Learning Tomato (旧「eラーニングかもしれないBlog」)

大学教育を中心に不定期に書いています。

vol.343:対極的な2つの学習の場

2009年12月21日 | セミナー学会研究会見聞録
最近、対極的な教育方法を用いた2つの素晴らしい学習の場を経験する機会に恵まれました。一つは従来型の講義、もうひとつは学習者参加型のワークショップです。

筆者は常々、授業に参加する学生には単に知識やスキルを修得してもらうだけでなく、授業の中で知的興奮や学ぶ楽しさを感じて欲しいと思っているのですが、自らのインストラクション能力の未熟さゆえ、いつも反省猿のようになって教室を後にする日々が続いています。

今回ご紹介するお二人の先生が創り出した学習の場は、筆者にとっては異次元の世界でした。しかし、いつかはあんな風に学習の場を作れるようになりたいという遠い未来の目標ができた気がしております。

長い前置きはさておき、どんな講義やワークショップだったのかをさっそくご紹介したいと思います。

◆ Over70の円熟 寺昌男先生
筆者は桜美林大学大学院を修了後「何か学習しつづけないと大学院時代に学んだ事を全部忘れてしまうぞ」という危機感から、同大学が実施するオープンカレッジに通い始めました。

受講しているのは「大学とは何か」というかなり高尚というかマニアックな科目です。参加している人も毎シーズンほぼ同じで科目テーマ同様マニアックな受講生が数人しか集まっていません。それにも関わらず担当している先生は、潮木守一先生、寺昌男先生といった教育史や教育社会学の世界の重鎮の先生で、それを数人の受講生でじっくり聞くことができるのです。採算的にはどうなのかな?などと思ってしまいますが、なんとも贅沢な授業です。

中でも寺先生は毎回異なる話題で受講生を愉しませてくれています。先生は現在立教大学の調査役という肩書きで、学士課程でも修士課程でも授業を担当していなかったと記憶しております。なのでスポットの講演を除けば、この桜美林オープンカレッジこそが現在唯一寺先生の授業を拝聴できる場なのです。

この授業では、今まで先生が授業で話す機会を逸していたような隠れネタを存分に披露してくれます。よって高等教育関連のネタにはちょっとウルサイ受講生であっても寺崎先生の研究の深さに毎回驚かされ魅了されています。具体的にいうと今期は「日本におけるテストの起源」について明治期から大正にかけての話を中心に講義していただいております。

第一回の講義はずばり「日本の『試験』はどのように歩んできたか」というものでした。結論から言うと、日本での試験は明治時代の初等教育(小学校)において、「試業」という名称で始まりました。当時小学校は初等六級から一級までのステップがあり、昇給するためには半期に一度開催される「試業」で合格する必要がありました。しかもこの試業は公開の場で生徒同士の問答という形式で実施され、当時の地域社会における一大行事であったと考えられています。

寺先生は当時の試業に関する筆書きの資料のコピーを活用し、謎解き風に授業を展開していきます。そして今回の授業のキモである「試業」の持つ意味、すなわち明治維新前「身分」や「性別」で決まっていた人の値打ちが「学力」で決定されるように変化したことと、初めて学問にステップをつけて段階的な到達目標を設定するようになったことに到達します。

先生は一切PowerPointを使いわず、レジメと文献資料とホワイトボードと話術を武器に講義という空間を創造します。そしてホワイトボードを実に巧みに活用します。先生の板書の跡は完成された芸術作品のように見えます。テクノロジーが進展した現在、これほど上手にホワイトボードを活用できる大学教員は今後出現しないと筆者は考えております。

さらに授業の後は受講生と一緒に毎回寿司屋で懇親の飲み会に付き合ってくれるのです。あの寺先生と膝つき合わせ、日本酒飲みながらお話しできるなんて、この分野を少しでも齧ったことのある研究者や教員であれば、非常に贅沢なシチュエーションなのです。この授業も今週で最終回、来年もぜひ続けて欲しいと願うばかりです。

◆ Just60の情熱 上田信行先生
食=フードコーディネーターによるイタリアン。
飲=シャンパン、ワインをはじめベルギーのビールまで
音=知る人ぞ知る音楽DJによる選曲と実演
映=リアルタイムドキュメーションの第一人者、神戸芸術工科大学曽和先生
創=株式会社電通コミュニケーション・デザイン・センター北本 英光様

上記のようなゴージャスなメンバーとリソースを結集し、本学代官山キャンパスにて長岡健先生プロデュースによる「Evening Dialogue」ワークショップが開催されました。本当はこのメルマガでも紹介したかったのですが諸般の事情がありお伝えできませんでした。ごめんなさいね。

そしてこのワークショップの中心にいらっしゃったのが、もうすぐ還暦を迎える同志社女子大学の上田信行先生です。

上田先生につきましては、本Blogで最近何回も取り上げさせていただいておりますが、天才ワークショッパー、パッションとテンションの塊。もうすぐ60歳とは信じられない先生なのです。
vol.330:プレイフル・シンキング
vol.322:日本教育工学会 第25回全国大会 参加記その1「ワークショップ」

どう説明していいのやら、とにかく凄いワークショップでした。テーマは「若手の創造性開発」だったのですが、これだけ徹底的にやれば創造性がどんどん開発されるはずと思ってしまいます。当日何が起こったのかをお伝えするには、曽和先生作成のリアルタイムドキュメンテーションのビデオをご覧いただくのが一番なのですが、これも公開する訳にいかず再びゴメンナサイです。手前味噌ではありますが、企業内教育をテーマとしたシンポジウムやワークショップの中ではかなり異質かつ非常にクオリティの高いワークショップでした。

しかし、今回一番凄い仕事をしたのは、こんな尖ったワークショップを実現してしまった本学社会人教育部門のスタッフではないかと筆者は考えております。有料のイベントではありましたが、単体では大赤字のイベントだったと推測しています。このご時世、いかに販促的な意味があるといっても、そんな企画の実施に対し学内承認を得るのはウルトラ難易度Cの離れ業なのです。それこそ創造性のもっとも発揮しなくてはならない仕事ではないかと感じた次第です。

ワークショップ的な体験というのは、その場に参画すると「これは良い」と実感できるのですが、参加していない人にその内容を説明したり、学習の効果を説得するのは、至難の業です。事業仕分け的なアプローチでレンホーさんに詰め寄られたら一発で削減されてしまう類の企画なのです。だからこそ、企画者が実施予算を確保するためには、単に努力と熱意だけでなく、センスと創造性が必要になってくると筆者は考えます。

◆まとめ「よい授業の絶対解はない」
今回ご紹介した2つの学習の場は講義とワークショップという正反対の教育方法で実施されました。しかし意外と共通する特徴もあります。例えば、飲食が割と中心的な役回りを演じていたこと、教える側に熱いパッションがあったこと、企画者の思い入れが濃くないと実現に至らなかったであろうことなどです。

最近大学教育の世界では、教育から学習への価値観の変遷、PBL、アクティブラーニング等の言葉がやたらと多く語られるようになっています。そして従来の講義型の授業への風当たりが強くなっています。しかし教育開発の方法に唯一の絶対解はありません。熊本大学の鈴木克明先生風に言うならば「折衷主義」とでも申しましょうか、よく練られた講義型の授業は下手なアクティブラーニングの数倍の学習効果があると筆者は考えております。

寺先生70代中盤、上田先生60歳、そして筆者は46歳。15年後や30年後にあんなすばらしいワークショップや講義が開催できるようになれたら素晴らしいだろうなあと思いつつ、明日の授業の運営に頭を悩ます月曜日の夜でした。

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