ひめはぎのはな

踏青。翠嵐。蒼穹。凛然。…爽やか、山日和。by sanpoiwa1736

北条の野望を打ち砕いた房総の勇将

2007-12-20 22:20:02 | 小説.六韜三略
・・・・・・里見義堯(1507~1574)

 第二回は、小川由秋の“里見義堯 北条の野望を打ち砕いた勇将”(PHP文庫)です。
房総の里見氏と言えば、滝沢馬琴の南総里見八犬伝です。これは架空の物語ですが、これによって里見氏に興味を抱いたのも事実です。

 内紛を乗り越えて義堯が里見の当主に座に就くと、北条氏との争いも本格的になります。その代表的な戦いが江戸川の東岸・下総国国府台。
時は天文七年。このとき里見氏はまだ安房一国を平定したに過ぎません。小弓公方足利義明は武蔵進出を賭けて北条氏と戦います。義堯はその義明に要請に応じて国府台に出陣しますが、義明討ち死にの報に退却を余儀なくされます。
この後、北条氏を警戒しつつ房総のほとんどを手中に治めるも、永禄七年、二度目の国府台合戦が行われました。義堯は嫡男の義弘を総大将に里見の支柱である正木時茂・時忠兄弟、時茂の嫡男・大太郎などが迎え撃ちます。里見軍は初日に大勝するも、翌朝・・・。
 間諜の左平次が義堯の前に姿を現します。


「大太郎さまは、時茂さまを脱出させるために、何度もみずから敵陣に斬りかかり、命を落とされた模様です」
「なに・・・・・・!」
義堯は一瞬言葉を失った。大きな衝撃がきた。義堯にとって痛恨の知らせである。

(本文抜粋)


 里見氏はこの後、次々に城を落とされ、上総のほとんどを失い、義堯自身も安房に退却。そして信頼する正木時忠謀反の報せ。
絶望的な中、永禄十年七月、ついに北条軍出陣の一報が!!
義堯は再度、嫡男・義弘にすべてを託します。北条軍一万対里見軍二千五百。富津岬から東におよそ二里、上総国三船山にて里見の運命を賭けた戦いが切って落とされました。

 当時の地名が現在でも残っていますので、地図を確認しながら読んでいくと楽しめます。また、北条氏の動向も、第三者的によくわかります。関八州制覇を目論む北条氏にとって最大の敵、上杉氏と対決するには、どうしても背後の里見氏が目障りな存在だったと思われます。