1日目-1 京都~嵯峨嵐山~福知山~豊岡~餘部~浜坂 1日目-2 浜坂~鳥取~由良~米子~松江~米子 2日目-1 米子~境港~米子~倉敷 2日目-2 倉敷~尾道~宮島~下関~小倉~博多 3日目-1 博多~鳥栖~佐賀~諌早~佐世保 3日目-2 佐世保~鳥栖~熊本~人吉~鹿児島 |
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約4時間のネットカフェ生活を終え,博多駅へ。
現在改装中の1階のコンコース
(2008年9月10日撮影)
この写真からはうかがえないが,この奥のほうではホームレスが寝ている。朝5時ごろに駅員か警察官かが起こして回っている様子も別の日には見られた。この日はさっさと改札内に入ってしまおうと思い,この奥には行かなかった。
5時ごろの博多駅のホーム。
(2008年9月10日撮影)
回送電車が来るなど1日の始まりが感じられた。
5時16分初の列車で鳥栖へと向かった。始発であり席はスカスカに近かったが,佐賀県に入った辺りからある特定の年代の客が増えてきた。まだ5時台で外はこんな様子だった。
(2008年9月10日撮影)
佐賀の朝は早いようだ。
鳥栖駅着。まだ6時前だ。ホームからはスタジアムが見える。
(2008年9月10日撮影)
少し待ち時間があったので改札外に出てみた。
(2008年9月10日撮影)
歴史を感じさせる造りの駅舎だ。ここにも例の年齢層の乗客が見られる。
鳥栖から長崎行きの列車に乗った。
ここからさらに例の客層が増えてきた。
そして,佐賀駅に着いた。しかし,まだ6時半。
ここで客層の乗換えが起こる。降りた分に近い数が乗ってくるので車内はすかない。そのある客層の正体。
(2008年9月10日撮影)
先ほどから列車の乗客の大半を占めていた高校生だ。
朝練だか補習だか遊びだか分からないが,5時半ぐらいの列車に乗って登校には驚く。しかも,ごく一部という感じではない。
この佐賀駅で特急列車の追い抜きがあり,25分近く列車が停車する。既に車内の座席は高校生であふれているので,改札の外に出ることにした。
佐賀駅舎。
(2008年9月10日撮影)
2日前に行った鳥取や松江同様に県庁所在地名が駅名になっていて,1970年代には高架化が完了していたようだ。この3つの都市,人口がそんなに多くないことでも共通している。都市計画も似てくるのだろうか。しかし,佐賀駅には松江でも鳥取でも見られなかったある設備がある。
(2008年9月10日撮影)
自動改札機だ。
よく見るとこの写真にも狙ったわけでない高校生が写っている。まだ7時前。どれだけ早起きなんだろう・・・
7時になってやっと列車が発車した。長崎新幹線問題で話題になった肥前鹿島を過ぎ,太良を過ぎるととようやく高校生の姿がなくなった。そのときが大体8時だった。
この後しばらくは車窓から有明海が見える。海を眺めていると列車が駅でもないところで停まった。
(2008年9月10日撮影)
奥のほうに停車の原因となった白いものが見える。
長崎本線は特急が多く,普通がほとんどいない時間帯も見られる。しかも,普通は普通で追い抜きや対向車待ちの停車が多い。そのため,諌早,長崎へは佐世保線,大村線経由の方が先に着くことすらある。長崎新幹線が開通すると事情も変わるのだろうか?その新幹線も反対していた鹿島市にへの配慮か在来線の3セク化を見送るという掟破りの形で実現している。そこまでして必要な新幹線とは到底思えないが。住民も要らないって人が結構多いようだし。
しばらくすると有明海越しに雲仙の姿がうっすらと見えてきた。
(2008年9月10日撮影)
諫早駅着。大村線の発時刻まで駅周辺を歩いた。
(2008年9月10日撮影)
駅舎の色遣いも結構明るい。
今度は大村線に乗って佐世保へ向かう。
こちらは大村湾を車窓に見ることができる。
(2008年9月10日撮影)
途中,以前記事を書いた千綿駅を通る。
そして,あのテーマパークの近くに来た。
(2008年9月10日撮影)
ハウステンボス駅付近から撮ったもので,「水路」の向こうにハウステンボスが見える。この「水路」一見川のようだが,早岐瀬戸と呼ばれる海だ。ハウステンボスも針尾島と呼ばれる島に立地している。近くの早岐駅のイラストにも早岐瀬戸が描かれている。
(2008年9月10日撮影)
佐世保までは,このシーサイドライナーと書かれた列車だった。
(2008年9月10日撮影)
海が大村線の象徴の一つになっていそうだ。
※3日目-2へ続く。