今朝は起きたのは4時前。いつもの様にパソコンチェックをして、5時過ぎに歩き出した。
丸亀城へと歩き、搦め手門には入らず堀の外を歩き北側に。堀をまたいでこいのぼりが泳いでいる。
警察署前から八重桜?と丸亀城
市民広場の「丸亀歩兵第12連隊跡地」「丸亀歩兵第112連隊跡地」の碑が同じ場所に。
丸亀歩兵第12連隊は明治8年にこの地で編成された。天皇陛下より軍旗が授けられ、昭和20年に終戦、8月18日に高知県稲生村で奉焼するまで71年間続いた連隊である。その間、西南の役・日清戦争・北清事変・日露戦争・満州、上海、支那事変・太平洋戦争等で数多くの将兵が散っていった歴史がある。その殆どは香川県出身の若人であったという悲しい出来事である。
丸亀歩兵第112連隊は、昭和15年9月27日昭和天皇より軍旗を授けられ、昭和16年9月26日動員令が下り連隊として編成された。昭和20年8月15日ビルマ領ニヒコウゴ北東という地で終戦となり解散した。 私の中学生の頃には、この辺りには軍の建物が残っていたが今は官公庁街となり、その面影はなくこの様な碑を見るのみとなった。この官公庁もやがてどこかに移転して、変わってしまうのだろう。すでに警察署は数年で移転が決まっている。これも時代の流れかな。
大手門より入城、見返り坂を息を切りながら上る。二の丸の桜もすっかり青葉となった。
天守閣の周りも今月の初旬頃とはずいぶん変わった。
二の丸に降りて北にまわり、天守閣の石落しを。
帰りに城南町の墓地をウロウロ。各務半左衛門豊範の墓を探してみた。幕末維新時に土肥大作らと活躍した人物である。でも、墓は見つけることが出来なかった。 帰宅はいつもと同じ7時過ぎだった。午後は昔の職場の同僚と、サンマルクカフェでのお茶会となった。 約2時間楽しい時間であった。
今日は、地図の日・最初の一歩の日。伊能忠敬が北海道を測量するために出発した日である。
寛政12年(1800)閏4月19日、伊能忠敬56歳の時に蝦夷地の測量に出発した。豪商伊能家を継いだが、長男・景敬に家督を譲り50歳で隠居した、隠居後に江戸に出て天文学・暦学・西洋数学等を学び、全国各地を測量し、最初の日本地図『大日本沿海興地全図』を完成させた。現代風にいえば定年後に勉強して新しいものに挑戦し、完成させるもの。ん~我々も頑張らんとなぁ~。その地図は忠敬没後3年の1821年に完成したのである。世界に誇れる地図を作り、精度は高く評価された。後年(1828年)、シーボルトが日本地図を国外に持ち出そうとしたのはこの地図である。
って事で今日はこの辺で、じゃ~またネ