時戻素

昔の跡,やがてなくなる予定のもの,変化していくもの,自身の旅の跡など・・・

(504) 【虎の山2】 虎尽くしの観光地

2010年12月31日 04時44分53秒 | 旅・散策の足跡
【虎の山】の記事

1 (503) 虎のケーブルカー
2 (504) 虎尽くしの観光地
3 (614) 人は通れない道路
4 (632) 寺にたどり着くまで


※ 写真撮影日:2010年12月29日

 前回の記事のケーブルからバスに乗り継ぎ,終点の信貴山門まで。(運賃:大人240円 この日はセットになっている企画券を使用した。)
 その後は信貴山を朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)を中心に歩き回った。今日が平成22年の寅年の最後になるので,今回は信貴山で見た虎を中心に虎尽くしの記事で2010年の記事を締めたい。

 降りた信貴山門バス停。

 バスが転換するスペース内に待合所がある。中にはトイレも併設されている。しかも水洗。その待合所の中にあったポスター。

 平成遷都1300年祭のものだった。他のポスターは飽きるぐらい見ていたが信貴山のものを見たのは初めてだった。
 バス停から寺の方へ向かうと…

 張子の虎が描かれたお寺の案内があった。
 さらに進んでいくと,骨董屋のようなものが見え,そこには・・・

 虎の置物が置かれていた。
 旅館の前を通り,大門池のほとりへ到着。池を渡る橋の入口には・・・

 虎の柵があった。
 国の登録有形文化財にもなっている開運橋を渡る。その橋の欄干を見ると・・・

 ここにも虎が描かれていた。
 反対側を見ると…

 信貴大橋が見えた。向かって奥の橋の入口に何か白いものが見える。
 あとで,近寄ってみると・・・

 白虎だった。遷都1300年祭で信貴山が西方の白虎の位置づけになったという解説が書いてあった。
 開運橋を渡りきると…

 観光案内所があり,そこの入り口も虎のキャラクターしぎとらくんが迎えてくれた。その近くには…

 信貴山の地図と共に信貴山と虎の関わりについての解説があった。聖徳太子の時代まで歴史がさかのぼるようだ。
 鳥居をくぐり,道なりに行くと…

 世界一の福虎が現れた。その虎の向こうには…

 お寺の本堂がかなり高いところに見えた。この福虎,中央を見ると階段がついている。

 ちょうど腹のところに穴が開いている。この穴の正体はおそらくさっきの入口の授与所のようなところで見た…

 このポスターと関係していそうだ。12年後の寅年へのタイムカプセルとなっている。
 福虎の隣には…

 小さな二匹の虎と千両箱があった。何となくかわいい表情に見えた。
 境内を進み千手院の方へ。

 建物の壁に「三虎の福 胎内巡り」と書かれている。その下を見ると虎のような縞模様が見えた。少し近寄ってみると…

 結構体の長い虎がいるようだ。顔の方へ行ってみる。

 口から中に入れるようになっているようだ。中へ入ってみる。

 外から見ると狭そうだが絵馬がかけられていたり仏様がいらっしゃったりする空間になっていた。
 反対側の出口。

 同様に虎の口から出ることになった。この虎のトンネルの上には…

 小さな虎が乗っていた。

 また,千手院の入口付近には…

 ゆめかなう堂があり,中には今年の干支の虎と来年の干支であるうさぎのなでる像があった。

 またしばらく境内を歩き,玉置院の方へ。前を通り,融通堂の方へ登ろうとするとこんな像を見つけた。

 萬願之虎。口に何かをくわえている。見てみると…

 1億円だった。
 途中で見かけた堂にかかっていた提灯も…

 虎のイラストが描かれていた。

 その後,山の上にある空鉢護法を経由し,さらに奥の院へ行き,その後またこのお寺に戻ってきた。行き損ねた本堂へ行くと…

 今月の寅の日の案内があった。訪問日の翌日が寅の日だったようだ。

 他にも何ヶ所か見てはいるが,そちらに虎は出てこないのでまた別記事で書きたい。


 寅年も今日で終わりですが,もしこの記事を見てくださっている方,ご訪問有難うございました。自己中心的な内容のブログですが,アクセス数が増えていくのが更新の原動力となっています。よいお年をお迎え下さい。来年も良かったら訪問をよろしくお願いします。

(503) 【虎の山1】 虎のケーブルカー

2010年12月30日 06時54分02秒 | 風景
【虎の山】の記事

1 (503) 虎のケーブルカー
2 (504) 虎尽くしの観光地
3 (614) 人は通れない道路
4 (632) 寺にたどり着くまで


※ 2010年12月29日撮影
 寅年ももう終わりということでトラに関わるところということで信貴山へ行ってきた。大阪側から高安山へ登るためのケーブル乗り場のある信貴山口駅。

 全体が屋根で覆われていて,何となく山小屋のような印象を受けた。

 電車の線路はここで終わっている。ここまででも結構急傾斜のように感じた。

 線路の終わりを右手に曲がるとケーブルのりば。
 奥にはケーブルの仕組みが解説されている。
 ケーブルに行く前には・・・

 ケーブルカーでは使えないカードの案内があった。いったん精算しないといけないようだ。その一方で…

 この駅の改札は全て自動改札だった。
 ケーブルのホームの方を見ると・・・

 しぎとらくんのイラストが迎えてくれた。途中に駅のトイレがあったが,汲み取り式だった。
 ケーブルカーの車体も・・・



 トラのラッピングがされていた。行きの帰りで別の名前がついていたが何が違うのかは分からなかった。
 ホームの端から進行方向を見る。

 傾斜のきつさを感じた。
 車内。



 天井は透明になっていて,空がきれいだった。
 
 信貴山口駅から少し登っただけで…

 十分景色が良かった。ケーブルカーだが踏切があり,線路を渡れる場所がある。

 2つ目の踏切を越えると景色もさらに開けてくる。

 その後線路はカーブし,見える範囲も少し変わる。
 その先で…

 対向車両とすれ違った。その上には…

 短いトンネルがあった。
 7分間のケーブル移動も最後のほうになると傾斜もさらに急に感じた。はじめでも十分見ごたえのあった河内平野の景色も…



 さらに広々と見えるようになってきた。
 高安山駅。

 ケーブル線路の終わり。

 ここでケーブルを巻いてケーブルカーを動かしているようだ。
 改札口。

 さすがに自動改札はなく,係員もジャンパーが制服になっていて,雰囲気も違った。 向かい側のホームの入口。

 閉鎖されていた。のりばとおりばを分ける必要も普段はないのだろう。
 駅前は…

 バスのりばがある。道路は有料道路で歩行者の通行はできない。ハイキングコースにはつながっていそうだが,バスに乗る以外にこの駅に来た乗客が抜けることのできる道があるのか分からなかった。
 駅の脇から見た下の景色。

 ここでも十分だが,すぐ横の高台に展望台があった。
 バスはすぐに発車しそうになかったので登ってみた。





 じっくり見ることはできなかったが,,見知らぬ地の山に登って普段いる場所を上から見るのはまた違った。

続きはこちらの記事で。

(502) 北口の変化

2010年12月29日 03時55分38秒 | 過去になる現在

 大阪市のJRの平野駅の北口。エレベータ設置工事が最近になって進んでいて,この2年ぐらいの間に入口の雰囲気がだいぶ変わっていた。
注:良く行く場所ではあるのですが毎日行っているわけではないので,写真の進度と実際の工事の間隔には差があります。


(2009年4月1日撮影)

 4ヵ月後になると・・・

(2009年8月1日撮影)

 さらに3ヶ月…

(2009年10月30日撮影)

 また3ヶ月…

(2010年2月12日撮影)

 エレベータはついているが,駅前はまだフェンスが残っている。
 さらに3ヶ月ぐらいが経ったときには・・・

(2010年5月23日撮影)

 今まで常に工事中という感じの入口だったので,フェンスがなくなるとかなり広々と感じた。エレベータ設置とはいえ,階段の付替えなどもしているので規模の大きい工事に感じた。この駅の変化はここ以外にもあり常に何かが変わっている印象をもっている。

(501) 見なくなったマーク

2010年12月28日 23時30分51秒 | 過去になる現在

 写真の整理をしていたら懐かしいマークが出ていた。

(2009年3月18日撮影)

 すかいらーくのマーク。地元ではガストへの移行が早々と終わってしまったので大阪にまだ残っているのを見て懐かしさを感じていた。

 梅田付近の別の店。

(2009年9月21日撮影)

 すかいらーくとしての閉店ののぼりが出ていた。
 今は両店舗ともガストになっている。ガストの方が低価格路線であることはニュースで移行を知るまで知らなかった。

(500) 町の変化(天王寺駅前)

2010年12月26日 04時29分51秒 | 過去になる現在

 大阪市の天王寺駅前,最近急速に変化している阿倍野再開発に隣接していており,こちらの変化も進んでいる。常に工事をしているような状態だ。この約2年ぐらいの間の変化をいくつか並べてみたい。

1 近鉄百貨店(阿部野橋駅)。
2009年3月10日


2009年10月3日



2 駅の隣の建物。
2009年10月3日

2010年12月18日



 ここに日本一の高層ビルが建設される計画があるとか,それが打ち切りになったとか。色々噂は聞くのだが,今後何が建つのだろう。ネット界隈を見る限りは300m級のビルが5年後ぐらいに立つようだ。日本一の超高層ビルが建つ場所としては台地上の狭苦しい場所のような気もする。


3 歩道橋の上り口
2009年12月29日


2010年1月27日


2010年6月12日


 
 この階段も・・・

(2009年12月29日撮影)

 歩道橋にしては立派な印象があった。しかし,駅前にしてはこの歩道橋はふさわしくないということでどこそこで見られるようになってきたペデストリアンデッキに生まれ変わる予定だとか…
 その殺風景ともいわれたりする歩道橋の景色。

(2009年8月17日撮影)



(2009年9月18日撮影)


 この交差点,歩道橋には自転車が登るためのスロープはないし,下に横断歩道もない。自転車で来る場合かなりの遠回りを強いられる。人が多いところなので自転車には着てもらいたくないのが本音だろうが,大阪でそれが通用するはずがない。車道を自転車で渡る人も結構見るので何らかの改善がされればと感じる。


 阿部野の再開発も開始からだいぶ経っているし,バブルの崩壊の影響で途中で計画が止まったとかも聞いたことがある。それが急速に進み始めた今後,この風景もさらに変わっていくだろう。

(499) 【H22春・18きっぷ】3-3 会社が違えば訳も変わる。

2010年12月25日 05時33分29秒 | 旅・散策の足跡
【H22春・18きっぷ】の記事一覧

【480】 1日目-1(3月20日) 大阪~豊橋
【481】 1日目-2(3月20日) 豊橋~小和田
【483】 1日目-3(3月20日) 天竜峡~東京
【484】 2日目-1(3月21日) ダイヤの乱れた朝
【485】 2日目-2(3月21日) 何とか目的地へ
【486】 2日目-3(3月21日) 唯一の待ち合わせを経て
【487】 3日目-1(3月22日) 焼きそばには早すぎた
【488】 3日目-2(3月22日) 長い静岡からの脱出
【499】 3日目-3(3月22日) 会社が違えば訳も変わる。


3月22日行程
沼津 7:51
富士 8:12
8:26
富士宮 8:44
9:40
富士 9:58
10:17
島田 11:19
11:29
金谷 11:34
11:54
浜松 12:33
12:43
豊橋 13:17
13:21
金山 14:07
14:38
名古屋 14:41
18:30
米原 19:38
19:56
新大阪 21:13



※ 写真撮影日:2010年3月22日撮影
 豊橋駅を出た後は快速で名古屋の方へ。

 まだきれいな蒲郡駅。印象に残る地名だった。

 隣駅の三河安城,新幹線は停まるのに快速は停まらないよく分からない駅だった。

 その後は金山で1回下車し,その後名古屋駅界隈を散策した。
 それについてはこちらの記事で。
 名古屋で5時間近く過ごした後は快速を乗り継いで約3時間で大阪へ戻った。
 名古屋駅の快速の案内。

 英語訳になると・・・

 新快速がNew,特別快速がSpecialで訳されている。日本語をそのまま英語に置き換えたようで違和感はない。
 新快速で米原まで移動。隣に乗っていた中学生か高校生の集団は関西弁でしゃべっていたのでもう既に関西に戻った気になった。(名古屋で近鉄の駅を見てその気にはなっていたが・・・)混雑していたので立ったまま米原についた。
 米原駅で乗換え待ち。今から乗る電車の案内。

 行き先は全て兵庫県になっていた。しかも神戸市よりもはるかに西側ばかり。上郡行きの普通とか何時に着くのか気が遠くなりそうだ。この米原から大阪よりは西日本のエリアになり,米原駅の在来線部分は西日本の管理になっている。それだからか新快速の英語訳を見ると・・・

 S.Rapidとなっている。このSはSpecialの頭文字のようだ。新の字に特別の意味も込められているのだろう。しかし,名古屋方面(東海エリア)の新快速の英語訳を見ると・・・

 「S…」と西日本側の訳で表記していた。相手に合わせるつもりはなさそうだ。上の方もその日散々聞かされた「東海道線」と相手の会社が省略する本線の本の字を入れているし。
 特別に飛ばしてくれる快速に約2時間乗り,いったん新大阪で降りた。閉店間際のお土産店を物色後,自宅へ戻った。

(498) 買いもんだけの風景

2010年12月24日 23時38分03秒 | 風景

 鹿児島市の城山展望台から南側を見てみる。

(2010年3月26日撮影)

 奥の山の向こうに少し頭を出している山がある。薩摩半島の南部にある火山の開聞岳だ。この開聞岳,見る場所によって印象も変わる。

 現南九州市頴娃から指宿市開聞へ国道226号で向かう途中にある瀬平公園から見た開聞岳。

(2006年5月21日撮影)

 陸続きなのだが海越しに見られるのも意外だった。

(2006年5月21日撮影)

 やや頴娃側から。松林と重なると印象もまた違う。

 開聞駅の頴娃川の隣駅の入野駅。

(2006年5月21日撮影)

 進行方向の先に開聞岳が見える。
 開聞岳に向かって進んでいき,旧開聞町の役場があった辺りに着く。
 役場からも近い開聞駅から開聞岳を見る。

(2005年3月19日撮影)

 やや山に登り山麓にあるキャンプ場から・・・

(2005年3月19日撮影)

 間近に見ると迫力が増す。
 
 麓を離れ山川の方へ行き,西大山駅から開聞岳を見る。

(2006年5月21日撮影)


 今度は反対側の海の方から開聞岳を見る。

(2007年3月2日撮影)

 視界を遮るものはない。航海時の目印になっているのも納得できる。
 鹿児島湾の入口付近ぐらいから・・・


(2007年3月2日撮影)

 山川の竹山と重なって景色を構成している。
 さらに湾の中に入ってから・・・

(2007年3月2日撮影)

 指宿の魚見岳,干潮時に陸続きになる知林ヶ島も景色の中に入っている。
 さらに鹿児島市に近づくと見える順番が変わってくる。

(2007年3月2日撮影)



(2007年3月2日撮影)

 池田湖越し,菜の花越しの写真もよく見かけるのだが,自分ではまだ撮っていなかった。今度行ったときにでも撮ってみたい。

(497) 煙をあげる火山の姿

2010年12月23日 05時20分35秒 | 風景

 最近活動が活発な桜島。

(2010年3月26日撮影)

 撮影スポットの一つである城山展望台から撮影。
 この1時間ぐらい前は・・・

(2010年3月26日撮影)

 噴煙を上げていた。
 4日ぐらいの滞在だったがこの光景を見られるとは思わなかった。
 こんな火山の周りに80万人以上の生活の場があると思うと恐ろしく思うときがある。

(496) カルデラと火口の見られる火山

2010年12月22日 14時52分54秒 | 風景

 高千穂方面から阿蘇のカルデラ内に入った辺り。
 カルデラ内から外輪山を見る。

(2007年8月28日撮影)



(2007年8月28日撮影)


 中岳の方へ登っていく途中からさっきまでいたカルデラ内を見る。

(2007年8月28日撮影)


 山の中に入ると緑で覆われた山の姿が目立つ。

(2007年8月28日撮影)


 確か草千里の辺りで撮ったはず・・・

(2007年8月28日撮影)



(2007年8月28日撮影)

 火山とは思えないぐらい広々としている。

 中岳が近づくと風景がだいぶ変わる。

(2007年8月28日撮影)

 中岳の風景。火口へ近づいていく。

(2007年8月28日撮影)



(2007年8月28日撮影)

 火口をのぞく。

(2007年8月28日撮影)

 火口に近づける火山は滅多にない。というか日本ではここだけだったかもしれない。
 今度は北側の方へ下っていく。

(2007年8月28日撮影)

 こぶりな築山のようなものも見える。
 下の方を眺める。

(2007年8月28日撮影)


 大観峰からカルデラの景色を見る。

(2007年8月28日撮影)



(2007年8月28日撮影)



(2007年8月28日撮影)

 カルデラの中にある町の風景。ここだけにしかない風景が多く存在している。

(495) 近くを通っただけの火山

2010年12月21日 00時43分06秒 | 旅・散策の足跡

 米子駅へ鳥取方面から来たので事前に大山口駅(ちょっと不確か?)と伯耆大山駅を通っている。大山の麓を通ってきていたはずだが写真は1枚もなかった。
 米子駅のホームには・・・

(2008年9月9日撮影)

 岡山方面へ行く途中の駅。

(2008年9月9日撮影)

 この駅も大山へのアクセスが可能そうだ。
 特急電車を待つために10分ぐらい待つことになった根雨駅前。

(2008年9月9日撮影)

 奥に見えている山が大山だったということはないように思う。方角としては一致していそうな気もするが・・・

 北海道に行ったときも似たような体験をしていた。

(2010年9月5日撮影)

 噴火が話題になった有珠山が近くにあったはずだが,もう薄暗くなっていて見えなかった。