時戻素

昔の跡,やがてなくなる予定のもの,変化していくもの,自身の旅の跡など・・・

(281) 時の町の散策

2010年02月28日 06時16分16秒 | 旅・散策の足跡
 前日に神戸を訪れた時,駅のパンフレットとかを見て,何となく明石に行きたいと感じていたので,2日連続兵庫県に行った。

 明石駅。

(2009年4月12日撮影)

 いろいろとすることがあって,出発が遅れたので,このときで16時10分だった。見たいところが比較的まとまっていたので,急いで回ることにした。
 
(2009年4月12日撮影)

 マンホールなどのふたに描かれているイラストがほぼ今回の訪問先になった。

 まず行ったのが駅前に見える・・・

(2009年4月12日撮影)

 明石城公園だった。
 そこそこ歩き回ったが,撮った写真は・・・

(2009年4月12日撮影)

 これぐらいしかなかった。
 
 駅前に戻り,線路沿いを神戸方面に向かう。
 途中で北の方に方向を変え,坂を登って博物館に着いた。

(2009年4月12日撮影)

 建物前のモニュメント。

(2009年4月12日撮影)

 魚(たぶん鯛)と水車。地域に関係があるのだろうか?
 博物館の展示を一通り見た。

 その後は,線路の反対側に行き,商店街へ。

(2009年4月12日撮影)

 魚屋と明石焼の店が並んでいた。

(2009年4月12日撮影)

 おすすめはこのポスターで紹介されていた。
 

(2009年4月12日撮影)

 商店街の中央部ぐらいには魚の駅がある。
 その前の顔出し看板。

(2009年4月12日撮影)

 最後に,商店街の中の店で明石焼を食べたが,店内撮影禁止だったため,写真はない。
 明石焼は玉子焼と書いてある場合もある。
 別の日に食べた大阪市の店の明石焼。

(2009年6月20日撮影)

 だしにつけて食べるのだが,最初は食べ方が分からず,周りの食べ方を見ながら食べた。それもソースの使い方は分からなかった。別の店で食べ方を見ると,だしに飽きた時のためのものだったようだ。食べ方もだしの中で玉を割って食べる食べ方もある。
 商店街の次は,子午線が通っている方へ向かった。 

(2009年4月12日撮影)

 天文科学館と時計台。時間の関係で入館はできなかった。隣に墓地があり,全景を写そうとすると墓地も入れることになってしまった。
 もっと時計台の方へ寄ってみる。

(2009年4月12日撮影)

 時計台と標準時子午線表示柱。
 その上の部分を拡大すると・・・

(2009年4月12日撮影)

 1930年に建てられた柱らしい。その後1951年の子午線の再観測で11.1m移動した現在の位置になったと案内されている。かご上の丸い部分が地球,その上のトンボ(あきつ)は日本の異名である「あきつ島」を象徴しているそうだ。
 明石市街地の方を眺めてみる。

(2009年4月12日撮影)

 遠くに橋が見えた。
 人丸山上のこの付近には・・・

(2009年4月12日撮影)

 月照寺や・・・

(2009年4月12日撮影)

 柿本神社がある。

 下にある鳥居。

(2009年4月12日撮影)

 その脇には・・・

(2009年4月12日撮影)

 亀の水があり,地域の方々が水を汲みに来ていた。

 他にも子午線に関わる場所として・・・

(2009年4月12日撮影)

 ホームが子午線と交差している人丸前駅や・・・

(2009年4月12日撮影)

 同じく子午線の付近にある大蔵交番(子午線交番)を通過した。
 交番のすぐ横に・・・

(2009年4月12日撮影)

 子午線の位置を示す碑があった。

 子午線関連の場所の次は海の方へ向かった。

(2009年4月12日撮影)

 市役所の前を抜け・・・
 フェリーのりばへ。

(2009年4月12日撮影)

 ここからタコフェリーが出ているのだが・・・

(2009年4月12日撮影)

 泊まっていたのは別のフェリーだった。
 待合所の前には・・・

(2009年4月12日撮影)

 ハピタコ神社が作られていた。邪悪な生き物扱いされている国もあるタコもここでは神様のようだ。「置くとPASS!」ということで受験の神様ともなっているタコのぬいぐるみも観光案内所に置かれていた。ただ,「タコはすべるから受験には効果がないのでは?」という受験生の声も聞いたことがある。

 港か駅で海鮮丼の店を探したが,時間が悪かったこともあって,明石では夕食を取らず,三ノ宮駅で洋食という全く違うイメージの夕食になった。

 中学生の教科書にも出てくる市だが,実際行ってみるとそのことを意識することはあまりなかった。

(280) 一堂に会する10以上のだんじり

2010年02月27日 23時33分31秒 | 風景
 ※ 動画データはサムネイル版をクリックすると別ウインドで開きます。

 生野区の区民まつりで行われただんじりパレード。
 勝山通も通行規制がかけられる。


(2009年10月18日撮影)

 だんじりのみではなくふとん太鼓も参加していた。



(2009年10月18日撮影)

 祭会場の巽公園。


(2009年10月18日撮影)

 12か13だったか忘れたが,区内全域からだんじりが集まってきている。

(2009年10月18日撮影)

 だんじりの屋根の上で披露される踊り。

(2009年10月18日撮影)

 だんじりが岸和田だけではないことを感じさせられた。

(279) 伊予のさつま汁

2010年02月26日 03時46分02秒 | 現在の中の過去
昨年3月,愛媛県の宇和島を訪れた時,土産として買った料理。

 宇和島市観光協会のホームページには,「焼き魚と麦味噌をすり合わせた汁を麦飯にぶっかけた、南予一般の家庭料理で、もともと漁師が船上で魚入りの濃厚な味噌汁を麦飯にかけ、食べていたのが始まり」と紹介されていた。その上で,「鶏や豚肉と野菜を煮込んだ味噌汁」である鹿児島のさつま汁とは別物と紹介されていた。そのサイトには由来は不明と書いてあった。
 ネットで検索してみると,よく似ていると書かれていたのが,宮崎のこの料理。


 上は宮崎駅内の店の冷や汁,下はやよい軒の期間限定メニューだった冷や汁だ。どちらもチキン南蛮が一緒についていた。

 薩摩から食べ方が伝わった説もあるようだが,他の説もあるために信憑性は低いだろう。
 宇和島で「さつま」という文字を見たときは驚いた。

(278) 【H21春・18切符1枚目 1日目-2】 下関~博多

2010年02月25日 23時36分51秒 | 旅・散策の足跡
【H21春・18切符1枚目】の記事一覧


0日目-1 難波~新世界~布施~玉造~梅田~三宮
0日目-2 三宮~元町~神戸~兵庫~余部~姫路
1日目‐1 姫路~岡山~広島~西広島~下関
1日目-2 下関~小倉~折尾~門司港~鳥栖~博多
2日目 博多~鳥栖~長崎~早岐~鳥栖~人吉~鹿児島
3日目  大阪~岡山~高松
4日目 高松~松山~八幡浜~別府
5日目‐1 別府~久留米
5日目‐2 久留米~人吉~鹿児島

【行程】
下関 15:55
小倉 16:08
小倉 16:36
折尾 16:56
折尾 17:39
黒崎 17:46
黒崎 17:59
門司港 18:27
門司港 21:08
博多 22:44
博多 23:01
南福岡 23:12
南福岡 23:18
鳥栖 23:40
鳥栖 0:08
博多 0:46

下関駅を出て10分ぐらいで門司駅に着いた。

 列車が九州から飛び出しているイラストが描かれている。
 そのまま小倉駅へ。

 AMUプラザの建物。モノレールがビルに吸い込まれるように入り込んでいる。
 以前,夜行バスで休憩場所として停まった時はこの裏側の入口だった。

 そのため,駅前の印象がだいぶ違った。
 30分後に今度はとりあえず今後行く機会がなさそうなところを見に行こうと路線の分岐している折尾駅へ向かった。

 駅の売店でかしわ飯を買った後,今後のルートを考えたが,結局門司港での時間を長くとることにし,小倉方面へ引き返した。
 18時半ごろ,門司港駅に着く。

 門司港地区の散策については別の記事で書く予定。
 夕ご飯を食べに行った店で店主さんと他のお客さんとの会話が盛り上がったため,鹿児島本線以外のルートで博多に向かう計画を変更し,門司港でのんびりと話を楽しむことにした。
 門司港を出て,博多へ向かう途中,睡魔が襲ってきてウトウトしていたら,突然男性に「大丈夫か?」と声をかけられた。
 名前は分からなかったが,ある私学の校長先生だった。
 旅のことや進路のことなどいろいろと話しているうちに,先生が下車する駅に到着した。この日,ネットカフェに泊まる予定だというと,その日に飲み会がなかったら泊めてあげるところだと行ってくださった。先ほどの夕食を食べた店での交流も含め,人の温かさを感じられる日だった。
 その後は眠気もどこかへ行き,博多に到着した。ネットカフェに長くいるのも嫌だったので,終電で博多に帰って来れるところまで行くことにした。
 結果,鳥栖まで行った。
 鳥栖駅で博多方面の電車を待っている途中に・・・

 折尾駅で買って食べる機会を作りきれなかったかしわめしを食べた。

 鳥栖駅の改札を通る際,0時を越えていたので2日目の欄にスタンプを入れてもらった。

 博多駅に戻り,駅前のネットカフェで3時間強休憩をした。

 九州北部で導入されるICカードのPRが多かった。カエルがイメージだろうか。
※ 2日目へ続く。


(277) 自転車という微妙な存在

2010年02月24日 23時58分35秒 | 現在の中の過去
 生野区役所前で見られたこんな光景。

 自転車の運転免許の交付をしていた。
 具体的にどんな条件を満たせば免許が交付されるのか分からないが,実技の会場もなさそうなので,関連法規のペーパーテストといった感じなのだろうか。
 このようなことが行われるようになった背景に,2008年6月1日施行の道路交通法及び同施行令によって,自転車の歩道の通行などについて改正が行われたことがあるのだろう。改正の背景が,警察庁によって平成19年7月10日に出された「自転車の安全利用の促進について」の中に「近年、自転車事故が増加するとともに、自転車が歩道を無秩序に通行している実態を踏まえ」と書かれていることからもうかがえる。
 この改正によって自転車に対してよりきつい制約がされたように思われるが,実際は歩道を通行できる要件が緩和されている。自転車歩道通行可の標識がある場合に加えて,児童(6歳以上13歳未満)や幼児(6歳未満)が運転する場合,70歳以上の者が運転する場合,安全に車道を通行することに支障を生じる程度の身体の障害を持つ者が運転する場合,車道等の状況に照らして自転車の通行の安全を確保するため,歩道を通行することがやむを得ないと認められる場合などは警察官の指示がない限りは歩道を通行することが認められるようになっている。
 しかし,この自転車に関する法律,免許がなくとも自転車が運転できる割には解釈が厄介だ。そして,この厄介さゆえに,そこそこ法律を知ったような状態になっている人が,違反行為でない行為を違反として判定してしまうことも起こりうる。
 たとえば,この横断歩道。

 正面にある横断歩道と向かって左に見える横断歩道を自転車で渡る場合,その走行方法が変わる。
 左側の歩道には自転車通行帯があるため,自転車はそこを通らなければならない。問題は正面横断歩道を渡る場合だ。ある生徒手帳(改正される前の発行)には「通行帯がないので,押して渡たる。」との記述があった。横断歩道でないところを車道の左側を通ればいいという解釈もあれば,今回の改正を根拠に横断歩道を自転車で走行しても歩行者の妨げにならない場合は押す必要がないという解釈もあるようだ。いくつかサイトを見た結果,おそらく,後者の解釈が現行の法に適しているのではないかという結論に至った。
 その他進行方向に向かい右側に位置する歩道(歩道通行可の条件を満たしているもの)内を
自転車で走行するのは逆走になるのかという問題もある。左側は車道内の話であり,歩道内では車道寄りを歩行者の妨げにならないように走行(徐行)すればいいようだが,すっきりしない。大阪市中心部の堺筋のような4車線ぐらい一方通行の道路の場合,実際問題として右側も左側もあったもんじゃないという感じだ。おそらく歩道通行可になっているのだろうが,車と逆向きに向かう場合,左側通行でも怖い。

 自転車通行可の表示がない歩道を伴う道路でも,自転車は歩道に行かせた方が安全ではないかという場所もある。

 鹿児島市喜入の国道226号。喜入の中心地から指宿よりの箇所。山側に歩道が設置されている。歩道も狭いので海側が左側になる方向へ進む場合は車道の左側が安全のように思う。ただし,その逆の山側が左側になる進行方向へ進む場合は,歩行者がほぼ皆無なので,自転車が歩道を通ってくれる方が自動車にとってもありがたいのだろう。ここを自転車で通る人もほとんどいないのだけれど・・・
 国道10号の磯・重富間のカルデラ壁の迫る区間にもこんな場所はある。

 ここの場合は,車道の方が舗装状況がいいので,車道の方がタイヤにも優しそうだ。しかし,通行量の割に限られた空間に車道と線路まであるので結構怖い。


 同様の例をもう一つ。

 鹿児島市の紫原陸橋付近。歩道は片側のみにある。しかも,自転車通行可の表示は見当たらない。歩道がない側のガードレールの向こうは大きな段差があり,崖と変わらない。この坂を自転車で下る場合,歩道走行が安全な道路状況になるとは思われるが,その崖側を走行するのが理想ということになる。数は少ないが実際に自転車で下っている人を見たことがある。この道路,狭い割に通行量はかなり多い。崖側の狭いスペースに自転車が入れば,車の運転にも影響が出るだろう。反面,歩道は広めになっている。 

 こんなこともあるのか自転車の歩道通行に関する自治体の対応にも差がある。
 東大阪市。高井田付近。

 そんなに歩行者がいそうな歩道ではないが,しっかりと自転車は通ってはいけないと書かれている。もっと書かないといけなそうなところでも見られないので,近隣から要望でもあったのだろう。

 尼崎市。JRと阪神の尼崎駅方面を結ぶ道路。

 自転車歩道通行可の標識があるとはいえ,法律で軽車両と車扱いされている自転車に歩行者のためのある歩道を通るように誘導がある。道路幅もそこまで狭くはないにもかかわらずだ。

 「自転車に乗っているときは車両,降りて押している時は歩行者」という扱いになる時点でも,自転車の存在はよく分からない。歩道を通れば,歩行者から危ないといわれ,車道を走れば車の運転手から危ないといわれる。しかも,自動車からすれば事故が起きた時に自転車が弱者とみなされるのも自転車が煙たい存在に思えることに拍車をかけている。
 車両としてみなされながらも見る信号は歩行者と一緒でありながら歩行者と同じ道は通行できない。車両でありながら,車道に自動車ほど十分な通行スペースが確保されない。歩行者と自動車の悪いところ取りが自転車のようにも思える。法律が徹底され,取り締まりもしっかり行われたら,自転車の利用者は減るだろう。
 自転車がこんなよく分からない立場になっているのは日本の道路事情が影響しているように感じる。歩道と車道が道路の中心であり,自転車通行帯が設けてある場所はそんなに多くない。法律で罰則を強化したり,制限を細かくしたりということもマナーアップのためには必要だろうが,その規則が遵守されやすくなる環境を整備することも重要だ。専門家などの意見を聞くとはいえ,サイクリングの趣味などがない限り,選挙の遊説の時以外にはほとんど自転車に乗らないような国会議員が,自転車利用者のことも知らずに作った法律などという批判も避けられるだろう。

 極端な話,道路を安全な空間にするのに,一番手っ取り早いのは,他に代替手段のない場合以外の自動車の利用を規制し,道路という空間の大部分を我が物顔で利用している自動車の通行数を減らすことだと思う。(もちろん,経済的な問題やどう規制するかなどの現実的な問題を無視してだが・・・)どんなに規制をかけても,鉄の固まりがそれなりの速度で走っていれば道路から危険はなくならないだろう。最終的に人を排除して,本当の意味で道路から危険はなくなるのではないだろうか。道路は危険な場所だから気をつけようと思っておくことも必要だと思う。
 警察側も,自転車が利用者,利用目的など様々な点において多様性を持っているために対応が難しいと今後の方向性には慎重なようだ。その一様には行かないところが法律を複雑にさせ,内容に周知が徹底されないという事態につながっているようにも思う。自転車に乗ることが当然に思える小学生に,この複雑な法律が完全理解できるとは思えないし,法律に書き切れていないようなところでは大人でも理解しきれない場合が多いのではないだろうか。「知っているようで知らない法律」などと知っている人が紹介するような法律は,知らない側の責任でもあるが,作った側や運用する側も存在を知り,理解してもらえるようにする努力も必要だろう。

(276) 地域を象徴する花木

2010年02月23日 05時12分59秒 | 旅・散策の足跡
 生野区と東住吉区の区境になっている平野川にかかる橋。

 花のイラストが描かれている。これらは生野区と東住吉区の花であるアジサイとナデシコをデザイン化したもので,住所表示板の最下部などで確認ができる。

 JR寺田町駅の駅スタンプのイラストを見てみると・・・

 はっきりした画像ではないが,3つの区の境界付近に駅があることをイラスト化しており,よく見ると天王寺区(パンジー・モモ),生野区(アジサイ),阿倍野区(モモ)の花が描かれている。

 また区役所の前に行くと・・・

 区の花のイラストが多く見られるところもある。(写真は旧住吉区役所)

 区のマスコットキャラクターも花がモデルになっていることが多い。

 鶴見緑地で開かれた花博へのアクセス路線として建設されただけに,地下鉄の長堀鶴見緑地線京橋-門真南間でも花による地域の演出が行われている。(注:門真南への延伸は花博よりも後。)

 京橋。

 京橋公園の掘り込み状の部分からも駅へ入ることもできる。
 改札を抜けた通路には・・・



 都島区の花のうち・・・

 サクラのイラストが描かれている。

蒲生四丁目。


 城東区の花の・・・

 モクレンが描かれている。

今福鶴見。


 今福は城東区の地名で,駅は城東区と鶴見区の境にあるが,イラストは鶴見区の花の・・・

 ハナミズキになっている。


横堤。


 鶴見区の花のツバキが描かれている。


鶴見緑地。

 同じく鶴見区の花の一つのチューリップが描かれている。

 ここも掘り込み状の部分に駅の入口がある。

門真南。

 クスノキが描かれ,駅近くの神社の天然記念物がモデルになっているらしい。他の駅よりも新しいせいか,天井が派手な気もする。また,他の駅では改札を出たところにある方位の表示が・・・

 大体こんなデザインなのに対して・・・

 木の年輪をイメージしたようなデザインになっている。

 先に開業した京橋-鶴見緑地間と門真南は,改札口を抜けた場所の壁がデザインは変わっているが,ホームは・・・


 観察力が足りないのかもしれないが,どの駅も同じように見えた。京橋から大正方面とはかなり異なっている。
 電車の接近音なども他の路線とは違っている。関西弁の「京橋」と「鶴見緑地」をメロディー化しているらしいが,そう思って聞いているからそう聞こえるように感じた。関西人が聞いたらどうなのか分からないが,よそ者には聞いただけで,言葉が基になっているとは分からなかった。
 とにかく色んなところに手間をかけている路線だ。

 色々な形で区の花を表現している大阪市だが,実際道を歩いてみて,区の花を見つけたという経験はほとんどない。

(275) 似たような地名,でも所在地は…

2010年02月22日 22時22分22秒 | 現在の中の過去
※ この記事は該当例全て挙げていることを保証しません。



 なんば線の開通で隣駅となった九条駅と西九条駅。
 名前は西がつくかつかないかの差で,位置も安治川を挟んで隣り合っている。
 その所在地を見ると・・・

(注:駅の住所表記ではありません。)

 西区と此花区で所属が違う。もともと同じ九條島にあった場所が安治川の開削で西九条と九条になったようだ。その安治川が区の境界になったため,区としては別の所属になっているようだ。西がつくほうが西区でないのがややこしい。そして,西九条が此花区であることも電車に乗っているだけでは知らない人もいる。
 ちなみに九条南という地名もある。地図で見ると,九条より南といえば南側だが,西側のようにも思える位置に広がっている。西九条との間には安治川があるため,所属は・・・

 西区になっている。
 区の境界が川,道路,鉄道など目に見えるもので設定されているところではこのような例が多い。他の例も見てみたい。

・西中島VS東中島

 淀川区と東淀川区。区の境界はJR京都線。

・放出西VS放出東

 城東区と鶴見区。区の境界は内環状線(道路)。放出駅は鶴見区に位置している。

 大阪市北部ではこのような例はあまりない。
 一方,中央区絡みのこのような例は結構ある。
・本町VS南本町VS西本町
 

 西本町のみが西区。境界はほぼ阪神高速。

・森ノ宮中央VS森之宮

 JR環状線を城東区との境にしている。中央がつくほうが「ノ」で,つかないほうが「之」になっている。「ノ」は駅名と同じで「之」は神社の名前と同じになっているただし,この2つ南西と北東の位置にあるので,ほぼ接していない。

・玉造○丁目VS玉造元町VS玉造本町
 

 天王寺区と分かれている。区の境界は長堀通。JR玉造駅は天王寺区寄りに,地下鉄玉造駅は境界の長堀通の下に位置している。

・上町VS上本町西VS上本町
 

 上本町のみが天王寺区。上町と上本町の間には長堀通りが,上本町西と上本町の間には上町筋がある。谷町四郵便局に統合された上本町郵便局が上町に位置していたため上町も載せた。近鉄のターミナルとなっている上本町駅は天王寺区上本町6丁目にあり,周辺は「上六」と略されている。

・高津○丁目VS東高津町

 中央区と天王寺区。両者は少し離れた位置にある。

・ 難波VS難波中

 中央区と浪速区に分かれている。境界は何が基準なのかよく分からない。難波駅については近鉄(阪神)と地下鉄の御堂筋と千日前が中央区,四つ橋は境界付近,南海が駅部分の大半は浪速区,JRが浪速区と言った感じだろうか。地形図を見ても境界が微妙だ。地下鉄四つ橋とJRについては浪速区湊町に位置しているため難波という駅名に異論も出ている。名前の知れた繁華街の名前であるが,「何区?」と聞かれると困りそうだ。梅田同様,難波のカバーする範囲は住所表記を越えているため,さらに厄介そうだ。

・中寺VS下寺VS下寺町
  

 3区に分かれている。下寺と下寺町の間には松屋町筋がある。中寺と下寺町は直接は隣接していない。

 中央区と天王寺区との間でこのような例が多かったが,天王寺区と他の隣接する区の間でも似たような例がある。
・ 小橋町VS東小橋○丁目 

 天王寺区と東成区。この二つも少し離れた位置にある。

・ 勝山VS勝山北VS勝山南

 天王寺区と生野区。区の境界はJR環状線。勝山中学校は生野区にあり,生野区役所も勝山南に位置している。

 今までの例と性格が少し異なるがこんな例もある。
  

 天王寺の由来は四天王寺が略されたことに由来している。四天王寺○丁目は天王寺区にあるのだが,天王寺町北/南は阿倍野区に位置している。両者の位置は離れている。隣接する他の区の名前が入っているややこしい地名だ。

 天王寺区に隣接する東成区と生野区にも同様の事例がある。今里の例だ。
    

 新今里以外は東成区にある。東成区役所も大今里西に位置する。今里の交差点もその下にある地下鉄今里駅も東成区にある。ただし,生野区との境界は近鉄大阪線であり,その今里駅は生野区側にしか入口がない。そして,新今里も今里新地があるなどなかなか印象の強い地区になっている。

 南部においてもこのような事例は多い。
・ 西田辺町VS(東・南・北)田辺VS田辺
    

 田辺の後に町のつく西田辺町のみが阿倍野区,他は東住吉区になる。両区の境界はほぼJR阪和線に沿っている。

・長居VS長居(西・東)VS長居公園
   

長居西の写真はないが,(2010年2月28日追加)長居公園が東住吉区の他は住吉区。長居公園が長居の知名度を上げているように感じるだけにそこだけ区が違うのは意外だった。

・粉浜VS粉浜西VS東粉浜
   

 東粉浜のみが住吉区。他は住之江区。南海本線の高架が両区の境界になっている。

・帝塚山VS帝塚山(西・中・東)
   

 何もつかない帝塚山が阿倍野区,西・中・東がつくのが住吉区になっている。大阪市内における高級住宅地も区は分かれていた。南海高野線帝塚山駅や帝塚山古墳は南側の住吉区にある。両区の境界はほぼ南港通になっている。

 住吉区が関わる例が多いが,こんな例まである。
・遠里小野VS遠里小野町
 

 区どころか市を越えてしまった。このような例は一つではない。
・浅香VS浅香山町

 南海高野線浅香山駅はもちろんJRの浅香駅も堺市側にある。これらの境界は大和川になっている。

 これまでの例は,区や市が違うと町名も少し違っていた。しかし,このような事例の多い中央区,天王寺区,浪速区,住吉区にはこんな例もあった。
・ 上汐

 二丁目と三丁目の間の千日前通りで区が変わっている。

・ 日本橋(にっぽんばし)
  

 二丁目と三丁目の間に境界がある他,全てが浪速区に所在する日本橋東という地名も存在する。

・ 万代(ばんだい)
  

 一丁目と二丁目の間の南港通で区が変わる他,万代東という全てが住吉区に所在する地名もある。
 同じ町名でも丁目が違えば別の区というのはややこしい。

 行政地名が地域の理解に必ずしも役に立たないと研究者の方が言っていた意味が分かったように思う。 

(274) 大阪市最高峰

2010年02月21日 02時29分24秒 | 風景
 大阪市の最高峰の鶴見新山が鶴見区の鶴見緑地内にある。
 標高39mの人工の山。
 公園内から山の方向を見る。

(2009年8月18日撮影)

 大体この辺りだと思うのだが,どこが山頂かは分からない。

 大体の方角を見当を付けていくと,「鶴見新山」の名前の入った碑があった。

(2009年8月18日撮影)

 この上が山頂のようだ。
 階段を上ると・・・

(2009年8月18日撮影)

 山頂が見えた。
 登ってみる。

(2009年8月18日撮影)

 周囲の景色。


(2009年8月18日撮影)

 茂み越しに町が見える方角もあるが・・・


(2009年8月18日撮影)

 木に隠れて何も見えない方角もある。

 以前,この記事の中で紹介した昭和山。

(2009年8月15日撮影)

 標高33mだが・・・


(2009年8月15日撮影)

 こちらの方が色々なものが見えたように思う。

 かつての最高峰,今の最高峰,どちらも人工の山でしかも標高30m台。
 大阪市が本当に平らだということを感じた。府レベルになると1000m越えになるが・・・

(273) 文化の森

2010年02月20日 23時35分04秒 | 現在の中の過去
 阿倍野区昭和町のあびこ筋沿い。

(2009年9月13日撮影)

 ここから西側へ一つ隣の筋へ行くと・・・

(2009年9月13日撮影)

 6階建ての立派な建物がある。

(2009年9月13日撮影)

 入口に文化の森という施設名と建物を所有していると思われる会社名が書かれていた。
 しかし,正面玄関付近はあまり人気がない。
 建物の脇の方には・・・

(2009年9月13日撮影)

 別の入口がある。
 ここから人が建物内に入っていくのが見えた。

 この立派な建物,2006年3月末までは大阪市教職員厚生施設だったらしい。教職員が市民の半額程度で利用できたため,市民からの批判で廃止となり,その後建物の売却先を探していたようだ。
 2008年になって落札したのがこの会社のようだ。
 この建物の界隈を見ると・・・
 
(2009年9月13日撮影)

 このような看板があった。
 最初は何のことか分からなかったが,この看板を見て何となく意味が分かった。

(2009年9月13日撮影)

 あの建物を所有している会社の名前だった。
 民主党市民連合大阪市会議員団のホームページの平成20年10月特別委員会(市政改革)の記録を見ると,「この会社が現在,建物を統一教会に貸している」ようで,さらにこの会社の事業のうち「毛皮や宝石や貴金属の輸出入・販売、あと農産物、水産物、加工食品の販売、絵画の販売」が「統一教会がやってることとちょっとかぶるんじゃないかなということが、地元住民の方が、ちょっと悪く言えば、これはダミー会社じゃないかと。」と議員が答弁をしたようだ。さらに,「売買契約が平成20年3月12日にありまして、所有権がこの優美に移転していると。その後の1カ月後の4月30日に事業目的を2つ追加し、不動産の売買、賃貸、仲介及び管理と貸し会場の経営というのが、これは売買契約の1カ月後に事業目的が変更されている」と書かれていた。
 これに対する市長の答えの中に「反社会的団体であるかどうかという認定の問題」があると述べている。契約違反として売買契約をなかったことにするのも難しそうだ。いわゆる「ハコモノ」の処理をめぐっても問題が起きている。

(272) 【国内海外旅行(4)】 入国ゲート~地下編~

2010年02月19日 05時56分15秒 | 風景
【国内海外旅行】の記事一覧

1 (146) 外国の雰囲気のあふれる町
2 (168) 入国ゲート ~地上編~
3 (209) スタミナスープ
4 (272) 入国ゲート~地下編~
5 (364) アリラン食堂



 現地と変わらないような雰囲気がになっている鶴橋へアクセスする手段は以前の記事で書いたJRと近鉄だけではない。地下鉄がある。

 高架上にある両駅と違い,地下鉄の駅は文字通り地下にある。高架駅への入口も見つけにくいが,地下鉄の入口も見落としやすい。音のみで「近鉄」のことを知らない人が「ちかてつ」と聞くと,「近鉄」を「ちかてつ」と読むのだと勘違いするのではないかと思うような入口もある。
 その出入口を見ていきたい。
 1・4号出入り口。

 ここは交差点の角に入口があるので分かりやすいが,商店街や他の二社の駅からは遠い位置にある。
 2号出入り口。

 1・4号と同じ交差点付近にあるが,少し引っ込んだ位置にある。
 
 3号出入り口。

 これも1・2・4の出入り口と共に交差点の四隅付近になるように位置しているが,両側を高いビルに挟まれている。この後に焼肉屋が集中している。

 5号出入り口。

 今までの出口と違ってJRの線路よりも今里側にある。駐輪場と完全に同化している気もする。

 6号出入り口。

 近鉄の西口からJRの方へ向かえば見つけやすいが,逆だとなかなか気付きにくい。地下鉄とJR・近鉄を乗り継ぎやすい出口だが,最初はこんなところに入口があるのだと驚いた。

 7号出入り口。

 6号出入り口と対になっていて,こちらは千日前通りに出る。ビルの一部を利用している。

 地下に入ると・・・


 他の駅と差はない。
 なぜかホームには・・・

 百葉箱があった。

 地下鉄千日前線と近鉄がここから難波方面へ(駅は離れているが今里・新深江方面も。)は併走して,基本的に地下鉄が運賃が高いので,利用者は通勤・通学を除くとそこまで多くないかもしれない。周囲の環境もあるが,ここまで出口が目立ちにくい場所ばかりの地下鉄の駅も珍しいように思う。