常の入院衣(?)に着替えさせてもらいつつ、全身を拭き清めてもらい、だいぶさっぱりします。
この時点で、身体には以下のようなものが取り付けられています。
酸素マスク:全身麻酔によって自律呼吸も一旦弱まっているので念のため(だと思う)
心電図:計測の吸盤(シール)が鎖骨下胸の左右に2つずつ。そこから伸びたケーブルの先にはナースステーションのサーバへ無線で送信する箱が取り付けられており、枕元に転がされている。
脊髄硬膜外腔への針:鎮痛剤が継続的に投与されてます
膝から血抜きの管:その先にはバネの力で血を吸い出す専用の袋がつけられている
尿管カテーテル:自動排尿で楽ちん(?)
もうね、なにをするにも看護師さんの助けが必要な状態。本当に看護師さんには感謝しかありません。
このタフな仕事を笑顔でこなす看護師さんの凄さを再認識しました。
術後翌日には、酸素マスクと心電図が、
術後2日目には、尿管カテーテルと、背中の鎮痛剤用針がハズされ、
ようやく車椅子での移動が可能になりました。
ただ、車椅子への移乗がだいぶ大変でした。
手術した足を腰より下に下げると、体液が下がってズキズキとした痛みと、傷口が引き攣れるようなチクチクジンジンする系の痛みの合唱でした。
術後2日目でも、体温が常に37度以上あり、かったるくてなにもやる気がおきませんでした。
+3D. 術後3日目(5/25)
熱も多少落ち着いてきて、足の腫れもMAXよりかはマシになってきたこともあり、血抜きの管が膝から抜かれました。