ここ数年、私の本の読み方は、中身を確認してから読み始めるということはなく、タイトルや著者だけから判断して気になったものを図書館で予約して読むというスタイルです。
なので、ページをめくって「あれ?」と予想に反した内容の本に出合うこともあります。もちろん、それがひとつの楽しみでもあるのですが、本書もそういった類のものでした。
意外な「解法」を紹介しているような頭の体操的なものではなく、「算数・数学」を教える側の立場からの課題提起の書なんですね。著者の強烈な“熱量”を感じるちょっと珍しいテイストの本でした。
著者は、学校教育における「算数/数学」の教授内容において問題視している視点を明記しています。
(p29より引用) 「何」に焦点を当て、「なぜ」を排除してしまったことで、学校での算数・数学は抜け殻になってしまいました。アートは真実にあるのではなく、説明や根拠にあります。・・・
算数・数学は説明のアートです。生徒たちからそれに取り組む(自らの質問をし、予想や発見を出し、間違え、創造的に挫折し、ひらめきをもち、そして自分の説明や証明をまとめる)機会を奪い去ってしまったら、数学自体をさせないということを意味してしまいます。私は、算数・数学の授業で事実や公式を使うことを問題にしているのではなく、算数・数学の授業において数学が欠落していることを問題にしているのです。
著者のイメージしている「アート」とは、“数学的?思考(プロセス)”のことのようです。
そういう「数学的思考」を身に着けさせることこそが、学校教育における“算数・数学の授業”の目的であると説いているのだと思うのですが、残念ながら、私にはその具体的な方法までは理解できませんでした。
「訳者のあとがき」に、訳者自身、著者に対して「教科書を使わずに具体的にどのように教えるのか示して欲しい」と依頼したそうです。
(p169より引用) 「この本は、教師のために書いたものではありません。人間のために書いたものです。私は読者に、学校から何を奪われたのかを知ってほしくて書きました。教師たちが精神的な児童虐待をし続けることを手伝うつもりはまったくありません。つまり、教師と学校こそが問題なのです。何が解決をもたらすのか、自分自身で学ぶしかありません。そのことは、本のなかでかなりハッキリ書いたつもりですが…」
というのが著者からの回答だったとのことです。
私自身で考えざるを得ないようですが・・・、今はまだダメですね。