時戻素

昔の跡,やがてなくなる予定のもの,変化していくもの,自身の旅の跡など・・・

(314) 虹,星の世界への入口

2010年04月26日 05時48分29秒 | 風景
※ 写真撮影日 2010年2月11日

今年2月に高校の同級生と神戸を観光した。(概要はこの記事で記載)
 そのとき,利用した駅に,「虹の駅」と「星の駅」というファンタジーな感じの駅があった。一方,その始発駅が「摩耶ケーブル駅」という堅い名前なので,ギャップがあった。
 現実の世界を離れ,虹や星の世界への移動していく途中の風景を見てみたい。当日はかなりの荒天だったので,関係会社のHPや他の方々の訪問記の様子とはだいぶ雰囲気が違うかもしれない。

 三ノ宮駅から市バスでケーブル駅まで。

 ケーブル駅付近の道路の傾斜はかなりきつい。
 ケーブル駅の駅舎。

 窓口と改札口。

 神戸市内とはいえ,さすがに自動改札ではない。
 往復の切符を購入。

 時期によっては他の鉄道会社との周遊切符をうまく利用すればもっと費用を抑えられるようだ。
 入場の時間になり,ホームのケーブルカーへ。

 別の角度から。

 車内。

 急傾斜を登る乗り物だけに,ホームも車体も段になっている。
 駅名案内。

 冒頭にも書いたが,隣駅との駅名のギャップが大きい。何か「○の駅」でいいネーミングはなかったのだろうか。虹・星とある段階で,夢の駅でも坂の駅でも何でもありな気もする。
 ホームから線路を見る。

 レールの中央にワイヤがある。これによってケーブルカーの車体が引き上げられている。その操作は車外で行われているので,車内に乗っている係員は厳密な意味での運転手ではないようだ。
 駅を出てカーブを曲がると…

 トンネルが見えてきた。
 トンネルを抜けると…

 線路が2つに別れ,対向車両との離合が行われる。ケーブルカーのケーブルを引気上げる力は対向車の重さを利用しているらしい。 
 離合が終わると…

 線路の傾斜がかなり急になってくる。
 ここを登りきると虹の駅に着く。

 ホームから上ってきた線路を振り返る。

 そこから視線を上に移すと…

 神戸の町が見える。
 ホームの端のケーブルの終わりの部分。

 この下に操作室があるのだろう。
 改札を抜け,ケーブルカーの駅舎の下の辺りを見ると…

 使われているのかよく分からない建物があった。

 ケーブルカーの虹の駅から少し歩いて…

 ロープウェイの虹の駅へ。乗り換え時間は10分程度だったのでしばらく待合所で温まっていた。
 駅にある記念スタンプ。

 ロープウェイとケーブルカーが描かれている。
 ロープウェイのホーム。

 ホーム先から進行方向を見る。

 ケーブルカーの線路が敷設できないような環境なので,窓から下を見ると…

 深い谷になっている。
 後ろを振り返ると神戸市の街並みが見えるはずだが…

 天候の関係で見通しが悪かった。
 中間点では…

 対向車と離合があった。
 下の方には…

 建物のようなものの姿も見えた。
 しばらくして…

 星の駅が視界に入ってきた。
 この辺りから後ろを振り返ると…

 神戸市の風景が見られる。この写真は帰りに撮影したものだが,だいぶ視界が開けてきていた。
 あまり変わらないが,虹の駅のホームから…

 ロープウェイのホーム。

 駅舎の出口の付近には…

 夜景の案内の看板に隠れるように郵便ポストがあった。
 星の駅の入口。

 ここから外の方へは…

 電飾もなされていた。

 夜景評論家が夜景物語をプロデュースした掬星台。

 そこにある水道を見ると…



 標高700mあることが分かる。ここも神戸市内で神戸市はここから山側にまだまだ続いている。
 展望台から神戸市街を見下ろしたが…

 天候が悪すぎて何も見えない状況だった。
 ロープウェイの待合時間に再度行くと…




 10分ぐらいしか経っていないが,視界がかなり開けていた。
 展望台から星の駅の方を見ると…

 結構,怖そうな場所に建っているのが分かった。
 その後,強風の関係で最終となった下りのロープウェイで虹の駅まで行くことができた。強風の中のロープウェイは結構揺れてスリル満点だった。いい年した大人が騒いでいるの対して同乗していた人は静かだった。駅に着いてロープウェイの関係者だったことに気付いた。
 景色は晴れの日に比べて劣っているのだろうが,雨の日なりの楽しみ方ができた気がする。

(313) 大淀区の跡

2010年04月24日 23時38分24秒 | 現在の中の過去
大阪都の構想が知事の関わる地域政党によって打ち出されている。東京都が東京府と東京市の合併(?)のようなものだと知ったのもちょうど一年ぐらい前のことだった。大阪の場合も大阪府と大阪市が一緒になることは変わらないが,大阪市の周りの9市も特別区部とする構想(地域政党が打ち出した案のWikiから判断)のようだ。もしこの構想が実現した場合,「大阪市」とその行政区だけでなく,堺市とその行政区,吹田や豊中といった市の名前もなくなることになりそうだ。

 実現の可能性はまだ分からないとはいえ,このような構想が議論されている中なので,実現した場合,さらにその存在が薄れてしまいそうな1989年に北区と合区した大淀区についての記事を書いてみたい。同時に東区・南区が合区して中央区になっているが,こちらの名前はまだ類推しやすそうな気もする。大淀区の形跡が感じられる写真を並べてみたい。


(2009年6月21日撮影)

 ごみの不法投棄への呼びかけの看板。掲示主の名前の区の前が消されている。おそらく大淀区と書かれていたものと思われる。下の大淀警察署は北区と合区した後も残っている。

(2009年6月21日撮影)

 北区には北警察署はなく,曽根崎・天満・大淀の3つの警察署が置かれている。

 市立北図書館。

(2009年7月4日撮影)

 裏側にあるテニスコート越しに見る。

(2009年7月4日撮影)

 北区の中でも淀川に近い部分にあり,旧大淀区の区域に位置している。合区前は別々に図書館があったのかは分からない。



(2009年7月11日撮影)

 大淀区役所があったらしい本庄西二丁目の6番地付近。幅の広い道路から少し入った場所に当たる。Wikiなどに書かれていることとはほぼ一致するが,役所があった面影のがあまりないので未だにここにあったのか判断しかねている。

 JRの高架橋に付けられていた表示。

(2009年6月21日撮影)

 合区前の住所のまま変更されていない。

 大阪市では,古いタイプの住所表示板を結構見かけるが,こんなものまであるとは思わなかった。

(2009年7月4日撮影)

 北区の表示板は深緑色なので,赤っぽいこの看板は北区のものではない。おそらく,この上に新しい表示板を取り付けていたのが,接着がはがれてしまったように思える。なお大淀中や大淀南などの地名は今も残っている。

 探してみると,大淀区の跡が意外とあっさり見つかって驚いた。

(312) 人形岩

2010年04月22日 23時53分14秒 | 風景
薩摩川内市西方にある海水浴場。

(2010年3月27日撮影)

 堤防の先は…

(2010年3月27日撮影)

 砂浜が広がっている。施設自体は新しそうだが…

(2010年3月27日撮影)

 更衣室やシャワー室は古そうだ。そもそも現役なのかも分からない。

 ここから南側へ行くと…

(2010年3月27日撮影)

 島のようになっている岩が見える。
 この間に人形岩と呼ばれる岩がある。
 しかし,以前ここを通った時は自転車での移動で,予定よりも遅かったので海岸まで下りる暇はなかった。そのとき,人形岩がどれかよく分からずに撮った写真。



(2006年5月4日撮影)

 人形岩は写っていなかった。下の写真がもう少し左側を撮っていれば写っていたのだが,そんなことは全く知らなかっただろう。

 岩の方へ近づくと…

(2010年3月27日撮影)

 真ん中に人形岩が見えてきた。
 さらに岩の方へ寄ってみる。

(2010年3月27日撮影)

 岩をズームで撮影。

(2010年3月27日撮影)

 近くの案内板では,乳飲み子を抱いた母親の姿をしていると説明されている。しかし,この母子の話題は明るいものではない。夫が乗っていた船が転覆し,母親が子どもを抱いたまま,洞穴の中で夫の無事を祈り続けたまま息絶えてしまった。それを不憫に思った海の神が岩に変えたという物語のようだ。

 案内板を読まなければ,この岩にそんな物語があったことを思わせないぐらいの景観になっている。
 さらに南の方から岩を見ると…

(2010年3月27日撮影)

 ズームで見ると…

(2010年3月27日撮影)

 かなり岩という感じになってきた。

 ここから南側は…

(2010年3月27日撮影)

 狭い岩場のようになっている。
 東シナ海を眺めていると…

(2010年3月27日撮影)

 遠くに甑島が見えた。

 東シナ海はなぜか寂しさを感じるときもあるが,奇岩などが結構見られる場所になっている。

ご参考までに…
東シナ海の景色関連の記事
(167)大川(312)人形石(349)牛之浜

(311) 廃墟化した遊園地

2010年04月20日 23時13分04秒 | 過去になる現在
新今宮駅の東口を出て浪速区側に見える建物。

(2009年6月8日撮影)

 もともとは大阪市の公共施設だったのが,マルハンに売却されたらしい。この間近くを通った時はもう中に入ることはできなくなっていたが,この写真を撮ったころは遊園地の営業はとっくに終わっていたが通路としては機能していた。中を冒険してみた。

(2009年6月8日撮影)

 エスカレータは止まっていたが,階段は昇れる。
 階段を上った先には…

(2009年6月8日撮影)

 広場があった。
 空を見上げると…

(2009年6月8日撮影)

 ジェットコースタのレールの残骸が見える。場所が狭いためか,カーブも多そうだ。

 通路の先には・・・

(2009年6月8日撮影)

 船が見えた。
 船をしたから見上げる。

(2009年6月8日撮影)

 各通路は新世界に抜けたり,スパワールドに抜けたりすることができた。
 にぎやかそうな施設なのに人がほとんどおらず,静まり返っているのが不気味にも感じる。
 ちなみに地下もあって…

(2009年6月8日撮影)

 地下鉄駅に直結している。

 現在は入ることができなくなっているが,今後どのように活用されるのか興味深い。

(310) なごやめし体験 (1)

2010年04月18日 04時56分13秒 | 旅・散策の足跡
※ 土産物や日付のつけてある写真以外は2010年3月22日撮影。

静岡から大阪への18きっぷでの日程を立てていると,他と比べて東海道本線の列車本数が多いためか,快速などがとばしているためか分からないが,移動距離の割にだいぶ時間に余裕があった。その時間の大部分を名古屋に当てることにした。
 行きに結構大きな駅のイメージがあったので,名古屋の手前の金山駅でとりあえず降りてみた。

 降りたホームの隣のホームは他の会社のホームになっている。
 とりあえず駅を出て,北側の複合施設(?)へ。

 食べ物屋を見て回ったが,もう少し別の場所も探してみることにした。
 その際,1日目に豊橋で…

 きしめんは食べていたのできしめんは候補から外した。
 施設内を歩き回っていると金山駅がすごい名前で呼ばれていることに気付いた。

 金山総合駅となっている。名鉄・JRの駅舎が共通で,それらとは別に地下鉄の駅もあるからだろうか?施設内の案内も「総合駅」となっていて,別の駅があるように思えてしまった。
 駅の南側。

 個性的な建物の美術館があった。
 駅前広場の掲示。

 イメージキャラクターも作られている。
 名古屋開府400年を記念した顔出しパネル。

 店も見て回ったが,結局は名古屋駅周辺で探してみることにした。
 駅の売店で土産を買う。

 名古屋色が強い。
 みそまん。
 

 味噌とあんこの組み合わせは不思議な感じがした。この饅頭,作っていたのが「うなぎパイ」と同じ浜松の会社だったのに驚いた。
 改札から近かったので名古屋へは東海道線ではなく中央線で行くことにした。

 名鉄のホームを2つ挟んだ先に東海道線のホームがある。名古屋方面もしばらく名鉄と併走している場所が続いて,どの線路がどこだか分からない。

(2010年3月20日撮影)

 今度は新幹線との併走もある。
 名古屋駅の周りは高層ビルが集中しているので遠くからでも駅の場所が分かる。

 名古屋駅へ着いた。駅名の看板を見るだけでは,大都市の感じがしない。東京でも大阪でも同じなのだが,ここは妙に都会さを感じなかった気がする。
 ちなみに駅前は…

 ビルが聳え立っている。
 改札を抜けて構内を歩いていると…

 JRと高島屋が組んだような名前の百貨店の名前をやたら見た。京都で三越伊勢丹と組んでいるのをよく見ていたため違和感があった。同じJRでも別会社なので組む相手が違うのは当たり前といえば当たり前だが…
 1階をうろうろしているとこの地下への入り口が見えた。

 近畿は出ているのだが近鉄の駅がある。
 地下へ下り,改札前へ行くと…

 せんとくんが天井にいたり,通学時によく見たデザインのポスターがあったりと関西に戻ってきたような気になった。ほぼ毎朝のように乗っていて,京都地下鉄や阪神線で来ると嫌気がすることもある近鉄の電車も懐かしく思えた。

 一応財布に入っていたピタパもこの改札機なら使える。宇治山田,鳥羽,賢島など行かないけれど電車の行き先でよく見ている地名も懐かしかった。懐かしさばかり感じていて,JRの快速乗り継ぎでも3時間ぐらいで大阪には着くというぐらいの距離しか離れていないことには気付かなかった。
 また地上に出ると…

 近鉄と名鉄のビルが仲良く並んでいた。
 携帯で検索したあんかけスパゲティの店を探しに地下街を探し回ったが,結局見つからず別の店に切り替えることに…
 その店の入っているビルが見つかり…

 店のある階へ向かったが…

 準備中だった。
 別を探しに道路を挟んだ反対側のビル前に行くと…

 一日中モーニングサービスをしているという案内が見えた。
 階段を下ると…

 その店があった。

 小倉モーニングセット(620円)
 小倉トーストも名古屋名物のようだ。写真は撮らなかったが,あとで,小倉バター味のキャンディも駅売店で買った。
 その後も地下街を北へ名古屋駅の方へ戻りつつ,夕食を食べる店を検討した。
(2)へ続く。


(309) 公営渡船 (3)

2010年04月16日 23時51分05秒 | 現在の中の過去
公営渡船の記事
(1) 落合上・落合下・千本松
(2) (千本松)・木津川・千歳・天保山
(3) 船町・甚兵衛


(1)では大正区と西成区を結ぶ渡船,(2)では橋ができてもその橋桁が高いために廃止されなかった渡船をとりあげたので,今回は残りの2つの渡船を取り上げたい。

・ 船町渡船
 大正区内の船町と鶴町を結んでいる。渡船の案内板によると,鶴町と船町は福町と一緒に明治30年から昭和3年の大阪港の第一次修築工事による埋立事業で造成されたようだ。昭和初期には船町には伊丹空港の前身の木津川飛行場があったともある。
 船町側ののりば。

(2009年6月24日撮影)

 イラストが描かれ,その中に明朝体で渡船場名が書かれている。

(2009年6月24日撮影)

 岸壁間は75mと結構狭い。
 運行本数も…

(2009年6月24日撮影)

 ラッシュ時以外は周辺が15分間隔もある中で,20分間隔とやや少なくなっている。
 鶴町側から船町側を見る。

(2009年6月24日撮影)

 鶴町側ののりば入口。

(2009年6月24日撮影)

 反対側とは印象が違う。

・ 甚兵衛渡船
 大正区泉尾と港区福崎を結んでいる。案内板によると,かつてこの尻無川沿いは紅葉の名所であり,甚兵衛渡の小屋は茶店は蛸小屋と呼ばれ,はまぐりやしじみが名物となっていたていたようだ。
 大正区側ののりば。

(2009年6月28日撮影)

 ここにもイラストが描かれている。

(2009年6月28日撮影)

 亀も飼われていた。
 渡船の運行される尻無川。

(2009年6月28日撮影)

 紅葉の名所の面影はない。岸壁間は95m。
 運行時刻表。

(2009年6月28日撮影)

 15分間隔が基本ではあるが,7時40分と8時45分の便の間はオレンジの枠で塗られ,随時運行となっている。案内板にも朝ラッシュ時は2隻で運行にあたると書かれていた。
 船の上から…

(2009年6月28日撮影)

 水門が見える。
 港区側ののりば。

(2009年6月28日撮影)

 岸壁の色が特徴的だ。
 のりばへの入り口。

(2009年6月28日撮影)


 大阪市の公営渡船はすべてとりあげた。この記事に使った写真を撮っていた頃は渡船に乗るのもこのときぐらいだと思っていたが,大正~西成間の3つの渡船を中心に大正区に行くたびに利用している。それだけ欠かすことのできない交通手段なのだと感じた。

(308) 貧乏退治のお供

2010年04月14日 03時55分51秒 | 旅・散策の足跡
※ 撮影日:基本的に2010年3月21日。
 朝5時30分ごろ,東京駅で総武線や京葉線などが強風のために運転見合わせしていることを知る。もともと銚子に行く予定をあきらめ,鎌倉・横須賀方面に切り替えようとした。その後,何となく再開されそうな気がしたので,とりあえず千葉方面へ修正した。ダイヤが大幅に乱れて,訪問時間が短くなったもののある程度の目的はこなせたように思う。その銚子での2時間程度の移動記録。

 ダイヤの乱れで予定よりかなり遅れた11時10分頃銚子駅についた。
 降りたホームの先にあるこの建物の方へ。

 銚子電鉄のホームにそのままつながっている。
 反対側から…

 ホームに停まっている電車。



 古そうな電車に桃鉄のラッピングがされている。
 座席も…

 丁度ツアー客が乗っていたため,車内は途中までかなり込み合っていて,無人駅でも全てのドアを開けていた。この中にいた車掌から,フリー切符を購入。約7km先の終着駅(9駅目)まで往復した金額と同じ料金になっている。
 とりあえず終点の外川まで行った。

 駅舎の中。

 かなり古そうな建物だ。
 駅周辺にある線路上には…



 電車が数両止められている。
 とりあえず,折り返しの電車の時刻まで,周辺を歩いてみた。

 ミニ博物館もある。時間がなかったので中には入らなかった。

 再び電車で銚子の隣の中ノ町までまた戻った。

 駅の横に車庫があり,入場料を払えば見学もできるようだ。
 そちらには行かずに駅を出る。

 外川の方へ行くと,駅の片隅に何かがある。

 近づくと…

 しあわせ三像の一つの「貧乏がサル像」があった。
 電車は1時間に2本のみなので,歩いて隣の観音駅へ向かう。線路沿いには…

 菜の花が咲いていた。
 観音駅。

 スイス風の駅舎(切符裏の案内より)。
 屋根を内側から見上げると…

 ホームや駅名の案内も他の駅とは違っている。



 そして駅舎内には,名物となっている…

 たい焼き屋がある。

 電車が来るまでの間に食べてみた。
 電車の中から見た隣の本銚子駅。

 観音とは対照的な古そうな駅舎。駅名からこの駅の切符は縁起物として人気があるようだ。
 その隣の駅。

 9駅の中で唯一ホームが二本あるので…

 電車同士の行き違いが行われる。銚子方面のホームには…

 「貧乏をトリ像」がある。

 犬吠駅で下車。切符裏の情報によると「ポルトガル気分いっぱいの駅舎」らしい。
 ここのホームや駅名案内も他の駅とは変わっている。








 最後の電車の待ち時間で灯台を見ようとしたが…

 姿すら確認ができなかったので,海だけを見て満足した。
 駅に戻り,銚子電鉄の経営建て直しに貢献したぬれせんべいと佃煮などを買った。
 この駅には…

 「貧乏がイヌ像」がある。
 最後の電車の車窓から・・・

 関東最東端の駅の海鹿島(あしかじま)駅が見えた。ここの駅舎も古そうだ。

 銚子駅についてしばらくすると千葉方面の電車が発車した。ダイヤはまだ復旧していないようだ。次の電車の時刻は分からなかったが,銚子駅周辺を散策しようと橋を渡って改札口の方へ行くと,そちら側のホームに停まっていた千葉行きの電車の発車案内があった。連続で発車するようだ。あわててその電車乗って銚子を後にした。ダイヤの乱れで思うように回れなかったが,強風で電車が止まったままいけなかったよりはよほどマシな気がした。

(307) 【たこ焼2】 味付け

2010年04月13日 03時04分36秒 | 現在の中の過去
たこやきの記事
1(299)2(307)3(333)


【1】の記事で取り上げたたこ焼き。

 ソースもマヨネーズもつけずにそのまま食べるのがこのたこ焼きの食べ方だった。この店に限らず,「ぼうず」という味付けで売られていることもある。

 他の味付けをいくつか見てみたい。

 ねぎのせ。この味付けは結構見られるように思う。

 小路東(実質上布施)にある店では…

 ゆず岩塩味。ゆずはなくても塩という味付けはそれなりに見かける気がする。
 同じ店には…

 ホワイトソース味もあった。梅田の阪急三番街の地下にはたこ焼きを利用したこんなメニューもある。

 たこやきグラタン。発想としては似ている気がする。

 平野駅(JR)の近くの店では,変わりたこやきというメニュー表にこんな商品がある。

 ピザたこ焼き。
 他にも…

 あんかけたこ焼き。

 そのままの状態のたこ焼きにトッピングをしているわけではないが…

 揚げたこというたこ焼きを揚げたメニューもあった。鴫野にあったこの店も今は焼きそば屋になってしまった。
 
 よそではソースかしょうゆぐらいしかない味付けも,大阪では選択肢が一気に広がっている。意外な味付けでも結構合うのがまた不思議だ。

(306) 水没集落からの脱出(1) ~入口編~

2010年04月12日 05時08分01秒 | 旅・散策の足跡
【水没集落からの脱出】の記事
静岡県浜松市天竜小和田~塩沢

1 入口編(306)
2 駅前メインストリート編(326)
3 最寄の民家とつり橋編(359)
4 集落への道(395)
5 徒歩1時間の集落(405)


6 駅を離れても(482)

→ 観光地天竜峡はこちら
→続編はこちらへ。


※ 写真撮影日:2010年3月20日

18きっぷを使って大阪から東京まで移動している途中にダム建設による増水で水没した集落を訪れた。そこにいたのは次の電車が来るまでの約3時間だったが,水没しなかった高台にあった集落の跡を見たり,最寄の集落まで行ったりしていた。訪問日は限られた時間内で出来るだけ多くのことをこなそうとしたため,この集落について考える余裕はなかったが,記事を書きながらでも考えてみたい。

 10時43分に豊橋駅を出た。目的地到着は13時20分頃と2時間以上かかった。しかし,この電車の終点上諏訪には車掌のアナウンスを聞いていると,まだ午前中にもかかわらず,17時40分到着のようだ。
 新幹線で80%以上の収入が占める東海はあまり在来線には力を入れていないと思い込んでいたが,車内広告では…

 普通か快速でしかいけないような駅をアピールしていた。
 その中の一つであり,広告内に引用されているランキングでは最上位の小和田駅で電車を降りる。

 他の乗り降りはいなくて,車掌に余計な手間をかけさせることになるのだろうと思っていたが,18きっぷ期間中だからか3連休だからかは分からないが,それなりの乗り降りがあった。
 この駅の前後は…




 両側がトンネルになっている。それだけ山深いところだということが分かる。
 ホームの端のほうへ行くと…



 所在地は静岡県だが,天竜川などを挟んで愛知県と長野県の境界付近にこの駅はある。
 ホームから見える風景。

 川の向こうの愛知県には電柱が見え,車道が走っているのが分かる。しかし,対岸へ渡る橋はない。どう行くのかわからないが,かなり迂回をしなければたどり着くことは出来ないだろう。迂回といってもこの駅から最寄の車道までは徒歩1時間程度かかるので,所要時間は車道に出て,タイミングよく車に乗せてもらってもかなりかかると思われる。近くて遠い場所だ。駅があるここは水没前にあった集落の高台なので,水没前の行き来は今よりも容易だったらしい。
 長野県側。

 駅のホームの本当に端っこには…

 電車で2時間ぐらいかかる豊川駅の駅長の名前で,改札口を通るように指示がしてある。この警告がなくても…

 ここから先へ行くのは冒険家ぐらいだと思う。
 ホームの中央に駅名の看板がある。

 所在地で驚くのはここが政令指定都市の行政区に位置するということだ。この場所のある旧天龍村と合併しなくても浜松市は政令指定都市になるだけの人口を持てたし,政令指定都市が山間部を市域にしてはいけないという制約もない。しかし,政令指定都市,特に最近移行した都市については政令指定都市って何だろうと考えさせられることもある。

 ホームの反対側の端にある駅舎の方へ向かう。

 点字ブロックはあるが,ホームと駅舎の間には階段がある。
 階段を下ると…

 水道がある。凍結やつまり防止のために水は止めないように書かれている。
 それでも,普段の習慣からなのか水が止まっている時もあった。節水とは逆のことを求めているので,それなりに意識しないとつい止めてしまいそうになる。それだからか…

 蛇口に上にも必死でアピールされている。
 その丁度上に…

 かなり古そうな駅名の看板がある。
 駅舎の入り口の前には…

 以前使われていた反対側のホームへの通路の跡がある。点字ブロックもこの通路へ誘導する部分ははがされていた。
 ホームから駅舎への入り口。

 もちろん無人駅ではあるが,駅舎内を通らないといけないように柵がしてある。1993年の皇太子殿下と小和田(おわだ)雅子様のご成婚で訪問者が増えたことの名残か分からないが,花嫁号のマークが付けられている。
 駅舎内。

 窓口などの跡も残っている。
 その窓口のガラスを見ると…

 窓口営業はかなり昔の話だろうが,何かまだ新しそうな印象のある書体で販売時間が書かれていた。いつ作られたものだろうか。
 時刻表。

 少ないことは少ないが,九州の人吉~吉松間(1日片側5本ぐらい)と延岡~佐伯間の途中駅(1日片側3~4本)を経験しているだけにまだ多いほうだと感じた。
 運賃表。

 隣の駅まで線路でも5km近くあるはずだが,それでも100円台,2駅以上でも200円程度と意外と安い。都市圏の私鉄よりも近~中距離(?)は安いかもしれない。
 駅として最低必要そうな掲示の他にも…

 訪問者が書くためのノートと書くための机があったり…

 結構式(おそらく,駅周辺で行われたもの)の写真があったり…

 駅周辺の案内があったりする。さっきも似たようなことは書いたがこの駅周辺に車道はない。門谷と塩沢を結ぶ幹線林道が最寄の道路だ。そこまで徒歩1時間,標高差は100m以上ある。
 こんな場所の駅だが,こんな掲示物もある。

 「線路に入ってはいけない」ことを促す掲示。これだけ本数少なくて,電車が近づくと踏切の警告音もなるので,入りたくなるのも分かる。「よい子」限定なのもまたすごい。
 お隣の不正乗車をしないように促す掲示。この駅ではないが,飯田線で高校生が定期の日付を指で隠して不正利用した事件を紹介する新聞記事があった。この駅から定期?とも思うが…

 数駅豊橋寄りの中部天竜駅の窓口案内がある。利用者はいるようだ。机のノートにも塩沢集落から最速14分でこの駅まで通ったという記録があった。この記録がどれだけすごいかはあとで塩沢集落まで行って分かった。利用者は少なくても,掲示物は近くの駅と差はなさそうだ。一方で,熊本の利用者は少なくても通学需要があり,車での送迎がされている矢岳はこのような掲示はなかった気がする。東海と九州のポリシーの違いだろうか。
 駅の外へ…

 駅舎内ではこの地区に郵便配達をしている女性が電車を待っているところだった。最寄の民家はここから徒歩20分程度だが,車でのアクセスは不能なのでこの駅と路線の存在意義が感じられた。入口の脇には…

 巣箱があった。
 もう少し離れて駅舎を見てみる。

 黄色の点字ブロックと電線は見えているものの,いつの時代だか忘れてしまう。
 駅前には…

 トイレがある。小便器が壊れていることなどから,個室はとても使えたものじゃないだろうと思い,恐れつつドアを開けると…

 便器もきれいで,消臭剤もあり,手入れがなされているようだった。利用はしなかったが,都市部の駅よりもきれいかもしれない。こういう感じの駅では地域の方が掃除をされている場合があるが,ここの場合近くに人は住んでいないので,誰が掃除をしているのだろうか。
 トイレの建物にも…

 水道がついていて,こちらも水を止めてはいけない。
 トイレの横には…

 建物があった跡が残っていた。
 駅前の風景。

 廃墟がいくつか残っている。坂道も結構急だ。駅内に点字ブロックはあったが,ここから先はない。というよりも,設置不可能かもしれない。

 目的の塩沢集落まで1時間。
(2)へ続く。

(305) 市境(?)大和川 (2)

2010年04月11日 23時30分49秒 | 現在の中の過去
(1)からの続き。

 前回の記事では,大阪市側が住吉区・東住吉区の範囲について記事を書いたので,その東側の平野区の状況を取り上げたい。
 大和川南側の東住吉区矢田7丁目。

 奥に見える近鉄の線路の踏切を渡ると,松原市天美北になる。
 そのまま川沿いに行くと…

 こんな立派な建物が見えてくる。
 川の反対側から…

 環境事業局平野工場(ごみ処理施設)。さらに国道を挟んだ反対側には「リフレうりわり」と呼ばれる温浴施設,温水プールや物産館などの入った大阪市の建てた施設がある。2005年11月とオープンも最近だ。隣のごみ処理場の余熱を利用しているようだ。大阪市の施設があるということで,ここの住所は平野区瓜破南になっている。大和川の南側に公共施設があったことに驚いた。
 この周辺を見てみる。

 奥に見える橋が2つの施設の間を走る国道(内環状線)の橋。この橋を渡ると向かって右手に先ほどの施設が見える。

 川の南側の市境付近には,市が変わったことを示す案内もある。
 住所表記も…

 大阪市のものがしっかり取り付けられている。
 川沿い。







 大和川の川原はグラウンドになっていたりテニスコートがあったりとスポーツ施設になっていることが多い。ここの場合,古そうなタイヤの遊具があったり,真新しそうなタイルが埋められている部分があったり謎の模様が描かれていたりと改良途中のような印象もある。トイレも仮設トイレがいくつか設置されている。川原に住所表記はないが,注意などを示している看板が大阪市や平野警察署の名前で出されているので市が違うことは何となく分かる。

 国道の両側に平野区瓜破南が広がっているが,川原をもうしばらく行くと再び松原市(三宅)になる。三宅中行きの大阪市バスの路線もある。

 しかし,その東側には再び大阪市平野区が大和川の南側に存在している。
 長吉川辺の明治橋という橋があるあたり。

 その対岸も幅は狭いが大阪市が細長く存在する。
 その象徴ともいえる施設がこれだ。

 府立平野高校。
 門の住所を見ると…

 名前どおり平野区だった。大和川の北の平野区には隣の区の名前のつく東住吉高校がある。平野区が東住吉区から分区してできたことによるのだろう。松原市には生野高校(名前の由来は生野区で生野区からの移転。)もあり,このあたりの高校の名前はややこしい。
 そこから東側を見ると…

 学校が見える。平野高校の前の道路を通って正門の前に行くと…

 松原市立の小学校だった。
 この2つの学校は道路に面していない部分で隣接している。道路側は住宅地で市境に道路は走っていない。現地ではほぼ判読不能な境界だ。
 平野高校は4丁目2番地で隣接して民家や事業所がある。
 道路の北側(大和川寄り)が1番地になっている。

 ごく普通の住宅地だ。
 姓入りの案内板もある。平野菜乃花の里というらしい。

 この案内板,よく見ると大阪市住宅供給公社の名前が入っている。市の力がこの飛び地のような場所にも行き届いていることが感じられた。そして,案内板の左上を見ると住所に「4丁目1番」と書かれている。この中に道路もある広い区画の全てが1番地のようだ。
 住所表記も…
 

 他の地区で見るものより,ハイフンが一つ多い。
 大和川の南側ではないが,長吉川辺にはこんな住所表記もある。

 ただの4番地ではなく,北4番地だ。
 住所表記を決める際にも色んな制約があったように感じられる。
 松原市との境界の一つ。

 左側の電柱に青い松原市の住所表記が,左側の建物の壁に平野区の青緑色の住所表記が見える。この間に市境があるのだろう。

 ここより東側でも,北側の八尾市が南側の松原市や藤井寺市に食い込んでいたり,国道170号線の辺りで北側の柏原市の中に藤井寺市が食い込んでいたりという例がある。郵便局の検索地図が中心点の住所も表示してくれるので,その状況が分かりやすい。

 河川改修でできた流れなので市境にもともとの流れが影響したりして複雑になっているのかもしれない。それにしては,川が流れていたとは思えないような境界線もあるので,別の事情もありそうだ。