ハシモトの最初で最後のeラーニングに関係ないかもしれない一冊
『GIVE&TAKE「与える人」こそ成功する時代』
アダム・グラント著、三笠書房、2012年
最初で最後の書評を仰せつかった。
どんな本にしようか、ここ数週間の悩みであった。捜し物が探しているとき
は見つからないように、悩んでいる時は見つからないものである。そして、
ふとした瞬間に見つかったりする。ちょうど、出張用の鞄の中から、お気に
入りのイヤホンが見つかるような瞬間だ。ここにいたか、と。
本書は、来年度のゼミの輪読用の素材を探している際に見つかった。家から
少し離れた大きな書店で様々な本を探している最中に目に留まったのだ。も
ちろん、探していた輪読用の素材は見つからなかったのだが・・・。
さて、メルマガ最後の書評としてお届けするのは、『GIVE&TAKE「与える
人」こそ成功する時代』である。本書は、入り口付近に平積みされていた。
一見、数多ある自己啓発書のひとつに思われた。
GIVE&TAKEとは、もちろん、与える事、受け取る事だ。仕事において、日常
生活においてかなり頻繁に使われる言葉だろう。仕事においては、GIVEする
事が大切だとかとは言いながらも、TAKE&TAKEの人もたくさんいたりする。
自分が一生懸命GIVEした気になっても、TAKEできなかったりするとがっかり
する。「なんだか、やって損したな」とか思ったりする訳だ。
結局、何が正解なのだろうか?
本書は、そこに答えを出す。
与える人:ギバー
受け取る人:テイカー
バランスを取る人:マッチャー
という3類型を作り、長期的に成功を収めるのはギバーであると結論づけて
いる。そして、ソーシャルネットワークが発達した時代にあっては、この
「長期」という時間軸が短くなっていると言うのだ。
この話からは、端的に「人間として、当たり前の行動として人助けをするの
ですよ」という、何らかの教訓を述べた本のように感じるかも知れない。一
面としては、そうである。その主張は、ギバーであることが成功の要因であ
ると述べているからだ。
しかし、本書が他書と違う所がその論理展開だ。「ストーリーとしての競争
戦略」といった著作で有名な経営学者である楠木建が監訳しているが、著者
は、経営学の世界で最も有名な大学のひとつであるペンシルバニア大学ウ
ォートン校の終身教授=テニュアである。
(https://mgmt.wharton.upenn.edu/profile/1323/overview)
しかも、1981年生まれの32才。同校の最年少の教授であるという。実を言え
ば、私(ハシモト)と同じ年なのだ。
そういった肩書きからも示されるように、本書では多種多様な(もちろん、
米国の事例が圧倒的に多数であり、グローバルな視点から見ると多少、恣意
的ではあるが)研究がレビューされており、それをGIVE&TAKEの観点から論
じているのだ。それ故に、「ギバーであることが長期的に成功する要因であ
る」という主張をこれでもか、これでもかとサポートする主張が繰り返され
る。もちろん、極めて論理的に。ビジネス書として、また自己啓発書として
の側面も有る中で、論文的な主張の進め方がなされている。
ギバーは何故成功するのか?
ギバーであれば、あらゆる場面で成功が約束されているのか?
といった観点に様々なデータを交えながら論じている。結論を紹介すれば、
「ギバーであればどんな場面でも成功するわけではない」という主張も面白
い。その上で、ギバーが成功するための秘訣なども紹介されている。
監訳者が冒頭で述べている通り、本書の主張は「情けは人のためならず」と
いうものであり、日本人にとって共感しやすいものだろう。しかし、その一
方で本書の記述にある「テイカー」という存在も、日本人にとってもなじみ
深いものだとも感じる。確かに、ギバーであることの良さが文化的に共感で
きるとは言いながらも、やはり同じくらいテイカーもいると思われるし、自
分自身もそうであるかも知れないと思うのだ。
特に、手っ取り早く成果を得ようとするテイカーとしての側面は、ゆっくり
と構えていることが許されにくくなった時代においては、合理的な選択のよ
うに思える。実際に、学生と接していたりしても、またビジネスマンと話し
ていても、「手っ取り早く、今日やって明日成果がでるような方法はない
か」と聞かれたりするからだ。こうした発想は、やはりテイカーの基本のよ
うな気がしてならない。問題なのが、それがある意味での時代の要請のよう
な所もあるからだろう。
例えば、「就活」という文脈においては、ギバーであることが認められる事
は少ないような気もする。短期間の面接でライバルに与えていれば、自分が
受からないという結果になってしまいそうだし、一方、企業側も「与える人
間だ」と言った人が必ずしも与える人間かどうかを判断することは難しいか
らだ(これは、本書P.368 の中国での昇進の事例から推察できるだろう)。
とすれば、長期的に成功し、企業に利益をもたらしてくれるはずのギバーを
評価する事は難しい。では、学生の立場として、テイカーやマッチャーの方
が上手くいくのだろうか。答えは、やはり短期的には上手くいくが長期的に
はギバーの方が上手くいくという答えになるのだろう。その根拠は、本書を
読んで頂ければおわかりいただけると思う。
では、振り返って、教師という立場としてはどう振る舞えば良いのだろうか。
具体的には、どんな指導を行えば良いのか、どんな人間であるべきなのであ
ろうか。実は、その答えも本書の中に提示されている。P.160からスケン
ダー教授の事例がそれだ。氏は間違いなく、ギバーである。そして、そのこ
とにより数多くの「優秀な」学生を育てる事に成功している。さらっと読め
ば、まさにその通りだと感じる事が多数である。しかし、より具体的に、今、
目の前に直面している課題を思い浮かべながら読んだ時に、それが「簡単に
できるか」と言えば、NOであろう。故に、その主張が重要であると考えられ
る。氏もまた、同じような現実に直面しながら乗り越えてきたのであろうか
らである。決して元々「優秀ではない」学生を、「優秀」にしているのだか
ら。
何故、この本を取り上げたのか。それは、メルマガを発行することは、すな
わちギバーとしての側面があるのではないかと感じたからだ。私自身はその
うちの本当に最後の最後の一部を担当したに過ぎないが、それでも何らかの
形で読者の方々に貢献したいという気持ちを表してきたつもりである。そし
て、そのことが何かをもたらしたかどうか、つまりTAKEがあったかと言えば、
分からない。しかしながら、誰かのためになっているかも知れないと思いな
がら、(結果として、駄文でしかないのだが)文章を書き連ねる事には、喜
びがあった。
些細な事かも知れないが、ギバーであるという側面は誰もが持っているので
はないだろうか。そして、そのことは、「良いと思っている事をしている」
という面と、「もしかしたら、ただのお人好しではないか」という面と両面
有るように思う。本書を読むことにより、ギバーであると言うことに対して、
大きな後ろ盾をもらえるのではないだろうか。
最後に、本書の最後の一文を引用して終わる。
「起きている時間の大半を仕事に費やしている私たちが、ほんの少しでもギ
バーになったら、もっと大きな成功や、豊かな人生や、より鮮やかな時間が
手に入るだろうか??
それは、やってみるだけの価値はある。」
(文責:ハシモト)