時戻素

昔の跡,やがてなくなる予定のもの,変化していくもの,自身の旅の跡など・・・

(No.115) 県庁跡

2009年03月28日 14時34分34秒 | 現在の中の過去
※ パソコンの不調により28日に投稿できなかった記事です。とりあえず写真だけ載せてあります。
2009年5月26日文章追加。

現在の水族館口電停。

(2009年2月9日撮影)

 以前の名前は「県庁跡」,県庁が鴨池に移転するまでは「県庁前」だった。

 県庁跡地に建ったのは・・・

(2008年12月31日撮影)

 県民交流センターだ。

 その前には確か農協の経営しているレストランのある建物がある。


(2008年12月31日撮影)

 この建物が旧県庁の本館らしい。
 小ぶりなので,旧県庁本館の表示を見て驚いた。
 
 県民交流センターの入口のドア。

(2008年12月31日撮影)

 一時期,問題が多発し,ほとんど姿を見なくなった回転ドアがまた残っていた。

 県庁がここにあった時代には物心はついていたわけだが,ほとんど用はなかったため印象は薄い。

(No.114) 新旧混在

2009年03月26日 21時46分02秒 | 過去になる現在
 所属していた学部の建物の半分が改修されている。
 先日大学へ行くと,工事がほぼ終わっていた。


(2009年3月17日撮影)


 古いほうから新しい方を見た写真。
 明るさがかなり違って見える。

 数日後,柵がなくなり,通行が可能になった。


(2009年3月25日撮影)


 部屋のドアもかなり違った印象になった。

 小中大と建物の改修時期に在籍していた。高校も卒業後に改修が始まったので,改修とは縁のある世代なのかもしれない。

 耐震強度などの問題から改修は今後も進んでいくだろう。昔のタイプの学び舎というものは,案外すぐに見られなくなるかもしれない。

(No.113) 閉ざされた校門

2009年03月24日 03時59分34秒 | 現在の中の過去
 ある鹿児島市内の中学校の校門。

(2009年3月2日撮影)

 どこの学校にでもありそうな風景だろう。

 しかし,この中学校の前を以前通った時はこのような風景ではなかった。


 門扉が設置されず,柵があるのみだった。
 

 大阪の池田小の事件以来,学校の校門は閉めておくのが普通になりつつあった。地域の人々が入りづらくなってしまうなどの問題点はあるものの安全を守るためには仕方がない決断だったのだろう。

 この中学校は,中心部の学校が校門を閉じ始めてかなり経ったときも門扉がないままだったので大丈夫かなでもそれだけ安全ということなのだと考えていた。

 今回のこの現状を見て,この学校でも安全性の確保が図られたのだろうと感じた。

 同じ名前の小学校も門扉がないようだ。そちらは,大名関係者の仮屋跡ということで風格のあるつくりになっているようだ。小学校と中学校を勘違いしていたため,小学校の写真は撮れず,実物を確認してもいない。



 次の写真はプロフィールにも使用しているある島の砂丘だ。

(2008年3月22日撮影)

 この砂丘の柵に挟まれたところを登っていくと,次のようなところへ着く。
 

(2008年3月22日撮影)

 その先は・・・






 中学校だった。

 春休み中であり,生徒達は部活をしていた。


(2008年3月22日撮影)

 砂丘から入る門だけでなく,上の写真奥の車が停めてあるところにも門がある。こちらは道路に面している。

 砂丘を登る入り口に門扉はない。
 砂丘の先が学校につながっているとの案内もない。
 何も知らずに気がついたら学校の敷地内だった。
 
 学校へ迷い込んだ見知らぬ人間に対しても,先生や生徒は挨拶を返してくれた。

 それだけ安全で地域の力も強いのだろうと感じた。


 門が閉まっていても,簡単に開けられるようになっていることは多い。それでも門を開けるのには勇気がいる。卒業した学校などに近くを通ったら遊びに来るように言われていても,入りづらさを感じたことも多かった。それは門を(施錠せずに)閉めておくだけでも,不審者の侵入を減らすのに効果があることを示しているといえるだろう。




 今回取り上げた2つの中学校に関わった方が周りにに多く,偶然にも飲み会で校門の話題で盛り上がったことが何度かあった。不思議な縁がありそうだ。

(No.112) みなみえき

2009年03月22日 23時56分30秒 | 現在の中の過去
最近画像だけ掲載の記事が続いてしまっている。文章の更新はまたしばらくしてになるような気がする。ここ2週間のうちの半分近くは県外にいた。行きは高速バス,帰りは18切符で普通列車乗り継ぎで鹿児島,大阪の往復を2回した。四国に初上陸したが,東日本へは小6のとき以来行ってないままだ。こちらのことについてもいずれ記事を書きたい。反対に鹿児島県内の行きたいところへはなかなか行くことができなかった。

 今回は,2度の旅のスタートであり,ゴールにもなった駅について記事を書きたい。この駅は自宅の最寄り駅でもあり,よく利用している駅だ。

 駅の近くの団地へ向かう陸橋から駅全体を見てみる。

(2009年2月16日撮影)

 市電の電停とJRの駅とが隣り合っている。
 陸橋は市電の線路まで越えてしまうので,駅へ行くには市電の踏切を渡る必要があり,さらに駅のホームへ行くのにも踏切を渡らないといけない。この2つの踏切には,他の踏切にはなかなか見られない設備?があるが,別の機会に取り上げたい。

 市電の電停。

(2009年2月19日撮影)

 上下のホームは線路の向かい側にあるが,踏切の位置などから行き来には時間がかかる。また郡元方面へのホームは踏切の手前にあるため,電車が停まっている間も踏切が閉じたままだ。反対側に入口がないため,電車が近づく前に踏切を越えなければ,目の前に停まっている電車に乗ることができない。何度もその悔しい思いをしてきた。


(2009年2月19日撮影)

 谷山方面行き(1系統)の最終電車。23時ごろに電停を通過する。
 この系統の終電は遅いが,中央駅方面の2系統は22時過ぎには終電になってしまう。
 柱には古そうな前後の停留所名を示す看板(?)がついている。


 市電の踏切を越え,坂を登るとJRの駅舎がある。


(2009年2月19日撮影)

 入口上にステンドグラスが付けられている。鹿児島の駅はステンドグラスを利用しているところが結構ある。鹿児島のイメージにあうものなのだろう。
 この写真は23時頃に撮ったものなので駅員がいないが,21時ごろまでは駅員がいる有人駅だ。

 改札を抜けると踏切になっている。今は警報機と遮断機があるが,かつてはどちらもなく,駅員が列車が近づくと渡らないように乗客へ案内していたか,完全に客が判断して横断する必要があったのかまでは覚えていない。

 踏切を渡ったところから陸橋の方を見てみる。


(2009年3月17日撮影)

 右側の線路の奥に少し高くなっている場所がある。

 駅の外にある歩道橋からその高くなっている場所を見てみる。


(2009年2月16日撮影)

 これはかつてのホームの跡らしい。
 現在は金網の門があり,ホーム跡へ行くことはできない。

 このホーム跡と線路を挟んだ反対側にはかつては木造の家があり,老朽化のためにお○け屋敷のようになっていた。壊されたのはだいぶ前だった。
 
 市電もJRも何度も利用している駅であり,それなりの思い出もあるはずなので,また機会があれば記事で取り上げたいと思う。

(No.111) 【遡上】 稲荷川編 ~その2~

2009年03月20日 23時59分59秒 | 遡上
【遡上・稲荷川】の記事一覧
その1 その2 その3その4


なかなか写真を撮りにいけず,その1(No.18)から約100個近く記事があいてしまった。先日,源流まで遡れたので少しずつ書き進めていきたい。

※ とりあえず写真のみ。文章はまた後日。
※2009年5月25日文章追加。

 大乗院橋の上から上流方を見る。

(2008年5月25日撮影)

 清水中があるところにかつては大乗院という寺があった。
 中学校の門の前に稲荷川の案内板がある。

 中学校の前の道を上流のほうへ向かうと稲荷神社が見えてくる。

(2008年12月31日撮影)

 稲荷だけに狛犬が狐になっている。

 吉野へ向かう陸橋から見た稲荷川。

(2009年3月4日撮影)

 右側に見える高台にかつては神社の鳥居があったように思うが現在はなかった。
 先述した中学校前の案内板にも水神様と紹介されているが,今は跡形もない。
 おそらく,このあたりも再開発でもされるのだろう。

 その水神様があったとされる辺りから上流を見てみる。

(2009年12月30日撮影)

 ここから先は工事現場のようになっている。先には水道関係の施設があって,その奥へは進めない。

 JRのトンネルの上の道を登っていく。自転車を押したり,こいだりする場合はここしか道はない。急な坂道を登りきるとループ状の県道の途中に着く。
 その脇に浄水場の施設がある。


(2009年3月4日撮影)

 施設のことはよく分からないが,芝生とその奥に見える鹿児島市街地がきれいだ。

 県道の沿いに滝之神浄水場の入口がある。
 

(2009年3月4日撮影)

 浄水場は標高の高い位置にあるが,下を流れる稲荷川から取水している。

 道路から鹿児島市街の方を振り返る。

(2009年3月4日撮影)

 この下の谷を稲荷川が流れている。

 滝之神のバス停を通り過ぎ,雀ヶ宮バス停につく少し前(確かラーメン屋のあるあたり)を左側の住宅地の方へ行くと滝之神公園がある。

(2009年3月4日撮影)

 遊具も古そうだ。

 ここから崖の方を見ると下に何かが見える。

(2009年3月4日撮影)

 先程の滝之神浄水場の取水地のようだ。
 建物はかなり古いもののようで近代土木遺産に指定されている。国土交通省吸収整備局のページに記載されており,昭和10年完成の全てが石でできた水道施設と紹介されている。名称は「滝之神水源地 第一浄水場集水池(上屋)」となっている。施設までの道はロープでふさがれているので近寄るのは厳しそうだ。

 その先の大明ヶ丘団地と東坂元を結ぶ橋の上から見た稲荷川。

(2009年2月18日撮影)

 この木々の下を川が流れている。

 実方神社付近から新実方橋を見る。

(2009年2月18日撮影)

 この橋ができる前の旧道が残っている。
 
 前半で書いた稲荷町の坂道を知る前は自転車で吉野に行くには東坂元経由でここから来るしかないと思い込んでいた。今考えるととんでもない遠回りだ。

 この神社の前の道を行くと関吉の疎水溝跡が見えてくる。

その3へ続く。

(No.110) 船小屋

2009年03月18日 23時59分59秒 | 過去になる現在
九州新幹線鹿児島ルートの筑後船小屋駅(仮)の建設予定地周辺を船小屋駅から瀬高駅まで歩いてみた。

※ とりあえず写真のみ投稿。
2009年5月25日文章追加。

 在来線の船小屋駅。

(2009年3月12日撮影)

 結構小ぶりな駅舎で無人駅で,さらに快速も通過してしまう駅で,新幹線駅が設置されるとは考えがたい。
 この日,この駅で降りたのは自分だけだったが,別の日には久留米から一緒に乗車した男の子が降りていた。とりあえず,利用者は少ないようだ。


(2009年3月12日撮影)

 駅前の道路。
 新幹線の高架がどんどん作られているが,車はたまに通る程度だ。
 筑後市の中心部は隣の羽犬塚駅周辺のようだ。

 駅からしばらく(約500m)南へ行くと・・・

(2009年3月12日撮影)

 高架以外にも何か作られそうな雰囲気だ。
 ここが新幹線駅の建設予定地なのだろう。

 新駅舎とは反対側の風景。

(2009年3月12日撮影)


 右手の線路奥に歩道橋のようなものが見えるのが,現在の船小屋駅だ。

 2年後にはこの場所に新幹線が停まるようになるとはにわかに信じがたい。

 さらに南へ行き,矢部川にたどりつく手前には新しく公園が建設されている途中だ。

(2009年3月12日撮影)

 サッカーの練習が丁度行われていた。
 新幹線駅開業に向けての動きのようだ。
 先述の男の子も服装から判断するとこの公園に行っていたのかもしれない。

 公園端を在来線が通っている。

(2009年3月12日撮影)

 古くからありそうな橋の上を列車が通っていく。

 公園の男子トイレ。
 扉に鍵がかかるようになっていたので,大便器のみがあると思うと・・・


(2009年3月12日撮影)

 中には小便器が一つあるのみだった。
 広々としたトイレだが,何か意図があるのだろうか?スポーツの試合などで大人数が使うことを考えたら,小便器の数を増やした方が得策だとは思うが・・・

 橋のようなものが見えたので線路沿いに川の方向へ行くと・・・


(2009年3月12日撮影)

 まだ人道橋は架かっていなかった。

 他の橋もまだ工事中で,公園外に出て大きな道路の橋を渡って川の向うのみやま市に行くことになった。相当の遠回りだった。最終的にどこまで橋が整備されるのだろうか?

 その橋の上から建設中の船小屋駅を見る。


(2009年3月12日撮影)

 かなり遠くに見える。一つ前の写真の在来線の橋が見えないことから,先程の地点からはかなり離れていることが分かる。列車を1本遅らせたが,次にも遅れそうな時間になっていた。瀬高駅の場所も大体しか把握していないので,ここから走ることになった。年度末で工事も多く,簡単にはたどり着かなかったが,列車到着5分以上前には駅に着いた。
 この瀬高駅には特急も停車する。羽犬塚も同様だ。そう考えると2つの特急停車駅の中間に新幹線駅ができるのもどちらかに極端に寄るよりは平等なのかもしれない。
 それでも,新船小屋駅(仮)が政治家MK氏の影響が全くないとは思えない。

 このような場所への新幹線駅の建設には失敗例だけでなく,成功例もあるようなので,開業後どちらになるのか楽しみだ。

(No.109) 自転車等駐車場

2009年03月16日 09時56分39秒 | 現在の中の過去
 環境問題(真偽は別として)などから自転車が見直されている。また,放置自転車も増えており,その対策も行われている。自転車に対する扱いもいろいろ変化してきた。今回は自転車をめぐる変化のうち駐輪場について考えていきたい。なお,タイトルの自転車等駐車場だが,行政などが管理しているものはこのように表記されている。法律上は駐輪場という言葉は存在しないのだろう。


 宇宿駅の駐輪場。市の管理であるが駅のホームに沿ってスペースが設けられている。

(2009年2月21日撮影)


 先日開業した広木駅の駐輪場。

(2009年3月14日撮影)

 同じく市の管理であり,自動二輪,原付,自転車ごとにスペースが異なり,ラインも区別されている。

 以上に挙げた2つの駐輪場はいずれも無料の駐輪場だ。しかし,放置自転車が増えていく中で,駐輪場を整備したり,管理人の人件費が必要になったりするなどを背景にして有料の駐輪場が増えてきている。

 有料の駐輪場は有人のものが多かったが,最近は無人でも機械管理ができるようになってきた。その種類をいくつか見てみたい。

 鹿児島市の中町の駐輪場。

(2009年2月9日撮影)

 管理人のいる駐輪場だが,入口の自動券売機で券を購入後,入場する仕組みになっている。

 大阪市の高速の高架下の駐輪場。

(2009年3月10日撮影)

 管理人もおらず,機械も設置されていない。誰でもただで停められそうだが,定期利用者用となっており,自転車に付けられたシールで利用者であることが示される。また,停めるブロックもシールに記されている。

 今の2つは完全な機械管理とはいいがたい。
 次は機械の種類を見てみたい。


(2009年3月10日撮影)

 チェーンを自転車のハンドル部分をとりつけ,チェーンの先を機械の穴の中に入れるタイプ。チェーンの付け方を誤魔化すこともできそうだが,巡回員が発見次第施錠装置に取り付けると書かれている。原付などはこのタイプであるものが多い。


(2008年11月14日撮影)

 自転車の前輪を枠に入れると奥にあるスイッチが押され,爪が出てくるタイプ。この爪は料金を清算することでロックが外れる。他にも自転車を載せると床が落ち,爪が現れるタイプもある。先ほどのチェーンよりは不正駐輪は減るかもしれない。

 コインパーキング同様,自転車の施錠装置も開発されている。

 有料駐輪場により,放置自転車対策をしているが,設置場所によっては雑然とした印象を取り払えなかったものもある。

 鹿児島中央駅の駐輪場。

(2008年11月14日撮影)

 ビルの影にあるので,道路が狭苦しく感じることもない。
 駐輪場所により清算機がかなり離れるのは不便だ。


 小倉駅の地下の駐輪場。

(2009年3月11日撮影)

 通路の脇に置かれているため狭苦しく感じてしまうが,設置場所がなかったのだろう。機械がある場所にしか停められない分,まだ雑然とした印象になるのを防げているのだろう。

 佐賀駅の駐輪場。

(2008年9月10日撮影)

 道路に沿うようにして設置されている。
 列車待ちの間に改札外へ出たのだが,もう少しいい場所に設置できなかったのかと思うような印象だった。それでも並んでいるだけマシなのだろうが・・・


 自転車を停めるのも有料というのが当たり前になろうとしている。
 料金は100円から150円というのが相場のようだ。清算機に両替機がついていたり,お釣りが出るタイプはいいが,丁度入れないといけないものもある。


(2009年3月10日撮影)

 大阪のある駅前のものだが,100円玉と50円玉がそれぞれ1枚ずつ必要になる。しかも,周囲に両替機は見当たらなかった。200円にされるよりはマシなのだろうが,50円玉ってもってない時にはもってないものだよなと面倒臭さを感じた。
 料金は1回ごとにかかり,所定の時間を超えるとさらに料金が追加される。1日有効にしないのは近距離の移動は極力歩かせる目的もあるようで,近くの方は歩きましょうと記されている案内板もあった。自転車に求める移動距離も変化してきそうだ。

 これらの機械にはエコサイクルのような名前をつけている駐輪場もある。自動車を使うよりも自転車は環境に優しいという意図なのだろうが,駐輪場の機械に24時間通電していることを考えると本当にエコなのかと思うところもある。

 自転車の管理には金がかかるのも事実だろう。だからといって有料化が当たり前になっていくのもいかがなものかと思うところもある。自転車は交通弱者にとっての移動手段である場合もあるからだ。自転車は自動車と比べれば桁違いに安いし,免許無しで(年齢制限なしで)誰でも乗ることができる。つまり,子どもでも利用できる。今の子どもが金を持っているというのも事実かもしれないが,それが全員に当てはまるわけではない。遠乗りや町へ出かけるのを阻止することもできるのだろうが,交通費を抑えるために自転車を使う人もいる。1回100円という値段も,最低賃金で10分程度働いて稼げる金額と考えると釣り合いがとれるのか疑問に思うときもある。必要な部分はしかたないが,必要のない部分までの有料化は慎重にしてもらいたい。駐輪機械についても入庫と同時に赤ランプが点灯し,ブザーがなるなど不必要な演出をするものもある。今は環境整備のためかもしれないが,そのうち駐車場のように儲かるからの発想での経営も出てきそうだ。土地所有者が土地をどのように使うかは自由なのだけれど・・・

(No.108) 広木駅

2009年03月14日 19時48分00秒 | 現在の中の過去
 今日,開業となった広木駅。かなり前から設置の要求は行われていたようだが,本格的に工事が始まったのは昨年からだ。

 星ヶ峯一丁目の高台から駅全体を見てみる。


(2009年3月14日撮影)


 周囲には民家が数件と脇田川が流れている。
 しかし,そこそこ歩くと,星ヶ峯団地の入口や田上台へ着く。
 
 駅前広場にはバス停が設置され,それらの団地からバスで駅まで来ることもできる。しかし,駅で降りずに団地内からそのまま目的地までバスで行ったほうが便利との意見も聞いた。
 駅前の広場はJRではなく,鹿児島市の管理のようだ。

 駐車場は30分前無料で,それ以降6時間ごとに100円という料金体系になっている。無人駐車場で機械が管理している。

 バス停,タクシー乗り場に加えて,送迎用の自家用車乗り場も駅前広場に設置されていた。

 駅のホーム。

(2009年3月14日撮影)

 下り(鹿児島中央)方面のホームは斜面の下にある。川内でいったん鹿児島本線が切れてしまうので川内の方が上りになるのにも少し違和感があった。

 奥のホームには駅の脇にある踏切を渡る必要がある。

(2009年3月14日撮影)

 特急列車が走らなくなったためかバリアフリーに対応するためか階段を登る必要なく,列車に乗れそうだ。列車が来る方向が表示されたり,「旅客通路踏切」と名づけられているなど他の同じような踏切を持つ駅とは違う印象だ。上りホームに列車が停まっている間はずっと踏切は封鎖されたままのため,停まっている列車を待たなければならない。

 広木駅の駅名の看板。

(2009年3月14日撮影)

 名物のイラストは描かれていない。

 この駅ができたことでこちらの方も隣駅の表記が変わったのだろう。

(2008年11月14日撮影)


 中央駅の隣駅が10km離れた上伊集院駅から5km程度の広木駅に変わったことで市内から伊集院や川内方面へのアクセスの変化するだろう。初日ということで人も多かったのだろうが,今後の利用者の推移はどうなるだろうか。

(No.107) 懐かしいもの

2009年03月12日 02時30分23秒 | 現在の中の過去

部屋の掃除をしていたら出てきたもの。

(2009年3月3日撮影)

 左上は、瓶の飲み物のふたの裏につけられていたポイント。これをはがきに貼り付けて応募する仕組みだったと思う。今はシールになっている。

 右上は缶の飲み物のふただ。
 今は外れないようになっている。さっき書いたポイントも缶の飲み物の場合はここに印字されていた。

 最後に下。
 ビービー弾と呼んでいたよう泣きがする。以前は公園などでよく見かけていたが最近は見なくなった。色も黄色のほかに白やオレンジのものもあった。さらに透明もものもあり、「ぴか」などといって集めていたように思う。
 拾って集めたものが出てきた。


(2009年2月19日撮影)


 これでもほんの一部に過ぎない。本来の遊び方も未だに分からないのに何のために集めていたのだろうか。

(No.106) 新照院散策

2009年03月10日 00時00分00秒 | 旅・散策の足跡
3月16日文章追加。

 新上橋近くのJR鹿児島本線と国道3号線の交点。

(2008年11月11日撮影)


 列車の中から伊敷方を見てみた。


(2007年11月13日撮影)

 
 城山観光ホテルの駐車場へつながる道がJRのガードの脇にある。
 そこをホテル駐車場のほうへ行かずに線路沿いへ行くと線路を渡る歩道橋がある。そこからの風景。

(2009年2月20日撮影)

 列車は城山の下を通り鹿児島駅の方へ向かう。このトンネルの反対側の出口には敬天愛人の文字がある。

 歩道橋を渡り,民家の中を城山の方へ上っていく。

(2009年2月20日撮影)

 なかなか雰囲気のある道だ。

 その道を進んでいくと階段がある。
 階段を登ると城山に着く。この階段の脇に白いプレートが見える。

(2009年2月20日撮影)

 プレートには「ここは新照院町無言坂」と記されている。無言で登る坂なのだろうか。

 階段を少し登ったところから今来た道を振り返る。

(2009年2月20日撮影)

 個人的に好きな風景の一つだ。

※ 以後,約2年後に書いた
この記事と場所が重複。
 国道3号の方へ戻り,伊敷方へ少し進む。
 
 国道の脇に斜面が迫ってくる手前で,城山方を見てみる。

(2009年2月20日撮影)

 階段があり,その上に何かが見える。
 階段を登りきると・・・

(2009年2月20日撮影)

 道が二つに分かれる。
 片方は先ほどの無言坂のほうへつながっていく。
 もう片方の道を行くと・・・


(2009年2月20日撮影)

 公園があった。
 
 この公園の遊具,結構古そうだ。

 この公園は国道3号からも見えている。

(2009年2月20日撮影)

 しかし,下から見るだけではどのようにしてアクセスするのかあまり分からない。場所の狭いところでは公園の場所を得るのも大変そうだ。

 公園から国道の方を見てみる。

(2009年2月20日撮影)

 普段なかなか見ることのできない角度から3号線を眺めることができる。

 3号線を通るだけでは見落としがちな場所だが,興味深い風景がいくつもあった。