河合隼雄さんの著作を読むのは久しぶりです。
本書は新潮社の季刊誌の連載を書籍化したものです。
神話を読む際の入門書ですが、学問的な解説ではなく、主としてユング心理学を背景とした河合氏なりの神話の「読み解き方」のヒントが紹介されています。
ただ、本書を読み通しての感想ですが、その国・地方の「神話」の解釈をもってその国・地方の人々の“心理的な特徴”を語るのには少々違和感を抱きました。
その神話が生まれた時代においては、神話の内容とそれを伝承する人々には何らかの心理的係属があったであろうことは想像できますが、その神話が生まれてからそれこそ数百年の年月を隔てた現代人の思考や行動にも、その神話の心理的解釈を関係づけるというのは、あまり説得力を感じないですね。
とはいえ、もちろん、河合さんの想いを伝える大切な言葉にも出会うことができました。
(p23より引用) 私は心理療法家として、苦悩している他の人たちの支えに自分がなる、などということはできないことをよく知っている。その上で、辛抱強く、希望を失わず、ともに苦しんでいると、このようにして、その人を支える存在が生じてくるのである。
私よりも一本の木のほうが、ある人の支えとしてはるかに十分に機能するのである。そして、それはきわめて個人的なものでありながら、どこかで普遍的なものにつながっている。
その道の専門家の至言です。しっかりと覚えとして書き留めておきましょう。
樹木希林さん「著」とありますが、テレビ・新聞・雑誌等のメディアで樹木さんが話した言葉の中から出版社がピックアップして編んだ本なので、正確には「著」ではありません。
とはいえ、樹木さんが自らがインタビュー等で語った言い様そのままなので、樹木さんの想いや考え方はフィルターを通さないで伝わってきます。たくさんの素晴らしい言葉の中から、私が気になったくだりを書き留めておきます。
(p54より引用) 自分の判断を超えるものに対して、拒否したり溺れたりしないでもう少し自然でいたいなあと思うのね。
だって、それほどわたしは強くも弱くも偉くも駄目でもないんだもの。
樹木さんらしく感じますが、意外にもこれは最近の言葉ではありません。1977年(昭和52年)、悠木千帆さんから樹木希林さんに芸名を変えた34歳のときの言葉です。
次に、
(p150より引用) 日本のハンセン病隔離政策をテーマにした新聞のインタビューで、映画『あん』で元ハンセン病患者を演じた経験を踏まえ、自身の意見を語って。―2016年6月
今、誰かを排除しようという風潮が強いとしたら、その人たちの不満が言わせているのよ。つらいのね、きっと。それを聞く耳を持っている人がいないから。思うのは、自分の弱さを知るってこと。それを知っておくだけでも無駄じゃない。息苦しい時代に入りつつあるから、余計にそう思うのかしらね。
また、沖縄の辺野古基地建設予定地を訪れたときには、こう語っています。
(p152より引用) 私は戦争って、こっちの国とあっちの国の戦いだというふうに思っていたら、なんのことはない、自分のすぐそばの人たちとの戦いであるんだなっていうのが、あらゆるところで実感でしたね。自分の国がこういう方向に行った時に、そうでない意見を持った時に、とても、すぐそばにいる人たちを説得できない、あるいは説得されてしまう自分との戦いであって、けっしてよその国との問題というのは、それが起きてから出てくる悲惨さというのは、むしろ自分の身の周りにいる人との戦いのような気がして。そんな結論でした。
見誤らないように、生きていきたい、生きていかなきゃいけないという感じです。
この視点には気づきませんでした。そのとおりですね。
そして、岸本加世子さんと出演して、爆発的な流行語を生んだCMに触れた言葉。
(p221より引用) やっぱり、その昔、「美しくない人も美しく」という台詞に対して、そんなの嘘じゃないと思った自分がいたんですね。広告は本当のこと言わなきゃだめじゃない、と思って、それを主張した自分がいたんだから、そのことは原点として大事にしながらね、でも、それが受け入れられない時には、また、その中で窮屈にやってみるというのもいいしね。私はそんな風にしてやってきたし、これからもそうなんだろうなあって思います。
「受け入れられない時には・・・」は、いかにも希林さんらしいです。
最後に、
(p71より引用) メッセージ? そんな先のない私がメッセージっていうのもなぁ。
あの、おこがましいんですけども、ものには表と裏があって、どんなに不幸なものに出会っても、どこかに灯りが見えるものだというふうに思ってるの。もちろん、幸せがずっと続くものでもないから、何か自分で行き詰まった時に、そこの行き詰まった場所だけ見ないで、ちょっと後ろ側から見てみるという、そのゆとりさえあれば、そんなに人生捨てたもんじゃないなというふうに今頃になって思ってますので。
どうぞ、物事を面白く受け取って愉快に生きて。お互いにっていうとおこがましいけど、そんなふうに思っています。あんまり頑張らないで、でもへこたれないで。
2018年7月、ニューヨークでのインタビューでの希林さんの言葉です。
ちょっと前にも恐竜関係の本としては「大人のための恐竜教室」を読んでいます。
幼いころ“恐竜”に興味をもった人は多いと思います。私のその一人です。
本書は「最新の恐竜研究と恐竜たちの歴史」を概説したなかなか面白い本です。数多くの興味を惹いた箇所はあるのですが、その中からいくつか書き留めておきます。
恐竜の世界のスーパースターは、やはりT・レックスですが、彼らは北米西部の支配者だったようです。その他の地域はまた別の生態系があり、それらは同時に“絶滅”したのです。
(p240より引用) 白亜紀が幕を閉じようとしていた頃(北アメリカでT・レックスとトリケラトプスが激闘を繰り広げ、南半球でカルカロドントサウルス類が巨大な竜脚類を襲い、ヨーロッパの島々にさまざまな“小人”恐竜が暮らしていた頃)、恐竜は無敵であるように思えた。ところが、例えば城のように、例えば帝国のように、例えば波乱の生涯を送った異才の貴族のように、進化が生み出した大いなる王朝もまた、倒れうる。最もありえない事態に見舞われた時に―。
そして、ほとんどの恐竜が絶滅します。小惑星が衝突し、まさに天変地異が襲い掛かった恐竜最期の日の記述はとても衝撃的です。しかし、一部は絶滅を免れ、今にその命をつないでいます。それが「鳥類」です。
(p271より引用) 恐竜が進化して鳥類が誕生した。これまで見てきたように、それは徐々に起きたことで、獣脚類の一系統が数千万年かけて現生鳥類ならではの特徴と行動を一つずつ獲得していった。ある日突然、T・レックスがニワトリに変貌したわけではない。・・・進化のおかげで、小柄で、前肢が長くて、脳が大きくて、保温用の羽毛と求愛用の翼を備えた肉食恐竜が誕生したのなら、ほどなく、その動物は空中で羽ばたきはじめることになるはずだ。その瞬間、血で血を洗う世界を生き延びようと未熟な飛行能力を駆使して羽ばたく恐竜に自然選択が働きはじめ、その子孫を優れた飛行動物に変えてゆく。改良が加わるたびに、より上手に、より速く、より遠くまで飛べる子孫が現れ、ついに現代的な鳥類が出現する。
この長きにわたる移行が最高潮に達すると、生命史に残る大変革が起きた。翼を備えた空飛ぶ小型恐竜についに進化したことで、大いなる新たな可能性が拓けたのだ。空飛ぶ小型恐竜、つまり最初期の鳥類が猛烈な勢いで多様化しはじめた。
ご多聞に漏れず、私も幼いころは「恐竜図鑑」を眺めるのが大好きでした。
しかし、そのころ見たイグアノドンは二足歩行、今知られている姿と全く異なっていました。ティラノサウルスの前肢も力強いものでした。恐竜の研究はここ数十年でも大きく進んでいます。本書はその最新の知見を教えてくれました。
望むべくは、もう少し「図絵」が欲しかったですね。やはり恐竜は“ヴィジュアル系” ですから。