時戻素

昔の跡,やがてなくなる予定のもの,変化していくもの,自身の旅の跡など・・・

(602) 反対側ののりばが離れたバス停

2011年06月30日 02時06分50秒 | 現在の中の過去

 大阪市の今里筋上にある生野南小学校前バス停。
 北側へ向かうバスののりば。

 名前通り小学校の前にバス停がある。通常道路を挟んだ反対側に南側へ向かうバスのりばがありそうだが,この写真を撮っている場所付近にはない。
 近くの歩道橋に登って南行きのバス停を探してみる。

 奥に見える交差点の向こう側の黄色の矢印の先辺りに南行きのバス停がある。
 南行きの乗り場から北行きののりばの方を見ると…

 歩道橋がある辺りの左手に北行きのバス停がある。隣のバス停のように見えないこともなさそうな距離だ。こちら側ののりばに関しては小学校前という雰囲気が全くしない。
 幅が広い道路なので,停留所のスペースが確保できないわけではなさそうだが,向かい合うように設置ができなかった理由は何なんだろう。

(601) 区を英語にすると

2011年06月26日 05時17分56秒 | Weblog

 東京にある特別区の「区」と政令指定都市にある「区」は別の性格ものであるが,漢字で書く分には同じ表記になっている。住所欄に「区市町村」と書いてあって,それに丸をつけるタイプの記入欄の場合,区に〇を付け「名古屋市中区」と表記する人も見られるが,この場合の区は東京の特別区をさしていることが多いのではないかと思う。
 漢字では同じ区も英訳となると差が表れる。

京都市
 

 英字の部分を見るとそのまま「ku」と書かれている。

大阪市

 区に当たる部分には「ward」が与えられている。

 ただこちらの表示板の場合,どの区も「ku」になっている。

堺市

 この表示の場合,「ward」だ。

 そして,今度は東京の表示。
 

 区に当たる部分の訳は「city」になっている。市の下に置かれた区でない以上,市と同等の機能を果たしているのは事実だ。しかし,英語から日本語に訳す場合は,東京の区なのか市の名前なのかを知らないと正確には訳せないだろう。
 他にも政令指定都市でなくても,兵庫県の姫路市や香美町には住所表記内に「区」の区分がある。同じ言葉でも実態によって意味が変わってるというのはなかなかややこしい。

(600) 【栃茨県境4】 県境上の神社

2011年06月19日 04時26分18秒 | 旅・散策の足跡
【栃茨県境】の記事

1 県境バス停(565)
2 県庁所在地間の公共交通機関移動(578)
3 バス停から県境神社への道(589)
4 県境上の神社(600)
5 不苦労の神社(619)
6 稲荷・亀・杜(631)


※ 写真撮影日:2011年3月5日
※ 今回の記事では境内の中の県境に関わる部分を中心にしています。他の部分についてはまた別の記事で。
 前回記事の道を登りきると…

 鷲子山上神社関連の建物が見え始める。正面に見える食堂から社殿へ向かう方角を見る。

 丁度この通りの付近が県境になっているようで向かって左(北側)が栃木県那珂川町(旧馬頭町),右(南側)が茨城県常陸大宮市(旧美和村)になっている。両県の位置関係から南北方向に走っていそうな県境もこの辺りでは東西方向に走っている。向かって右側の建物の前にある案内札を見ると…

 両県の地名が書かれていた。
 鳥居の方へ少し前進する。

 道の両側に社務所が並んでいる。左側が栃木県,右側が茨城県に属している。
 左側の栃木県側の社務所。

 これに対し,茨城県側は…




 おみくじなどがあるにもかかわらずひとけがなかった。普段は社務所の方はいないのかもしれない。
 栃木県側の社務所で…

 記念に県境のおまもりを購入。「全ての願いを叶える」の言葉から茨城と栃木のパワーを感じた(笑) 
 社務所を後にし,鳥居の下の階段の方へ…

 県境が明示された看板の前に賽銭箱があった。ここを知るきっかけになったテレビ番組では両方の社務所の取り決めで賽銭は栃木県の社務所のものとなっていたような気がする。階段を上り,社務所の方を振り返ってみる。

 当然のことだが,言われなければ県境に気付くことはなさそうだ。
 石畳の道を進んでいくと…

 正面に楼門が現れた。
 この楼門有形文化財にしてされており,そのことが表示されているのだが…
 向かって左側には…

 栃木県の表示が,右側には…

 茨城県の表示がされていた。
 門の中の像。


 上が栃木県側,下が茨城県側。一緒に見ると顔つきに差があるのが分かった。
 この門を抜けると…

 再び階段がやってくる。ふくろうの階段の案内はここでされているが96段の最初は社務所のところから数えているようだ。その階段の途中には…

 富士山が見えるとの案内があった。福島県がだいぶ近い位置になっているが,ここからでも見えるんだと意外に思いながら見た景色。

 自分の目で確認することはできなかった。雲が多いからこの写真にはたぶん写っていないとは思うけれど。
 この付近からさっきの楼門を振り返る。

 階段をほぼ登りきると再び門が現れる。

 この先には拝殿がある。この門の向かって左脇に…

 大きな木がある。この木も県の名木と指定されていて…
 

 茨城・栃木それぞれの案内が立てられている。
 名木を見上げる。



 少し離れたところから見た名木。


 この名木に関しては階段が県境にあると仮定した場合,栃木寄りにある。階段より左に県境があるのか,県境が一定の幅があるものなのか。
 地図上では一本の線に見える県境も実際目の前にするとその姿はよく分からないものだなって感じた。

(599) マンホールが手がかりになる市界

2011年06月16日 05時00分00秒 | 風景

 大阪市,東大阪市,門真市のマンホールの絵柄。
  

 これらの絵柄がこれらの市の界の場所を示してくれている場所がいくつかある。

 東大阪市足代の布施えびすのある商店街の南端から西側へ少し行き,スーパーを過ぎた交差点で足元を見ると,3つマンホールがある。

 広い方の道路に沿って並べられた2つのマンホール。
 手前が東大阪市のものだが,奥に見えるのは大阪市のデザインが描かれている。
 奥の大阪市のマンホールから合流している小さいほうの道の方にもう一つ蓋が見える。

 向かって左側の方は東大阪市のものになっている。
 おそらくこの蓋と蓋の間に市界の線があるということになりそうだ。ただ通り過ぎている分にはなかなか気付かない線だ。


 中央環状線沿いのなみはやドーム付近にも似たような場所がある。
 アウトレットパークの前の横断歩道。



 道路のアウトレットパーク側に門真市のデザインのマンホールが,なみはやドーム側に大阪市のマンホールがある。
 この横断歩道から東側のアウトレットパークの入口の階段の前にある道をなみはやドームの方へ行った中間ぐらいの場所。



 田の端に沿って小さな道があり,その道が道路と交わる場所にマンホールが2つ見える。

 黄色っぽい方が門真市,青っぽい方が大阪市のマンホールになっている。
 都市部の市界は入り組んでいるところも多く,気付かないうちに超えているということが多いが,マンホールの蓋がその線の存在に気付かせてくれるとは思わなかった。

(598) 洋式便器の使い方が分かりません。

2011年06月06日 04時32分48秒 | 過去になる現在

 以前住んでいた家のトイレにも付いていて,つい最近まで疑いもしなかった使い方を東京のホテルで見かけた。

(2011年3月4日撮影)

 この説明によると男子小用は立ってするように説明がされている。
 ただ,最近では男子小用も座ってするという場合も多くなっていると聞く。立ってすると尿が便器の外まで飛び跳ねるというのがその理由だ。パンツ一枚でトイレに入ると足に跳ね返ってきているのが結構感じる。
 こう書くと座ってする方が完全に清潔のようにも思えるが,座ってすることでの別の問題もあるように感じる。便座を介して臀部を別の人のものと間接的に接触させていることだ。(大をすれば同じことにはなるのだが,個人の家のトイレの場合は,緊急事態を除いて大をするのははばかられることも多いと思う。)
 自分自身は跳ね返りも便座の接触も気にはならないという超がつくぐらいのいい加減なタイプなのだが,人の家にいくと事情が変わり,洋式便器が普及しているこの時代においても洋式便器の使い方が分からないとかいう事態に陥っている。かといって,部屋の持ち主にいちいち確認するのも変な感じがする。確認してどっちでもいいというのもそれはそれで困ったりする。その人のやり方に合わせるという方法もあるが,公共機関のトイレなどでは小便器があるので,よく知っている相手でも洋式便器で小をどうしているかは知らないのが普通のようにも感じる。
 人がしているところを見ることのない行為でかつ尿という掃除の時に厄介になる汚れを生み出す行為だけにどうするのがいいのかは今後も悩んでしまうんだろうなって思う。

(597) 移転後の旧庁舎

2011年06月05日 23時35分25秒 | 過去になる現在

 東大阪市の八戸ノ里(やえのさと)駅を南に行ったところに…

(2009年7月26日撮影)

 布施高校前の路上の駐輪場の横に工事現場があった。
 現在ここには…

(2010年11月1日撮影)

 移転してきた布施警察署の庁舎が建っている。

 ここに移転する前は,ここより南西側にある俊徳道駅の近くに庁舎があった。

(2009年10月10日撮影)

 業務が行われていた頃の庁舎。

(2009年7月29日撮影)


 新しい庁舎に移転が終わった後には…

(2011年1月3日撮影)

 工事現場で見かけるような仮設の柵で敷地内に入らないようにされていた。
 このままの状態が続くか,壊されるかどっちかだと思っていたが,この前ここに来ると…

(2011年5月30日撮影)

 建物はそのままだったが,簡単な柵が有刺鉄線つきの金網になっていた。入ってはいけない場所なのは当然だが,ここまでガードが固くなると敷地内に何かがあるのではないかと思ってしまった。寝床にされているようにも思えないし…(ただその場面を見ていないだけかもしれないが。)