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日本を教育した諭吉 (日本を教育した人々(齋藤 孝))

2007-12-09 17:11:12 | 本と雑誌

Fukuzawa  齋藤氏が、日本を教育した人物として2人目に挙げたのが、明治期の「福沢諭吉」です。

 福沢諭吉(1834~1901)は、当時の代表的な啓蒙思想家・教育者です。
 豊前国中津藩士の子として大坂に生まれ、蘭医緒方洪庵の適塾に学びました。その後、1858年(安政5)、江戸に出て藩の下屋敷に蘭学塾を開きましたが、この蘭学塾が後の慶応義塾となります。

 齋藤氏は、諭吉の教育に対する姿勢としての「学ぶ構え」に注目しました。

(p60より引用) 彼(諭吉)は武士の漢学の素養をもとにし、学習する構えを完成させていたのである。・・・
 日本人の教育のなかで最も大事なものとして、構えの教育があったと私は思っている。・・・「構え」とは、私の考えでは、物事に向かうときの身体や心がセットになった姿勢のようなものを指す。

 この「構え」の有無によって、同じインプットを与えてもその効果は全く異なるというのです。

 ところで、諭吉といえば、やはり「学問のすゝめ」です。

 「学問のすゝめ」は1872~76年(明治5~9年)にかけて刊行された冊子で当時の大ベストセラーとなりました。
 そこで諭吉は、個人の独立・自由・平等のもとで学問に励むことが国家隆盛の基本であると説きました。
 単なる西洋化を勧めたのではありません。西欧諸国と伍するために人々に教育の重要性を訴えたのです。

 人々に伝えるべき西洋の事物。
 諭吉は、その代表的な紹介者でした。

(p65より引用) ひとくちに西洋といってもいろいろなものがある。なかには、わざわざ学ばなくてもいいものもある。その中で学ぶべきものを純化して、それをふさわしい形の日本語にして、みんなにわかりやすい言葉で紹介する濾過器が諭吉だったのだ。

 幕末から明治にかけての時代は、「教育の時代」でした。
 学問が真の実学として大きな意味をなしていた時代でした。

(p98より引用) そもそも概念の活用が学問の本質である。さらに本質的には、その概念をつくっていくのが学問である。そういう学問をしっかりと積んだ人たちが日本を教育していた時代があり、それが尊重された時代があった。学問をすることが、みんなの当然の欲求であって、学問を達成している人が尊敬され、その人たちがリーダーとして発言するのが当たり前だと考えられていた。
 そういう時代の日本は幸せだったと思う。

 さて、今の時代は・・・。

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