時戻素

昔の跡,やがてなくなる予定のもの,変化していくもの,自身の旅の跡など・・・

(No.6) この風景に見覚えはありませんか?

2008年10月31日 04時46分00秒 | 過去になる現在
※ 写真の撮影日はすべて2008年10月29日



 鹿児島市内のある高台から撮った風景。




 最近よく見かける気がするこの風景。




 何で見かけているか分かりますか?




 おそらくテレビの画面上で見ているこの風景。

 
 

 金網の前に女の子が二人いるのを想像してください。



 女の子達は私服を着ています。



 幼稚園生でしょうか?小学生でしょうか?それとも中学生でしょうか?




 間違いなく小学生でしょう。




 その女の子達に「わっぜぇ,がんばるがぁ~」と言わせてみましょう。



 
 これは長い方限定でしたね。




 それにしても何を頑張るんでしょう?




 女の子達はこうも言ってます。




 「わたしたちもうけます。」




 何を受けるんでしょうか?



  
 そうです。11月3日に実施されるあれです。




 おはら祭りの踊りの特訓でしょうか?



 鹿児島のローカルなイベントではありません。



 日本全国で行われるあれです。



 最近CMで流れてくるあれです。










 もう分かりましたよね。






 小学生の統一学力テストのCMです。

 しかし,大阪,東京,高知,鹿児島,北海道の順に子どもたちが出てきます。

 よくこの5都道府県に入ったな~と思います。

 では,この場所はどこでしょう。

 木々の向こうに見える桜島。

 写真の左中央に広がっている住宅地。

 この写真を撮った場所自体は筋を入った先ですが,これと似た風景は主要な道路からでも見られます。


 



 
 実は坂元台小の近くです。

 写真の階段からは商業高校の生徒が自転車を押して上ってきます。

 坂元台小は次の写真の道路の突き当たりにあります。

 


 それでは,あの女の子達はこの小学校の児童でしょうか?


 彼女達のプロフィールは知らないので答えは分かりません。


 ただ,彼女達は私服ですが,この小学校は制服です。


 家に帰ってから着替えたのかもしれません。塾行きの格好なのかもしれません。


 CM作成者がこの小学校の児童を意識したイメージにしなかったのは確かでしょう。


―――
 鹿児島が5つの中に入ることは非常に珍しいので,やがて過去のCMとなるこのCMを題材にしてみた。
 坂元がつく小学校は近くにもう一つある。坂元小だ。
 その小学校の横の道路を通っているとこんなものが敷地内にあった。
 道路沿いにあるので外からでも見られる。
 丁度,男の子がかくれんぼでこれの影に隠れているところだった。



 結構,突っ込みたくなる箇所がちらほら。


 この写真では見にくいので,以下に長さの箇所を抜き出してみる。
 
 長さ
 A棟校舎    85m 市の海岸線  55km 甲突川  15.5km
 永田川  10.0km 新川  12.0km 稲荷川     9.5km
 脇田川   8.5km 川内川  102km ( ? )   222km
 信濃川   367km ナイル川 8690km アマゾン川 6300km
 ミシシッピ川 6210km

結構古くからあるのだろう。

 市役所4.4kmに対して,県庁4.1km。
 西鹿児島駅。

すこし昔の鹿児島が見えてこないだろうか。

(No.5) 紫の原の怪談

2008年10月30日 13時30分00秒 | 現在の中の過去
※今年度前期に提出したレポートの一部を編集してあります。

 今年の6月に「紫原の由来は何か?」と聞かれた。自分自身が小学校のころから聞いてきた説である「昔,この辺一帯がさつまいも畑であり,夕日にあたると紫色に見えたことから紫色の原っぱで紫原となった」と答えた。すると,尋ねてきた方から他の人が,「昔,このあたりに刑場があり,殺された人の血で紫色に染まったことから紫原になった。だから,紫原中でも幽霊が出る。」と言っているが,「それは本当か」と尋ねられた。紫原にはそれなりに長く住んでいるが,初めて聞いた説だったので,「本当ですか」と聞き返してしまった。その後しばらくして,台地を下りたところに涙橋があることを思い出して,そのことと刑場の位置を別の方と話していた。明確な結論は出なかったものの,幽霊も見たことがないので,おおよそ嘘であるということでその日は終わった。
 後日,先の情報の提供者へ先述の話について尋ねてみると,「そんなこと言っていない」と返事がきた。その後,部屋にあったに資料から刑場の場所などを探してみたが,場所は台地内にはなかった。話をしていく中で,おそらくその話自体は,「他のサイトを探していたときに,検索でひっかかったサイトに書かれていた話で信憑性はない。」ということが分かった。
 この怪談が生まれた背景に「紫」という不気味な色としてもとれる色が地名に組み込まれていたこともあるのではないかと感じた。
 少し前までの怪談は,話が伝わっていくことで浸透していくものだっただろう。そのために,複数人が評価する内容でなければ,すぐに消えてしまう。しかし,情報化が進み,電子掲示板などに気軽にこうした怪談を投稿できる今は,一人が考えた怪談が削除されない限り文字として形に残るので,怪談の種類は増えていくのかもしれない。

(No.4) 中学時代の部活の練習場

2008年10月29日 02時08分03秒 | 現在の中の過去
※ 今回の記事は若干記憶が曖昧なところがあります。もし,間違いなどありましたらご指摘下さい。自分の記憶の中の過去として書きます。

 
 中学生の時,陸上部に所属し,長距離を中心に練習をしていた。
 自分の出身校は校周が500mしかなく,校内マラソン大会や校外の駅伝のシーズンなどは,校周とは別の場所で練習することもあった。練習の場所となっていた場所も今では開発が進み。「造成地」と「みかんやま」の2つを取り上げたい。

1 「造成地」
 現在は,景観を売りにしている立派なビュータウンとなっている。以前は,はっきりとは覚えていないが,木々が生い茂っていたような気がする。そして,最近では見かけなくなったたぬきも見られ,時折丘の上の住宅地にも出没していた。自分が中学2年生の頃は,道路や公園のみが整備され,家はほとんど建っていなかった。車の通行もほとんどなく,写真の立山公園とその前の道路で練習をしていた。その後,すぐに分譲が始まり,家が建ち始めていき,ここでの練習は減っていったか,しなくなった。(記憶が曖昧)


(2008年10月26日撮影)

 その場所へ行くときは学校を出て,斜面にある階段を下っていた。その階段は現存だが,その降り口はギャラリーができている。通行はできるようにも感じるが,なかなか通り難い。


(2008年10月26日撮影)



2 「みかんやま」
 先ほどの造成地とは直線距離ではすぐ隣だが,段差や住宅地などで直接はつながっていなかった。そのため,実際には坂を登って上から降りてくるか,坂を全て下って,上るしかアクセス方法がなかった。(私道や段差を降りれば近道はできたが・・・)現在では,周辺の整備に当たって住宅地の端に歩道が作られていた。(下の写真の中央左側のプレートに「遊歩道」と書かれている。)


(2008年10月27日撮影)

 現在,市民公園としての整備が進められている途中だ。


(共に2008年10月27日撮影)

 今は,開けていて,雲や桜島を見わたすことのできるが,かつては木に覆われた遊歩道のような場所であった。小学校の頃,よく危険な遊び場として名前は出てきていたが,家から遠かったためにどこだか分からなかった。実は,自分自身の中では「みかんやま」なのか「にかんやま」なのか未だに分かっていない。部活でこの場所が練習場所として候補に挙げられたときは,危険な場所としての印象しかなく,未知の世界への期待と危険な場所のイメージによる不安が半々だった。そんな場所も安全な市民公園として生まれ変わる最中だ。

(No.3) 行き当たりばったりの京都市(H20.9)

2008年10月28日 04時56分20秒 | 旅・散策の足跡
 ゼミのパソコンの壁紙が古都旅行の心得が書かれた壁紙になっていた。これを読んでいると,「修学旅行のプランと重ならないように」「時間をかけて回ること」などと書かれていた。この壁紙を見ながら,先月京都市を訪ねた時のことを思い出し,やや忠告のようにも聞こえた。実際,18きっぷ旅行の一部として京都観光を取り入れたので,行き当たりばったりでも何とかなるだろうと思っていた。1日泊めてもらった高校の同級生からも「京都こそ考えてこないと」のようなことを言われた。ということで,全行程の京都市内の部分だけを抜き出して,振り返ってみたい。(注:あくまで自分の旅行の記録としての要素が高いです。)

9月6日(土)21時頃
大阪駅からJRで京都駅へ。焼酎トラブルによりただでさえ予定より遅れていたのに,さらに遅くなってしまった。改札口を別の改札口で出てしまうわ,翌日のためのバスの路線図を取りわすれるわなどを繰り返しバス停へ。


9月6日(土)22時頃
指示されたバス停でバスを降り,先述の高校の同級生と合流。ハンバーグ屋で夕食をとる。その後,京都大学の構内を案内してもらい,家へ案内してもらった。普段あまりしないような話題について語った。やたら多弁だったことを考えると焼酎から漂う匂いだけで酔っていたのかもしれない。もちろん,その日バタバタしていて興奮していたのもあるだろうが・・・


9月7日(日)9時頃
泊めてくれた高校の同級生と別れ,とりあえず銀閣の方へ。哲学の道に沿って銀閣方へ歩いた。


9月7日(日)10時頃
銀閣は工事中だったが,せっかくなので見ていくことにした。少しした高台から銀閣と京都の町を眺めた。


9月7日(日)10時30分頃
大文字山(466m)に登ってみた。朝食のことは完全に忘れていたので,食料調達もしないまま登っていたことに途中で気付く。山頂手前で景色を見ながら休憩。


9月7日(日)11時頃
大文字山山頂に着くが,そこを山頂と思わずに景色を眺めてから,さらに進んだ。途中でおかしいと思い,すれ違った人に道を尋ねるともうとっくに過ぎていると言われ,引き返した。


9月7日(日)12時30分頃
大文字山を下り,行き先を悩んだので,とりあえず京都駅へバスで向かった。後々のルートを考えるとかなりの遠回りだが,このおかげで大体の位置関係がつかめたような気がしたし,山登り後の休息になったように思う。京都駅のバス案内所でバス路線図をもらい,次の計画を立てた。
【バス利用】
 1 銀閣寺道→京都駅前


9月7日(日)14時頃
船岡山(112m)へ。公園では,イベントが開かれていて,おそらく中学生の吹奏楽部が演奏をしていた。展望広場から,町と西側の大文字を見た。その後,隣の織田信長を祀っている建勲神社を経て,山を下った。
【バス利用】
 2 京都駅前→北大路バスターミナル
 3 バスターミナル→船岡山


9月7日(日)14時45分頃
あぶり餅屋がこの辺にあると聞いていたので探した。しかし,その途中に京都ラーメンと書かれたのぼりがあったので,そこで食べることにした。家に帰ってからネットで調べると,いろんな評判が載せられていた。修学旅行生がよく食べにくるらしい。本場の京都ラーメンだったのかどうかは疑問だが,朝から何も食べてなかったのでおいしく食べられた。


9月7日(日)15時頃
ラーメンを食べた後は歩いて,今宮神社を通って大徳寺に向かった。龍泉院の石庭へ。


9月7日(日)16時頃
大徳寺からバスに乗り,下賀茂神社へ。木々に囲まれた境内を抜けて高野川の方へ。
【バス利用】
 4 大徳寺前→下賀茂神社前


9月7日(日)17時頃
高野川沿いを南下。高野川,加茂川の合流地点では,子ども達が水遊びをしていた。川に飛び石も設置され,対岸へ渡れる。鹿児島では,市街地の川で遊ぶことはほとんど考えられず,川に対する見方も違うのだろうと感じた。

9月7日(日)17時30分頃
昨日,「高瀬川」の話をしていて,見たらがっかりすると言われたので,ぜひともがっかりしたいと思い,見に行くことに。河原町付近と聞いたので「松原」を通り名と知らず,雰囲気だけで河原町松原で下車。実際はそこまでがっかりしなかった。
【バス利用】
 5 河原町今出川→河原町松原


9月7日(日)17時50分頃
市役所の建物も途中だったので,見ていくことにした。建物とは対照的に市役所前の広場ではダンスをしている人がいた。
【バス利用】
 6 河原町松原→京都市役所前 


9月7日(日)18時30分頃
駅付近に宿は取った方がいいとの警告にもかかわらず,設備と値段から駅からは遠いホテルに宿泊した。ホテル前の川は水がほとんど流れていないにもかかわらず,公園のようになっていた。しかし,川原に下りる階段にはロープが張られ降りることはできなかった。荷物を整理し,夕食も兼ね,出かけることにした。祇園のローソン,八坂神社を経て,京都駅へ。焼酎トラブルの関係もあり,ユニクロで下着と靴下を買った。京都タワーにも行こうとするが,入場時間を過ぎていた。夕食を結局とっていなかったので,府庁付近の餃子の王○で食べた。オーダーがうまく処理されなかったことを会計時まで何人もの店員に謝られ,その対応がすごいと思った。その後,府庁の前を経由し,ホテル着。府庁前バス停と府庁がそこそこ離れているため,最初は病院を府庁と勘違いしていた。
【バス利用】
 7 河原町丸田町→堀川丸田町
 8 堀川丸田町→堀川長者町
 9 堀川丸田町→祇園
 10 祇園→大石橋
 11 京都駅前→堀川丸田町


9月8日(月)7時30分頃
ホテルで朝食を済ませ,バスで京都駅へ。通勤・通学ラッシュで混雑している列車で嵯峨・嵐山へ向かう。このときばかりは大幅に荷物を減らしてくれた焼酎トラブルに感謝した。駅自体も工事中だった。


9月8日(月)8時15分頃
渡月橋を往復し,その後,嵯峨の方へ向かう。1時間しか時間がなかった割には割りと回れたのかなと思う。駅北口の道路に横断歩道がないことに不便を感じつつも,列車時刻には間に合った。その後は山陰線を鳥取方へ向かった。続きはこちら


【総括】
 行き当たりばったりで終わってしまったが,京都のバス停の名前の組み合わせや大体の位置関係がつかめただけよかったかなと思う。
 冒頭の心得に書いてあるようなじっくり型ではなく,いろんなところを少しずつという形になってしまった。でも,個人的にはそれでよかったのかなと思ったり。自分で移動している分,観光名所などの位置はつかめたような。
 山に登ったり,川を見たりと日本を代表する観光地でも,自然相手のプランになってしまったような。

(No.2) 女子短移転

2008年10月27日 01時20分18秒 | 過去になる現在
※学校名は略称を用いています。

 高麗町の学芸高校が閉校となり,その跡地に女子短大が移動することになっている。現在の場所は,最寄りのバス停からも坂を登らなければならない場所にあるので,中央駅の近くに移ることで便利になるだろうと思っていた。

写真右上の崖の上の建物(2008年10月21日撮影)

 自分自身20年近くこの短大のある地域に住んでおり,小学生の頃は「女子短大下」というバス停でよく降りていた。今でも,雨の日にアルバイトに行くときなどは市電「南鹿児島駅前」電停(括弧書きで女子短大下電停)を利用している。しかも,幼稚園はこの短大の附属園だった。そのため女子ではないのだが,意外と関わりのあった短大だ。見納めになるのだろうと思い,正門前に行って,写真を撮ってきた。(下画像)

(2008年10月26日撮影)

 移転が決まって以来,周辺では下宿用とみられる建物が取り壊されたりと,もともと住宅地のこの一帯はさびれていくのだろうと思っていた。 
 しかし,土曜日の地元紙一面に,跡地の活用について書かれていた。同じ学園系列で現在,霧島市の丘の上にある「志大」を移転させるようだ。
 志大へは自分の大学で非常勤講師をしている先生との関わりで何度か行ったことがあり,志大の学生と関わりがある。
先生から「時間があればうちの大学にも遊びに来てください」と言われるが,いつも「足がない」という理由で断っていた。向こうの学生からも「車がなければ授業の空き時間に遊びにいけない」などと聞いたことがある。

キャンパス内から見た隼人・国分方面(2006年9月13日撮影)

 その点,移転をすればアクセスはよくなるものと思う。その一方で,霧島市(国分や隼人)にアパートを借りている人も多く,霧島市の経済には影響が出るかもなとも感じる。
 数年後,大学が移転してくれば,紫原や駅周辺もさらににぎわうんだろうなと思う。
 去る短大と来る大学。改めて大学の経済効果の大きさについて考えさせられた。

(2008年10月29日追記)ニュースによると2億ほどの経済効果があるようだ。

※ 移転後の2011年3月20日前後の様子はこちら

(No.1) 慈眼寺駅周辺

2008年10月26日 08時18分21秒 | 過去になる現在
 次の写真はほぼ同じ場所を撮っている。上が2006年10月,下が2008年10月のものだ。

(2006年10月7日撮影)

(2008年10月21日撮影)

 高架の道路の後に見える山の木が切り倒されている。
 ここにJRの高架線路が通るらしい。(2008年11月8日追記:仮線路を作るための整地と案内板に説明あり。)
 その工事の様子が次の写真だ。

(2008年10月21日撮影)

 慈眼寺駅と慈眼寺公園のほぼ中間の位置にある線路脇の森は通っているだけで不思議と気持ちの落ち着く場所だった。それだけに,木が切り倒されてしまうのは残念だった。
 鹿児島県内には,新幹線を除けば高架駅は確かなかったように思う。谷山,慈眼寺の両駅が高架化されればまた,風景も変わってくるだろう。
 完成する頃に鹿児島にいるかどうかは分からないが,今までの鹿児島にあまりなかった風景となるので,是非見てみたい。

※ 2011年3月20日現在の周辺の様子はこちら

このブログについて

2008年10月26日 07時01分42秒 | 事務記事
(最終更新:2009年06月10日)

いまさらという感じもしますが,ブログを開設することにしました。
 ブログ2度目です。以前のブログは,SNSサイトの方へ転換しました。以前はタイトルどおり雑記帳化してしまったので,今回はある程度テーマに従って投稿していきたいと思います。

 予定しているテーマとしては次のようなものを考えています。

0A 事務記事
 記事の方針,更新の方針,過去の記事の再更新などを紹介します。

0B 記事タイトル一覧
 このブログの目次のようなものです。タイトル,投稿日,カテゴリを掲載しています。このカテゴリの記事の投稿日がとんでもない日付になっていますが,記事の位置を考えた結果そうしています。

1 現在の中の過去
 絶えず街並みが変化する現在ですが,昔の跡は結構残っています。そうした昔の様子が分かる跡について紹介したり,現在の風景と記憶の中の昔の風景を比較したりします。
 現在,過去という表現の意味を深く考えると厄介ですが,過去の様子を振り返ることができる場所(もの)と考えてください。けっして,その場所(もの)などが過去のものになってしまったといっているわけではありません。

2 過去になる現在
 都市計画などによって数年後にはもう見られなくなってしまう風景などを紹介します。

3 遡上
 川に沿って見られる風景などを紹介します。一応「trace」の訳語です。

4 旅・散策の足跡
 自分自身の旅や散策の記録などを残していきます。

5 風景
 自分自身が好きな場所や風景のついて紹介します。4の「旅の足跡」と同じく,自分自身の跡になるかなという感じです。

6 Weblog(その他)
 タイトルとは一見関係なさそうなものもいくつか書くかもしれません。


おそらく行き当たりばったリでしょうが,こんな感じで投稿していくつもりです。

※ 記事作成にあたっての情報の取り扱いなどはこちらも参照ください。