樹木希林さん「著」とありますが、テレビ・新聞・雑誌等のメディアで樹木さんが話した言葉の中から出版社がピックアップして編んだ本なので、正確には「著」ではありません。
とはいえ、樹木さんが自らがインタビュー等で語った言い様そのままなので、樹木さんの想いや考え方はフィルターを通さないで伝わってきます。たくさんの素晴らしい言葉の中から、私が気になったくだりを書き留めておきます。
(p54より引用) 自分の判断を超えるものに対して、拒否したり溺れたりしないでもう少し自然でいたいなあと思うのね。
だって、それほどわたしは強くも弱くも偉くも駄目でもないんだもの。
樹木さんらしく感じますが、意外にもこれは最近の言葉ではありません。1977年(昭和52年)、悠木千帆さんから樹木希林さんに芸名を変えた34歳のときの言葉です。
次に、
(p150より引用) 日本のハンセン病隔離政策をテーマにした新聞のインタビューで、映画『あん』で元ハンセン病患者を演じた経験を踏まえ、自身の意見を語って。―2016年6月
今、誰かを排除しようという風潮が強いとしたら、その人たちの不満が言わせているのよ。つらいのね、きっと。それを聞く耳を持っている人がいないから。思うのは、自分の弱さを知るってこと。それを知っておくだけでも無駄じゃない。息苦しい時代に入りつつあるから、余計にそう思うのかしらね。
また、沖縄の辺野古基地建設予定地を訪れたときには、こう語っています。
(p152より引用) 私は戦争って、こっちの国とあっちの国の戦いだというふうに思っていたら、なんのことはない、自分のすぐそばの人たちとの戦いであるんだなっていうのが、あらゆるところで実感でしたね。自分の国がこういう方向に行った時に、そうでない意見を持った時に、とても、すぐそばにいる人たちを説得できない、あるいは説得されてしまう自分との戦いであって、けっしてよその国との問題というのは、それが起きてから出てくる悲惨さというのは、むしろ自分の身の周りにいる人との戦いのような気がして。そんな結論でした。
見誤らないように、生きていきたい、生きていかなきゃいけないという感じです。
この視点には気づきませんでした。そのとおりですね。
そして、岸本加世子さんと出演して、爆発的な流行語を生んだCMに触れた言葉。
(p221より引用) やっぱり、その昔、「美しくない人も美しく」という台詞に対して、そんなの嘘じゃないと思った自分がいたんですね。広告は本当のこと言わなきゃだめじゃない、と思って、それを主張した自分がいたんだから、そのことは原点として大事にしながらね、でも、それが受け入れられない時には、また、その中で窮屈にやってみるというのもいいしね。私はそんな風にしてやってきたし、これからもそうなんだろうなあって思います。
「受け入れられない時には・・・」は、いかにも希林さんらしいです。
最後に、
(p71より引用) メッセージ? そんな先のない私がメッセージっていうのもなぁ。
あの、おこがましいんですけども、ものには表と裏があって、どんなに不幸なものに出会っても、どこかに灯りが見えるものだというふうに思ってるの。もちろん、幸せがずっと続くものでもないから、何か自分で行き詰まった時に、そこの行き詰まった場所だけ見ないで、ちょっと後ろ側から見てみるという、そのゆとりさえあれば、そんなに人生捨てたもんじゃないなというふうに今頃になって思ってますので。
どうぞ、物事を面白く受け取って愉快に生きて。お互いにっていうとおこがましいけど、そんなふうに思っています。あんまり頑張らないで、でもへこたれないで。
2018年7月、ニューヨークでのインタビューでの希林さんの言葉です。