時戻素

昔の跡,やがてなくなる予定のもの,変化していくもの,自身の旅の跡など・・・

(177) 遊具の改修

2009年08月31日 03時32分11秒 | 風景
 この記事の中で出身地に残っている公園の遊具で懐かしさを感じたものを取り上げた。
 そちらでの公園の遊具はこんな感じのものが多かった。

 こちらに来てからこの遊具を見て地元を思い出したが,この遊具があるのはある小学校の校庭だった。

 町で見られる公園には,自分の出身地ではほぼ見られなくなったような遊具に出会うことすらある。




 子どもの頃よく遊んでいたにもかかわらず,公園の遊具での怪我などが騒がれていた時期以降,地元では消えてしまった遊具だった。見つけたときは懐かしさのあまり,いい年をしたおじさんが遊んでしまいたくなったが,残念ながら両方ともに一人では遊べない遊具だった。

 住宅地の中にはこんな公園もある。


 大都市でありながら,このような風景も見られることに驚いた。

(176) 【隣の愛4】 災害時の避難場所

2009年08月30日 23時53分17秒 | 現在の中の過去
【隣の愛】の記事一覧
※撮影は周囲に配慮しましょう。

1(136) 数十年後の日本の姿かもしれない地区(概観)
2(144) 新しい駅
3(162) お乗換え
4(176) 災害時の避難場所
5(179) 公園の姿
6(189) 寝床
7(194) 学校の周りは…
8(199) 自由恋愛や!
9(208) 大正ロマン
10(348) 地区のど真ん中を貫いた鉄道
11(366) 10年ぐらい続いた乗り換えルート


 この地区の南側を東西方向に走っている道路にこのような案内がある。

(2009年8月24日撮影)

 広域避難場所の誘導だ。ここに書かれている公園,ここから約2km西側に行ったところにある。災害時にそれだけの移動をするのは大変に思えるが,それだけに安全な場所であることが考えられる。タイトルの地区とは少し離れているが,この地区の避難場所ということで取り上げたい。
 その公園に行ってみると公園の前にはこんな案内板がある。

(2009年6月24日撮影)

 下水処理場と高校に挟まれた場所に公園がある。公園内に2ヶ所ヘリの着陸地点もあるようだ。
 案内板にもあるが,この公園の前には駅がある。

(2009年5月24日撮影)

 この記事でも取り上げた汐見橋線の津守駅だ。近くに高校があり,利用者も多いためか時間帯により有人で,駅舎も簡単なものだが,他と比べると新しい。
 駅前の道路。

(2009年5月24日撮影)

 道路の線路と反対側が公園になっている。
 公園の高校寄り側の入口。

(2009年5月24日撮影)

 フェンスの一部だけが開いている。
 中に入ってみると…

(2009年8月15日撮影)

 遊具があり,普通の公園だ。
 しかし,周囲がフェンスに覆われていることもあって,いつでも開放されているわけではない。
 入口近くにある案内。

(2009年5月24日撮影)

 これ以外の時間は鍵がかけられてしまう。いつでも入ることのできないというこのことだけでも,避難場所としての資格が疑わしい。

 しかし,この部分だけでは公園全体の半分かそれに満たないぐらいしかない。残りの部分への入口も道路の下水処理場寄りにある。

(2009年6月24日撮影)

 さらに奥へ行くと…

(2009年8月15日撮影)

 有刺鉄線つきのフェンスに挟まれて狭い通路がある。このフェンスの右側が先ほどの遊具のあるスペースになっている。
 さらに,通路を進んでいくと…

(2009年6月24日撮影)

 左手にグラウンドもあるが,こちらも通路とはフェンスで隔たれている。ヘリが着陸する場所の一つはおそらくこのグラウンドと思われるが,緊急の時にフェンスの鍵を担当者が開ける余裕があるのだろうか。しかも,この狭い通路に避難する人々が押し寄せてきたらうまく通れるのかも疑問だ。

 この先をもう少し行くと,狭い通路が開けてくる。

(2009年6月24日撮影)

 右側奥の方に見えるコンクリートの建物が公衆トイレで,他はテントのような住居となっている。リヤカーも見られる。犬を飼っている人もいるようで,この狭い通路ですれ違うと怖い。
 通路の脇にテントやごみが見られる部分がしばらく続く。
 そのほぼ終わりの部分から,今まで来た道を振り返ってみる。

(2009年6月24日撮影)

 先ほどの有刺鉄線つきフェンスに変わって,工事現場で使われるような柵で何となく道ができている。もともとはどんな計画でつくられたのだろう。
 奥に見えるビルとはそこまで離れていないのだが,随分と雰囲気が変わっている。
 公園の出口。

(2009年6月24日撮影)

 閉ざされた車用の侵入スペースの脇から人が入れるようになっている。
 門の脇から公園内を見てみる。

(2009年6月24日撮影)

 駅とは反対側の道路に沿ってもテントが並んでいる。
 その奥に広場が広がっている。
 完全に二つの部分に別れてしまった公園になってしまっている。
 公園内には寄り合いを呼びかける貼り紙も見られた。

 こちらの出入り口を出て下水処理場側に行くとほぼすぐ落合下渡船場がある。それと反対側に少し歩くと,落合上渡船場がある。その渡船上から西成区側の岸壁を見ると…

(2009年8月12日撮影)

 小屋掛けが見られる。

 前回の記事の天王寺公園や今回の西成公園のように囲まれているものは多くはないが,この他の公園も路上生活者が小屋掛けをしている公園は結構ある。

(175) 囲まれてしまった公園

2009年08月29日 06時36分49秒 | 現在の中の過去
 天王寺区の南端にある天王寺公園。
 通天閣から見てみると…

(2008年9月5日撮影)

 周囲にはビルがそびえる中に広大な緑の空間が広がっている。

 天王寺駅側の入口。

(2009年3月10日撮影)

 庭園・植物園などの公園に入るための入り口。
 この反対側の新世界に面した方は…

(2009年8月26日撮影)

 動物園専用の入口となっている。両者は内部でつながってはいない。
 公園の入り口はもう一箇所,2つの入口の丁度中間ぐらいにもある。

 天王寺駅側の入口を入ると…

(2009年8月25日撮影)

 噴水や水路が広がっている。
 そのところどころに…

(2009年8月25日撮影)

 動物園が隣接しているためか,植物を利用して作った像がある。

 一番奥の池。

(2009年8月25日撮影)

 水は消毒していないので中で遊ばないようにと書かれている。
 その先には…

(2009年8月25日撮影)

 温室植物園がある。

 こちらのエリアは近代的な人口庭園という感じだが,通路を挟んだ反対側のエリアはには…

(2009年8月25日撮影)

 慶沢園といわれる大正7年に造られたもと住友家の庭園がある。

 中には…

(2009年8月26日撮影)

 池や四阿(あずまや)があったり…

(2009年8月26日撮影)

 滝があったりとする。

 池越しに…

(2009年8月26日撮影)

 美術館の建物も見ることができる。
 この美術館を反対側から見ると…

(2009年8月25日撮影)


 さらにその北側には…

(2009年8月26日撮影)

 河底(かわそこ)湖と
五低山のひとつの茶臼山がある。
 奥に見える橋。

(2009年8月26日撮影・黒いのはカメラの不調によるもの)

 奥の寺院がうまく溶け込んでいる。
 茶臼山という案内があったので,とりあえず頂上へ上ってみた。

(2009年8月26日撮影)

 しかし,周囲はほとんど見わたせなかった。

 公園内は項のような感じになっている。

 この公園には他の特徴もある。

(2009年8月25日撮影)

 下の通路は公園の外の空間だ。
 この公園に入るには入園料が大人150円(動物園の入園券(500円)でも入園可)必要であり,公園の中と外ははっきりと分けられている。

 噴水のあるエリアと美術館のあるエリアの中央に通路があり,両エリアを行き来するには上の写真のようには橋を渡るか…

(2009年8月25日撮影)

 通路下のトンネルをくぐることになる。

 ただでさえ,台地に端に作られた公園で上下へ移動がそれなりにあるのに,内外を分ける仕組みのためにさらに上下移動が増える構造になっている。

 公園の外も…

(2009年7月31日撮影)

 しっかりとフェンスで囲まれている。

 この公園,もともとは有料ではなかったが,1987年の天王寺博覧会後に有料化になったようだ。(ウィキによる)その理由の一つに,ホームレスの数が多く,フェンスで囲い,入園時間を制限することで野宿を防ぐためというのがあるようだ。

 最初この公園を見たときはフェンスに囲まれているのは動物園だからだと思っていて,公園の場所も全て動物園だと思っていた。有料の公園があることやそれが囲まれていることの意味は全く考えてもいなかった。

(174) 公園の中の薩英戦争跡

2009年08月28日 23時50分59秒 | 現在の中の過去
 幕末に生麦事件がきっかけとなって錦江湾でおこった薩摩藩とイギリスの戦争である薩英戦争。この戦争に関係する史跡がいくつかの公園などの中に見られる。北から南の方へその史跡を見ていきたい。

 石橋記念公園内の高麗橋の上から多賀山と逆側を見てみる。

(2008年5月31日撮影)

 中央の通りに案内板が設置されている。
 その奥にあるのがこの碑。

(2008年5月31日撮影)

 祇園之洲砲台の跡地だったようだ。

 同じ公園内の玉江橋付近から多賀山公園へ行く通路の下にもこんな碑がある。

(2008年11月7日撮影)

 撮影戦争の記念碑だ。

 桜島フェリー乗り場の辺りから水族館の方を見てみる。

(2008年8月23日撮影)

 特に案内はされていないが,ここも新波止砲台の跡地だ。
 水族館の入口の方へ近寄ってみる。

(2008年10月28日撮影)

 地面に石が見える。
 その石の中には…

(2008年10月28日撮影)

 名前が彫られているものもある。記憶は確かではないが,製作者の名前だったと思う。
 当時のものがそのまま残っているにもかかわらず,テレビで紹介されることはあったが,ここが撮影戦争の砲台だったと示す碑も案内板もない。唯一あるのは明治天皇の行幸に関するものだけだ。

 公園ではないが,国道225の大門口にも砲台跡の碑がある。

(2008年7月2日撮影)

 碑の脇に案内板が立てられているが…

(2008年6月9日撮影)

 なぜか両方とも歩道ではなく,車道側に文字のある面が向けられている。
 おまけにこの道路通行量が多く,信号で車が停まらない限り,この碑の案内を読むのは怖い。何で歩道向きにしなかったのか疑問だ。

 最後に天保山公園に内にも砲台跡が残っている。
 享月亭近くの野球グラウンドの傍らに…

(2008年6月1日撮影)

 砲台跡の碑が残っている。
 別の角度で見ると…

(2008年6月1日撮影)

 石垣の跡が所々見える。
 この砲台から錦江湾の神瀬を標的に訓練をしていたと聞いたことがある。

(2008年7月12日撮影)


 一見無謀な戦争に思えても,結末は両者の痛み分けの状態で薩摩は善戦したといえる。他にも砲台はあったようだが,自分が明確な場所を押さえているのはこれらだけだった。

(173) 鳥取の駅近くの公園

2009年08月27日 06時29分14秒 | 風景
 この記事でもふれたが,もう少し詳しくこの公園を見てみたい。

 鳥取駅で次の時列車の時刻まで時間があったため,駅周辺を歩いてみることにしたときに偶然通った鳥取市鉄道記念公園。強く印象を受けた公園だった。

入口。

(2008年9月8日撮影)

 鉄道公園とつくだけあって,鉄道関連の備品が入口に置かれている。

 そのまま進むと線路があった。

(2008年9月8日撮影)

 線路には陸橋が架けられていた。
 その奥には駅のホームのようなものが見られた。

(2008年9月8日撮影)

 天井から案内板がつるされるなどの演出がされている。

 しかし,このホーム中ほどに行ってみると…

(2008年9月8日撮影)

 住居と化していた。

 ホームを過ぎ線路に沿っていくと…

(2008年9月8日撮影)

 建物の脇に踏切があった。

 公園の全体図。

(2008年9月8日撮影)

 遊具も少なく,鉄道関連のものをところどころにおいたというような印象だった。物が少ないので避難場所には最適かもしれない。

 この公園,何かが足りないと思っていた。
 子どもが好むと思われるあれがない。
 線路はあっても,その上にあるあれがない。

 高原の自然の家の前のちょっとした空間にもあったあれがない。

(2007年10月28日霧島のふれあいセンター前で撮影)

 車両だ。

 公園の周辺にはテレビ局もあり,駅からもそんなに離れていない。
 そして,公園には遊んでいる子どもたちもいる。
 しかし,何か寂しい。 

 駅の南口もこんな感じだった。

(2008年9月8日撮影)

 北口の方にはデパートなどがある。その裏側はこんなに広々としていた。高架駅なので,駅が南北を分断しているという理由でもないだろう。

 広々とした余裕が印象的な駅周辺だった。

(172) 大阪日帰旅・参 (H21.8.15)

2009年08月26日 23時54分08秒 | 旅・散策の足跡
【大阪日帰旅】の記事一覧

壱 【北】とりあえずキタで
弐 【西】財政危機の要因
参 【南】いろいろな公園
肆 【東】コリアタウンとだんじり
伍 宗教タウンと大都市の漁港


 3回目の大阪での日帰旅。あるイベントの日程に合わせたため,京都での会が1週間前に開かれたばかりだったが,この日程になった。集合場所は第2回の解散場所と同じこの駅になった。

(2009年8月13日撮影)

 以前は阪神桜川駅と地下と地上で比較をしたが,地上部分だけでも2つの駅舎には大きな時間の隔たりを感じる。

 周遊切符を利用し,汐見橋線で津守駅へ向かった。この汐見橋線,大阪市内のみを走っている路線か疑いたくなるぐらい昔の雰囲気が漂っている。これについては別の記事で書きたい。

津守駅。

(2009年8月15日撮影)

 駅前の公園を抜けて,渡船場へ向かうことに。
 駅前の公園の様子。

(2009年8月15日撮影)


(2009年8月15日撮影)

 この公園大きく2つの部分に分かれている。詳しくはまた別の記事で。

 この日は犬と出会わなかったので公園内を抜けて渡船場へ行けた。

 落合下渡を利用して大正区へ。
 大正区には沖縄に関わりのある方々が多く,沖縄の商品の買える商店街もある。
 渡船場から南の方へ行き,サンクス平尾という商店街へ。

(2009年8月15日撮影)

 沖縄の商品を扱っている店で買い物をした。沖縄地区限定の商品も取り扱われていた。そのまま商店街を抜け,途中で見つけたこの店で食事を。

(2009年8月15日撮影)



(2009年8月15日撮影)

 手前:沖縄そば 奥:ソーキそば。撮影を忘れかけていたので,人に公開する写真にもかかわらず箸のマナーに気付かないまま撮影してしまった。
入口では男の子が案内してくれ,店内も温かい雰囲気があった。 
お盆に営業している店があって本当に有難かった。

 店を出て北の方へ行き,区役所横の公園にある昭和山に登ってみた。
 人工の33mの山だが,鶴見新山が作られるまでは大阪市の最高峰だった場所だ。頂上の展望台からの眺め。

(2009年8月15日撮影)

 奈良の方の山や…

(2009年8月15日撮影)

 なみはや大橋,WTC,外国発祥の家具店など思っていたよりも色んなものが見えた。
 頂上で少し休みながら,先ほど買ったこれを飲んだ。

(2009年8月15日撮影)

 玄米を飲むのは不思議な感じだったが,おいしかった。ただ,かえってのどが渇いたような気になった。

 山を下り,落合上渡船を利用して西成区へ戻った。
 渡船の上からさっき登った昭和山が見えた。かつての大阪市の最高峰も隣のビルの方が高く見えた。

(2009年8月15日撮影)

 渡船を降り,木津川駅へ向かった。
 駅前の通。

(2009年8月15日撮影)

 この先を右へ行くと,駅がある。

(2009年8月12日撮影)

 かつては貨物駅も併設していた規模の駅らしい。

 電車に乗って汐見橋線の終点の岸里玉出駅へ。

(2009年8月15日撮影)

 汐見橋線の線路はここで止まっている。
 南海線に乗り換え,住吉大社駅へ。

(2009年8月15日撮影)

 ホームの柱は鳥居を意識しているようだ。

 住吉大社の太鼓橋。

(2009年8月15日撮影)

 残念ながら改修中だった。
 
 お参りをした後は,阪堺電車で堺市へ向かった。

(2009年8月15日撮影)

 路面電車も停留所ではなく,駅という名称になっている。
 宿院駅でバスに乗り換え,一条通から歩いて大仙古墳を目指した。
 

(2009年8月15日撮影)

 大仙古墳正面。堀は3重になっている。
 ボランティアのガイドさんから解説をしてもらったあと,公園内の市の博物館へ。

(2009年8月15日撮影)

 展示を見た後はバスまで時間があったので,公園内で休憩をした。
 
 公園内の色んな場所に池が見られた。


(2009年8月15日撮影)

 人工的に囲いがされるなど整備されているものもあれば,ほぼ自然な形で残されているのかと感じるものもあった。

 バスで堺東駅へ。

(2009年8月15日撮影)

 外観は大きかったが,ホームに下りると…

(2009年8月15日撮影)

 地上にある駅で,線路を越えるための橋(駅舎を兼ねないもの)のある構造が懐かしく感じた。

 萩之茶屋駅で降り,近くの公園で行われていた夏祭りへ。

(2009年8月15日撮影)

 以前見た雰囲気とは違った。
 ステージ。

(2009年8月15日撮影)

 出店もポテトなどが100円以下で買えるなどかなりの低価格だった。そしてお金がなくてもアルミ缶を集めることで祭りでの通貨との換金が可能なシステムになっていた。
 時間が押していたので,祭りの雰囲気を味わった後は今池駅から阪堺で隣の南霞町へ。新今宮からJRで大阪駅へと向かった。

 梅田でもう一人と合流し,近くの串カツ屋で食事をした。

(2009年8月15日撮影)

 自分で揚げるセルフ式の店。具材も肉,魚,野菜のほかにもたい焼きやアイスも揚げることができた。

 90分経って梅田駅で解散となった。

 特に意識はしていなかったが,結果的に色んなタイプの公園を見られたプランとなった。

(171) 平和公園

2009年08月25日 23時40分52秒 | 現在の中の過去
 広島の原爆ドームの実物を見たことがなかったので,18切符での移動中に立ち寄ってみることにした。


(2009年3月11日撮影)

 当然のことなのだが,周囲は柵で囲まれている。
 中に入ると警報がなる仕組みらしい。

 別の角度から。

(2009年3月11日撮影)

 川越しに見てみる。

(2009年3月11日撮影)

 写真で見るものと印象が全く違った。
 原爆の破壊力はもちろんだが,その恐ろしさを伝える建物を保存する技術にも驚かされた。

 近くに架かる相生橋。

(2009年3月11日撮影)

 橋はT字型をしている。原爆投下の目印になったと橋の近くの案内には書かれていた。この橋も被爆し,1983年に現在の橋に架け替えられるまで,被爆後,修理押されただけの状態で残っていたそうだ。
 この日は広島には1時間しか時間が取れなかったので他の場所は見られなかった。

 もう一つの被爆地長崎の公園。

(2006年8月21日撮影)

 有名な像。
 この像の意味するもの。
 右手…原爆の脅威 左手…平けく安らけくと平和の進める姿
 柔和な顔…神の愛,仏の慈悲
 目…冥福を祈っている姿
 右足…瞑想=静  左足…救済=動
 このポーズにも色々な意味が込められているようだ。

 平和祈念像の見える場所にある噴水。
 その前に碑がある。

(2006年8月21日撮影)

 教科書か資料集で見たことがあるように思うが,内容はもちろん,字からも悲惨さが伝わってくる。

 唯一の被爆国であり,その被爆地には戦争の恐ろしさを伝える公園がある。
 時間が経つにつれ,戦争を体験した人の数も減ってきている。
 近いうちに自衛隊のあり方や憲法9条の条文も変わるかもしれない。
 戦争に対して肯定的な考えを持つ人もいる。
 ある国によるミサイルの発射も行われている。

 日本における平和や戦争への考え方や態度も変わっていくような気がする。どうかわるにせよ,これらの公園や全国各地にある戦争に関する博物館などの伝えるものを再考する必要があるように感じる。


(170) 古田ヶ浜公園

2009年08月23日 01時00分21秒 | 現在の中の過去
 国道225号線の与次郎ヶ浜へ向かう交差点よりも天保山大橋側を下荒田側に入ったところにある公園。

(2009年3月23日撮影)

 古田ヶ浜公園という名前で名前の脇にヨットの絵が描かれている。しかし,周辺は住宅地で海からは遠い。

 最初は違和感があった。しかし,与次郎ヶ浜が埋立でできた土地であり,国道の辺りが海岸線だったことを考えると,ここももともとは砂浜だったのかもしれないと思えた。

 公園の遊具。 

(2009年3月23日撮影)

 何となく船を意識して作ったのかなと感じた。

 天保山の海岸がとてもきれいだったと聞いたことがある。磯まで行かなくてもこの辺で見ることのできたきれいな砂浜。現状からはなかなか想像できない。

(169) 九州各県中心の駅

2009年08月22日 06時44分06秒 | 過去になる現在
 九州を離れる前に,九州の県庁所在地には行っておきたいと思い,18切符で関西と九州を移動した際にできる限り寄ってみることにした。その際乗り降りした各県庁所在市の玄関とも言えそうな駅(基本的に市名・県名をそのまま名前としている駅。ただし,福岡については博多,鹿児島については鹿児島中央)について写真などを並べてみたい。新幹線や立体交差やらで改修が進められているところもいくつかあり,丁度いい機会に行けたのかなとも思えた。

博多駅。※西鉄福岡(天神)駅もあるが,行ったこともないのでこっちのみ。

(2008年9月10日撮影)

 祭りのイラスト。(断言はできないが,個人的にはどんたくかと思う。)
 駅舎。

(2008年9月4日撮影)

 筑紫口。改良工事中でもこちらは工事をしている感じがあまりしない。
 それに対して…

(2009年3月12日撮影)

 博多口はいかにも改修中という感じだ。

 ホーム。

(2008年9月10日撮影)

 2階に1~8番までのりばがあり,3階には新幹線のホームが13~16番まである(構内図より)。鹿児島本線(経由)と篠栗線の列車が利用できるが,線路上は鹿児島本線のみ。
 写真を探してみて,宿泊もしていて,知り合いも多いのに物心ついてから博多に日が昇っている時刻に行ったことのないことに気付いた。

 
佐賀駅。

(2008年9月10日撮影)

 鳥のイラスト。よく分からないが,県鳥で県の天然記念物のカササギかと思う。

 駅舎。

(2008年9月10日撮影)

 北口,南口どちらから見ても同じような印象。

 ホーム。

(2009年3月12日撮影)

 高架上にのりばが1~4番まで。列車は長崎本線(佐世保線含)と唐津線のものがあるが,線路上は長崎本線のみ。
 1976年とかなり早くから高架化されているらしい。長崎・佐世保方面へ行く列車が長く停まる(早朝は25分ぐらい)ので駅周辺は2回ぐらい歩いている。それがなかったら1回降りて終わりだったのではないかと思う。

長崎駅。

(2009年3月12日撮影)

 長崎くんちの龍踊の龍が描かれている。

 駅舎。

(2009年3月12日撮影)

 ドーム状の屋根が駅舎と商業施設アミュプラザ長崎の間に作られている。駅舎は2000年改修と新しい方だが,高架化のための工事が始まるようだ。

 ホーム。

(2009年3月12日撮影)

 のりばは0番と1~4番の5つ。長崎本線の列車のみ。
 終着駅ですべての乗り場に上下移動なく行けるが,高架化されるとこの終着駅の特権のような構造もなくなるようだ。

熊本駅。

(2009年3月21日撮影)

 イラストは熊本城と武者返しが描かれている。
 駅舎。
 
(2009年3月12日撮影)

 4階は窓のみの部分もある。

 ホーム。

(2008年9月10日撮影)

 高架化工事のために入り組んだ造りになっている。現在のホームページの構内図によるとのりばは0A,0Bと1~5番まで。写真中央にある2番のりばと右手奥にある4番のりばは他のホームよりも鹿児島寄りにある。列車は鹿児島本線,豊肥本線,三角線のものが利用し,線路としては鹿児島本線と豊肥本線の2つのみ。
 2~3回利用してはいるが,行くたびに改札の場所が変わっているなど変化が激しい。熊本市の観光地などからは結構離れている。


大分駅。

(2009年3月30日撮影)

 高崎山の猿が描かれている。
 3つの路線があり,工事中でのりばを路線別にできないのかもしれないが,この表記だと隣駅の多さが分かる。

 駅舎。

(2009年3月30日撮影)

 正面からは分からないが,高架化に向けての工事がされている最中だ。

 ホーム。

(2009年3月21日撮影)

 北口改札から直接つながる1番のりばから。
 奥に部分的に高架化されたホームが見える。

(2009年3月30日撮影)

 高架化された路線のホームの線路ははがされているが,ホームはまだ通路としての役割をしている。このときは北口改札から高架上のホームに行くのに,地下道→旧ホーム→高架下への通路→エスカレータ→ホームと通っていく必要があった。しかも,高架の高さが結構あるのでかなりの上下移動をしたように感じる。
 のりばは地上に1~4まで,高架上に6~8まであり,日豊本線,豊肥本線,久大本線の列車と線路がある。
 新幹線は来ないものの,規模の大きな駅だけに工事後はだいぶ変わりそうだ。

宮崎駅。

(2009年3月29日撮影)

 駅のデザインのせいか,他の駅のものとデザインが違う。

 駅舎。

(2008年9月1日撮影)

 南国らしい?色遣い。

 ホーム。

(2008年9月1日撮影)

 高架上に1~4番ののりばがあり,列車は日豊本線と日南線が利用し,線路上は日豊本線のみが通っている。高架化されたのは1993年のようで,その当時にしては奇抜なデザインだったのかなと感じる。今回取り上げる駅の中で唯一自動改札が導入されていない。日豊本線は駅間がそれなりに広く,かといって長崎,熊本,鹿児島のように路面電車があるわけでもないので,車社会がかなり進んでいるのかもしれないと思わされた。

鹿児島中央駅。※
鹿児島駅もあるが,機能的な面からこちらの駅で。

(2006年6月8日撮影)

 広木駅が開業する前のものなので,隣が上伊集院になっている。イラストは西郷隆盛と桜島。それにしても,「ちゅうおう」口で言うのも面倒な時もあるが,ひらがなで書くと本当に場所をとる。

 駅舎。

(2008年11月7日撮影)

 小3のとき,宮崎駅を見て驚いたものだったが,自分の住んでいるところの駅がこうなるとは思っていなかった。この駅舎になったのが1996年のことのようで,思っていたよりも古かった。2004年にこの上に新幹線の駅ができて,鹿児島中央駅という長い名前になった。隣接してアミュプラザ鹿児島があり,観覧車もついている。
 ホーム。

(2009年4月5日撮影)

 地上に1~6番の在来線ののりばが,高架上に11~14番ののりばがある。列車は鹿児島本線,日豊本線,指宿枕崎線が利用でき,線路は鹿児島本線と指宿枕崎線が通っている。
 周辺にいわゆる開かずの踏切はあるが,高架化どころか,現駅舎の2階部分の増床工事が行われ,ホーム上空の空間は減りつつある。駅周辺も目立った空き地はないので仮に高架化することになれば,新幹線の高架よりもさらに高い位置にホームができるのだろうか。地下駅という手もあるかもしれないが,駅前の地下通路でさえ,大雨などの影響を考慮しての反対意見もあったので,かえって面倒なのかもしれない。ソ¥その開かずの踏切も鹿児島本線の列車も新幹線が来て,特急がなくなった分,その踏切を通る列車も減ってはいる。 

 この記事を書いて気付いたこと。(よく考えれば当たり前のことも含む。)
・ この時期になって高架化工事が進んでいる。
・ 工事が計画通りいけば,この中で高架駅でないのは鹿児島中央だけ。(新幹線除く)
・ 今の時点で新幹線ののりばがあるのは,この中では博多と鹿児島中央だけ。
・ 分岐する路線の始発駅,終着駅は,これらの駅には少ない。

(168) 【国内海外旅行(2)】 入国ゲート ~地上編~

2009年08月21日 04時22分04秒 | 現在の中の過去
【国内海外旅行】の記事一覧

1 (146) 外国の雰囲気のあふれる町
2 (168) 入国ゲート ~地上編~
3 (209) スタミナスープ
4 (272) 入国ゲート~地下編~
5 (364) アリラン食堂
 鶴橋駅付近は特にコリアンタウンという名称が付けられているわけではなく,鶴橋商店街という名前だ。しかし,その街並みそのものは現地の人に言わせても現地そのものの雰囲気があるそうだ。もちろん,在日の方々も多く住んでいると聞く。観光地目的で作られた中華街などとも違い,より現地に近い雰囲気を味わえる町へのアクセスポイントである鶴橋駅を今回は取り上げたい。
※写真を撮影したのは2009年。写真下は日付のみ記載。夜は夜間の撮影の意。

 JRの駅のホーム。内回りのホームから外回りのホームを撮影。
 

(7/17 夜)

 夕方にかけては,電車を降りたとたんに焼き肉の香りが立ち込めることもある。駅スタンプもこのことがネタにされている。


 ホーム上にファーストフード店がある。業界の中でも韓国にかかわりのある店が選ばれたのは偶然だろうか。
 ホームの幅が広い。そのホームの奥を見てみると…

(7/17 夜)

 すぐに改札口がある。反対側のホームも同じような感じになっている。
 しかし,この改札口を通って駅の外へ行くことはできない。
 駅の外へ出たい場合はホームにある階段を下る必要がある。
 階段を下ると…

(7/17)

 中2階の通路に着く。自販機や店もあり,写真奥の方に駅長室がある。
 反対の方向。

(7/17)

 この狭い空間(しかも改札内)に店があることを考えると,利用者の多さが感じられる。
 中央部分を曲がると… 

(7/17)

 自動販売機が並んでいて,奥にコインロッカー,その脇にトイレがある。
 この階から下へ向かう2つの階段を通れば,それぞれ1階の中央口改札・西口改札につながっている。
 しかし,この中2階に,1か所だけ駅の外へ通じる道がある。

(7/17)

 改札を抜けるとそのまま店内へ入れる。ただし,自動改札機のみなので,出るときには精算の必要のない自動改札対応の切符,入るときにはあらかじめ切符を持っている必要がある。

 中央口改札。

(7/27)

 売店の脇に駅の外へ抜ける道があるが少し暗めだ。この通路から地下鉄と近鉄の駅やJRの西口に行くことができる。
 別の出口。

(6/5)

 鶴橋商店街に直通している。
 この2つ以外にも大通りに面した出口がある。中央口前の様子。

(6/5)

 こちらは普通の駅前という印象だ。
 <2009年9月9日追記>この建物を鶴橋駅デパートというらしい。デパートといっても中2階改札直結のブックオフと喫茶店があるだけのような気がした。関西では百貨店という表記が多いので,デパートというのは珍しい。<追記ここまで>

 道路を天王寺区側に行き,味原の交差点から駅の方を見てみる。

(6/6)

 遠くからでも駅の存在が分かる。おそらく,何も知らない状態ではこの入口が最も見つけやすいのではないだろうか。他の入口は商店街の中にあり,この商店街の道も結構複雑なのでなかなか見つけがたい。駅は高架駅にもかかわらず,JRの中央口のように遠くからも確認できない。
 
 中央口から横断歩道を渡り,玉造駅の方から外回りのホームを見上げてみた。

(6/5)

 ホームの下にも店が入りこんでいる。
 反対側の内回りのホーム。

(6/5)

 さっきのものとは違ってホームの真下は空洞でアーケードのようになっている。そのアーケードの線路側には同じように店が並んでいる。高架下の土地も有効に使われている。

 この中央出口の方は空が見え,明るくまだすっきりしている。
 
 今度は西口の方に行ってみる。

(6/3)

 丁度近鉄とJRの線路が上でほぼ垂直方向に交わっているので,日が沈まないうちの撮影でも,すこし薄暗い。この裏側には焼肉やが立地しており,写真奥の左手には屋台も見える。この西口は近鉄と共用していて,券売機も2社のものが並んでいる。奥に見えているのがJRの改札で,その前を左に曲がると近鉄の改札口がある。JRと近鉄を乗り継ぐ場合,ここから乗り換えも可能だが,こちらの改札を使う方が便利だ。

(7/17 夜)

 最初の方で使ったものと同じ写真で,この3階のホームにある改札機が乗り換え専用の改札口になっている。脇に他社の自動券売機があり,改札機には連絡切符でない場合2枚重ねて投入する仕組みだ。自動改札機が導入される前はこの作業を有人改札で対応していたそうだ。下に下りることなく,3階のJRと2階の近鉄ホームだけを利用する人もかなり多く,鶴橋駅を使ってはいても駅の外にはほとんど行かないという人もそれなりにいる。乗り継ぎで鶴橋駅を主に利用している知人に言わせれば,1階の改札の方が裏口に思えるようだ。JRから降りた場合,電車を降りたとたんに見える乗り換え用の改札が目立つのも事実だし,出口と勘違いするケースもあるらしい。
 乗り換え改札の近鉄側。

(6/26)

 近鉄側の駅の売店や飲食店などはこのフロアに多くあり,JRに乗換えをしなければ駅ナカの店の存在すら気付かないことが起こりそうだ。切符を取り扱う窓口も3階にある。切符は1階でも取り扱っているが,定期券の自動更新機は3階にしかない。内回り側と外回り側とでも店の内容は変わっている。求人雑誌の減り方も両側で差があった。


(7/27)

 写真の前後方向に近鉄のホームが伸びており,JRと進行方向は垂直に交わっている。近鉄はのりばが両側にあるホームが2つあるので,ホーム間の行き来も3階を通ってできる。

 2階と3階をつなぐ階段の一つはこのような踊り場があるものがある。

(7/27)

 階段手前右側にある入口が近鉄の駅長室につながっていると案内があった。普段用のない場所ではあるが,ずいぶんと複雑なところに作ったなと感じた。

 駅長室があるホームとは反対側のホーム。

(6/27 夜)

 ここも中2階に何か部屋のようなものが見える。場所が限られているとはいえ,この構造はすごい。
 この鶴橋駅,駅はごたごたした感じがあるが,愛知,三重,奈良,京都,大阪に路線をもつ近鉄の全ての駅の中で乗客数1位になった年度もある駅だ。駅員数もそれなりには配置されているのだろう。

 1番のりばの向かい側。

(6/27 夜)

 もともとホームがあったような跡がある。

 同じホームにあるのりばでも路線が異なるので案内板も変わっている。

(6/5)



(6/5)

 阪神との相互乗り入れを機に情報量の制約もあり,奈良方面は液晶になったらしい。2番のりばの大阪線も,列車の停車駅だけでも十分多いと思うが,それに加えて,途中駅で電車を切り離す案内があったり,後から出る電車の方が先に着くという案内があったりする。よく予め準備した表示だけで間に合うなと見るたびに感じている。

 近鉄のホームの奈良側。

(7/27)

 高架上からでも見えるのはほとんど家の屋根だ。この下が商店街となっている。

 反対側の上本町側から鶴橋駅へ向かう近鉄の線路。

(7/27)

 玉造筋から鶴橋駅の方を撮ってみたが,この先数百mに駅があるようには思えない。高架の周りまで建物があるので,たどってみるのも難しかった。

 ホームには下に下りる階段が3ヶ所ある。そのうちの真ん中の階段。

(7/27)

 「出口ではありません」としっかり書かれている。ホーム間の行き来のための通路ということになるが…


(7/27)

 通路には証明写真機が設置されている。そして突き当りにはトイレがあるが,このトイレのある建物,ホームの下というわけではなさそうな位置だった。
 明確な根拠は得られていないが…

(7/27)

 トイレの窓から少しだけ見えた雰囲気を考えると,この建物の中だったのではないかと感じた。この場所は,商店街の中でも数少ない空の見える場所だ。商店街については別の機会に取り上げるが,入り組んでいて駅の下にいることも感じられないところもある。

 一番奈良よりの階段を下ると東口に着く。

(6/5)

 東口は改札を抜けるとすぐに駄菓子屋がある。

 東口改札前。

(6/3)

 商店街を歩いていたら突然駅が現れた感じだ。
 この上を電車が走っていることになる。

 東口の改札内にある扉。

(6/5)

 掃除用具入れだと思うが,ずいぶんと前からありそうな感じだ。

 ちなみに,上本町よりの階段を下るとJRと共用の西口に着く。

 駅の外から近鉄の駅を見てみる。
 ホームの中央辺りから…

(7/27)

 露店のような感じだが,上を電車が頻繁に通り,しかも昼間でも暗い空間で商売をできるとはすごい。

 西口付近。

(7/27)

 高架下に焼肉屋がある。
 3階にあるJRのホームでも香りはするが,2階の近鉄のホームは煙がやってくることもある。しかし,高架下で火事でも起こったらどうなるんだろう…

 最後にホームから西口付近を見てみた。

(7/27)

 色々なものが見えている。

 鶴橋駅には,地下鉄の駅もあるがこれは別の記事で書きたい。

 近鉄の鶴橋駅はもともともっと奈良よりにあったようだが,国鉄との乗り継ぎを考えてこの場所に移転したようだ。周辺の雰囲気も含めてずいぶんと複雑な建築物ができてしまったなと感じた。あの独特の雰囲気はとても文章と写真で表すことはできないと実感した。