自然コレクション

秋田の田舎暮らし!
アウトドアー生活を紹介します。

ラーメンNO102 ラーメン堂 仙台っ子

2015年09月22日 11時06分23秒 | ラーメン
プチ旅で仙台に来ています。
仙台っ子ラーメン堂 青葉通り店で昼ラーしました。
650円也
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プチ旅 仙台 輪王寺編

2015年09月22日 11時05分46秒 | 
一昨日のマラソンでまだ身体中が痛い。しかし、計画は守らねばならない。所要の他仙台へ行く。
今回は、北山の輪王寺を訪ねる旅に出かける。

 輪王寺は、嘉吉元年(1441年)、伊達家九世政宗の夫人、蘭庭明玉禅尼の所願により、十一世持宗が、太菴梵守和尚を開山として、福島県梁川に創建された。

 政宗夫人は、三代将軍足利義満の生母の妹に当たるため、六代将軍義教は、後花園天皇に奏請し、「金剛寳山輪王禅寺」の額を賜ったとある。

 輪王寺の草創期は、伊達氏の躍進の時期と重なり、伊達氏の居城は、梁川・西山・米沢・会津・米沢・岩出山・仙台と変わり、輪王寺もこれに従って転々とし、現在の仙台の地に移ったのは、十七世政宗の慶長七年(1602年)、九世久山光天和尚の時だった。

これを「輪王寺の六遷」と称したそうだ。

 仙台の地に落ち着いて後、輪王寺は伊達氏の庇護のもと、奥州における曹洞宗の一大叢林として、三百余年の間「海東禅窟」の名をほしいままにした。

 明治維新以後、伊達氏の外護を失った輪王寺は、明治九年(1876年)野火に類焼し、仁王門 のみを残して伽藍の全てが消えた。以来復興の策なく山内は荒廃にまかされました。

 曹洞宗の大本山、永平寺と総持寺は、輪王寺の衰徴を惜しみ、明治三十六年(1903年)福定無外和尚(1881-1943)を輪王寺住職に特選し、その復興を託した。

 無外和尚は辛苦十余年、寝食を忘れて再建に努力し、大正四年(1915年)、現在の本堂と庫 裡を完成し、今に至っている。

そう結構凄い変遷があるのだ。


朝8時50分に第1駐車場に到着した。
駐車場からはお寺は、直ぐだ。

お寺でふざけるのは良く無い。

まずは300円払ってお庭に入る。まだ、入場者は、私達バカ夫婦だけだ。

何という美しさだ。これは凄い。



自撮りではあるが2人で撮ってみた。


5重塔は、本物だ。



最後に朱印状をいただいた。
そのあと手を合わせよもよものお願いをしてお寺を後にした。
対応していただいたお坊さんはクールでかつ優しい方だった。

これでも、身体が痛く無かったら最高なのだが^_^
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