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時戻素

昔の跡,やがてなくなる予定のもの,変化していくもの,自身の旅の跡など・・・

(753) 建て替えられた大阪支店

2015年05月16日 23時23分34秒 | 過去になる現在
 大阪市中央区の本町界隈,各地方の銀行の大阪支店が見られる。
 そのうちの一つの鹿児島銀行。

2011年11月3日撮影

 なかなか風格のある建物であった。

2010年5月12日撮影

2009年5月19日撮影

 しかし,あるときから建て替えのために,銀行は御堂筋沿いのビルに仮店舗移転していた。
 旧店舗にはATMも設置されており,鹿児島銀行の口座所有者はもちろん,九州内の対象となっていた銀行の口座を持っている人にとってもATM相互利用サービスが利用できた。しかし,新店舗にATMは設置されず,17時まで出入金できたものが窓口が閉まる15時までしか取引ができなくなった。
 新店舗。

2015年5月16日撮影

 鹿児島の他の企業も同じ建物に入っている。物産店もある。
 入口の広場。

2015年5月16日撮影

 3つの像が建っている。

2015年5月16日撮影

 最初はなんだろと思ったが,ミートリオ広場の名前通り,鹿児島で出荷量が多い肉3種類の生き物の像になっている。
 畜産県であることを改めて確認させられた。

(679) 坂道の上の坂道の入口

2011年11月25日 04時38分48秒 | 過去になる現在
鹿児島市中郡から紫原方面へ向かう道の入口。

(2011年3月18日撮影)

 生活道路として現行の下道も残るはずなので坂道の上に坂道ができる構造になりそうだ。その道路への高麗通りからの入口。

(2011年3月18日撮影)

 幅の広い道路ができるにしては通行を妨げてそうな建物がある。

(2011年3月18日撮影)

 反対の方から。周りの建物が立ち退いた中,最後の方まで営業を続けていたスーパーが入るビルだ。
 3ヶ月後,ここに来ると…

(2011年7月18日撮影)

 建物の前に何か看板があった。

(2011年7月18日撮影)

 立ち退き勧告のようなものだろう。この約1ヶ月後にここへ来たときは,店は営業してなかったように見えた。

(672) 九州の真ん中横断計画の跡

2011年11月18日 15時29分06秒 | 過去になる現在
 宮崎県の延岡駅。

(2009年3月30日撮影)

 駅舎側のホームの端の方に別のホームがあったような形跡が残っていた。
 駅舎の外側。

(2009年3月29日撮影)

 別の高千穂鉄道の小規模な駅舎のあった跡がある。
 数年前にここへ来たとき…

(2007年8月28日撮影)

 まだその駅舎はあった。確か当時も営業は休止中だったような気がする。台風の影響で廃止が決定された後だったかはしっかり覚えていない。

(2007年8月28日撮影)

 国道沿いの途中の駅。

(2007年8月28日撮影)

 終点の駅付近。
 線路はつながっていないけれど比較的近くに…

(2008年4月4日撮影)

 別の鉄道会社の高森駅がある。高千穂側。

(2008年4月4日撮影)

 線路は続いているが車庫か何かにつながる線路だろう。
 この2つの路線をつなぐ計画もあったらしいが,3セク化を経て,片側が廃止となった今となっては確実に実現されることはないだろう。宮崎から九州山脈を越えた西側地域に列車で行くには大分か都城を経由することになり,かなりの遠回りを強いられることになる。車社会なのでそんなことする人は少ないんだろうけど。


(671) 旧仕様の残る解体前

2011年11月17日 04時37分49秒 | 過去になる現在
 高架化工事中の東大阪市の若江岩田駅。

(2010年1月1日撮影)

 隣の高架駅舎ができればこの旧駅舎は解体されることになる。 
 そのことも影響してか…

(2010年11月21日撮影)

 駅名の看板が他の駅ではあまり見られないものになっていた。たぶんかつての仕様のものなんだと思う。解体が決まっていてはわざわざ新しいものに取り替える必要がないというのも分かるような気がする。

(2010年1月1日撮影)

 遠目には古さを感じさせられないデザインに見えるが,よく見るとところどころ古さが感じられる。

(2010年1月1日撮影)
 
 改札のある地下に一度もぐらないといけないこの光景ももう少しで見納めになりそうだ。

 隣の花園駅。

(2010年11月21日撮影)

 同様に高架化工事中でこのときは片側の線路は高架化が完成していた。

(2010年11月21日撮影)

 地上に残っている方のホーム。
 駅名の看板は…

(2010年11月21日撮影)

 こっちの仕様だった。
 他が白地なので,真逆になる黒地のこのデザインが目に入ると全く別の会社のように感じるときがある。

(668) 遺跡化した地上部

2011年11月14日 02時36分47秒 | 過去になる現在
 2009年3月に,すべての路線の高架化が終わった姫路駅で時間調整をすることが2回ぐらいあった。その頃はかつての駅の設備が完全には壊されておらず,遺跡のような状態を見ることができた。

(2009年3月11日撮影)

 北口の駅ビル。観光地であり,それなりの人口を抱える都市の駅だけに規模が大きい。この中に入ると…

(2009年3月11日撮影)

 改札跡がある。今の改札は高架下の部分に移動しているので,ここはただの通路だ。

(2009年3月11日撮影)

 改札の向こうにはまだホームの形がしっかり残っている。

(2009年3月10日撮影)

 足元を見ると改札機のあった場所がはっきり分かる。
 ホームから見た改札。

(2009年3月10日撮影)

 横には窓口の跡地もある。まだ通路として機能していて,人通りが多く,改札が行われないこと以外,普通の改札口と何の光景も変わらない。

(2009年3月19日撮影)

 改札の向こうはすぐ出口がある。

(2009年3月11日撮影)

 通路として不必要なホーム部分には柵がされている。その向こうには他のホームへ行くための歩道橋の階段も見える。
 その橋を外の山陽の駅への渡り廊下の上から見てみる。

(2009年3月19日撮影)

 下の線路も剥がされていた。
 上に登る通路だけではなく,地下に潜る通路もある。

(2009年3月10日撮影)

 階段の下。

(2009年3月19日撮影)

 右側は改札外になるが左側には他のホームにつながる通路があったんだろうか?
 下に降りて右側を見る。

(2009年3月19日撮影)

 駅ビルの地下に直結している。出たところから改札の方を見る。

(2009年3月19日撮影)

 切符売り場跡。

(2009年3月19日撮影)

 改札機跡。

(2009年3月19日撮影)

 新駅舎への通路と逆側の方に出る使えない階段。

(2009年3月19日撮影)


 地上の入口を出た正面。

(2009年3月19日撮影)

 地上で最後まで使われていた部分がしっかりした形で残っていた。奥に高架の駅舎が見えるが結構遠い。
 そこへ行くにはホーム跡を左側に行くと…

(2009年3月11日撮影)

 通路があり,この先を左に曲がると…

(2009年3月11日撮影)

 高架下の入口に着く。

 駅の外の風景も少し。
 駅の岡山寄りの踏切跡。

(2009年3月19日撮影)

 そこから見た駅の方向。

(2009年3月19日撮影)

 その先の山陽の線路が下をくぐる部分。

(2009年3月19日撮影)

 山陽の線路も何か新しく見えるのは,もともと高架だったのを下に下ろしたかららしい。

 城も隠れる前だったし,貴重な光景の見れる時期に訪問したのかもしれない。

(598) 洋式便器の使い方が分かりません。

2011年06月06日 04時32分48秒 | 過去になる現在

 以前住んでいた家のトイレにも付いていて,つい最近まで疑いもしなかった使い方を東京のホテルで見かけた。

(2011年3月4日撮影)

 この説明によると男子小用は立ってするように説明がされている。
 ただ,最近では男子小用も座ってするという場合も多くなっていると聞く。立ってすると尿が便器の外まで飛び跳ねるというのがその理由だ。パンツ一枚でトイレに入ると足に跳ね返ってきているのが結構感じる。
 こう書くと座ってする方が完全に清潔のようにも思えるが,座ってすることでの別の問題もあるように感じる。便座を介して臀部を別の人のものと間接的に接触させていることだ。(大をすれば同じことにはなるのだが,個人の家のトイレの場合は,緊急事態を除いて大をするのははばかられることも多いと思う。)
 自分自身は跳ね返りも便座の接触も気にはならないという超がつくぐらいのいい加減なタイプなのだが,人の家にいくと事情が変わり,洋式便器が普及しているこの時代においても洋式便器の使い方が分からないとかいう事態に陥っている。かといって,部屋の持ち主にいちいち確認するのも変な感じがする。確認してどっちでもいいというのもそれはそれで困ったりする。その人のやり方に合わせるという方法もあるが,公共機関のトイレなどでは小便器があるので,よく知っている相手でも洋式便器で小をどうしているかは知らないのが普通のようにも感じる。
 人がしているところを見ることのない行為でかつ尿という掃除の時に厄介になる汚れを生み出す行為だけにどうするのがいいのかは今後も悩んでしまうんだろうなって思う。

(597) 移転後の旧庁舎

2011年06月05日 23時35分25秒 | 過去になる現在

 東大阪市の八戸ノ里(やえのさと)駅を南に行ったところに…

(2009年7月26日撮影)

 布施高校前の路上の駐輪場の横に工事現場があった。
 現在ここには…

(2010年11月1日撮影)

 移転してきた布施警察署の庁舎が建っている。

 ここに移転する前は,ここより南西側にある俊徳道駅の近くに庁舎があった。

(2009年10月10日撮影)

 業務が行われていた頃の庁舎。

(2009年7月29日撮影)


 新しい庁舎に移転が終わった後には…

(2011年1月3日撮影)

 工事現場で見かけるような仮設の柵で敷地内に入らないようにされていた。
 このままの状態が続くか,壊されるかどっちかだと思っていたが,この前ここに来ると…

(2011年5月30日撮影)

 建物はそのままだったが,簡単な柵が有刺鉄線つきの金網になっていた。入ってはいけない場所なのは当然だが,ここまでガードが固くなると敷地内に何かがあるのではないかと思ってしまった。寝床にされているようにも思えないし…(ただその場面を見ていないだけかもしれないが。)

(581) 繁華街のそばがまとめて…

2011年03月29日 07時45分02秒 | 過去になる現在

 梅田の隣駅の地下鉄中津駅の地上付近。一番梅田よりの駐輪場からは繁華街まで徒歩数分で行けるような距離だったが,駐輪場は無料だった。(阪急中津は既に有料)ここが4月1日から有料駐輪場になる予定だ。有料になる数日前の風景。

(2011年3月27日撮影)

 一番梅田寄りの高架下。最初,バスの車内からこの駐輪場を見たときは撤去自転車の保管場かと思っていたが…

(2011年3月27日撮影)

 中は立派な駐輪場だった。道路に囲まれた狭い空間に自転車が詰め込まれるので,出し入れはしにくいのが大概だろう。写真がややスッキリして見えるのは有料化を前に手が加えられているからかもしれないと思うぐらい,いつも満車だった。個人的にはこんな一等地に近い場所で無料なら何かあったとしても自己責任の域だと考えるのが,市の駐輪場のサイトを見るとクレームが投書されている。そういう人は梅田が近いのでそちらの有料駐輪場を使えばすみ分けはできると思うが,景観の問題としてそうはいかないのかもしれない。有料化したところで駐輪場の周りがどうなるかは他の場所の例から想像できる。撤去部隊とのいたちごっこだろう。かといって無料だからといって面倒なのか駐輪場に入れない利用者もそれなりにいる。料金以前の問題かもしれない。
 カーブしている道路を本庄の方へ進んでいく。

(2011年3月27日撮影)

 バス道路に沿って自転車を停めるスペースがところどころ作られている。
 道路上以外にも,地下鉄の出入り口に面して…



(2011年3月27日撮影)

 駐輪スペースがある。こちらの場合,スペースの形が複雑でしかも白線なども見えにくいかないのでどう停めていいのか分かりにくい。
 この辺りまで来ると梅田までの所要時間も最低10分ぐらいはかかるような位置になる。それでも下に駅があるので駐輪場はまだまだ散見され,貨物の線路とぶつかるところにも…

(2011年3月27日撮影)

 やや広めのスペースが設けられている。ここまで来ると空きも目立つ。しかし,ここももちろん一律で有料化される。駅から離れた端の区画まで有料にする理由を,市側は「有料化された部分の利用者が無料のスペースに流れることになりさらなる混雑が予想されるから」のようなことを言っていたように思う。ここの場合,端といってもそれなりにスペースが埋まっているのでそうなるかもしれない。


 続いて梅田から東の方へ一駅分移動した南森町駅周辺。ここも国道一号や天神橋筋に沿って路上の駐輪場が設置されている。
 東の端の東天満交差点付近。

(2011年3月27日撮影)

 有料化予告の看板が立っている。国道上だからかここの管理は市ではなく国が担当していた。そのためか駐輪ラックの形状も他とは違っている。


(2011年3月27日撮影)

 注意書きも国道事務所の名前で書かれていたが有料化を期に他へ移管するのだろう。テープで管理者名が消されている。さっきの中津とも共通するが,よくあるトラブルの入れ替えを防止するためにチェーン錠で車輪を固定するように書いてある。そうしなくて入れ替えられたりするのは利用者の責任にも思えるが,その手のクレームはかなり寄せられているようだ。ここにも国道1号の梅田寄りに意外と空いている駐輪場がある。

(2011年3月27日撮影)

 繁華街には近いが駅の入口から遠いためか利用者は少ないのかもしれない。有料化に向けた整備をしたのかもしれないが,隙間はそれなりに残っている。もちろんここもまとめて有料化だ。
 しかし,隣駅とは思えないぐらい離れていないある駅の駐輪場は…

(2011年3月27日撮影)

 今後も無料のまま続くようだ。とはいえ,他の有料と無料の駐輪場が両方ある駅の様子を見る限りここに急に流れ込むということもなさそうに感じる。駐輪行動って結構近場に停める傾向にあるように思うし…(駅から近いところは無理やり詰め込むような感じになっていても遠いスペースには結構空きが見られることから。)

 今度は京橋付近に来て,川一つ越えたところにあるOBP周辺。

(2011年3月27日撮影)

 放置禁止地区に指定されていなかったこともあって,歩道上には自転車が並んでいる。歩道の自転車の通行帯をふさいでいることになって問題はありなのだが,他の地区ほどのごちゃごちゃ感は感じなかった。(単なる感覚の麻痺だろうが…)

(2011年3月27日撮影)

 こんな感じで何となく駐輪場と思ってしまうようなスペースもあった。

(2011年3月27日撮影)

 有料化を通知する看板。

(2011年3月27日撮影)

 ロック装置が徐々に取り付けられている。この路上にあるロック装置も止められる台数が決まり,とめてある自転車の向きも溝の方向になるので,無秩序に停められるよりも美しいのは分かるが,景観に貢献しているかといわれるとそうでもない気がする。かといって地下や屋内は停めるまでの時間がかかり,利便性が悪くなって駐輪場を使わない場合があるので別の問題が出てくるのだろう。
 ここも線路上はつながってはいないが川一つ越えたところにある実質隣駅みたいな距離にある駅の駐輪場は…

(2011年3月27日撮影)

 無料のまま残りそうだ。南森町のところと同様に理由でここの利用が急激に増加することはないように思う。もともとOBPに駐輪場はなかったし…

 最後にJR難波駅付近。もと湊町駅というだけあって難波からは離れている。ここも無料の駐輪場が設置されていたが,OCATやリバープレイスなどもあるためか駐輪量は多かった。ごたごたはしていて,場所によっては自転車が後ろの方へ2列3列と並んでいる時もあったが,いつも整列駐輪にご協力頂き有難うございますという貼り紙もあったように思う。ここから大正区のほうに向かって地下鉄桜川駅の地上部の千日前通沿いにも駐輪場が作られていた。

(2011年3月25日撮影)

 詰め込まれている場所もあったが,空いている場所はがら空きに近いところもあった。結構最近整備されたようできれいな感じのものもあった。

(2011年3月25撮影)

 駅入口横のスペース。少し込んではいるが他と比べればまだ余裕があるほうかもしれない。ここも有料化されるが,JR難波から流れてくる客を見越してだろうか。駐輪場外の駐輪も見られてはいたけれど,他の繁華街と比べたら少なく感じていた。
 さらに大正区に寄ると阪神の桜川駅と南海の汐見橋駅がある。ここにも駐輪場があるがここまで有料化される。

(2011年3月25日撮影)

 汐見橋駅に隣接した駐輪場。新しく整備するからかフェンスで覆われていた。阪神の桜川駅ができたとはいえ,ローカル線呼ばわれされているような汐見橋線の利用者はそんなに多くないだろう。

(2009年5月23日撮影)

 広々とした駐輪場もかなりスペースが空いていた。ここがリニュアルされるようだが,無料でさえ閑散としていたものが有料にして利用者が増えるということがあるのだろうか。この駐輪場無料で整備されていなくて出しにくいから使わないという利用者はどれほどいるのだろうか?有料化の理由の一つに自転車の利用を抑制させる(近距離は歩かせる)があるが,抑制するほどの混雑具合になるのだろうか?

 最近は周辺までまとめて全部有料化というのが流れのようだが,大阪市の地下鉄の駅で有料と無料が混在している駅がある。

(2011年3月27日撮影)

 蒲生四丁目駅。オレンジの駅舎の地下に有料駐輪場がその右隣にある2階建ての建物の1階が無料駐輪場になっている。平屋の入れやすいほうが無料というのも意外だ。


(2011年3月27日撮影)

 無料駐輪場の中も日曜の夕方でこの台数だが,ボランティアの方の成果もあるのか結構整った印象があった。


 有料化のメリットもあるし,無料よりは管理された有料駐輪場を使いたい人の気持ちも分かるが,その一方で無料を望む人もいないわけではない。利用者の少ないようなところでは全部一律有料にするのではなく,一部不便な区画などで割安区間か無料区間を設置してもいいのではと思う。盗難とか出しやすさを気にする人は有料区画を使えばいいし,有料スペースを提供することで無料スペースは自己責任を求められても仕方はないと言えるのではないだろうか。サービスに差が出ることで有料の意味も出てくる気もする。屋根はない,駅の入口から遠い,利用者が少なく閑散としている区間が,駅入り口付近の区間と同じ料金なのはどうも腑に落ちない部分がある。

(577) 黄色の増殖

2011年03月25日 23時25分28秒 | 過去になる現在

 大阪から鹿児島まで新幹線が全通したことが話題になっている中,移動費を抑えるために九州・山陽旧幹線(一部妥協して新幹線利用)でその区間を往復した。1年前にも同様のことはしていたのだが,岡山,広島,山口の移動中に去年との違いを感じた。


(2011年3月21日撮影)

 黄色い電車がやたら多くなっている気がした。去年は左側のような塗装がされた電車が多かったように思う。塗装の経費を減らすために単色で塗装するとかニュースで聞いた気がするのでそれがこういうことだったのかもしれない。

(2010年3月28日撮影)

 去年はこういう塗装だった電車も…

(2011年3月21日撮影)

 今年乗ったものはこんな色になっていた。確かに前よりも太陽の色に見えないこともない気がする。

(2011年3月21日撮影)

 しかし,車内は…

(2010年3月28日撮影)

 別の車両ではあるが,車内は木目のような部分もあるので,内側と外側の印象にギャップがあるように感じた。車内にいれば,外の黄色はほぼ見えないけれど。
 岡山から姫路に行く電車も岡山側の車両を使うのか…

(2011年3月21日撮影)

 姫路でもこの色遣いの電車を見ることができた。
 次回行くときにはさらに黄色が増殖しているのだろうか…色が色だけに意識していなくてもすごい色に見えてしまう。

(576) 最初の記事の場所の今。

2011年03月24日 23時58分40秒 | 過去になる現在

 先日,久々にこのブログを始めてみようかと思った動機となる場所の一つへ行った。このブログの記念すべき最初の記事にもなっている慈眼寺駅周辺だ。この記事は谷山神社の高台から見下ろした写真が中心なので,この記事で取り上げる写真はこちらの記事の場所の方が直接関係しているかもしれない。この2つの記事,自分でも久々に見たのだが,書きぶりが今のものとだいぶ違って見えた。時間で見れば2年数ヶ月前,記事数で見れば550個以上前に書いた記事だから当然のことかもしれない。

 駅の谷山寄りの木之下川に架かる橋の上から見た慈眼寺駅。

(2008年10月21日撮影)

 橋は写っていないが,今のほぼ同じ場所。

(2011年3月20日撮影)


 その木之下川に架かっていたJRの橋。

(2008年10月21日撮影)

 今。

(2011年3月20日撮影)

 最終的にはこの手前に高架で川を越えることになるはずなので,これも仮の橋だろう。

 駅の脇にある諏訪踏切。

(2008年6月1日撮影)

 今。

(2011年3月20日撮影)

 高架はもともとの線路の位置に作るため,仮の線路になった今は山側へずれている。高架化工事の現場はいくつか目にしているが,立ち退きなどで開いたスペースに高架を作って,元の線路を撤去する手法のものしか見たことがなく,このように空かせたスペースに仮の線路を作って,元の線路を撤去して,その場所に高架を作るという手法を見たのは初めてだった。時間も費用もかかるはずなので,現在の仮の線路の位置に高架が作れない事情が何かあるのだろう。

(2011年3月20日撮影)

 階段の上にあったかつてのこの駅舎も…

(2008年6月1日撮影)

 当然のことながら壊されている。

(2011年3月20日撮影)

 2階に改札があったものが1階へ移され,線路の向かう側のホームへは歩道橋を渡ることになった。駅への入口は線路より海側にあったが…

(2011年3月20日撮影)

 今は山側に移っている。
 駅舎のある山側は…

(2011年3月20日撮影)

 線路の高架化工事と共に道路などの整備が進められている。高架駅の入口がどうなるのかは分からないが,もとから住宅は多くあったがこちら側の雰囲気も変わってくるかもしれない。
 線路の海側に戻る。以前は駅舎の下に駐輪場が設けられていた。

(2011年3月20日撮影)

 それは今も変わらなかった。ただし,もともとホームと線路があった部分が開いたので,道路沿いに1台分の奥行きしかなかった時と比べるとスペースが広々となっている。

(2011年3月20日撮影)

 道路側に柵で囲まれたスペースがある。

(2011年3月20日撮影)

 看板をよく見るとやや古そうだ。ここにかつての駐輪場の写真を重ねると…

(2008年10月21日撮影)

 看板の写っている場所ではないが,何となく同じ場所であることが分かる。大規模に色々なものが撤去されている今の段階でもかつての影はまだ残っている。
 駐輪場沿いの道路を坂之上の方へ進んでいく。

(2011年3月20日撮影)

 線路とホームの跡地が更地となって広々として見える。
 さらに進んで種ヶ宇都第2踏切へ。

(2008年11月20日撮影)

 この時点で写真後にある丘陵は仮の線路を作るためのスペースとして崩され始めていた。今は…

(2011年3月20日撮影)

 線路も移され,完全に広々とした空間になった。もっと近寄ってみる。

(2011年3月20日撮影)

 線路の位置がずれたので…

(2011年3月20日撮影)

 踏切の位置も変わり,元の線路の場所がはっきり分かる。
 この踏切を渡ったところから駅の方を見ると,かつては…

(2008年11月20日撮影)

 田んぼが広がっていた。
 今は…

(2011年3月20日撮影)

 何もない更地になった。駅の裏側が田んぼで入口も線路の反対側に回らないといけなかった状況は今後どう変わっていくのだろうか?駅の山側を現在の仮駅舎が建っている場所から…

(2011年3月20日撮影)

 かつては家が建っていた場所と記憶しているが,ここもきれいな更地だ。
 慈眼寺公園も近く,木之下川の源流も間近な自然の豊かなイメージのあったこの場所も数年後には高架橋の立つ都市的な場所へと変化していくのだろうか。