OMOI-KOMI - 我流の作法 -

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方針を固定するな (氷川清話(勝 海舟))

2005-08-17 23:30:37 | 本と雑誌

 幕末から明治にかけて活躍した勝海舟の談話を取りまとめたものです。
 今流のまさにBlogのような体裁・内容で、海舟の率直な思想・評論が面白く語られています。

 巻末の解説にもありますが、世に出ている「氷川清話」は吉本襄によるものが流布している、ただ、その内容は吉本襄により(彼のスケールで)勝手にリライトされているところが多く、それの是正版でもあるとのこと。その是正箇所を本文の注において各々詳らかにしている体裁も変っています。

 語っている内容は、現代においてもそのまま当てはまるものが多くあり有用な示唆に富んでいます。明治のころと進歩していないのか、それとも歴史は繰り返しているのか・・・ですが。

(p220より引用) 人はよく方針々々といふが、方針を定めてどうするのだ。およそ天下の事は、あらかじめ測り知ることの出来ないものだ。網を張つて鳥を待つて居ても、鳥がその上を飛んだらどうするか。我に四角な箱を造つておいて、天下の物を悉くこれに入れうとしても、天下には円いものもあり、三角のものもある。円いものや、三角のものを捕へて、四角な箱に入れうといふのは、さてさて御苦労千万の事だ。
 おのれに執一の定見を懐き、これをもつて天下を律せんとするのは、決して王者の道でない。(中略)
 マー世間の方針々々といふ先生たちを見なさい。事が一たび予定の方針通りに行かないと、周章狼狽して、そのざまは見られたものではないよろしくお願いいたしますヨ。

 このような場合の海舟流の対応方法は「無我」「無用意」です。

(p302より引用) 元来人間は、明日の事さへ解らないといふではないか。それに十年も五十年も先きの事を、劃一の方針でもつてやらうといふのは、そもそも間違ひの骨頂だ。・・・いはゆる心を明鏡止水のごとく磨ぎ澄ましておきさへすれば、いついかなる事変が襲ふて来ても、それに処する方法は、自然と胸に浮んで来る。いはゆる物来りて順応するのだ。おれは昔からこの流儀でもつて、種々の難局を切り抜けて来たのだ。

 予め準備をしておくのではありません。頭を「中立」の状態にしておいて臨機に判断してゆくのです。
 これはものすごく難しいことです。頭の中を予見もなく何もバイアスのかかっていない状態にするのも大変ですし、その上で瞬間の判断を下すのも簡単にできることではありません。
(野球でいえば、自然体で構えて、来た球に自在に反応するという感じでしょうか)

 海舟は、同じような趣旨のことを「海舟座談」の中でも話しています。

「外国へ行く者が、よく事情を知らぬから、知らぬからと言うが、知って往こうというのが、善くない。何も、用意をしないで、フイと往って、不用意に見て来なければならぬ。」

コメント
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