Learning Tomato (旧「eラーニングかもしれないBlog」)

大学教育を中心に不定期に書いています。

000:久々のメルマガ再開です

2014年08月12日 | お知らせ

しばらく休刊しておりましたが、メールマガジンを再開します。再開にあたっての基本コンセプトは「ほそーくつづける、ながーくつづける」です。そのため今までとは配信方法を大幅に変更します。以下がその変更点となります。

1)不定期
以前配信していた時は毎週(もしくは隔週)の日曜日の夜と決めておりましたが、今度は気まぐれに配信していきます。発刊日に迫られて「書かされる」のでなく、「書きたいネタがあった時書く」に方向転換します。従いまして1回1記事のアップとなります。

2)メールマガジン名変更
以前はSanno Learning Magazineという名称で発行していましたが、組織名が入ると色々と厄介な問題もありますので、"Learning Tomato"という名前に変更します。メルマガの新名称を考えていた時、たまたまトマトジュースを飲んでいたというたわいもない理由から"Learning Tomato"にしました。80年代にTVK(テレビ神奈川)で放映していた『ファンキートマト』という番組が好きだったことも多少影響していたかも。

3)コンテンツはBlogで
今まではすべてメルマガで文章を配信しておりましたが、これからはすべてBlogサイト(Learning Tomato 旧「eラーニングかもしれないBlog」http://blog.goo.ne.jp/sanno_el)に本文を掲載します。メルマガでは記事のタイトルと概要、Blogのリンク先のみお伝えします。読んでみたいと思ったらクリックしてください。

4)再度登録が必要
メールでの情報配信(といってもBlogでの新作通知だけですが)が必要な方は再登録が必要となります。「まぐまぐ」サイト(http://www.mag2.com/m/0001639472.html)にて登録願います。もしくは、Blogサイト「Learning Tomato」(http://blog.goo.ne.jp/sanno_el)をRSSリーダー等で登録御願いいたします。

で、再開第一号のタイトルは「反転授業は札幌で」となります。
「オープンエデュケーションと未来の学び」というMOOCの講座を学習し、その公開講座がなぜか札幌で開催されるため、北海道まで行ってきましたという内容です。

vol.500:終わりに・・・eラーニングは破壊的イノベーションとなるか

2014年03月17日 | 小ネタ



最後に、ちょっとまじめな話で、本メルマガを締めたいと思います。

実は最近8年ぶりぐらいにeラーニングの仕事に関わっています。メルマガが
終わるタイミングにこういう仕事が回ってくるというのも何かの縁かと思い、
(本人的には)粛々と任務をこなしています。その仕事の中で「今後のe
ラーニングはどうなっていくのだろう」みたいな話題が出まして、「それっ
て20世紀の終わりにコガがeラーニングの事業を検討していた時と同じQuest
ionじゃないの?」という気持ちになりつつ、本当にどうなるのだろうと結
構マジに考える日々を過ごしております。

そんな中、手に取ったのは『イノベーションのジレンマ』(C.クリステンセ
ン 翔泳社 2001)という本です。クリステンセンの著書は、本メルマガでも
以前『教育×破壊的イノベーション 教育現場を抜本的に変革する』を紹介
しております(http://goo.gl/GGJjle)。しかし、今回経営戦略の古典とも
呼ばれる『イノベーションのジレンマ』を読み、改めてeラーニングが教育
ビジネスにとって「破壊的技術」になりつつあるという確信を得ました。

クリステンセンによると、破壊的技術を用いた製品は市場投入時以下のよう
な特徴を持っているそうです。
・既存市場の持続的技術を用いて作られた製品に比べて性能が低い。
・技術といっても新しく革新的な技術は使われていない。
・ありものの技術を組み合わせて、安く作られるのが一般的。
・だから安く低利益で経営的なうま味はあまりない。
・でも、シンプルで使い勝手がよく、信頼性が高い。

そのような特徴から
・既存の顧客(特に上客)からは「安かろう悪かろう」と見向きもされない。
・規模が小さく今まで顧客と考えていなかった層から歓迎される。
・そのため賢明な大企業は、破壊的技術を用いた製品の取り扱いをためらう。
・一方で新興の企業にとっては、大企業との競合のないおいしい市場となる。

しかし、時間が経過すると破壊的技術を用いた製品の性能は、既存の顧客の
ニーズを満たすまで向上します。その時既存市場で持続的技術を用いて作ら
れた製品は、一気に市場を奪われてしまいます。

ここ10年のeラーニングにおけるOCWからMOOCの動向を見ていると、まさに破
壊的技術の性能向上の理論があてはまります。特に登場したての頃のOCWは
破壊的技術の特徴にピタリと合致しています。

OCWは講義映像や教材を配信するだけのeラーニングでした。講義映像の流し
っぱなしのケースが多く、IDの視点でみると性能的には劣った内容でした。
また単なる動画配信なので革新的な技術を用いていたとは言えません。さら
に対象も自国の大学に通う学生でなく、優秀だけれども高等教育を受ける機
会に恵まれない世界の人々を対象としていました。そして価格は無料のため、
そこから得られる直接的な利益はゼロでした。

しかしMOOCになり、単なる映像配信から進化し「コースウェア」としての機
能が付加されるようになりました。そして価格は無料のままです。

昨今の教育業界は、既存市場で持続的技術を用いられて作られた製品(この
場合は面接授業や集合研修や通信教育?)が破壊的技術によって駆逐される
寸前の状況といったら言い過ぎでしょうか?

コガの個人的意見としては、MOOCがこのまま既存の教育ビジネスを駆逐する
とは思っていません。しかし近い将来、もっと凄い破壊的技術が教育の世界
で生まれ、それがMOOC等のeラーニングと連携をとりながら、大きな変革が
起きるのではないかと考えています。

そうしたらまた本メルマガは復活するかも知れません。
その時の復活の第一声は
「だから俺がいった通りになったろ!」
となるでしょう。もちろんドヤ顔で。

では、皆さん長い間購読ありがとうございました。
またいつか、どこかでお会いしましょう。
(文責:コガ)

「それにしても、ネットは広大だわ。もうすでに、私たちの知らない次の社会が、生まれ始めている」
(攻殻機動隊 S.A.C. Solid State Society より)

vol.500:『GIVE&TAKE「与える人」こそ成功する時代』

2014年03月17日 | オープニング


ハシモトの最初で最後のeラーニングに関係ないかもしれない一冊
『GIVE&TAKE「与える人」こそ成功する時代』
アダム・グラント著、三笠書房、2012年

最初で最後の書評を仰せつかった。
どんな本にしようか、ここ数週間の悩みであった。捜し物が探しているとき
は見つからないように、悩んでいる時は見つからないものである。そして、
ふとした瞬間に見つかったりする。ちょうど、出張用の鞄の中から、お気に
入りのイヤホンが見つかるような瞬間だ。ここにいたか、と。

本書は、来年度のゼミの輪読用の素材を探している際に見つかった。家から
少し離れた大きな書店で様々な本を探している最中に目に留まったのだ。も
ちろん、探していた輪読用の素材は見つからなかったのだが・・・。

さて、メルマガ最後の書評としてお届けするのは、『GIVE&TAKE「与える
人」こそ成功する時代』である。本書は、入り口付近に平積みされていた。
一見、数多ある自己啓発書のひとつに思われた。

GIVE&TAKEとは、もちろん、与える事、受け取る事だ。仕事において、日常
生活においてかなり頻繁に使われる言葉だろう。仕事においては、GIVEする
事が大切だとかとは言いながらも、TAKE&TAKEの人もたくさんいたりする。
自分が一生懸命GIVEした気になっても、TAKEできなかったりするとがっかり
する。「なんだか、やって損したな」とか思ったりする訳だ。

結局、何が正解なのだろうか?
本書は、そこに答えを出す。

与える人:ギバー
受け取る人:テイカー
バランスを取る人:マッチャー

という3類型を作り、長期的に成功を収めるのはギバーであると結論づけて
いる。そして、ソーシャルネットワークが発達した時代にあっては、この
「長期」という時間軸が短くなっていると言うのだ。

この話からは、端的に「人間として、当たり前の行動として人助けをするの
ですよ」という、何らかの教訓を述べた本のように感じるかも知れない。一
面としては、そうである。その主張は、ギバーであることが成功の要因であ
ると述べているからだ。

しかし、本書が他書と違う所がその論理展開だ。「ストーリーとしての競争
戦略」といった著作で有名な経営学者である楠木建が監訳しているが、著者
は、経営学の世界で最も有名な大学のひとつであるペンシルバニア大学ウ
ォートン校の終身教授=テニュアである。
(https://mgmt.wharton.upenn.edu/profile/1323/overview)
しかも、1981年生まれの32才。同校の最年少の教授であるという。実を言え
ば、私(ハシモト)と同じ年なのだ。

そういった肩書きからも示されるように、本書では多種多様な(もちろん、
米国の事例が圧倒的に多数であり、グローバルな視点から見ると多少、恣意
的ではあるが)研究がレビューされており、それをGIVE&TAKEの観点から論
じているのだ。それ故に、「ギバーであることが長期的に成功する要因であ
る」という主張をこれでもか、これでもかとサポートする主張が繰り返され
る。もちろん、極めて論理的に。ビジネス書として、また自己啓発書として
の側面も有る中で、論文的な主張の進め方がなされている。

ギバーは何故成功するのか?
ギバーであれば、あらゆる場面で成功が約束されているのか?
といった観点に様々なデータを交えながら論じている。結論を紹介すれば、
「ギバーであればどんな場面でも成功するわけではない」という主張も面白
い。その上で、ギバーが成功するための秘訣なども紹介されている。

監訳者が冒頭で述べている通り、本書の主張は「情けは人のためならず」と
いうものであり、日本人にとって共感しやすいものだろう。しかし、その一
方で本書の記述にある「テイカー」という存在も、日本人にとってもなじみ
深いものだとも感じる。確かに、ギバーであることの良さが文化的に共感で
きるとは言いながらも、やはり同じくらいテイカーもいると思われるし、自
分自身もそうであるかも知れないと思うのだ。

特に、手っ取り早く成果を得ようとするテイカーとしての側面は、ゆっくり
と構えていることが許されにくくなった時代においては、合理的な選択のよ
うに思える。実際に、学生と接していたりしても、またビジネスマンと話し
ていても、「手っ取り早く、今日やって明日成果がでるような方法はない
か」と聞かれたりするからだ。こうした発想は、やはりテイカーの基本のよ
うな気がしてならない。問題なのが、それがある意味での時代の要請のよう
な所もあるからだろう。

例えば、「就活」という文脈においては、ギバーであることが認められる事
は少ないような気もする。短期間の面接でライバルに与えていれば、自分が
受からないという結果になってしまいそうだし、一方、企業側も「与える人
間だ」と言った人が必ずしも与える人間かどうかを判断することは難しいか
らだ(これは、本書P.368 の中国での昇進の事例から推察できるだろう)。
とすれば、長期的に成功し、企業に利益をもたらしてくれるはずのギバーを
評価する事は難しい。では、学生の立場として、テイカーやマッチャーの方
が上手くいくのだろうか。答えは、やはり短期的には上手くいくが長期的に
はギバーの方が上手くいくという答えになるのだろう。その根拠は、本書を
読んで頂ければおわかりいただけると思う。

では、振り返って、教師という立場としてはどう振る舞えば良いのだろうか。
具体的には、どんな指導を行えば良いのか、どんな人間であるべきなのであ
ろうか。実は、その答えも本書の中に提示されている。P.160からスケン
ダー教授の事例がそれだ。氏は間違いなく、ギバーである。そして、そのこ
とにより数多くの「優秀な」学生を育てる事に成功している。さらっと読め
ば、まさにその通りだと感じる事が多数である。しかし、より具体的に、今、
目の前に直面している課題を思い浮かべながら読んだ時に、それが「簡単に
できるか」と言えば、NOであろう。故に、その主張が重要であると考えられ
る。氏もまた、同じような現実に直面しながら乗り越えてきたのであろうか
らである。決して元々「優秀ではない」学生を、「優秀」にしているのだか
ら。

何故、この本を取り上げたのか。それは、メルマガを発行することは、すな
わちギバーとしての側面があるのではないかと感じたからだ。私自身はその
うちの本当に最後の最後の一部を担当したに過ぎないが、それでも何らかの
形で読者の方々に貢献したいという気持ちを表してきたつもりである。そし
て、そのことが何かをもたらしたかどうか、つまりTAKEがあったかと言えば、
分からない。しかしながら、誰かのためになっているかも知れないと思いな
がら、(結果として、駄文でしかないのだが)文章を書き連ねる事には、喜
びがあった。

些細な事かも知れないが、ギバーであるという側面は誰もが持っているので
はないだろうか。そして、そのことは、「良いと思っている事をしている」
という面と、「もしかしたら、ただのお人好しではないか」という面と両面
有るように思う。本書を読むことにより、ギバーであると言うことに対して、
大きな後ろ盾をもらえるのではないだろうか。

最後に、本書の最後の一文を引用して終わる。

「起きている時間の大半を仕事に費やしている私たちが、ほんの少しでもギ
バーになったら、もっと大きな成功や、豊かな人生や、より鮮やかな時間が
手に入るだろうか??
それは、やってみるだけの価値はある。」
(文責:ハシモト)

vol.500.300~500号からを振り返る(私的思い出のメルマガ記事十選)

2014年03月17日 | 振り返り


過去節目の号では、それまでの100号(もしくは200号)のメルマガを振り返
るという企画をやってきました。

vol202:eラーニングドーナッツトーク2006報告
(創刊から200号までの振り返り)
http://blog.goo.ne.jp/sanno_el/m/200611

vol.300:200~299号を振り返る
http://blog.goo.ne.jp/sanno_el/e/0415079804654ace2b39bd40be15b34d

しかし、400号の時は、大震災のためやっていませんでした。
ということで、今回300~500号を振り返り、自分として思い出に残っている
10記事を選択し回想してみました。

Vol.323:ピザ屋を呼んだら、そのまま帰すな!(2009-10-11)
思えば、よくメルマガを配信する時にポカミスをしていました。その中で最
大級と思われるのが、この書評を配信するときにヤッテしまったミスです。
なんと2週連続でこの書評を配信していたのです。しかし、この書評も含め、
マツモト1.0の書評はどれを読んでも味があります。読みたくさせる素材の
切り取り方は天下一品でした。だから2回送っても許されるという訳ではあ
りませんが、、、

vol.343:対極的な2つの学習の場(2009-12-21)
コガが知っている中では最も講義が上手な寺崎昌男先生と最もスリリングな
ワークショップを行う上田信行先生のセミナーを同じ週に受講した時のコラ
ムです。私の解釈では両先生の授業とも「高次のアクティブラーニング」で
す。

vol.369:『ニュース探求ラジオ Dig』(2010-07-12)
書評担当のナカダ君は、本学に入職する前は某eラーニングのベンチャー企
業に、さらにその前は某有名私立大学に在籍していました。教育一筋のキャ
リアです。さらに何の因果か、彼の前職および前々職の上司は、コガの以前
からの知人でした。世間は狭いのです。

そして彼が入職する時、二人とも彼の事を「いい奴ですよ」と評していまし
た。しかし「いい奴ですよ」の後に「ちょっと変わっていますが・・・」と
いう囁きが二人の表情から聞こえたような気がしています。そんなナカダ君
なので、書評も一筋縄ではいきません。本コラムで映画を取り上げたのも彼
が最初だったと記憶しています。そしてラジオ番組まで取り上げてしまった
のがこのコラムでした。

vol.385:行政刷新会議「事業仕分け」で「大学生の就業力育成支援事業」が廃止に!(2010-11-23)
本メルマガで政治的な事に物申した最初で最後の記事です。ちょっと前に採
択を伝えるコラムを書いたばかりだったので、なんともやるせない気持ちで
文章を書いたのを覚えています。当時、「就業力育成支援事業」「事業仕分
け」で検索すると、この記事が検索結果の上位に表示されたため、Blogの閲
覧数が桁外れに多くなったのを覚えています。ちなみに本学では仕分け後も、
「就業力プログラム」という進路の決まった4年生向けのプログラムを継続
して実施しています。

vol.400:東北に捧ぐ(2012-03-14)
今から3年前、400号を迎える際に「Sanno Learning Magazine400回突破オフ
会」を企画しました(当時のブログhttp://goo.gl/j6vjPF を参照のこと)。
その開催日程はなんと3月11日でした。当然ながらオフ会は中止となりまし
た。そこで500号では何も企画しませんでした。思えば3年は早いものです。
でもあの時の記憶を忘れないようにと今回震災当時の記事を選んでみました。

vol.449:ルンバフルな4月1日(2012-04-01
ちょうど4月1日配信の記事だったので、ウソがつきたくなって書いたコラム
です。すると、この記事を読んだ知り合いの読者の一人が、「ルンバを買お
うと思ったけれど、もうすぐ新しい機能がつくみたいだから待とうかな」と
いった事をfacebookに書き込んでくれたではありませんか!あの時は騙され
てくれてありがとうございました。

vol.467:ハイブリッド教員のふぁかるてぃ相談室 第3問(2012-11-18)
シバタ氏のコラムがいつの間にやら人生相談コーナーに変わったのは2012年
の9月のことでした。シバタ氏が「中島らも」を敬愛していたからなのか?
それともシバタ氏自身が人生に悩みを多く抱えていたからなのか?本当の理
由は分かりません。しかし、彼の絶妙な回答は、読売新聞の「人生案内」の
回答者にも匹敵する出来栄えでした。中でもこの号は研修業界に大きな波紋
を与えたことでも有名です。風の噂では、この号以降、ワークショップ型の
研修において「ともぴょん」や「まーくん」といったニックネームで呼び合
うことが激減したと聞いております。おそるべしシバタ節。

vol.467:ポスト準則主義下における大学改革(2012-11-18)
ちょうど田中真紀子さんによる大学の不認可問題は絶頂の頃に書いたコラム
です。今読んでも、真面目なテーマに真摯に取り組んでいるなあと昔の自分
を褒めてあげたくなる内容です。自分へのご褒美ということでチョイスしま
した。

Vol.481:「投げたブーメランが返ってくる」(2013-06-16)
ハシモト先生の「アラサー教員奮戦記」のコラムです。彼は、学生にも自分
にも厳しく仕事をしています。両方に甘いコガは彼の爪の垢でも煎じて飲ま
なければいけません。
さて、実はBlogにバックナンバーを掲載する際、記事に関連するおもしろい
静止画像も入れようと密かに頑張っていました。この週はブーメランだった
ので、「ブーメランストリート(西条秀樹)」のシングルジャケットをあし
らってみたのですがいかがでしょうか?

vol.482:椿説弓張月をめぐる冒険(2013-07-01)
コガの父は口癖のように「優秀な遺伝子は世代を経るごとになくなってい
く」と言っていました。あまり信用したくない説ですが、コガの家系に関し
てはかなり当たっています。上記記事を読んでいただければわかるのですが、
コガの父方の祖父は勘亭流という歌舞伎の文字の第一人者でした。さらに、
真偽のほどは定かではありませんが、母のひいお婆ちゃんは名字を「竹中」
と言い、今大河ドラマでやっている「軍師官兵衛」の黒田官兵衛と共に両兵
衛として知られる竹中半兵衛の末裔だったと言うのです。もし本当だとした
ら、子孫の不甲斐なさに嘆いていることでしょう。

以上駆け足で200号を振り返ってみました。
バックナンバーの置いてあるgooのBlogサイトがいつまでも続いてくれるこ
とを祈っております。(文責 コガ)

vol.500:500号に寄せて

2014年03月17日 | オープニング


創刊500号を迎える事ができました。
そして今回が最終号です。

何故コガのようないい加減な人間が10年以上に渡り、500号ものメールマガ
ジンを配信し続けることができたのか?その理由は、読み手がいる実感を持
つことができたからに他なりません。

時折、学会や外部の研究会で名刺交換した時、「メルマガ読んでいますよ」
「blogチェックしています」と言われ大変勇気づけられてきました。不思議
なことに、私が「そろそろメルマガ休刊しようかなあ」と思っている時期に
声をかけていただくことが多かった気がします。おかげでここまで長く書き
続けることができたのです。

キャッチャーがいなければピッチャーは投げられないのと同様、書くことは
読むことと対になっていないと成立しません。皆様のおかげで「対になって
いる実感」を常に感じることができました。継続して読んでくれたから、継
続して書くことができたのです。

本当にありがとうございました。

vol.499:流星ひとつ

2014年03月02日 | eラーニングに関係ないかもしれない1冊


流星ひとつ 沢木 耕太郎

皆さんこんにちはナカダです。どういう巡り合わせか(純粋に巡り合わせな
んですけど)、このコーナーの最終回を担当することになりました。力不足
であるのは重々承知しておりますが、何とかトリの務めを果たしたいと思い
ます。さて、最終回ではこの1年ばかりに読んだ中で、最も印象に残った一
冊を挙げさせていただきます。

本書は、歌手の藤圭子さんが突然の引退を表明して間もない1979年の秋に、
沢木耕太郎氏がホテルニューオータニのバーで藤さんにインタビューした記
録が収められています。このインタビューは500枚ほどの原稿にまとめられ、
雑誌に掲載された後、単行本として出版される予定でしたが、藤さんの第二
の人生に与える影響や、自らの原稿への疑問から、沢木氏は出版を取り止め
ます。その後、この原稿は長年お蔵入りになっていましたが、昨年の8月、
藤さんの自死というニュースが世間を駆け巡ります。

沢木氏は藤さんの自死をきっかけに、より正確には「精神を病み、永年奇矯
な行動を繰り返したあげく投身自殺をした女性」という報道に対する違和感
から、34年間お蔵入りにしていた原稿を公にすることを決めます。沢木氏が
改めて本書を読み返したところ、世間に流布された藤圭子のイメージとは全
く異なる、「藤圭子という女性の精神の、最も美しい瞬間の、一枚の
スナップ写真になっているように思え(た)」(p.321)からです。

私は1977年生まれですので、1979年に引退した藤圭子さんの現役時代は全く
知りません。引退後の「奇矯な行動」についてもほとんど知りません。しか
しそうした背景知識を欠いていたことがむしろ幸いしたのでしょう。1人の
天才歌手が、歌の世界の頂上で何を見たのか、そして頂点に立った自分自身
をどのように観察しているのか、例えるなら、優れた登山家が冷徹に自身の
山行を振り返った記録として興味深く読むことができました。特に印象に残
っているのは、藤さんが頂上に立った後の自分について語った箇所です。本
書のハイライトとも言うべき部分ですので、やや長いですが、次のとおり引
用いたします。

「あたしは、やっぱり、あたしの頂に一度は登ってしまったんだと思うんだ
よね。ほんの短い間に駆け登ってしまったように思えるんだ。一度、頂上に
登ってしまった人は、もうそこから降りようがないんだよ。一年で登った人
も、十年がかりで登った人も、登ってしまったら、あとは同じ。その頂上に
登ったままでいることはできないの。少なくとも、この世界ではありえない
んだ。歌の世界では、ね。頂上に登ってしまった人は、二つしかその頂上か
ら降りる方法はない。ひとつは、転げ落ちる。ひとつは、他の頂上に跳び移
る。この二つしか、あたしはないと思うんだ。」(p.196)

もしかしたら藤さんは「他の頂上に跳び移る」ことがうまくいかなかったの
かもしれません。しかし、少なくとも1979年の秋には、彼女は確かに頂上に
いたのです。その意味で本書は、沢木氏が述懐するとおり、1人の天才歌手
の最も美しい瞬間を、奇跡的に捉えたスナップ写真だと言えるでしょう。し
かし、美しい写真が成立するためには、被写体の素晴らしさだけでなく、そ
の最高の一瞬を的確に切り取る撮影者も必要です。

つまり、本書では「輝くような精神の持ち主」であった28歳の藤圭子だけで
なく、その精神の輝きを切り取った31歳の沢木耕太郎自身も鮮明に描写され
ているのです。この『流星ひとつ』は、インタビューの聴き手と話し手が、
掛け合いの中でともに相手を鮮やかに映し出している点で、異色かつ出色の
作品であり、数ある沢木作品の中でも掛け値なしの傑作の一つだと言えます。

最後に、(やや強引ではありますが)本メルマガの発行趣旨に立ち返り、本
書にビジネスや教育への応用可能性を見い出すならば、それはやはり沢木氏
の卓越した「聴く技術」でしょう。本書のインタビューでも、沢木氏は「相
づち」や「共感」、あるいは「言い換え」といったアクティブリスニング
(積極的傾聴)の手法を効果的に活用し、藤さんの率直な反応を引き出して
います。沢木氏はこれらの手法を特段意識したのではなく、ノンフィクショ
ンの取材を重ねるうちに自然とそのような聴き方になったのだと思いますが、
私のような凡人はこのインタビューを再読し、少しでも沢木氏の「聴く技
術」を自分のものとしたいところです。

あるいは若き沢木耕太郎がカッコ良く(今もカッコいいです)、ニューオー
タニの─バーという雰囲気も手伝って、ついつい藤さんも心を開いてしまっ
たのが真相かもしれません。しかし私が、沢木氏のような「ニューオータニ
のバーでも馴染める雰囲気」をものにするのは不可能です(というかニュー
オータニのバーに足を踏み入れる機会すらないでしょう)。ここはさしあた
って池袋の大衆酒場でコップ酒を呷っても絵になる男を目指したいと思いま
す。

最終回なのに、書籍ともLearningとも関係のない駄文で締める結果となって
しまいました。いや、今回だけではありませんね。これまで7年半もの間、
私の駄文にお付き合いいただき誠にありがとうございました。また皆さんに
お会い出来る日を楽しみにしております。(文責 ナカダ)

vol.499:休刊にあたって(シバタ)

2014年03月02日 | お知らせ


10年前、小室哲也がMr.オクレと一緒の事務所で働くことを想像した人はい
たかもしれないが、まさか清原と桑田が同じユニフォームを着る日が来ると
誰が思っただろうか。

このメルマガの主筆のコガさんと私もそんな関係にある。
これまでもお互いが何度か触れてきたように、我々は、

神奈川県県央部出身

東京6大学B級校出身

新卒でシャバの泥を数年舐め

社会人向け教育事業に転職

eラーニング事業の立ち上げ

熊大の非常勤講師兼務

大学の常勤教員

というほぼ同じ道のりをほぼ同じタイミングで推移してきた。

殊に教育団体では、業界のガチンコライバル同士であり、巨人-西武の如く
喰うか食われるかであった。が、なぜか、お互い気になる存在であり、今日
に至ったと、まあ、よくできた結婚式の紹介ビデオのようなものである。

そんな関係であったが、否、だからこそ、古賀さんからこのメルマガの執筆
のお話しをいただいた時は感無量であったことを今も記憶している。

もちろん、駄文書きが嫌いではない私にとって、この連載を担当させていた
だけるということ自体が光栄であることは言うまでもない。だが、それにも
増して感慨無量なのは、かつて業界でつば競り合いをしてきた我々が志を同
じくして1つのことに取り組むというこの人生の有為転変にほかならない。

桑原-清田、呉越同舟ではないが、なんでこうして同じ船に乗る運びになっ
たのだろう。その答えに想いをめぐらしてみると、我々には1つ大きな共通
点があることに気付く。

それは、常に身内と戦っていたことだ。
自分達を褒めるわけではないが、いや、褒めるのだが、我々はそれぞれのフ
ィールドで、業界の矛盾や、システムの限界や、組織のあれやこれやや、そ
して自分自身のイケてなさや、そんな勝ち目のないものと常に戦っていたこ
とに想いが至る。

そんなよく言えば戦友、悪く言えばはぐれ者同士が鼻をクンクンさせながら
同じ舟に乗るに至ったのだろう。

もう、組織で働く時間の折り返し点をとうに過ぎた我々だが、このメルマガ
を通じ、毎回の原稿の中身はそれとして、
「こんな社会人人生もあるんだな」
という1つのサンプルを若き読者のみなさんにお示しできたとすれば、
連載メンバーの1人として光栄というものだ。

また新たな、そしてこの発刊がそうであったように、
他にはない何かを始めましょう。
<文責 シバタ>

Vol.499:霊柩車は今日もヤンゴンを走る

2014年03月02日 | オープニング


2月末のわずかな仕事の隙をぬって、先週コガはミャンマーに行ってまいり
ました。毎年この時期に同僚のS氏と5~6日間のASEAN諸国への旅行を実施
しており、今年は5か国目の訪問となりました。今まで2人で訪問した国は、
ヴェトナム(ホーチミン)、タイ(バンコク)、インドネシア(ジャカルタ)、
マレーシア(クアラルンプール等)の4か国です。残り6か国となった今年、
ミャンマーを選択したのは、同僚のS氏の高校時代の友達の奥様がミャン
マー人で、彼女のお兄さん(Tさん)がヤンゴンに住んでいたからです。

見知らぬ国で、細い縁(コガにとっては無縁に近い)を辿って巡る旅という
のは、エキサイティングかつ心にガツンと来る経験でした。特に現地で我々
2人を毎日のように「おもてなし」してくれたTさん、Tさんの20年来の友人
であるミャンマー人のMさんにはいくら御礼をしても足りないぐらいお世話
になりました。そんなTさんMさんのおもてなしの中から2つほどエピソード
をお話ししたいと思います。

いくつもの会社を経営しているMさんですが、仲間の経営者と非営利団体を
自費で設立し、「霊柩車の無料配送サービス」を行っています。日本と同じ
霊柩車がヤンゴン市内を走っているのもちょっと不思議ですが、そんな霊柩
車を、お葬式の費用が出せない貧しい人のために無料で貸し出す事業を、M
さんは無報酬で運営しています。我々がそのオフィスを訪ねた際、Mさんが
こんな事を言っていました。

「ミャンマーは貧富の差が激しい国です。でも民主化は始まったばかりで、
国の福祉政策はまだ途上です。だから我々のようなお金を稼いだ人間が、困
った人のために自分のお金を使うのは当然の行為なのです」と、

どこかの国で、バブルで成金になって高級外国車や高層マンションを買いあ
さっている輩に聴かせてやりたいと思いました。もちろん私自身も、これか
らは奢ることなく、社会のために自分ができる事を常に考えていこうと反省
した次第です。

続いて旅の最後に訪れたTさんのご自宅で聞いた話です。Tさんの娘さん(中
学生)はマンガ「One piece」の大ファンです。漫画で読んでいるの?それ
ともアニメ?と聞くと「TVアニメ」とのこと。日本で放映された「One piece」
のTVアニメがどこかからこの国に入り、それをミャンマーの若者達が熱心に
視聴しているらしいのです。もちろん吹き替えも字幕もなしで。

コンテンツビジネス的に言うと、著作権やら何やらで由々しき事態ではあり
ます。しかし、そんな日本のアニメがこの国の語学教育に大きな影響をもた
らしている事を知り驚きました。ミャンマーでは、現在大学進学者の4割近
くが外国語として日本語を勉強しているそうなのです。

日本語を習得することによって仕事の機会が増えるということもありますが、
それ以上に大好きなアニメ等の世界をより楽しみたいという思いがあるので
はないかとコガは推察しています。コンテンツ産業の及ぼす文化的な効果が
親日度を向上させ、長い年月の後、結果的に経済的な効果として還元される
ことを期待したいですね。

まあ、そんなこんなで、今年のASEAN旅行も大収穫の旅となりました。毎年
この旅から帰国すると、次年度の授業の準備が本格化します。今週からは、
旅で得た経験も少しずつ織り込みつつ、次年度授業の教材開発に勤しみたい
と考えております。それと次号(最終号)のネタも考えなくてはなりません。
最終号にあたり、コガに何か言っておきたいこと、質問したいことがありま
したら、下記までメールいただければ幸いです。

宛先:kogaaアットマークmi.sanno.ac.jp
件名:最終号での質問
<文責 コガ>

vol.498:コガ最後の担当なので、今までを振り返ってみたいと思います

2014年02月18日 | eラーニングに関係ないかもしれない1冊
このコーナーは次回中田さんの書評で最終回です。そして今回はコガの担当
する最後の順番となりました。そこで、今回は新たな書籍を紹介するのでな
く、このコーナーの足跡を振り返ってみたいと思います。

その前に、メルマガ読者の方からメールをいただきましたので紹介します。

>>>>>>>以下いただいたメール>>>>>>>>>
メルマガ執筆陣の皆さまへ
本当に長い間楽しく有意義な情報をありがとうございました

私はeラーニングワールド最盛期の頃、某メーカーでLMSなどに
関わっておりました縁でこのメルマガを知り、以来、毎週楽しみに
読ませていただいておりました。
特に書評欄で紹介される本は、そのチョイスといいコメントの
すばらしさといい、私にとって何より大事な情報源でした。
申し訳ないほどにラーニングとは関係ない本ばかりですが
ざっと思いついたところは、
(勘違いもあるかもしれませんが・・・)
・ロバート・サブダのしかけ絵本
・一人の男が飛行機から飛び降りる
・原色 小倉百人一首
・村上春樹の中国行きのスロウ・ボート
最近では、
・狭小邸宅
・マンガでわかる統計学
・戦略の原点
などなど、ほんとに外れがありませんでした。
最近では、職場の悩み相談もセンスいっぱいでした。

この度、休刊されるとのこと、残念な気持ちはつきませんが、
Sanno Learning Magazineファンとしてこれまでの御礼を
皆さまへお伝えできれば幸いです。
今後のご活躍をお祈り申し上げます。
>>>>>>>以上いただいたメール>>>>>>>>>

ちなみに、お楽しみいただいた書籍を取り上げた書評のバックナンバーは下
記のリンクにあります。この機会にご一読いただければ幸いです。

・ロバート・サブダのしかけ絵本(http://goo.gl/cTtjzP
・一人の男が飛行機から飛び降りる
・原色 小倉百人一首(http://goo.gl/I5Wavk
・村上春樹の中国行きのスロウ・ボート(http://goo.gl/F2n9A0
・狭小邸宅(http://goo.gl/a622CD
・マンガでわかる統計学(http://goo.gl/HzDqy9
・戦略の原点(http://goo.gl/8BylJa

なぜかバリー・ユアグローさんの『一人の男が飛行機から飛び降りる』だけ
が見つかりませんでした。マツモト1.0やナカダが好きそうな作家なので
いかにも書評に残っていそうなのですが・・・・。

ところで、今までこのメルマガで何冊の書評を扱ってきたと思いますか?

このメルマガのバックナンバーを保存している「eラーニングかもしれないBlog
のカテゴリで確認してみると、なんと299の記事が今まで存在します。
とすると今回が記念すべき300冊目?

それが違うのです。

ブログでメルマガのバックナンバーをアーカイブし始めたのは2004年の9月
のvol.132からなので、それ以前の書評がカウントされていないのです
Blogでのアーカイブの最初の号はこちらをクリック)。

実は1号から131号といくつかの「創刊準備号」については、以前は産能の公
式Webサイトにアップされていたのですが、お下品なコンテンツ?だったせ
いか外されてしまい、その原稿の行方が分からなくなっていました。私のPC
に元原稿も残っていないのです。

しかし、最近、”wayback machine”( http://archive.org/web/)という
サイトを使い、消えていた全てのバックナンバーを発見することができまし
た。このサイトはインターネット・アーカイブ(The Internet Archive)と
いう非営利団体が運営しており、ある時点において収集された世界のありと
あらゆるWebウェブページのコピーアーカイブしてあるサイトなのです。そ
こに紛失したバックナンバーがすべて残っていたのです。



http://web.archive.org/web/20050213214234/http://www.hj.sanno.ac.jp/ltec/

上記webサイトの左側のフレームに画像のリンクが切れてしまった横長のバ
ナーが縦に3つ並んでいます。その一番上をクリックすると、142号までの
メルマガバックナンバーを読むことができます。

その結果、この書籍紹介のコーナーは103号から始まっていたことが判明し
ました。つまり先ほどの299記事に29号プラスされるので、328記事というこ
とになります。

ちなみに最初のころのコーナー名は「eラーニングにこの1冊」でした。し
かしすぐに、eラーニングに関連した本だけでは続けることができないこと
が明らかになり、ついに131号で「eラーニングに関係ないかもしれない1冊」
とコーナー名を変更しています。131号の冒頭にコーナー名変更の経緯がこん
な風に書かれていました。

>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>以下引用>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
最近このコーナーを全面的にお願いしているM君と私(A)のある日の会話
M:「Aさん、このコーナーちょっと無理がありません?」
A:「何?」
M:「だってe-Learningと全然関係ない本をむりやりe-Learningにこじつけ
ているパターンばかりじゃないですか」
A:「まあそれは今に始まったことじゃないけど・・・」
M:「アーサーCクラークの「イルカの日」なんでこじつけの極みでした
よ」
A:「あれは反省しているよ。でも関係のある本なんて少ないし、あんまり
面白くないし」
M:「じゃあ思い切ってコーナーの題名を変えましょう」
A:「おう、それがいい」

ということで「eラーニングに関係ないかもしれない1冊」とコーナー名を
変更しました。ということで今まで以上に「eラーニング」という枠にとら
われず、古今東西のマネジメントに関するちょっと面白い本を紹介するとい
う路線でいきます。

結果として、書評の最後に「いかにeラーニングにこじつけるか」というス
リルが増してきました。
でも「結局関係なかったですね」もアリとなりましたのでご勘弁を。。。
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>以下引用>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>

この時、「関係ないかもしれない」にコーナー名を変更しなかったら、ここ
まで続くコーナーにはならなかったでしょう。なぜなら「eラーニングに関
係ないかもしれない」というタイトルは、このメルマガ自体の性格をもっと
も端的に表現しているからです。

実は発行当初より、このメルマガ自体がeラーニングではないかとひっそり
考えていました。学習(Learning)は「経験による比較的永続的な行動変
容」と定義されます。「継続的なメルマガの購読」という「経験」が、読者
の「行動変容(書評で紹介された本を読んでみる等)」を促しているならば、
ラーニングのツールと呼んでもおかしくない筈。しかもインターネットを通
じて配信しているならば、eラーニングと呼んでもいいのではないかと。

とはいうものの、世間一般のeラーニングのイメージは音声+動画=マルチ
メディアなものです。そして教える側と学ぶ側がもっとインタラクティブな
関係にあるものがeラーニングとみなされています。そうした視点でみると
「文字だけ」「一対多で情報配信するだけ」のメルマガはとてもeラーニン
グと呼べる代物ではありません。

だからこのメルマガは「関係ないかもしれない」なのです。
もちろん執筆内容も「関係ないかもしれない」状況が色濃くなっているのは
周知のとおりです。そもそも書評なんて、一番eラーニングから遠いですよね。

そんなことで、本メルマガのカテゴリの中で一番「らしい」コンテンツが、
この「eラーニングに関係ないかもしれない一冊コーナー」であったとコガ
は考えております。

みなさんはどうお感じになっていましたでしょうか?
メッセージをお待ちしております。

宛先:kogaa アットマーク mi.sanno.ac.jp
件名:Sanno Learning Magazine休刊へのメッセージ

vol.498:休刊にあたって(ナカダ)

2014年02月18日 | お知らせ


書評コーナーを担当しているナカダでございます。執筆陣の1人として、私
も休刊の辞を述べさせていただくこととなりました。どうぞよろしくお願い
します。

さて、私の拙い書評が初めて掲載されたのは2006年10月のことになります
(第1回目に取り上げたのは柴田元幸氏の『翻訳教室』でした)。それから7
年半。途中、約1年半の休筆(?)期間を挟みつつ、延べ59本の書評(だけ
じゃなくて、マンガ評、ラジオ評、映画評)を寄稿させていただきました。
第496号でハシモト先生が「執筆陣に加わって3年だがあっという間だった」
と述べていますが、私も全く同感であります。

この7年半を私の実人生でいうと29歳から36歳にあたります。おそらくこの
年代、キャリアプラニングの教科書的には、着実な実務能力を養い、幅広い
経験を積み、自分の仕事の軸を確立するべき時期にあたるのでしょう。しか
し、私がこの7年半の間にやってきたことといえば、「引っ越した」「フル
マラソンで4時間切れた」「燧ケ岳に登った」など、すぐに挙がるのは私的
な事柄ばかりで、仕事面で「こんなことをやってきた」と言える出来事はあ
まり多くありません。同年代の社会人なら当然培っているはずの基礎的な土
台をしっかり固めないまま、30も半ばを過ぎてしまったのではないかという
若干の不安があります。

今さらこんなことを考えるに至ったきっかけに、宮崎駿の『風立ちぬ』があ
ります。といっても、映画の中身そのものではなく、主人公が飛行機の設計
をする際、片手で器用に扱っていた計算尺がそのきっかけにあたります。私
が幼少の頃、父が自宅で計算尺を使っていた記憶がおぼろげながらにあるの
です。そこで昨年末に帰省した際、まだ家にあるのかと父に聞いてみると、
机の引き出しからHEMMI No.149Aというポケットサイズの計算尺を引っ張り
だしてきました。かつて中堅のゼネコンで土木エンジニアをしていた父が、
入社後すぐに買ったものだそうです。父いわく「当時(1970年前後)3,000
円ぐらいした」そうなので、おそらく給料の1割ぐらいしたはずです。若き
日の父は、土木工事の現場で来る日も来る日も、この計算尺を使って道路や
ら造成地やらの図面を引いていたのでした。私の幼少期の記憶は、おそらく
父が家に持ち帰った仕事を片付けていたときの姿でしょう。

しかし、父の勤めていた会社はバブル期の過大投資のために、バブル崩壊後
は長らく厳しい経営状況にありました。主力銀行に債権を放棄してもらった
り、人員のリストラを進めたりと経営再建努力は続けていましたが(父も土
木工事の現場から営業部門に配置転換されました)、私が大学を卒業して間
もなく、民事再生法を申請することになりました。要は倒産したわけです。
その後、父は別の小さな会社に拾ってもらいましたが、結局、エンジニアと
して職業人生を全うすることは叶いませんでした。

それでも45年前に買った仕事道具を捨てずに持っているということは、エン
ジニアとしての自分の職業人生に、ある種の矜持があるのかもしれません。
単に机の引き出しに入れっぱなしになっていただけかもしれず、そもそも電
卓が普及して以降はほとんど使わなかったはずなのですが、「父にとって計
算尺は、単なる設計道具ではなく、自分のキャリアの象徴であった」として
おいた方が話としては綺麗なので、息子としてあえてそのようにさせていた
だきます。

翻って私はというと、父の計算尺に相当するものはなかなか思い当たりませ
ん。私以外の執筆陣はそれぞれ「eラーニングビジネス」「インストラクシ
ョナルデザイン」「人材育成」など、自他ともに認める専門領域を持ってい
ますが、私は教育研修業界に10数年も身を置きながら、そのような依って立
つ軸をいまだに確立できていない状態です。

このように頼りないキャリアアンカーをかかえつつ、間もなく40代を迎えな
ければならないわけですが、それでも7年半にわたって59本も書評を執筆し
たことは、肝心の中身はさておき、ある種の達成感があるのは事実です。改
めましてこのような場を与えていただいた編集長の古賀さん、何よりもこれ
まで素人の拙い書評に目を通していただいた読者の皆様に、心より感謝申し
上げたいと思います。誠にありがとうございました。またどこかで皆さんに
お会いできることを楽しみにしております(厳密に言えばこれが最後じゃな
くて、あと1回書評の担当が残っております)。

ちなみに父に「計算尺って片手で使える?」と父に聞いてみたら「そりゃ無
理やわ」とのことでした。まあ「風立ちぬ」はフィクションですからね...
<文責 ナカダ>