時戻素

昔の跡,やがてなくなる予定のもの,変化していくもの,自身の旅の跡など・・・

(583) 天竜川渓谷の観光地(1)

2011年03月31日 06時18分31秒 | 旅・散策の足跡

 天竜川沿いの風景は,以下のシリーズの記事…
【水没集落からの脱出】の記事
静岡県浜松市天竜小和田~塩沢

1 入口編(306)
2 駅前メインストリート編(326)
3 最寄の民家とつり橋編(359)
4 集落への道(395)
5 徒歩1時間の集落(405)
6 駅を離れても(482)

 …で,無人地帯の天竜川の風景を取り上げ,その第二弾になるシリーズaも今後書く予定だ。しかし,このような少しずつ有名になっているとはいえ,まだ観光地化されていない地域に対して,観光地化されている天竜川の渓谷に天竜峡がある。春の閑散期に行ったので観光地らしさは薄いかもしれないが観光地としての天竜川の姿も記事にしてみたい。

※ 写真撮影日2011年3月3日


 長野県飯田市の天竜川駅。駅舎側のホームには川下りをイメージした置物?が展示されている。
 外から見た駅。

 この駅から豊橋寄りは川沿いの狭いところを線路が走っていたので,そちらの方から来たら開放的に感じた。

 駅舎にもステンドグラスが使われていて,イメージの中の印象とは違った面をみたような感じになった。
 駅のホームから見た駅周辺。

 ロータリーを越えるとすぐに天竜川が流れている。右側に見える切れて写っている建物の中には…

 天竜峡温泉の碑があった。奥に見えた橋の方へ。

 姑射橋の柱には竜の置物が置かれていた。
 橋の手前から見た天竜川の上流方向。

 ここから下流と違って開けた印象があった。
 橋の上から見た下流方向。

 観光地となっている天竜峡の姿が現れた。橋を渡りきったところで橋の下の方を見てみた。

 橋を渡りきったところから…

 遊歩道のような道へ入っていく。
 奥に見えた看板には…

 この辺りが十勝の「浴鶴巖(よくかくがん)」一つであることが示されていた。看板の内容が手書きで修正されているのも味がある。その先,道の掃除をされている方々と出会った。時期が外れた感じはあったけれど,そんな時期でもきれいにしようという感じが気持ちよかった。

 休憩所のような場所もところどころ作られている。
 1回車道に出て,その後また歩道へ戻るが…

 工事で整備中の道も多くあった。

 旅館があり行き止まりに見えたが,その脇の上り口を進んでいく。

 車道に出ると道に沿って案内板が並んでいるところがあった。その先,天竜川の方へ下る道へ行くのだが,手前の道は工事中で入ることができなかった。その先の入口から下っていく。

 この途中に…

 十勝の一つ龍角峰がある。
 展望所のようになっていて,上流側。

 下流側。

 この先もさらに下り,橋を越えて対岸へ向かう道が続く。

(2)へ続く。



(582) 【大阪市内のローカル線?(4)】 人権の町を経て終点へ

2011年03月30日 04時12分59秒 | 現在の中の過去
【大阪市内のローカル線?】の記事

1 キシタマ駅(370)
2 下町を抜け公園前へ(425)
3 狭い道の先の広い駅(544)
4 人権の町を経て終点へ(582)


 木津川駅から先へは線路沿いに道がないので宅配便の施設があった方の道路へと引き返す。北の方へ向かっていくと,途中に…

(2010年4月4日撮影)

 白木神社があった。地域の神社かと思い,由緒を見ると…

(2010年4月4日撮影)

 細かいことは分からないがその見方でよさそうに思う。地域の神社でこのような案内がついているのは珍しく感じた。
 その先に行くと道がやや開けてくる。

(2010年10月10日撮影)

 カーブ上に踏切が並んでいるところの植え込みのような場所の足元を見ると…

(2009年5月24日撮影)

 琴江橋の跡を示す碑があった。この辺りの川を埋め立てられたということだろう。

(2010年10月10日撮影)

 線路沿いに広がる自動車学校の敷地に沿って進むと…

(2010年4月4日撮影)

 現在は閉館となってしまった人権センターの施設がある。この建物と自動車学校の間の道を進んだ先に…

(2010年10月10日撮影)

 芦原町駅がある。他の駅と同様に…

(2009年5月24日撮影)

 自動改札機の導入された無人駅になっている。駅の看板も…

(2009年8月15日撮影)

 何となく古くからありそうな印象を受けた。
 駅前の道を碑が東の方へ行くと…

(2010年10月10日撮影)

 この先にJRの環状線の芦原橋駅がある。駅スタンプが…

(2009年8月9日撮影)

 人権関連の施設を取り上げているが,この周辺には博物館などそのような施設がいくつかある。この地域の歴史と関わりが深い。
 汐見橋の方へ寄り,JRの高架下の辺りから芦原町駅の方を見る。

(2010年10月10日撮影)

 駅自体も環状線の線路からそんなに離れていない場所にあるようだ。


(2010年10月10日撮影)

 踏切の上の高架その上を高速が走るという上空がごたごたしている場所だ。
 ここから汐見橋方面へは新なにわ筋が併走している。また,難波方面と大正区方面を結ぶ道路が線路を横切るので…

(2011年3月25日撮影)

 踏切の幅が結構広いところもある。初めこの線路を見たときには,JRは高架の上をは走っていたのでしばらくの間は貨物の線路だと思っていた。この踏切の脇を見ると…

(2009年8月5日撮影)

 フェンスが設けられているところがあった。
 この先汐見橋方面の線路沿いには…

(2009年5月24日撮影)

 このような光景が見られる。 
 最近では規制が厳しくなったのか以前に比べると小屋かけの数は減っていたように感じる。

(581) 繁華街のそばがまとめて…

2011年03月29日 07時45分02秒 | 過去になる現在

 梅田の隣駅の地下鉄中津駅の地上付近。一番梅田よりの駐輪場からは繁華街まで徒歩数分で行けるような距離だったが,駐輪場は無料だった。(阪急中津は既に有料)ここが4月1日から有料駐輪場になる予定だ。有料になる数日前の風景。

(2011年3月27日撮影)

 一番梅田寄りの高架下。最初,バスの車内からこの駐輪場を見たときは撤去自転車の保管場かと思っていたが…

(2011年3月27日撮影)

 中は立派な駐輪場だった。道路に囲まれた狭い空間に自転車が詰め込まれるので,出し入れはしにくいのが大概だろう。写真がややスッキリして見えるのは有料化を前に手が加えられているからかもしれないと思うぐらい,いつも満車だった。個人的にはこんな一等地に近い場所で無料なら何かあったとしても自己責任の域だと考えるのが,市の駐輪場のサイトを見るとクレームが投書されている。そういう人は梅田が近いのでそちらの有料駐輪場を使えばすみ分けはできると思うが,景観の問題としてそうはいかないのかもしれない。有料化したところで駐輪場の周りがどうなるかは他の場所の例から想像できる。撤去部隊とのいたちごっこだろう。かといって無料だからといって面倒なのか駐輪場に入れない利用者もそれなりにいる。料金以前の問題かもしれない。
 カーブしている道路を本庄の方へ進んでいく。

(2011年3月27日撮影)

 バス道路に沿って自転車を停めるスペースがところどころ作られている。
 道路上以外にも,地下鉄の出入り口に面して…



(2011年3月27日撮影)

 駐輪スペースがある。こちらの場合,スペースの形が複雑でしかも白線なども見えにくいかないのでどう停めていいのか分かりにくい。
 この辺りまで来ると梅田までの所要時間も最低10分ぐらいはかかるような位置になる。それでも下に駅があるので駐輪場はまだまだ散見され,貨物の線路とぶつかるところにも…

(2011年3月27日撮影)

 やや広めのスペースが設けられている。ここまで来ると空きも目立つ。しかし,ここももちろん一律で有料化される。駅から離れた端の区画まで有料にする理由を,市側は「有料化された部分の利用者が無料のスペースに流れることになりさらなる混雑が予想されるから」のようなことを言っていたように思う。ここの場合,端といってもそれなりにスペースが埋まっているのでそうなるかもしれない。


 続いて梅田から東の方へ一駅分移動した南森町駅周辺。ここも国道一号や天神橋筋に沿って路上の駐輪場が設置されている。
 東の端の東天満交差点付近。

(2011年3月27日撮影)

 有料化予告の看板が立っている。国道上だからかここの管理は市ではなく国が担当していた。そのためか駐輪ラックの形状も他とは違っている。


(2011年3月27日撮影)

 注意書きも国道事務所の名前で書かれていたが有料化を期に他へ移管するのだろう。テープで管理者名が消されている。さっきの中津とも共通するが,よくあるトラブルの入れ替えを防止するためにチェーン錠で車輪を固定するように書いてある。そうしなくて入れ替えられたりするのは利用者の責任にも思えるが,その手のクレームはかなり寄せられているようだ。ここにも国道1号の梅田寄りに意外と空いている駐輪場がある。

(2011年3月27日撮影)

 繁華街には近いが駅の入口から遠いためか利用者は少ないのかもしれない。有料化に向けた整備をしたのかもしれないが,隙間はそれなりに残っている。もちろんここもまとめて有料化だ。
 しかし,隣駅とは思えないぐらい離れていないある駅の駐輪場は…

(2011年3月27日撮影)

 今後も無料のまま続くようだ。とはいえ,他の有料と無料の駐輪場が両方ある駅の様子を見る限りここに急に流れ込むということもなさそうに感じる。駐輪行動って結構近場に停める傾向にあるように思うし…(駅から近いところは無理やり詰め込むような感じになっていても遠いスペースには結構空きが見られることから。)

 今度は京橋付近に来て,川一つ越えたところにあるOBP周辺。

(2011年3月27日撮影)

 放置禁止地区に指定されていなかったこともあって,歩道上には自転車が並んでいる。歩道の自転車の通行帯をふさいでいることになって問題はありなのだが,他の地区ほどのごちゃごちゃ感は感じなかった。(単なる感覚の麻痺だろうが…)

(2011年3月27日撮影)

 こんな感じで何となく駐輪場と思ってしまうようなスペースもあった。

(2011年3月27日撮影)

 有料化を通知する看板。

(2011年3月27日撮影)

 ロック装置が徐々に取り付けられている。この路上にあるロック装置も止められる台数が決まり,とめてある自転車の向きも溝の方向になるので,無秩序に停められるよりも美しいのは分かるが,景観に貢献しているかといわれるとそうでもない気がする。かといって地下や屋内は停めるまでの時間がかかり,利便性が悪くなって駐輪場を使わない場合があるので別の問題が出てくるのだろう。
 ここも線路上はつながってはいないが川一つ越えたところにある実質隣駅みたいな距離にある駅の駐輪場は…

(2011年3月27日撮影)

 無料のまま残りそうだ。南森町のところと同様に理由でここの利用が急激に増加することはないように思う。もともとOBPに駐輪場はなかったし…

 最後にJR難波駅付近。もと湊町駅というだけあって難波からは離れている。ここも無料の駐輪場が設置されていたが,OCATやリバープレイスなどもあるためか駐輪量は多かった。ごたごたはしていて,場所によっては自転車が後ろの方へ2列3列と並んでいる時もあったが,いつも整列駐輪にご協力頂き有難うございますという貼り紙もあったように思う。ここから大正区のほうに向かって地下鉄桜川駅の地上部の千日前通沿いにも駐輪場が作られていた。

(2011年3月25日撮影)

 詰め込まれている場所もあったが,空いている場所はがら空きに近いところもあった。結構最近整備されたようできれいな感じのものもあった。

(2011年3月25撮影)

 駅入口横のスペース。少し込んではいるが他と比べればまだ余裕があるほうかもしれない。ここも有料化されるが,JR難波から流れてくる客を見越してだろうか。駐輪場外の駐輪も見られてはいたけれど,他の繁華街と比べたら少なく感じていた。
 さらに大正区に寄ると阪神の桜川駅と南海の汐見橋駅がある。ここにも駐輪場があるがここまで有料化される。

(2011年3月25日撮影)

 汐見橋駅に隣接した駐輪場。新しく整備するからかフェンスで覆われていた。阪神の桜川駅ができたとはいえ,ローカル線呼ばわれされているような汐見橋線の利用者はそんなに多くないだろう。

(2009年5月23日撮影)

 広々とした駐輪場もかなりスペースが空いていた。ここがリニュアルされるようだが,無料でさえ閑散としていたものが有料にして利用者が増えるということがあるのだろうか。この駐輪場無料で整備されていなくて出しにくいから使わないという利用者はどれほどいるのだろうか?有料化の理由の一つに自転車の利用を抑制させる(近距離は歩かせる)があるが,抑制するほどの混雑具合になるのだろうか?

 最近は周辺までまとめて全部有料化というのが流れのようだが,大阪市の地下鉄の駅で有料と無料が混在している駅がある。

(2011年3月27日撮影)

 蒲生四丁目駅。オレンジの駅舎の地下に有料駐輪場がその右隣にある2階建ての建物の1階が無料駐輪場になっている。平屋の入れやすいほうが無料というのも意外だ。


(2011年3月27日撮影)

 無料駐輪場の中も日曜の夕方でこの台数だが,ボランティアの方の成果もあるのか結構整った印象があった。


 有料化のメリットもあるし,無料よりは管理された有料駐輪場を使いたい人の気持ちも分かるが,その一方で無料を望む人もいないわけではない。利用者の少ないようなところでは全部一律有料にするのではなく,一部不便な区画などで割安区間か無料区間を設置してもいいのではと思う。盗難とか出しやすさを気にする人は有料区画を使えばいいし,有料スペースを提供することで無料スペースは自己責任を求められても仕方はないと言えるのではないだろうか。サービスに差が出ることで有料の意味も出てくる気もする。屋根はない,駅の入口から遠い,利用者が少なく閑散としている区間が,駅入り口付近の区間と同じ料金なのはどうも腑に落ちない部分がある。

(580)【「ケイコク」ハイキング・2】 現モグラルートで渓谷へ

2011年03月28日 04時46分30秒 | 現在の中の過去
【「ケイコク」ハイキング】の記事

1 大都市近郊で渓流になる武庫川(556)
2 現モグラルートで渓谷へ(580)
3 市外を経由して着く温泉地へ(596)
4 周辺見物を終え、スタートへ(642)
5 市が整備した区間(669)
6 自己責任区間へ(715)

※ 写真撮影日:2011年2月19日
※ 今回記事では触れませんがこのハイキングをしてみたくなった方へ。ハイキングコース(廃線部分)は多くの人が利用していますが,整備がなされていない部分も多くあり,土地を所有するJR側からも危険であり,関係者以外の立ち入りを認めておらず,万一事故が起きても責任を負わないことが警告されています。途中のトンネルは照明が一切なく,長いものもあるので懐中電灯の持参は必須になります。スタートからゴールまで約2時間抜け道がなく,車道も一切ないので体力に自信がない場合は行かないことを勧めます。

 前回紹介した武庫川渓谷でハイキングをしたときのスタート地点へのJRでのアクセス過程の風景を記録したい。後の武庫川沿いコース(自己責任エリアあり)がかつての線路の跡となり,時間短縮の観点におけるトンネルの有難味を感じることができる。景色面では真逆になるが…

 宝塚駅。

 阪急とJRの駅が道路を挟んで向かい合っていて2階の通路で結ばれている。これから行く渓谷へのアクセスで使うのは…

 JRの方になる。歌劇団などの印象の強い宝塚の駅らしく…

 内装も品を感じさせられた。ただ駅舎から遠い部分のホームだけを見ると…

 不思議とその印象も変わってしまった。
 ここから篠山方面の電車で武田尾駅(下流から上流のコースなら隣の生瀬駅)へ向かう。この両駅に快速は停まらないが,次に来る電車が快速だったので名塩まで行き,そこから普通に乗り換えることにした。
 宝塚を出て,しばらくすると…

 武庫川沿いを電車が走行し始める。

 生瀬駅を通り過ぎた先から…

 現行ルートがかつてのルートと分かれている。現行ルートはほとんどがトンネルになっている。上の写真で見えている橋の先のトンネルを抜けると…

 西宮名塩駅に着く。反対側の篠山方面を見ても…

 すぐにトンネルになっていて,トンネルに挟まれた部分に駅があることになる。
 普通が来るまでちょっと時間があったので階段を上って改札口の方へ行ってみた。そこから見たホーム。

 今いるところよりもさらに高いところを道路が走っている。改札の向こうにはさらに上に登る階段があり,出口の一つになっているようだ。窓から別の方面を見る。

 改札と同じ高さの場所にも歩道はあるようだ。おそらく,谷のような場所に駅があるのだろう。再びホームに降りて篠山方へ行くと…

 ホームの先がほんの少しだけだがトンネルの中に入り込んでいた。トンネルの間の距離は本当に短そうだ。しかも,この先のホームから駅の外を見ると…

 このホームのある場所がすごい場所であることが分かった。
 普通電車に乗り,一駅先の武田尾へ移動。この一駅間には,目の前にあるトンネルしかない。先頭側の車両に乗って武田尾駅へ降りると…

  トンネルの中にホームがあった。宝塚方面を見ると…

 明かりが見えた。そちらの方へ寄ると…

 名塩へつながるトンネルの入口が見えた。トンネルを抜けたのは電車の長さよりも短い区間だけだったようだ。ホームがトンネルから抜ける辺りには・・・

 きれいな待合室が設置されていた。トンネルの外に出ると…

 この部分のホームは橋になっているようだ。下を武庫川が手前の方に向かって流れている。隣駅の道場は神戸市の地名であり,距離はあるものの神戸市北区(六甲の裏側)との距離も近い。上流側をホーム上から見る。

 この先の左手に武田温泉がある。武庫川がちょうど市の境になっていて,向かって左側が西宮市,右側が宝塚市になっている。
 今いる橋の上からホームの入り込んでいるトンネルの方を見る。

 トンネル手前に見える階段が出口につながっている。この階段を1回降りて反対側のホームへ回り,川の下流側を見る。

 この先に集落があり,かつての駅はその辺りにあったようだ。旧線はこの川沿いを走っていた。
 ホームの下の部分。

 簡単な自動改札機とその横に普段は開いていなさそうな窓口がある。

 改札機はICカードと入場の処理の専用のようで,出るときは切符を横の箱に入れるようになっている。ホームの真下…

 振り返って改札口付近。

 トイレや椅子と机,自動券売機などが橋の下にあるという感じだ。

 宝塚市が設置したたけだおの案内もある。
 渓谷の中の駅という感じだが,橋の下を出ると…

 管理人つきの有料駐輪場という都市型の風景に遭遇する。下流側には駐車場もあり,駅まで車,バイク,自転車を利用する住民もいるようで,駅の利用者は広範囲にわたりそうだ。下流側にはバス停も設置されている。
 駐輪場の辺りから駅の方を見る。

 武庫川寄りへ視線を移す。

 上流から下流の方を見ている。
 生瀬駅で一緒に管理されているこの駅の駅スタンプには…

 この渓流の中にある特殊な駅の姿が描かれている。
 ハイキングへ行く前に駅よりも上流側を散策したので,次回はそれを取り上げたい。この辺りだけなら自己責任エリアは特にない。

(579) 中・高の上に大学まで

2011年03月27日 05時33分40秒 | 現在の中の過去

 このブログ2番目の記事で取り上げた旧短大のキャンパス。
 紫原陸橋の辺りから見ると…

(2009年2月16日撮影)

 下の方に志学館の中・高等部がその上に女子短期大学があった。これらを設置している学園は全て同じ学園になっている。以前の記事でも取り上げた通り,この女子短大は高麗町の学芸高校跡に移転になった。
 場所は少し下った場所になるが,先日見たほぼ同じ風景。

(2011年3月20日撮影)

 景色として大きな変化はないが,短大の跡地に隼人から大学が移転してきている。大学名が学園名そのままなので志学館の中学から大学までがほぼ同じ場所に集まったことになる。住所上は,中高が南郡元町,大学が紫原一丁目と異なっている。

 2年ぐらい前の校門。

(2008年10月26日撮影)

 向かって左側に女子短期大学の名前が書かれていた。
 門全体を撮影したのは夜のものしかないが,先日の写真。

(2011年3月19日撮影)

 門の形状が変わっている。向かって右手に…

(2011年3月20日撮影)

 大学名が書かれている。奥の建物も形は変わらないが,色が塗り直されているような印象を受けた。
 かつての写真はないが,墓地への入口を挟んで学生寮と思われる建物があった。その建物も今は…

(2011年3月19日撮影)

 心理の施設として使われていた。
 大学の門から坂を下ったところにバス停がある。
 2年前のバス停。

(2008年11月4日撮影)

 女子短大下という名前だった。
 今は…

(2011年3月20日撮影)

 志学館前に変わっていた。大学が入らないことで中・高等部へのアクセスバス停としての意味も含んでいそうだ。こちら側の面は新しくバス停名が書かれているが…

(2011年3月19日撮影)

 他の面はシールを張って隠してあるだけだった。夜になったら明かりで透けてしまったり,シールがはがれてきて下の字がむき出しになったり,依然として女子短大前の名前はそれなりの存在感を持ちそうだ。

 大学が春休みの期間に周囲を訪問したからかもしれないが,以前と大した変化は感じなかった。大学周辺がもともと住宅地でほぼ一杯になっていることもあって学生街が形成されている雰囲気でもなかった。学生の食事やコンパなどはどこで行われているのだろうか。最寄り駅の南鹿児島駅周辺も居酒屋はあっても学生が飲むような場所には思えない状態だったし。それでも,車がないとどこにも行けないと言われていた以前の立地よりは便利なのは間違いない。

(578) 【栃茨県境2】県庁所在地間の公共交通機関移動

2011年03月26日 05時29分44秒 | 旅・散策の足跡
【栃茨県境】の記事

1 県境バス停(565)
2 県庁所在地間の公共交通機関移動(578)
3 バス停から県境神社への道(589)
4 県境上の神社(600)
5 不苦労の神社(619)
6 稲荷・亀・杜(631)

※ 写真撮影日 2011年3月5日

 東京から仙台に向かう途中,茨城県と栃木県の県境にある鷲子山上神社への訪問を考えていた。宇都宮側から烏山線を経由するコースの往復で攻めるのが一番安易そうだったが,どうせなら行きと帰りで違うルートで行きたいと思ったので,水戸から常陸大宮までJRで,そこからバスを乗り継いで神社の最寄りのバス停である塙停留所へ,その後再び塙からバスで烏山駅へ行き,烏山から宇都宮までJRで行くルートを採用した。
 時刻と運賃は以下のような感じになった。

水戸発09:22JR水郡線
常陸大宮着09:55480円
常陸大宮駅前発10:00茨城交通バス
高部車庫着10:45890円
高部車庫前発10:57市営バス
塙着11:07340円
鷲子山上神社
徒歩(片道約4km)
塙発14:20市営バス
烏山駅着14:39460円
烏山発15:29JR烏山線
宝積寺着16:100円(宇都宮まで通し)
宝積寺発16:19JR東北本線
宇都宮着16:30570円
 
注1 2011年3月5日の時刻表記載時刻。当日JR水郡線は約3分遅延。
 2 茨城交通と市営バスの高部車庫前バス停の位置は別。茨城交通の美和総合支所(高部車庫の一つ手前のバス停。歩いて数分)と市営の高部車庫が同じ位置。【後述】
 3 市営バスは常陸大宮市(茨城)と那須烏山市(栃木)のおそらく共同運営。

 実際の移動。

 水戸駅。

 端のホームから水郡線で常陸大宮へ。特急電車の待ち合わせのため発車が数分遅れた。常陸大宮でのバス連絡が5分しかないので焦る。しかし,JRのことだからダイヤ復旧させてくれるだろうという期待とバスも列車が遅れたら客がいなくて待ってくれるのではないかという期待をした。もちろん,最悪の事態も想定。

 常陸大宮駅へは3分遅れぐらいで到着。改札を抜け,バス停を探していると乗るべきバスが駅前のロータリーへ。慌てて後をつける。

 見つけきれなかったバス停があった。

 駅前の通りを少しだけ進んだところに設置されていた。ここから乗ったのは自分ひとりで,バスは始発だからといってしばらく停車することもなくすぐに発車した。JRがあれ以上遅れていたら,バスの本数が少ないのでこの日の計画はまったく別のものになっていただろう。
 バスに乗ってしばらくすると…

 バスでの最終目的地の烏山までの距離が出ていた。30km分の運賃,事前に調べていたからいいものの知らなかったらかなり不安になりそうだ。しかも,この数値は駅までの距離ではないし…
 途中からは自由乗降区間となりバス停に限らずに乗り降りが可能になる。


 このような風景を見ながら移動は続く。同じような風景を2度見た気がするので,集落内を1周して幹線道路に戻るようなルート設定になっているのかもしれない。途中で駅の少し先のバス停から乗った方が降りた。このバスの乗客はこの方と2人のみだった。

 終点までの運賃。

 終点の高部車庫。両方のバスの停留所名になっていたので大きいかと思ったら結構小柄だった。上の時刻の下にも書いてあるとおり,烏山市営バスの高部車庫バス停は茨城交通の一つ前の美和総合支所前と同じ場所にあるので一バス停分歩いて戻る。

 2つのバス停が隣に並んでいる。よそ者にとっては両方が「高部車庫」というバス停名を出すことによって,この2つのバスが乗換え可能だということを示しているように捉えられたが,バス停の場所を知る上ではややこしい。烏山市営バスが美和総合支所ではなく,茨城交通の施設である高部車庫を採用した理由は何なのだろう。
 今乗ってきた茨城交通の時刻表。

 本数はかなり少なめ。さっきのようにJRが遅れて接続ができなければ泣くしかない。土地勘があれば一駅先の玉川村駅からバス停までたどり着ければ復旧は可能かもしれない。玉川郵便局の前をバスが通過する。便によっては玉川村駅へ寄るバスもある様子。
 市営バスの方。バス停の上の部分には「みわ」(合併して現在は常陸大宮市)と茨城側の旧自治体名が書かれている。

 こちらもかなり本数は少ない。やがて烏山方面から人を乗せたバスがやってきた。乗客を降ろした後,方向を変えてバス停へ。そのバスは…

 このぐらい小型だった。
 車内も…

 コンパクトにまとまっている。路線バスではあるので…

 運賃表と運賃箱の設備がついている。
 すぐにバスが発車したが,その後ある異変に気付く。次のバス停の案内もないまま,どんどんバスは進んでいく。いくら利用者が少ないとはいえもう一バス停分とは思えない距離を進んでいた。運賃表にも何も表示されない。不安になって運転手に聞くと,どこまで行くか聞かれた。このまま何も言わなかったら終点についてたのだろうか。

 道の駅を通過。しばらくして塙バス停で降車。運賃は運転手が持っていた表を使って示された。ここまで他に乗客はいなかった。

 塙バス停は橋の上にあった。反対側の道路にはバス停の表示が置いていないが,その辺りに立っていれば乗れるのだろう。少し不安になったので,次のバスでここから烏山駅へ行くことを告げておいた。(実際次のバスの運転手は別の方だったが)まだここは茨城県で県境は越えていない。

 目的地の神社への訪問を済ませ,バス停に戻っても時間があったので隣の県境バス停まで歩いてみた。こちらについては1の記事で。
 県境のバス停から乗ることも可能だし,運賃も安くなるのだが,さっきある種の乗車予約のようなことを言ってしまったので,塙バス停に引き返した。
 今度のバスは…

 さっきのものよりも大きかった。車体には県境を挟んだ両市の名前が書かれている。このバスで県境を越え,栃木県へ。県境を越える路線バスはなかなか珍しいのではないだろうか。
 今度のバスの運賃表を見ると…

 バスの放送設備などが故障していることが書かれていた。さっきのバスもそういう事情だったのだろう。終点だから何も言わなかったが,途中で運転手さんが行き先を確認してくださった。



 こんな風景を見ていると…

 大きな橋が見えてきた。やがて烏山駅に着く。

 この区間でも他に乗客はいなかった。
 駅周辺で次の列車まで1時間ぐらい時間をつぶした後は列車で移動。この駅は有人でみどりの窓口も設置されている。

 終点の宝積寺で乗換えを待つ。

 宇都宮へ到着。県境をバスでまたぐ県庁所在地間の公共交通機関移動。本数が少なくはらはらするところはあったが,普段見ないバスの運行風景を見ることができたように思う。

(577) 黄色の増殖

2011年03月25日 23時25分28秒 | 過去になる現在

 大阪から鹿児島まで新幹線が全通したことが話題になっている中,移動費を抑えるために九州・山陽旧幹線(一部妥協して新幹線利用)でその区間を往復した。1年前にも同様のことはしていたのだが,岡山,広島,山口の移動中に去年との違いを感じた。


(2011年3月21日撮影)

 黄色い電車がやたら多くなっている気がした。去年は左側のような塗装がされた電車が多かったように思う。塗装の経費を減らすために単色で塗装するとかニュースで聞いた気がするのでそれがこういうことだったのかもしれない。

(2010年3月28日撮影)

 去年はこういう塗装だった電車も…

(2011年3月21日撮影)

 今年乗ったものはこんな色になっていた。確かに前よりも太陽の色に見えないこともない気がする。

(2011年3月21日撮影)

 しかし,車内は…

(2010年3月28日撮影)

 別の車両ではあるが,車内は木目のような部分もあるので,内側と外側の印象にギャップがあるように感じた。車内にいれば,外の黄色はほぼ見えないけれど。
 岡山から姫路に行く電車も岡山側の車両を使うのか…

(2011年3月21日撮影)

 姫路でもこの色遣いの電車を見ることができた。
 次回行くときにはさらに黄色が増殖しているのだろうか…色が色だけに意識していなくてもすごい色に見えてしまう。

(576) 最初の記事の場所の今。

2011年03月24日 23時58分40秒 | 過去になる現在

 先日,久々にこのブログを始めてみようかと思った動機となる場所の一つへ行った。このブログの記念すべき最初の記事にもなっている慈眼寺駅周辺だ。この記事は谷山神社の高台から見下ろした写真が中心なので,この記事で取り上げる写真はこちらの記事の場所の方が直接関係しているかもしれない。この2つの記事,自分でも久々に見たのだが,書きぶりが今のものとだいぶ違って見えた。時間で見れば2年数ヶ月前,記事数で見れば550個以上前に書いた記事だから当然のことかもしれない。

 駅の谷山寄りの木之下川に架かる橋の上から見た慈眼寺駅。

(2008年10月21日撮影)

 橋は写っていないが,今のほぼ同じ場所。

(2011年3月20日撮影)


 その木之下川に架かっていたJRの橋。

(2008年10月21日撮影)

 今。

(2011年3月20日撮影)

 最終的にはこの手前に高架で川を越えることになるはずなので,これも仮の橋だろう。

 駅の脇にある諏訪踏切。

(2008年6月1日撮影)

 今。

(2011年3月20日撮影)

 高架はもともとの線路の位置に作るため,仮の線路になった今は山側へずれている。高架化工事の現場はいくつか目にしているが,立ち退きなどで開いたスペースに高架を作って,元の線路を撤去する手法のものしか見たことがなく,このように空かせたスペースに仮の線路を作って,元の線路を撤去して,その場所に高架を作るという手法を見たのは初めてだった。時間も費用もかかるはずなので,現在の仮の線路の位置に高架が作れない事情が何かあるのだろう。

(2011年3月20日撮影)

 階段の上にあったかつてのこの駅舎も…

(2008年6月1日撮影)

 当然のことながら壊されている。

(2011年3月20日撮影)

 2階に改札があったものが1階へ移され,線路の向かう側のホームへは歩道橋を渡ることになった。駅への入口は線路より海側にあったが…

(2011年3月20日撮影)

 今は山側に移っている。
 駅舎のある山側は…

(2011年3月20日撮影)

 線路の高架化工事と共に道路などの整備が進められている。高架駅の入口がどうなるのかは分からないが,もとから住宅は多くあったがこちら側の雰囲気も変わってくるかもしれない。
 線路の海側に戻る。以前は駅舎の下に駐輪場が設けられていた。

(2011年3月20日撮影)

 それは今も変わらなかった。ただし,もともとホームと線路があった部分が開いたので,道路沿いに1台分の奥行きしかなかった時と比べるとスペースが広々となっている。

(2011年3月20日撮影)

 道路側に柵で囲まれたスペースがある。

(2011年3月20日撮影)

 看板をよく見るとやや古そうだ。ここにかつての駐輪場の写真を重ねると…

(2008年10月21日撮影)

 看板の写っている場所ではないが,何となく同じ場所であることが分かる。大規模に色々なものが撤去されている今の段階でもかつての影はまだ残っている。
 駐輪場沿いの道路を坂之上の方へ進んでいく。

(2011年3月20日撮影)

 線路とホームの跡地が更地となって広々として見える。
 さらに進んで種ヶ宇都第2踏切へ。

(2008年11月20日撮影)

 この時点で写真後にある丘陵は仮の線路を作るためのスペースとして崩され始めていた。今は…

(2011年3月20日撮影)

 線路も移され,完全に広々とした空間になった。もっと近寄ってみる。

(2011年3月20日撮影)

 線路の位置がずれたので…

(2011年3月20日撮影)

 踏切の位置も変わり,元の線路の場所がはっきり分かる。
 この踏切を渡ったところから駅の方を見ると,かつては…

(2008年11月20日撮影)

 田んぼが広がっていた。
 今は…

(2011年3月20日撮影)

 何もない更地になった。駅の裏側が田んぼで入口も線路の反対側に回らないといけなかった状況は今後どう変わっていくのだろうか?駅の山側を現在の仮駅舎が建っている場所から…

(2011年3月20日撮影)

 かつては家が建っていた場所と記憶しているが,ここもきれいな更地だ。
 慈眼寺公園も近く,木之下川の源流も間近な自然の豊かなイメージのあったこの場所も数年後には高架橋の立つ都市的な場所へと変化していくのだろうか。

(575) 住宅地の中の船

2011年03月23日 23時58分57秒 | 風景

 大阪市港区の八幡屋付近の川沿いに…

(2010年3月13日撮影)

 ちょっとした休憩所のような場所がある。そこに近づくと…

(2010年3月13日撮影)

 船をイメージした形になっている。
 先頭の方から・・・

(2010年3月13日撮影)

 甲板からの眺め。

(2010年3月13日撮影)

 堤防の向こうにある川が見える。
 住民でなければなかなか行かなそうな場所であるだけに,何があるのか興味をもってしまった。

(574) いずみ市のイラスト

2011年03月22日 23時49分04秒 | 風景

 いずみ市のマンホールの絵柄。















 ひらがなで市名が書かれているので区別は付きにくいが,大阪府の和泉市と鹿児島県の出水市の2つ分がある。鹿児島の方は読み方を知らないと読めそうにない。


 奇数番が出水市のもの。鶴に加えて,武家屋敷の地区では5番のような絵柄も見られる。偶数番が和泉市。スイセンは市の花かなと思ったが,もう一つの鳥と魚は意外だった。海がないから池か川なのだろう。
 この絵を見る限り,両市共に自然が豊かな場所のようだ。