会社関係の方からいただいたので読んでみた本です。
山岸俊男氏の著作は以前、「日本の「安心」はなぜ、消えたのか―社会心理学から見た現代日本の問題点」を読んでいます。そこでも論じられていたコンセプトが「安心社会」「信頼社会」です。
本書でもこのコンセプトが登場します。本書の前半は、そのコンセプトの概要説明です。
(p2より引用) 「安心社会」とは、ひとことで言えば、人々が安定した関係のきずなを強化することで、固定した関係の内部で安心していられる環境を築きあげている社会である。またそのことのために部外者を排除し、長いつきあいのある人たちの間の関係に人々がとどまっている社会である。これに対して「信頼社会」とは、そうした安心していられる固定した関係を超えた、他人一般に対する信頼の上に作られた、さまざまなチャンスの追求を可能とする社会である。
山岸氏は、この「安心社会」の歴史的な実例として、11世紀地中海貿易で財をなした「マグリブ商人」、江戸時代の「株仲間」をあげています。
(p53より引用) マグリブ商人たちと江戸時代の株仲間の歴史が教えてくれるのは、集団主義的なエージェント問題の解決は取引費用という点では安上がりだが、取引費用の節約を上回る機会費用を発生させてしまう可能性があるということである。これに対して、公的な司法制度が存在するようになると、集団主義的な方法を用いなくとも比較的小さな取引費用を支払うことで、安全な取引が可能となる。
このため、外部すなわち多様な他者との関わりを前提とし機会費用を低めることが重要とされる社会において、近代的な商慣習を支える法制度が整備されると、集団主義的方法をとる「マグリブ商人」や「株仲間」は、「取引費用<機会費用」というデメリットゆえに消滅していったのです。
この「安心社会」と「日本人」の関わりに関して、著者の興味深い議論をご紹介します。
(p170より引用) 日本人は個人としての他人を信用できないので、他人を信用しなくてもすむ安心社会を作ってきた、そして安心社会に安住することで、他人を信頼できるかどうかを見極めるための社会的知性を十分に育成してこなかったという議論である。
ちょっと淋しい指摘ですね。
さて、本書で山岸氏らは、「安心社会」から「信頼社会」への移行を主張しています。
そのための必要要素として「評判」の公開・共有を指摘しています。
(p210より引用) これまで紹介したテクノロジーの問題やインセンティブの問題が解決されれば、ユビキタス評判社会が実現する。それは一人ひとりの個人が裸でリスクに立ち向かう信頼社会ではなく、評判システムによって守られた新しい安心社会となるだろう。この新しい安心社会では、一人ひとりの個人は、他者の人間性を見極めるための社会的知性を身につける必要はない。評判システムが社会的知性の肩代わりをしてくれるからである。
この議論には、私は全く与することはできません。
この主張は、人として最も尊重すべき「多様な個性・人格」の存在を否定するものだと考えるからです。
(p211より引用) これからは信頼能力だけではなく、対人関係能力もテクノロジーで置き換えられるようになるだろう。
こういう世界は、私はまっぴらです。
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