この前、西和彦さんの「反省記」という本を読んだのですが、その中で西さんの生き方に大きな影響を与えた人物として中山素平さんが紹介されていました。
本書は城山三郎さんによる「中山素平さんの評伝」です。
中山素平(1906年(明治39年)3月5日 - 2005年(平成17年)11月19日)さんは、日本興業銀行頭取・経済同友会代表幹事等を歴任された日本を代表する銀行家。評論家の草柳大蔵さんが名付けた「財界の鞍馬天狗」の異名は有名です。
本書で紹介された城山さんが描き出す中山素平さんの人となりやエピソードは、どれもスケールが大きくそれでいてとても人間的なものばかりなので興味はつきません。
その中からひとつだけ中山さんの考え方の基本が現れているトピックを書き留めておきます。
(p222より引用) 世間的に功成り名遂げた人にはまた、日本経済新聞に「私の履歴書」という花道も用意されるが、中山は得意のしつっこさで辞退し続けている。
「うっかりすると、自慢話になるから。何でも自分のことをよくしようということは、やらんほうがいい。それに、本当のことを書けば、存命の方に迷惑がかかるからね」
終生、叙勲を断り続けたのも同根の信念ですね。見事な姿勢だと思います。
さて、本書を読み通して特に印象に残ったくだりを二つ。
ひとつめは、社会人類学者中根千枝さんに対し、中山さんが自分自身を評して語った言葉。
(p227より引用) 「無私ではなく、欲もある。しかし、自分中心ではない」
もうひとつは、中山さんではなく土光敏夫さんに係るエピソード。
(p170より引用) 会長から退いた翌月、中山は土光敏夫を団長とする訪ソ経済使節団に加わった。「文藝春秋」誌に、草柳大蔵の「財界の鞍馬天狗」が出て、旅先で話題になったのは、このときのことである。
土光は早合点して、中山のために憤慨したのだが、それとは別に、中山を驚かせたことがある。
ホテルで、団長室の隣りに居る中山に、土光が声をかけてきた。
「きみ、洗濯物どうしてる。ぼくがついでに洗ってやるよ」
入浴する際、土光はいつも肌着など手洗いしていたのであった。
さすがに土光さん、ここまで徹底していたんですね。中山さんといい勝負です。
10年以上前に、「続編」は読んでいます。今回は、思い立って1作目を手に取ってみました。
こういった「土地にまつわる蘊蓄もの」は気楽に読めて楽しめますね。
登場する地名はさすがに全部旧知のものばかりですが、その歴史的背景は初めて耳にするものが多く、それぞれに面白いものでした。
考えてみれば当たり前なのですが、関東地方の土地もかなり古くからの歴史があるんですね。
今、私が住んでいる東京の多摩地方でいっても、「国分寺」は、奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された「武蔵国国分寺」の所在地ですし、「聖蹟桜ヶ丘」は「小野小町」との関わりがあるそうです。
(p274より引用) またこの地には、小野小町が父を訪ねてみちのくへ行く途中、ここに立ち寄ったことを記した「小野小町歌碑」がある。碑面には「武蔵野のむかひのおかの草なれば根を尋ねてもあはれとぞ思ふ」という「新勅撰和歌集」(後堀河天皇の命で嘉禎元年〈一二三五〉完成) の歌が刻まれている。小野小町は平安時代前期の歌人、六歌仙、三十六歌仙の一人として有名である。つまり、この地は小野小町が生きた時代から、交通の要所だったことが考えられる。
ちなみに、本書では、それぞれの項で取り上げた「地名の由来」についても触れられています。
よく、“以前の地形が地名に残っている”と言われますが、それらしいものの中にもそうでもないケースもそこそこあるようです。
たとえば、「渋谷」。
明らかに実際の渋谷の地形をみると多数の坂に囲まれた「谷底」です。
ただ、「渋谷」の地名の源ですが、本書によると、「水サビのある低湿地」だからという説はむしろ傍流で、「塩谷の里(塩谷)」が「渋谷」に転じたとの説や相模国の渋谷重家一族が移り住んだためといった説の方が有力なのだそうです。
もうひとつ、「千駄ヶ谷」。
こちらは「1000駄の萱を刈り取っていた所」というところから「千駄之萱村」と言われたのが始まりだったとのこと。
今の「表記」に定着する過程では「地形」が意識されたことはあったのでしょうが、ストレートな連関があるか否かは区々のようですね。
この前、ブレイディみかこさんのベストセラー「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」を読んだところですが、今回の本は、いつも利用している図書館の新着本の中から見つけました。鴻上尚史さんとブレイディみかこさんの対談集ということで興味を抱いだいて手に取ってみた本です。
NHK Eテレ「SWITCHインタビュー 達人達」での対談を中心に、新たな対談も加えて書籍化したものとのことですが、想像どおりのお二人の対話がとても刺激的でした。
お二人のやりとりから、興味をもったところを書き留めておきます。
「ぼくはイエローで・・・」にも書かれていましたが、ブレイディみかこさんが住むイギリスは、新自由主義的な労働党政権の政策の影響もあり“格差社会”が強まっているようですね。ただ、それでもみかこさんはイギリスの将来に楽観的です。
(p50より引用) でもやっぱりイギリスは、どんな風になってもたぶん長期的には大丈夫だと私は思うんですよ。それはうちの子どもの世代を見てるからなんですけど、なんだかんだ言ってあの子たちはトニー・ブレアの労働党が教育の大改革を行った時代に育った子たちで、政治への関心も高い。
本当に、学校でもいろんなことをディベートさせられているし、自分の思っていることをすごく言うし、多様性とか身についている部分があるから12歳ぐらいの男の子でも、僕はいわゆるLGBTQかもしれないとか言えちゃうわけです。ああいう子たちがまた大人になってくれば世の中は変わるし、(中略) イギリスには社会への信頼が、日本に比べれば、まだある気がしますね。
このあたりは、「ぼくはイエローで・・・」に登場する“息子さん”の様子をみれば納得できますね。
ちなみに、本書で紹介された息子さんの至言、「日本人は社会に対する信頼がない」。これは「世間」や「身内」といった日本特有の概念とそれにより生じる様々な事象を考えるうえでの見事なキーワードですね。
もうひとつ、新型コロナ禍で浮き彫りになった国民性について。ブレイディさんが気づいたイギリス社会のいいところ。
(p135より引用) やっぱりイギリスはすごいなと思ったのは、相互扶助が、政府とか自治体とは関係ないところで勝手に立ち上がるんです。・・・
イギリスでは本当に知らない人同士が助け合ってつながっていく。これがコロナで見えたすごいところでした。
さらに、ブレイディさんがイギリスで保育士資格を取るコースで習った「人間のクリエイティビティ」を生む教育について。
(p146より引用) 人間のクリエイティビティの目覚めは1歳か2歳とか幼児の時期だというんですよね。・・・
人と違うことをやってみようと思うのが人間のクリエイティビティの目覚めだから、保育士は、それを妨げちゃいけないって言われたんですよ。例えば幼児たちに同じような工作をさせてる時に、最初に色を塗りましょうと教えている時に一人だけハサミで切りたいっていう子が出てきても、「切っちゃいけません。 みんなと一緒に色を塗りなさい」とは言っちゃいけないって。それがその子のクリエイティビティの目覚めなんだから、尊重し、サポートしなくてはいけないという教育なんです。
こういった指導は日本の教育現場ではまず見られません。“誰にとっての何に価値を置くか”という根本思想が全く異なるんですね。
このほかにも、私も大切だと思ういくつもの気になるやりとりがありましたが、思うに、そこで語られている主張をより現実化させるためには、ブレイディさんと鴻上さんとの対話のように“同じベクトル”の方どうしの対話だけではダメなんですね。対抗する考え(たとえば、校則賛成派・悪平等肯定派等)の方とのやり取りで、相手を論破するような内容を公開しないと、“仲間どうしの相互肯定による自己満足”に止まってしまいます。
映像メディアでの討論会的なやり方もありますが、いくつかの番組を見ても、結局は議論が嚙み合わず双方言いっ放しになるというのが経験則です。その点、本のような「文字」に残るメディアでは、双方の言い分は可視化され固定化されるので、落ち着いた検証・評価がやりやすくなります。(同じ文字メディアでも、Twitterだと、やはり言いっ放しになってしっかりした議論には不向きです)
あともう一つ大切なのは、それをどうやって「直すか」という実行論です。
本書でも紹介されたような「意味不明な校則(ex.“理不尽なリボンの色”(紺はOKで、白はダメ))」は、おそらく多くの教師もおかしいと思っているはずです。でも、直す行動がとれない。ここに、もうひとつの大きな問題が残っているのです。何が “元凶” なのかはみなさん見当がついているのだと思いますが。
本書の最後に、鴻上さんはこう語っています。
(p233より引用) それと、コロナ禍でも日本人は学習したと思いますね。日本人は全部政府にお任せしている意識から、コロナ禍で、自分達で考えるという訓練を突きつけられているという気がすごくしてるんです。コロナは嫌なことばっかりだけど、唯一、「日本人に自分の頭で考えること」を突きつけてくれたと思っています。それは、とても素敵なことです。
そういった状況が少なからず生まれたのは確かですし、とても大切な変容だと思います。
ただ、実態はというと、「いままでもそういった考え方をする素地のあった人が顕在化してきた」というレベルに止まっているように感じます。各種世論調査の結果をみても一定数の「無条件現状肯定層」を突き崩すまでには至っていないですね。ここまでの事態になっても、相変わらず・・・。
しかし、それでも、ここで止まるわけにはいきません。