Learning Tomato (旧「eラーニングかもしれないBlog」)

大学教育を中心に不定期に書いています。

vol.260:本人確認とeラーニング

2008年02月07日 | 大学のeラーニング
サイバー大学に留意事項
eラーニングに携わる人間としては年明け早々シリアスなニュースが飛び込んできました。すべての講義をインターネット上で実施しているサイバー大学が、在校生620人のうち約200人の本人確認をしていなかった等の問題により、文部科学省から留意事項を通知されました。
(文部科学省のページ)
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/20/01/08012806/002.htm

このニュースを最初に報道したのは1月21付の読売新聞でした。
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20080121ur02.htm
記事の見出しは「本人確認せず単位」。確かに本人確認できていない学生が存在したことは事実だったようですが、単位の付与に関しては事実と異なるということで、その後「怒りの会見」を吉村学長が行っています(下記「本人確認せず単位付与」は事実誤認、サイバー大学の吉村学長が会見。読売新聞社には法的手段も検討(Internet Watch 08/01/21)を参照)。

http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2008/01/21/18189.html

eラーニングの本人確認
サイバー大学だけでなく、遠隔地にいる学習者の本人確認はeラーニングや遠隔教育に常につきまとう問題です。

サイバー大学の場合は、主に入学時の本人の確認を怠ったということで今回留意事項がついていますが、これが入学後の各授業への参加者やレポートの作成の厳密な本人確認となると履行は相当難しくなります。

上記の文部科学省の留意事項の中で
「認可時の計画であるICチップ内蔵学生証でのログインによる本人確認が行われていないので、適切な方法で確実に本人確認を行うこと」
という指摘がありますが、実は本人になり代わっての替え玉受講に対してこの方法はあまり効力を発揮しません。

銀行のキャッシュカードやクレジットカードの本人確認の場合、他人に使われることを一番嫌っているのは「本人」です。こうした場合はICカード等による本人認証は効力を発揮します。しかし、替え玉受講の場合、「本人」が他人に使ってほしいと思っているため状況が逆だからです。このような状態でICカードを使っても玄関のドアに鍵を室外と室内を逆につけるようなものではないでしょうか?

では、指紋や静脈認証等の本人の身体的特徴を用いて本人確認を行う「バイオメトリクス認証」はどうでしょうか?この方式であってもログイン時のみ本人の指で認証して、後は替え玉が受講すれば無力となってしまいます。

従来の通信制大学の場合「科目修得試験」が試験会場で実施され、これが本人確認の場として機能してきました。下記のWebサイト本学短期大学通信教育課程の科目修得試験についての説明です。
http://www.sanno.ac.jp/tukyo/t_kamo.html
しかしこれとても試験に臨むまでのリポート課題等を他人がやっていたら分からないのです。

通学制だって怪しい
しかし、そこまで厳密にみると、はたして通学制の場合でも本人が勉強しているのかどうか怪しいケースは沢山あります。例えば他人の講義ノートによる学習というのはどうでしょうか?

最近UNN関西学生報道連盟の「問われる学生のモラル加盟大学内で講義ノートの使用実態調査」という記事が話題になっています。
http://www.unn-news.com/newsflsh/bunka/20080203131033.html

学生が執筆したノートを大学運営以外の者が仲介、販売(1冊500~1000円)する講義ノート屋というのがあり、何と7割以上の学生が利用したことがあるというのです。授業に出席せず、他人の講義ノートを1000円で買って期末試験に臨む通学の学生。これは「本人」が勉強したと言えるのでしょうか?

百歩譲って、試験は本人が受けているのだから良しとしても、次のようなケースはどうでしょうか?
レポート/卒論/修論作成代行サービス
卒論・レポート代行所

もちろんこれらの代書サービスのクオリティが低くて(あるいは高すぎて)本人が書いたのではない事がすぐにばれてしまうことも考えられます。

しかしここで問題にしたいのは、通学制の大学はおろか、日本の社会全体が本人確認を厳密に行わずに成り立っている部分が多いという事です。

選挙投票はどうでしょうか?
病院で提示する健康保険証はどうでしょうか?
定期券はどうでしょうか?

本人の意思で他人に使わせる場合、替え玉はそもそも防ぐことができないケースは結構あるのと筆者は考えます。

そもそもシステムを悪用した人を罰するべき
もう一つ、今回のサイバー大学の問題で思ったのは、仮に替え玉で受講して単位を取る輩が今後出たとしても、それは替え玉をたてた学生がまずに咎められるべきではないかという点です。無論、大学は公正な手段でしか単位が取得できないようにシステムを整備していくことは必要ですが、前述の通り、本人確認には限界があります。

むしろ、学生に「この授業は替え玉に受講させてもいい」と思ってしまうような、つまらなくて役に立たない授業を提供している事こそ、大学は咎められるべきではないでしょうか?

性悪説に基づきガチガチの監視システムで管理するような教育でなく、学びたい気持ちをもった学習者が自らの意思で学習を継続する性善説的な学びの場が構築できれば理想なんですが、考えが甘いかなあ~?

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2 コメント

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そのとおりだと思いますのですが。。。 (oogakinet2007)
2008-02-13 01:23:36
「ICチップ内蔵学生証」や「ログインパスワード」が、他人に託すことも可能な”権限の確認”でしかないというお考え、”本人確認”は別の機能であるというお考えには、そのとおりだと思います。
しかしながら、「システムを悪用した人を罰するべき」というのは、別の議論もあるように思います。工学的には、”悪用出来るシステム”が良くないシステムだということは、多くの人が納得出来るように思います。同じように、社会システムとしても、”悪意が生じる可能性があるシステム”は良くないと思います。「すべての人が正直で、戸締りする必要のない社会」というのは寓話や寓話的に幸せな社会としては成立すると思うのですが、システムとしては駄目だと思います。「盗みが可能であるけれど誰もそれを行なわない社会」よりも、「盗みが全く不可能なため、誰もそれを思いつかない社会」のほうが、良い社会システムだと主張したいのですが、いかがでしょうか? 「性善説」より「性悪説」ということではなく、「性善説」より「悪が不可であることが性善を育む説」が良いのではないかと思うわけです。
工学が「悪が不可」であることに万能であれば良いのですが、そうではない。そうで無くても、出来る範囲、出来る分野で「悪が不可」とするための工学の役割はあると思います。
5年くらい前に、「本人確認」のための次のような方法を考えてみました。

http://blog.goo.ne.jp/oogakinet2007/d/20080206

深夜の自習でパソコン画面に合わせ鏡をする姿は、悪魔を呼ぶ儀式のように見えて、工学的ではないかも知れませんね。
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Unknown (koga sanno)
2008-02-14 13:44:09
oogakinet2007様

コメントありがとうございました。
また、本人確認の仕掛けもご紹介いただきありがとうございます。

> 深夜の自習でパソコン画面に合わせ鏡を
> する姿は、悪魔を呼ぶ儀式のように見えて、
> 工学的ではないかも知れませんね。

確かに

工学的に制限できる部分と、罰則等による人為的な抑止力双方によって、悪意のある不正は防止できるのかもしれませんね。
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