OMOI-KOMI - 我流の作法 -

For Ordinary Business People

ストーリは「ブロック積み木」

2005-07-09 23:51:44 | ブログ
 企画書であれ報告書であれ、相手に何かを伝えるアウトプットにはストーリが必要です。根拠となる事実・それに基づく論旨・それらにより導かれる結論等が一連のものとして繋がっていなくてはなりません。他人が見聞きして「一連のストーリ」と感じるためには、そういう「構造化された論理展開」が不可欠です。

 この「論理の構造化」をうまくやる最も基本的な方法は、「ブロック積み木」の要領で論旨を組み立てるというやり方です。

 「事実」や「条件」や「結論」等をそれぞれ「ひとかたまり」の「ブロック(テキストボックス)」にまとめて、それらを相互の関連を考えつつ組み合わせていくのです。

 そのときのポイントはいくつかありますが、特に注意するのは以下のような点です。

  ・ひとつのブロック積み木には、異質のものを入れないこと、
  ・2つか3つ程度のブロック集めていったん中位のかたまりを作る
   こと
  ・その中位のかたまりで何かひとつのメッセージ伝えること

 そして、その中位のかたまりをいくつか組み合わせて、全体ストーリ(「始めに」から「結論」まで一連の話)に仕立てるのです。

 ともかく、常に自分が説明者になったつもりで準備することです。「ブロック」の順序をあれこれ変えながら、自分ならどういう順番で話すか、どういう順番で話すと聞く人によりよく分かってもらえるか、を考えるのです。

 ただ、これだけでは十分ではありません。可能なら、今度は「聞く人(説明を受ける人)」の立場にたって、どういう内容をどういう論旨で説明してくれたら分かりやすいか(腹に落ちるか)をイメージすることです。

 説明する方の立場で考えると、あれもしゃべろう、これも説明しておこうという感じになって、かえって論旨が分かりにくくなってしまいがちです。

 聞く立場でいえば、腹に落ちれば理由はひとつで十分ということもあります。分かりきっていることや、細かすぎることをあれこれ説明されると返って混乱してしまいます。
 理解している人にこれでもかと覆いかぶせるような説明をするのは労多くして益なしです。


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WHATとHOW

2005-07-08 23:33:14 | ブログ
(夢を力に(本田宗一郎)p236より引用)我われが行動する場合には、気づくことが先決条件である。技術があれば何でも解決できるわけではない。技術以前に気づくということが必要になる。日本にはいくらでも技術屋はいるが、なかなか解決できない。気づかないからだ。もし気づけば、ではこれの半分の時間でやるにはどうすればいいかということになる。そういう課題がでたときに技術屋がいる。気づくまではシロウトでもいい。そういういちばん初歩のところを、みんな置き忘れているのではないかという気がしてならない。(1959年)


 この点は、まさに最近よく言われている「WhatとHow」の話しです。この場合、「気づく」ことの目的語が「What」になるのです。本田氏は、「Whatに気づく」重要性について、すでに1959年に語っています。

 最近の著述でいえば、たとえば、慶應大学大学院政策・メディア研究科教授高橋俊介氏の記事に分かりやすく解説されています。

「What」と「How」を従来の経営ではプラン「Plan」と呼んでいたが、実は「What」と「How」を別々に考えることが重要である。いわゆる事業の目的や仕事の意味にあたる。「What」 を構築する能力と、その「What」を「How」に分解する能力は極めて異なる。これが理解できないとソリューション事業はうまくいかない。それだけではなく、今後の知の時代、全ての組織で、根幹に関わる問題である。

ピラミッド組織は受注生産組織には向いていた。またモノを売る場合はうまくいっていた。この組織では、ごく一握りのエリート社員や1人のオーナー社長が「What 」を作り、多くのエリート中間管理職がそれをうけて「How」に分解する。そして多くの平社員が「Do」を行う。「Check」はそれ専門の部署で行う。「What」や 「How」や 「Do」や 「Check」を組織階層により分担して行う。分担度合いが高ければ高いほどピラミッド組織が見事に出来上がっていた。


 現代のあらゆる業種業態の市場においては価格競争の限界が語られ、その市場のプレーヤ(参入企業)は、差異化戦略への転換・対応が求められています。すなわち「どうやるのか」ではなく「何をやるのか」が差異化のポイントになっているのです。
 みんな「何をすればいいのか」に迷い悩んでいます。「上司だからといって必ずしも『何を』を見つける能力が高いとはいえない」ということです。

「お前の客にソリューションを提供するんだ。」「レベルの高い提案書を顧客に持っていって、お客様と戦略的なパート ナーを構築できるような関係を構築するのだ。」 「私の担当しているA社には何を提案すれば良いのですか?」「俺にも解らない。だって顧客の所へ行ったことが無いんだから。」この何をするのか 「What」を上司に相談しても答えが返ってこない。


 むしろ顧客に近い第一線の社員の方が、マーケットのニーズに直接接している分「何が求められているのか」に気づくチャンスは圧倒的に多いのです。

 「何をやるのか」を示すことのできないリーダーはその存在意味はなくなります。


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菜根譚

2005-07-04 00:28:16 | 本と雑誌

 本書は、今から400年ほど前、明代の洪自誠による書物です。中国よりもむしろ江戸時代から現代までの日本で多く読まれているとのこと。儒教・仏教・道教の三つの教えを融合した処世の実践書です。

 ともかく、中国古来の王道の教えから代表的な処世訓を抽出した究極のHow Toものですので、近現代の日本の安直な風潮にjust fitしたのでしょうか。
 ただ、中には物事に対する基本的姿勢においてなるほどという箴言があります。

(p110より引用) 天、我を薄くするに福を以てせば、吾、吾が徳を厚くして以てこれを迎えん。天、我を労するに形を以てせば、吾、吾が心を逸にして以てこれを補わん。天、我を阨するに遇を以てせば、吾、吾が道に亨らしめて以てこれを通ぜん。天且つ我を奈何せんや。

「天が我にわが福を薄くするなら、我はわが徳を厚くして対抗しよう。天が我にわが肉体を苦しめるようにしむけるなら、我はわが精神を楽にして補うようにしよう。天が我にわが境遇を行きづまらせるようにしむけるなら、我はわが道をつらぬき通すようにしよう。かくすれば、天といえども、我をどうすることもできないであろう。」


 「・・・するのがよい」「・・・すべきだ」「・・・してはいけない」という調子の訓話よりも、「私は・・・しよう」という意思のこもった言い振りの方が、共感を呼びますし圧倒的に説得力がありますね。

(p210より引用) 世人は心の肯う処を以て楽と為し、却って楽心に引かれて苦処に在り。達士は心の払る処を以て楽と為し、終に苦心の為に楽を換え得来たる。

「世俗の人は、心が満足することを楽しみとするので、かえって、その楽しみを求める心のために苦しみに引きこまれる。(これに反し、)道に達した人は、苦しみにうち勝つことを楽しみとするので、結局、苦しみのおかげで楽しみを手に入れる。」


 菜根譚は、前集・後集に分かれていますが、後集は退隠閑居の楽しみを説いていて、こちらの方が教訓臭くなくて素直に耳に入ってきます。

菜根譚 (岩波文庫)
洪自誠
岩波書店
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資料作成の5W→1H

2005-07-02 22:46:50 | ブログ
 会社で働いていると、通常の業務のアウトプットとして何らかの「資料」を作成することがよくあります。

 そういった資料作成における基本的な留意点です。

 資料作成(「どのように(How)作るか」)のポイントは、「5Wを意識する」ことです。この場合の5Wは、(ちょっとこじつけっぽいですが、)
まず、「資料作成に取りかかる前に
   ① いつ (When)
   ② どこで/どんな場面で (Where)
   ③ 誰が (Who)
   ④ 誰に対して (to Whom)
   ⑤ 何をする (for What) ための資料か
を考える」ということです。

 「何を言いたいための資料か?(for What)」については、誰でも意識していると思います。(もちろん、そもそもその点からして曖昧な資料も時折見かけますが・・・)が、それと同程度に重要なのは、「誰が(Who)使う(説明する)資料か?」という点です。

 資料作成の初心者は、無意識のうちに「自分」が説明することを前提にして、自分の世界のみをイメージして資料を作ってしまいます。
 そうなると、記述内容が専門的過ぎたり、ともかくあれこれ説明しておきたいことをテンコ盛りにしたり・・・となりがちです。
(特に、学生時代は、たとえばゼミの発表にしても何にしても、ほとんどの場合資料を使うのは自分自身と決まっていますから、ついついそのノリでやってしまうのかもしれません。が、これは結構、会社に入ってそこそこ経つ中堅社員の場合にも時折見かける傾向です。)

 自分以外の「誰か」のための資料は、それを使う「誰か」の立場にたって、「誰か」を主語にして作らなくてはなりません。

 同じ課題の対策を説明するとしても、部長が社長に説明するための資料と、自分が課長に説明する資料とでは、全く顔つきが異なったものになるのです。


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