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福沢諭吉 国を支えて国を頼らず (北 康利)

2007-06-22 00:12:05 | 本と雑誌

Fukuzawa_1  福沢諭吉の本は、今までも、諭吉自身による「福翁自伝」「学問のすゝめ」などを読んでいます。

 今回は、北康利氏による「福沢諭吉伝」です。
 福沢諭吉の生涯を、誰にも分りやすく、平易な文体で丁寧に紹介していきます。

 従来からよく言われていたことですが、諭吉が「封建制度」を敵視し「平等」な社会を希求した最大の動機は、諭吉が物心もつかないころに亡くなった父百助の不遇にあったとされています。儒学者でもあった百助は、相応の業績を残しながらも身分格差の激しい中津藩では名をなすこともできずにこの世を去ったのです。

(p27より引用) 〈・・・私のために門閥制度は親の敵で御座る〉
 最晩年に著した自伝(『福翁自伝』)のこのくだりは、まさに彼の血涙でつづられている。亡き父親への哀惜の念は、赤くむけた擦り傷に水が沁みるように長くひりひりと痛み続け、「門閥制度」の萌芽さえも「親の敵」として摘み取ろうとする原動力となっていった。

 著者は、豊富なエピソードをもとに多面的に諭吉像を描いていきます。
 その中での「諭吉の評価」のひとつです

(p169より引用) 何より諭吉には、すばやく本質を見抜く力が備わっていた。
 たとえば、自由主義を紹介する際も、自由というものは、社会に対する義務や貢献(不自由)を伴うものだということを明確に指摘し、そこをはっきりさせなければ自分勝手主義に堕してしまうと警鐘を鳴らしている。〈自由在不自由中(自由は不自由の中にあり)〉という言葉などは、現代人もじっくり玩味するべき至理名言である。

 もちろん、啓蒙思想家としての定評もあります。

(p169より引用) 限られた書物しか手に入らない当時にあって、短期間に欧米の最先端の学問を自家薬籠中のものとし、庶民にまでわかるようにやさしく噛み砕いて啓蒙していったことの歴史的意義については、いくら高く評価してもしすぎることはない。

 本書では、諭吉の業績のみならず、失敗についても触れられています。

 たとえば、自由主義的変革を目指した「教育令」の失敗です。
 「教育問題」は諭吉の思い入れが非常に強く、それゆえに諭吉の抱いていた「理想」と当時の諸環境という「現実」とのギャップが想定以上に大きかったようです。

(p220より引用) 教育令が施行されると、果たして佐野や九鬼の危惧した通り、教育の現場は大混乱に陥った。
 教育令が示した自由なやり方は、「自由主義的」というより「自由放任主義的」と受け取られ、教育の現場は指示を待つ人々で停滞していく。教育令施行は近代教育史に残る壮大な実験であったが、諭吉たちの掲げた理想に現実が拒絶反応を見せたのだ。・・・
 当時はまだ社会が成熟していなかった。その点、実務に長けた九鬼が自由主義的教育に見切りをつけたのは合理的判断だったと言えるかもしれない。

 その他、本書では、諭吉のあまり知られていない「起業家」として横顔も紹介しています。

(p240より引用) 福沢諭吉といえば、とかく思想家、教育家と思われがちだが、起業家としてわが国産業の近代化に貢献した点において、第一国立銀行を始め多岐にわたる企業群を作り上げた渋沢栄一にも比肩すべき存在だと言えるだろう。

 諭吉の起業の動機は、やはり「独立自尊」でした。

 明治生命保険会社は、「一身の独立」を果たすために死に対しても経済的な備えをすべきという考えにもとづいたものでした。また、横浜正金銀行(後の東京銀行、現東京三菱UFJ銀行)は、貿易の主導権を海外企業に握られる状況に対抗するため、わが国独自の外為専門銀行の設立を企図したものでした。

福沢諭吉 国を支えて国を頼らず 福沢諭吉 国を支えて国を頼らず
価格:¥ 1,890(税込)
発売日:2007-03-30

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