時戻素

昔の跡,やがてなくなる予定のもの,変化していくもの,自身の旅の跡など・・・

(210) こうかな夢

2009年10月31日 23時56分01秒 | 過去になる現在
 都市計画に鉄道の高架化が挙げられることは多い。選挙のポスターなどにも立体交差事業を行うという内容は見かける。
 よくあげられることだけに,高架上を列車が走ることによる利点は多い。高架化が素敵なことであることがよくアピールされている現行の工事があるのでその様子を見てみたい。

(2009年6月17日撮影)

 東大阪市の近鉄奈良線の約3.3kmの高架化工事。イメージキャラクターも設定されている。この工事の財源についても書かれており,大阪府と東大阪市で9割を負担しているとある。

(2009年6月17日撮影)

 キャラクターは工事区ごとに設定されている。この案内も工事現場を囲む仕切に書かれている。

 
(2009年6月17日撮影)

 2~5区のキャラクター。それぞれの工区の仕切に描かれている。この工事の行われている地区に由来するキャラクターで,一人称も使い分けられているようにキャラ設定もなされている。1区のキャラクターは,最初の写真に描かれているが,吹きだしの空欄には名前が入りそうだ。書かれていないのは公募中なのだろうか。
 いずれにせよ,メインの工事以外にも時間と費用が投資されていそうだ。
  
 仕切には工事やキャラクターの紹介の他にも・・・

(2009年6月17日撮影)

 遺跡があった場所であることが示されたり・・・

(2009年6月17日撮影)

 高架化,特に踏切がなくなることのすばらしさについて,色々な表現で紹介をしている。
 そして,こんな表現も・・・

(2009年6月17日撮影)

 高架化がいかに夢や希望にあふれたものだということが伝わってくる。

 踏切がなくなる以外にも,高架下の空間が生まれ,別の用途に利用することができるし,駅の上下移動の回数が地下道や橋を使うよりも少なくなるなどの利点もある。
 高架の存在が周囲の景観に与える影響などの問題点もないわけではないだろう。

 この工事によって高架駅になる駅が3つある。それらの駅の高架化前の状況を以下で見ていきたい。

若江岩田駅

(2009年6月17日撮影)

 工事が始まるまでは地下に改札のある駅だったが,工事の影響で片側のホームへは・・・

(2009年6月17日撮影)

 仮駅舎の地上の改札から入るようになっている。

 河内花園駅。

(2009年6月17日撮影)


(2009年6月17日撮影)

 こちらもホームへは地下道を通るようになっている。

(2009年6月17日撮影)

 現在のホームの後には高架橋ができている。

 東花園駅。
 線路の両側に駅舎がそれぞれある。

(2009年6月17日撮影)



(2009年6月17日撮影)

 両方の駅舎と,その間の2つのホームは・・・

(2009年6月17日撮影)

 3つの踏切でつながっている。駅郊外の隣接する踏切とは違い,電車の来る部分のみが細切れに遮断機が下りていた。上下移動がほとんどないのは楽だが,早めに駅に来ないと乗り遅れてしまうこともありそうだ。

(2009年6月17日撮影)

 今の駅舎の上を高架が走っている。

 工事自体はだいぶ進行していそうな印象だった。
 仕切に描かれた夢の世界が実現するのもそう遠くはなさそうだ。
 
 同じような工事現場はいくつか見たことがあるが,ここまで工事の内容のアピールに力を入れているのは初めてだった。

(209) 【国内海外旅行(3)】 スタミナスープ

2009年10月30日 15時03分25秒 | 旅・散策の足跡
【国内海外旅行】の記事一覧

1 (146) 外国の雰囲気のあふれる町
2 (168) 入国ゲート ~地上編~
3 (209) スタミナスープ
4 (272) 入国ゲート~地下編~
5 (364) アリラン食堂



 大阪日帰旅・肆で昼食を食べたこの食堂。

(2009年10月17日撮影)

 この店での異文化体験記を書いてみたい。
【注】 異文化を受け入れることの好きではない方や犬が大好きな方はこの記事を読むことをお勧めできません。

 行く予定の店ではあったが,入口のメニューなどを見るとところどころに日本語はあるが,お目当てのメニューの名前が見当たらなかった。店の中の様子も外からはうかがえず,店に入るのをいったん躊躇していたが,昼食を取る時間もだいぶ遅れていたので,意を決して店へ入った。

 しかし,人の気配が感じられなかった。
 「すみません」と何度か言っていると「オソオセヨ」という声が聞こえ,店員の女性がやってきた。そして,誘導されるように席へついた。
 このときには,この店では日本語が全くといっていいほど通じないことを悟った。


 席について注文を決めようとするが,テーブルの上にメニューはない。壁にいくつかメニューが貼ってあり,部分的に日本語も書かれていた。しかし,ここにはお目当てのメニューはなかった。
 同行人と注文システムどうなんだろうと話をしていると,店員がやってきて,「ポシンタン?」と聞いてきた。まさにお目当てのメニューだったので,うなづいて指で1と示した。別々のメニューにすることにしていたので,同行人は次に店員が言った「サムゲタン」でうなづいた。こうして,オーダーが終わった。
 この注文システムについて同行人と語っている最中,壁側の床に何かがあるのに気付いた。

(2009年10月17日撮影)

 日本語でメニューと書かれていた。
 手にとって中を開いてみると・・・

(2009年10月17日撮影)

 ハングル文字の中にところどころ日本語が垣間見られた。
 しかし,「サムゲタン」がそのままカタカナ表記なのに対して,ポシンタン(右側一番上)はスタミナスープと書かれていた。同行人がハングル文字を音に直すことはできたので,これがポシンタンだと知る。

 厨房で調理が終わり,ワゴンに乗って料理がやってきた。
 おそらくサービスの漬物。

(2009年10月17日撮影)

 ポシンタン。

(2009年10月17日撮影)

 サムゲタン。

(2009年10月17日撮影)

 料理がそろうなり写真を撮ろうとすると,店員が「日本人ですか」と聞き取れるようなことを言ってきた。それにうなづくと「日本人写真とるの好き」というような言葉が聞こえた。隣の客達も多分朝鮮語をしゃべっていたので日本人は珍しいのかもしれない。写真を撮り終わると,自慢のポシンタンに,店員がテーブルの上にあった容器内のよく分からない物をポシンタンの中に入れてくれた。そして食べる前にスプーンでかき混ぜるように朝鮮語とジェスチャーで指示してくれた。言葉がほぼ通じないにもかかわらずかなり積極的にサービスをしてくれる。
 その後も食べている横にいて,昨日日本人がこの部屋に埋まるぐらい来て,宴会をし,トッポギを食べたことやポシンタンに入っている肉についても説明してくれた。

(2009年10月17日撮影)

 あらかじめ知ってはいたが,この肉は犬肉である。臭みはスープで消されているらしい。同行人も少し食べたが,何も知らなければおいしく食べられるだろうと意見が一致した。他にも店員は明日肌がすべすべになっているとか,ポシンタン元気が一番!とか言ってくれた。流石に薬膳というだけのことはありそうだ。
 壁に張られたこのメニュー。

(2009年10月17日撮影)

 その横に。

(2009年10月17日撮影)

 このような貼り紙が張ってある理由も説明で分かった。牛でない方のカルビは犬かルビということだった。
 店内にはずっとテレビが放映されていた。

(2009年10月17日撮影)

 こちろん聞こえてくるのは朝鮮語。しかし,紹介されているのは日本の観光地だった。合間合間に流れるCMも言語は朝鮮語であるが,映像の作り方などは日本のものとあまり変わらなかった。吹き替えをすればどちらの国でも使えそうな印象だ。

 店を出る際にお土産をもらった。

(2009年10月17日撮影)

 韓国ロッテのガムだった。
 そして,またくる時のためにと店の電話番号入りの名刺を渡された。店員はこの女性のみのようだが,電話でのコミュニケーションはジェスチャーが使えない分大変そうだ。それでも予約者は多いようなので,どうにか伝わるのだろう。

 1時間ぐらい店内にいたが,改めて店の外に行くといくつかハングルが読めるようになったので,店の看板にポシンタンと大きくハングル書きされているのが見えた。やはりこの店の看板メニューのようだ。

 日本語も英語も使えない空間だったが,言葉が通じなくてもある程度の意思疎通は可能なのだと思わされた。

 この店は8階建ての雑居ビルの1階にある。

(2009年10月17日撮影)

 別の入口を見ると・・・

(2009年10月17日撮影)

 こちらはクラブが多そうだ。
 この風景どこかで見たことがあると思ったら,今年7月にクラブ店員と思われる男が人を刺した現場だった。全国ニュースでも取り上げられていたが,この事件の直後,この近くの公園では・・・

(2009年7月28日撮影)

 夏休みということもあって子ども達が楽しそうに遊んでいた。

(208) 【隣の愛9】 大正ロマン

2009年10月26日 05時09分19秒 | 現在の中の過去
【隣の愛】の記事一覧
※撮影は周囲に配慮しましょう。

1(136) 数十年後の日本の姿かもしれない地区(概観)
2(144) 新しい駅
3(162) お乗換え
4(176) 災害時の避難場所
5(179) 公園の姿
6(189) 寝床
7(194) 学校の回りは…
8(199) 自由恋愛や!
9(208) 大正ロマン
10(348) 地区のど真ん中を貫いた鉄道
11(366) 10年ぐらい続いた乗り換えルート


※ 写真撮影日:2009年6月27日

 第2回大阪日帰りツアーの飲み会の会場として使ったこの居酒屋。

 この料亭街の端の方にあり,女性には近づきがたい場所にも関わらず女性からも喜ばれる店のようだ。(女性を含む場合タクシーアクセスが男性のみの場合は町の雰囲気に浸るのもいいかもしれない。)
 今回の記事ではこの店の中を見ていきたい。この店の建物は平成11年に文化庁登録有形文化財に登録されており,大正時代初期に遊廓として建築されたものだ。他の記事でも書いている通り,この店に限り,内外の撮影は余計なものを写さなければ大丈夫です。間違っても他の店の店内を撮るのはやめましょう。
 玄関のアップ。

 玄関の脇には予約者の名前が張り出される。(予約時に掲載するか否かは聞かれる。)その脇のショーケースを見ると・・・

 料金システムが明朗である旨が書かれている。この風格ならサービス料がかかりそうという懸念を取り払うためということもあるだろうが,周囲の料亭がほとんど料理も出ず,数十分程度の利用で会計が5桁になる店ばかりということもあるだろう。予約無しでもいけそうな感じの入口だが,前日までに予約しなければ店へ入ることはできない。予約と同時に食べ物のオーダーは完了しておく必要がある。また予約は2名以上でなければならず,おひとりさま宴会はできない。
 玄関は行って左手には・・・

 かつて遊女が顔出しをして並んでいた空間がある。

 その奥には・・・

 中庭の端にかかるミニ太鼓橋が現れた。別の角度から・・・

 橋の上から中庭を見る。

 この中庭を2階の廊下から見ると・・・

 上から再開発地区のビルが見えた。大正と平成のバブル期。同じ視界の中に複数の時代が混ざっている。
 その隣には・・・

 ロビーがあり,中庭を望むことができる。ロビーの窓と反対側に風格のある門構えが見える。

 日光の陽明門を模したものだろうか。
 扉の上には・・・

 眠り猫もいた。
 扉の向こうの空間は・・・

 金箔がふんだんに使われた空間になっていた。
 ロビーに戻り,2階へと向かう階段を見てみると・・・

 橋の親柱のようになっていた。
 この階段を二階から見てみる。

 結構急な階段だ。古くからの建物だけに床がきしむような音が聞こえることもある。
 案内されたのがこの部屋。



 

 電気以外はごく普通の部屋の印象だ。鍋のガスの栓がは意外なところから引かれていた。なお,部屋にある電話は飲み物の注文をする際に使う。
 食後,残っていた客は自分達のみだったので他の部屋も見せてもらった。


 中に段のある部屋や・・・
 中庭に面し,壁には掛け軸などのある部屋もあった。
 どの部屋になるかは運次第だ。

 この宴会で食べた料理は,量の感覚も分からないこともあって,鯛ちり鍋にお造りとオードブルをつけたコースにした。飲み物代と合わせると一人5000円を少し越えるぐらいになった。
 お造りと鍋の道具。
 
 オードブル

 鍋の具材。

 お造り以外二人前だが,食べてみると結構な量だった。オードブルはなくても十分おなか一杯になっただろう。
 普通の飲み屋よりは高いが,雰囲気などを考えるとサービス料も取られず,妥当か安いほうかもしれない。店員の方も料理を運んだり,空いた食器を下げたりする際に声をかけてくれるなど温かみもあった。

 ボリュームもあったので,食べている合間に店内を散歩した。
 2階の廊下。

 1階の廊下。

 各階の廊下は中庭を囲うように1周している。
 幅はせまいがところどころに絵,置物や装飾などがある。



 事前にWEBで体験記を読んでいるとトイレも素晴らしいという評価があった。期待してトイレに行くと・・・
 入口。

 何かシンプル。
 中も・・・

 古い感じはするが,ごく普通のトイレだ。
 
 WEBでみた豪華なトイレはなくなってしまったのかと思ったが・・・
 食後の1階の散策で現存していたことが判明。
 入口。

 2階のものとは風格が違う。上に清浄殿と書かれている。
 中。

 便器は普通だが,天井まで装飾がなされている。
 1階も2階も男女兼用となっている。昔の名残かとも思ったが,便器が新しいのを見るともともとこの部屋がトイレだったのか疑問なところもある。

 今回は飲食と内装見学という目的でこの建物を利用したのだが,大正期に遊郭として利用した人にはこの豪華な内装がどうように感じられたのか想像出来なかった。
 外からの友人等を迎える際などにまた利用してみたい店だった。文化財ということで特殊な補修技術もあるのだろうが,老朽化で少しずつ姿は変わっていくのかもしれない。

(207) 京都日帰旅・壱 補習 【H21.8.16】

2009年10月25日 06時32分51秒 | 旅・散策の足跡
 1週間前の京都での会で回りきることのできなかった名水地に行くことと,この日に行われた大文字焼を見ることになった。リンク先の「未定タイトル」のこちらの記事の後半でも案内人の視点からこの町歩きが紹介されている。

 前回回った伏見の名水。

1 月桂冠大蔵記念館のさかみづ

(2009年8月9日撮影)

2 鳥せい本店の白菊水

(2009年8月16日撮影)

3 キザクラカッパカントリーの伏水

(2009年8月9日撮影)

4 御香宮の御香水

(2009年8月9日撮影)


 訪問はしたもののスタンプを押さなかった長建寺(閼伽水)も含めて3つの名水ポイントをめぐることにした。

 待ち合わせ場所は,京阪の伏見桃山駅。それぞれ大阪方面と京都方面から特急利用で来たため,中書島駅と丹波橋駅で準急に乗り換えてのアクセスとなった。

 最初に向かったのが大黒寺。

(2009年8月16日撮影)

 薩摩寺とも呼ばれ,薩摩藩の祈願所であった。島津家の守り本尊と同じ大黒天が祀られ,この近くに薩摩藩邸が置かれていた
 名水金運清水。

(2009年8月16日撮影)

 この井戸は平成13年に掘られた新しい井戸ということだった。
 次の場所へ向かう途中,伏見区役所の前を通った。

(2009年8月16日撮影)

 そこまで大きくない道沿いにあったので,意外な立地だった。

 商店街の出口のところまで戻り,さっきと同じ選挙運動の方に声をかけられ,その後,前回押し損ねた長建寺の閼伽水へ行った。

(2009年8月9日撮影)

 最後の乃木神社(勝水)へは少し距離があるので電車で移動することにした。
 前回と同じように千石舟を見つつ,伏見桃山駅へ向かっていると・・・

(2009年8月9日撮影)

 奥に見える橋を渡る電車が妙にゆっくり走っているのが見えた。
 もっと近い駅があるかもしれないと思い,寄って見ると中書島駅に着いた。さっき,準急を5分ぐらい待っていた駅の後が目的地の一つだったことをに気付かされた。次に訪問する機会があるときは待ち合わせ場所が変わるかもしれない・・・

 中書島から宇治線で,2つ先の桃山南口駅へ。
 そこから歩いて神社を目指した。はっきりとした案内はなかったのでどこで山手の方に上るか迷った。持っていた地図が正確なものではなかったので,若干の不安があったが,JRの奈良線の線路をまたぐところにきた。

(2009年8月16日撮影)

 単線であったり,切り通しの中を走っていたりと,出身地でよく見たような風景だった。
 線路を越えるとすぐに乃木神社があった。
 境内に入り,勝水のところへ。

(2009年8月16日撮影)

 横の祠の中の御神体は栗だった。
 勝水の左側の水道を見てみると・・・

(2009年8月16日撮影)

 この水も勝水だと書かれていた。同じ水ではあるのだろうが,蛇口から出てくる水と湧いてくる水とでは趣がだいぶ違って感じられた。
 
 水も汲み終わり,神社の境内を見て帰ろうとしていたときに,スタンプを押していなかったことに気付いた。
 スタンプがすべてそろったので,月桂冠の記念館付近の提出場所まで行くことにした。帰りは駅からもそこそこ距離があったので,歩いていくことにした。神社周辺の地名は「周防」など山口に関するものが目立った。長州関係の屋敷でもあったのだろうか。

 応募場所の店で応募用紙を記入した後,少し土産を買い,伏見桃山駅近くの店で夕食をとって,伏見を後にした。スタンプラリーは何の連絡も来ないため,はずれが確定した。

 
 京阪で終点の出町柳まで行った。
 大文字焼のために駅内は人であふれ,警備員も配置されていた。
 見る場所は琵琶湖疎水の近くになった。そこで案内人の友人と合流。
 彼は立派なカメラと三脚まで装備していた。

 以下,夜景を撮るにも関わらず三脚無しで撮った送り火の写真。
大文字。

(2009年8月16日撮影)

法。

(2009年8月16日撮影)

舟形。

(2009年8月16日撮影)

 記憶が曖昧だが,左大文字か消えかけた大文字のどちらか。

(2009年8月16日撮影)

 実物は写真や映像では伝わってこない感動があった。
 この直後は日中もかなりきれいに文字が確認できるらしいが,それを見ることはなかった。
 しかし,直後でなくても結構はっきりしている。

(2009年5月15撮影)

これよりもはっきりとがどの程度なのか想像がつかない。

 遠くから見ればはっきり見える文字も近く(山の斜面)に行くと・・・

(2008年9月7日撮影)

 あまりよく分からなくなる。このような場所で火をつけているというのもなかなか想像がつかなかった。

 大文字焼が落ち着いてきた後は,案内人宅で酒を飲みつつ,酒カステラを食べた。あまり酒という感じのしないおいしいカステラだった。

 帰る頃の駅は人もまばらで,電車も競争しなくても座れるぐらいだった。

(206) 大阪日帰旅・肆 (2009年10月17日実施)

2009年10月21日 03時36分15秒 | 旅・散策の足跡
【大阪日帰旅】の記事一覧

壱 【北】とりあえずキタで
弐 【西】財政危機の要因
参 【南】いろいろな公園
肆 【東】コリアタウンとだんじり
伍 宗教タウンと大都市の漁港


 四度目の大阪でのプラン。今までだいたい北,西,南とメインの地域を設定してきたので今回は東側を回ることにした。

 集合場所は鶴橋駅,鶴のひろば。

(2009年10月17日撮影)

 駅を出て,隣の商店街へ。

(2009年10月17日撮影)

 この商店街の雰囲気,韓国と同じだと聞いてはいたが,自分自身実際の韓国へ行ったことがないので直接の判断はつかなかった。しかし,韓国旅行の経験のある同行人が韓国で見たことのある風景といっていたので間違いはなさそうだ。

(2009年10月17日撮影)

 ここで犬に出会ったのは何かの縁だろうか?

 途中,商店街を抜け,近くの神社へ行った。このころ,この付近のあちこちでだんじりの曳行が行われており,この神社でも開催していると思っていくと・・・

 日付を勘違いしたようで,昨日で終わりだったようだ。
 この後で,このあたりのだんじりとは雰囲気の異なる南河内だんじりを見に行く予定だったので,比較対象として見ておきたかったが,それはできなかった。前日までやその翌日には曳行が行われていただけに残念だった。

 再び商店街へ戻り,南の桃谷の方へ向かった。
 途中で東の方へ行くと御幸森神社がある。
 そこを東へ行くと,コリアタウンへ着く。  

(2009年10月17日撮影)

 こちらは入口に門があったり,韓国の像が並んでいたりする。
 中央の道に沿って平野川まで店を見ながら歩いた。

 コリアタウンを抜けたあとは,さらに東の方へ行き,今里筋をこえて新今里へ。

(2009年10月17日撮影)

 前の2者ほど印象は強くないが,よく見るとハングル表記が多く見られる。
 この地区にあるこの店で昼食をとることにした。

(2009年10月17日撮影)

 中へ入っても人の姿が見当たらなかった。しかし,よく耳を澄ますと「オソオセヨ」という声が繰り返し聞こえてきた。「すみません」と言っても返ってくるのは「オソオセヨ」だった。
 この店に来たお目当てはこの料理。

(2009年10月17日撮影)

 この店では思っていた以上に素晴らしいショートステイができたので詳しくは別の記事で取り上げたい。

 周辺を見て回った後,内環状線に出てバスに乗ろうとしたが,昼時間帯は行きたい方向へ向かうバスがなかったので,北巽のバスターミナルまで歩くことにした。これまでが異国情緒(?)あふれる街並みだったので,この道路沿いは見慣れた街並みだ。(ただし,一つだけ名前のインパクトの強い学校があるのを除いては・・・)

 バスターミナルからはJR線に乗り継ぐために平野区の加美方面に向かうバスに乗った。今回の大阪東側を回る際の候補地の一つだった。
 加美のバス停で降り,JRの加美駅を目指す。コース次第で今回のお食事場所になるかもしれなかった,がんこの屋敷の脇を通った。線路側を見ると,加美駅のホームが見えていた。この加美駅,南側の入口の存在感があまりにもないので,同行人に通り過ぎないように気をつけてと言って先へ行ってもらった。
 結果は案の定,通過してしまった。

(2009年8月11日撮影)

 加美駅前の通り。この中に駅の入口が写っている。
 同行人は駅舎を雑居ビルと思ってしまったと言っていた。
 ここまで周囲の家の中に溶け込んでいたら,ここが駅前という印象も薄れてしまう。北側はどう見ても駅という感じの入口なのだが・・・

 加美駅から近鉄に乗り換える柏原駅へ向かう。大阪市,八尾市,柏原市と3市を通過しているが,運賃は170円。大阪駅へ行く(290円)よりも安い。運賃の高いと言われているJRだが,100円台の運賃は他の私鉄よりも段階が多い。
 柏原駅。近鉄との接続が悪かったので駅の外を歩いてみた。

(2009年10月17日撮影)

 結構最近駅舎が建て直されたようだ。
 近鉄の駅でもあるが,駅にはJRの職員しかおらず,改札機もJRのもののみだ。普段は近鉄を使わないといけない状況にあり,近鉄の改札機をほぼ毎日のように見ているので,近鉄の切符をこの改札機に通すのは違和感があった。
 ホーム。

(2009年10月17日撮影)

 1番のみが近鉄で,改札内で全てのホームがつながっている。

 道明寺駅で乗り換え,富田林駅へ。
 まだ祭りまでは時間がありそうなので,駅前のパチンコ屋の前を通って,寺内町の街並みを見に行くことにした。
 途中,西の方を見ると・・・

(2009年10月17日撮影)

 PL教団の塔が見えた。
 少し中へ進むと,入口とは違って歴史のありそうな建物が立ち並ぶ。

(2009年10月17日撮影)

 交通公園という自動車学校のコースのような公園もある。

(2009年10月17日撮影)

 信号もちゃんと変わっていた。
 丁度,この公園では・・・

(2009年10月17日撮影)

 子ども達用のだんじりが待機していた。

 公園を離れ,寺内町を大まかに回っていると,歌声と灯りが迫ってきた。
 先ほどの子どもだんじりが曳行をしていた。この拡声器を使った歌声が南河内だんじりの特徴の一つだ。
 だんじりとすれ違った頃には辺りはもう暗くなっていた。
 先ほど夕焼けを背にしていたあの塔も・・・

(2009年10月17日撮影)

 安全のためかライトがついていた。
 しかし,駅前通は・・・

(2009年10月17日撮影)

 まだ祭りが始まりそうな感じではなかった。

 その後,町を歩いているといくつかのだんじりを見ることができた。交差点でいくつか見た後,だんじりのいった方向へ行くと,だんじりが集まっている広場のようなところへ着いた。色々な地区のだんじりが広場を出発するところだった。

(2009年10月17日撮影)

 そのだんじりの一つ。
 もう少し後になればもっとすばらしいパフォーマンスが見られたかもしれないが,時間と気温などの都合によりそれは断念した。
 まさか,この翌日,だんじりが倒れて負傷を負うという事故が起きるなんて思ってもいなかった。祭り中は,交通整理の場所ですら姿を見かけなかった警察がこのような形でこの祭りに関わることは予想もしなかった。重過失傷害の可能性もあるようだ。もしそれが確定したら,来年以降はどうなるのだろうか?
 このだんじり寺内町についても別の記事で書きたい。

 富田林駅ホーム。

(2009年10月17日撮影)

 ホームは2番までで線路も2本しかないが,列車案内には「先発」の文字があった。また,待ち合わせをするような駅で使われている発車ベルも使われていた。複線だから待ち合わせは無縁かと思っていたが,この駅から長野方は単線になっている。そのための待ち合わせが行われるのかもしれない。
単線区間との境界であるということの他にこちらに来てからほとんど目にしなくなった光景が写真左奥で見られる。両側のホームの端にトイレがあるのだが,写真奥(長野方面行)のトイレはなんと汲み取り式(小便器がなく,壁と仕切りのみ)だ。しかも,駅の駅長室はそのホーム側にある。反対側や隣の西口駅は水洗だった。市の名前を使った駅でこんな光景に出会うとは驚いた。
 帰りは阿部野橋駅まで,準急で直通。
 途中の喜志駅。

(2009年10月17日撮影)

 こちらの駅前もお祭り中だった。

 阿部野橋駅。

(2009年10月17日撮影)

 部分部分で工事がされているため,改札付近は特にきれいだった。
 近くの阿倍野再開発地区で夕食。

 色々検討した結果,焼肉になった。大阪スタイルと店名にあった。

(2009年10月17日撮影)


 90分食べ放題コースだったが,2つだけ自動注文のメニューがあった。
 一つ目がこの肉。

(2009年10月17日撮影)

 しゃぶしゃぶ用の薄い肉をさっと焼いてたれで食べた。
 もう一つ,最初に出されたメニュー。
 
(2009年10月17日撮影)
 
 この場で炊くので,食べたのはだいぶ後だった。銀しゃりという名前だったが,普通のご飯とどこが違うのかは分からなかった。

 天王寺駅で一応解散となった。

(205) 神戸日帰旅・弐 (H21.9.12)

2009年10月20日 02時31分06秒 | 旅・散策の足跡
 ※要約を読みたい方はこちらがおすすめです。

 元町駅前に集合後,1回目と同じく中華街へ。

(2009年9月12日撮影)

 近くの店で中国などの食品を見て回った。

 その後,やや元町駅方へ戻り,ガイドブックに載っていた火鍋の店へ。

(2009年9月12日撮影)

 この建物の地下に店がある。

 案内人に費用面での支援をいただき,茉莉花コースを。

(2009年9月12日撮影)

 最初に出たお勧め料理。

 それを食べている最中に鍋の準備が始まった。

(2009年9月12日撮影)

 鍋の使う食器などが並べられていった。
 その後,具材がやってきた。

(2009年9月12日撮影)


(2009年9月12日撮影)

 これらの具材を2つのスープ(マーラーと鶏がら?)で煮てから・・・

(2009年9月12日撮影)

 3種類のたれにつけて食べる。

(2009年9月12日撮影)


 最後の締めには・・・

(2009年9月12日撮影)

 きしめんと・・・

(2009年9月12日撮影)

 えびワンタンがやってきた。
 型崩れしやすいワンタンは・・・

(2009年9月12日撮影)

 網状のおたま(名前忘れた)に入れた状態で煮る。
 
 全て食べ終わった後の鍋の中・・・

(2009年9月12日撮影)

 マーラーの方は膜が張っていた。

 煮るスープも2つ,つけるたれが3つと様々な組み合わせを楽しむことができた。

 食事を済ませた後は,神戸港へ向かった。

(2009年9月12日撮影)

 天気は悪かったが,神戸空港の付近までクルーズへ。
 こちらについてはまた別の記事で。

 クルーズを終えた後は再び元町の方へ行き,スイーツを食べることに。
 選ばれたのはガイドブックにも載っていたこの店。

(2009年9月12日撮影)

 店内も広々としていて,品がある。

(2009年9月12日撮影)

 この雰囲気の中で,紅茶とともにスイーツを・・・

(2009年9月12日撮影)

 時間調整も兼ね,少し長居を・・・

 その後,ジャズバーで夕食の予定だったが,その店に電話で確認してみると,その日は貸切だったようだ。ということで,焼き鳥屋に変更になった。店はガイドブックから選ばれた。
 JRの高架の北側へ向かうことになった。

(2009年9月12日撮影)

 入口の場所を間違え,別のビルへ入ってしまった。

(2009年9月12日撮影)

 テーブルはタイル張りだった。

 神戸の品のある食文化に触れることのできた1日だった。

(204) 【遡上】 永田川編 ~その5~

2009年10月16日 23時46分36秒 | 遡上
【遡上・永田川】の記事一覧
その1その2 その3 その4その5その6


 ※ その4からの続き。
 前回の滝の場所から上流部分は川に近寄りにくい場所が多いので県道を松元方へ進んでいくと,陸橋のようにカーブした橋が現れる。そのカーブの先に見えるのは・・・

(2008年8月1日撮影)

 そうめん流しがあるが,台風の影響で営業をやめた後,心無き者の仕業によりリニュアルオープンができないまま止まっている。

(2008年8月1日撮影)

 そうめん流しの前の道が,陸橋ができる前までの旧道のようだが,辺りに人は住んでいそうにない。そのことも影響してか,本当にさびしい風景だ。

 陸橋を越え,坂を登りきってしばらくすると,県道の周りが開けてくる。

(2008年8月1日撮影)

 川口の交差点の近くには・・・

(2008年8月1日撮影)

 田の神がいる。
 このあたりから皇徳寺団地へ行くこともできる。現在はその皇徳寺団地内にある宮川小学校も移転する前は,この辺りの坂を登ったところにあった。現在は野外活動センターとなっている。

 さらに松元方へ行くと,春山口のバス停がある。そのバス停の先で,永田川は県道と別の方向へ曲がっている。川沿いの道を行くと,すぐに・・・ 

(2008年8月1日撮影)

 轟の滝が見えてくる。滝と入っても落差はそんなになく,急流に近い感じかもしれない。
 このすぐ上も・・・

(2008年10月4日撮影)

 流れが急になっている。川の向かい岸のレンガが積まれているように見える場所は用水路となっている。
 別の角度から・・・

(2008年10月4日撮影)

 用水路から漏れている水の量は結構多い。
 一見川原には降りれそうにないぐらい道路との高さに差があるが,道路側の斜面は川原へ降りやすくなっている場所がある。そこを降り,用水路に近づいてみた。(危険なのでまねしないことを勧めます。)

(2008年10月18日撮影)

 さらに奥の方へ・・・

(2008年10月18日撮影)

 板が設置されており,用水路から水を落としているのも意図的なのかもしれない。この板の先にも・・・

(2008年10月18日撮影)

 用水路は続いていた。
 この先はたどれなかったが,場所から推測すると県道から見えるこの水田にたどり着いているような気がした。

(2008年10月18日撮影)


 轟の滝周辺は川と斜面に挟まれた感じの道路であるが,その先をしばらく行くと開けた場所に着く。

(2008年8月1日撮影)

 この辺りまで来ると川幅もかなり狭くなってくる。
 ここから左手の山の方を目指していくと岩屋観音への登り口がある。

(2008年8月1日撮影)

 この辺りで永田川は2つに分かれている。

※ その6へ続く。


(203) せせらぎ

2009年10月12日 03時20分30秒 | 現在の中の過去
南港のATCの西側に見える川。

(2009年9月3日撮影)

 南港のある咲洲自体が埋立によってできた人工島なので,この川は自然にできたものではない。
 WTCの展望室からこの川を見てみる。

(2009年6月27日撮影)

 写真には全ては写っていないが,長さも結構短い。人工島に川を作った理由はよく分からない。適当に思いついたのは,「排水機能」や「親水空間」としての利用だった。

 同じような人工島である舞洲。
 ここにも人工の川がある。

(2009年6月28日撮影)

 キャンプ場の中にあるのだが,案内図には「せせらぎ」と書かれている。大阪市内では人工的に作られた川をせせらぎと表現しているところが多い。
 本題からはそれてしまうが,このキャンプ場のスタッフ募集の求人情報のアピール欄に「大自然の中で・・・」というフレーズがあった。確かに植物に囲まれた空間ではある。しかし,人工島の緑が大自然といえるのだろうか。自然のままだったら,ここは海だったのでは・・・自然の少ない大阪市にいると,人工的な自然も大自然となってしまうのだろうか?

 この2つは,もともと川のなかった場所に川が作られたケースだ。
 元々川だった場所が埋め立てられ,その後再び川が作られた場所が住吉区の千躰にある。

(2009年7月13日撮影)


(2009年7月13日撮影)


(2009年7月13日撮影)

 連続している川の流れだが,雰囲気はそれぞれ異なっている。
 近くに案内板があり,「せせらぎを復元した」と書かれていた。水は下水処理後の高度処理水や近くを流れる大和川からひいているようだ。
 子ども達の遊び場となり,大人にとっても休憩をする場となっている。純粋な自然ではなくても,親水空間としてしっかり機能していそうだ。

 このせせらぎの一部が面している長居公園南通を西の方へ行き,住之江区役所の手前で高速をくぐる場所にも,せせらぎが復元された場所がある。

(2009年7月13日撮影)

 元々川があったことの名残としての橋が残っている。確か撮ったはずの写真が見つからなかったが,この近くにせせらぎの始まりがあり,滝のようになっている。そこから高速下を北のほうへ流れていっている。こちらの周辺はテントが張られるなど生活空間ともなっている。

 本当の自然の川と比べて若干の物足りなさは感じるが,人工的な川でも,その存在によって涼しさや安らぎなどが与えられるように感じる。そして,本当の自然の川と違って,水深が浅く,安全だ。
 川は人間の生活に必要な場面なのかもしれないと感じた。

(202)【遡上】 和田川・木之下川編 ~その1~

2009年10月11日 04時21分23秒 | 遡上
※ 以前,汐見橋と表記していましたが,正しくは潮見橋でした。(H21.10.15訂正)

 現在の河口は埋立により陸地が広がっていることから永田川とほぼ同位置にある。

(2009年2月5日撮影)

 しかし,この2つの川は堤防でしっかりと分けられている。(手前が和田川,奥が永田川)
 堤防を挟んで永田川と並行する部分との境目。

(2009年2月9日撮影)

 永田川との間は・・・

(2009年2月5日撮影)

 船が止まっている。

 川は永田川の河道と離れながら産業道路の方へ向かっていく。

(2009年2月5日撮影)

 産業道路に架かる橋の上から河口側を見てみる。
 
(2009年2月5日撮影)

 産業道路と並行して緑地帯があるが,その中にこんなものがあった。
 
(2009年2月5日撮影)

 測量のためのものだろうか・・・

 橋を過ぎると川の流れの向きが変わる。
 河の脇にある市民会館の隣の公園。

(2009年1月28日撮影)

 川の途中で港がないにもかかわらず港緑地という名前だ。昔の地図を見てみると,埋立や干拓が行われる前はこの辺りが和田川の河口で,港があったのが分かった。
 その先の国道と産業道路を結ぶ道路の橋を越えるとまた流れの方向が変わる。
 上流のほうへ少し進むと・・・

(2008年11月10日撮影)

 潮見橋という橋がある。
 反対の上流側から見ると・・・

(2008年11月10日撮影)

 新しい感じはするが,特に変わった橋ではない。

 この橋の脇には・・・

(2008年11月10日撮影)

 公園のようになっている区画がある。

(2008年11月10日撮影)

 この潮見橋,もともとは石橋でこの数年前まで現役だった。
 そのときに使われていた石や石橋時代に写真を見ることができる。

 現在の橋も・・・

(2008年11月10日撮影)

 石橋時代の文字を意識したかのような文字で橋の名前が書かれている。

 石橋だった時に撮った写真。
 下流側から・・・

(2005年6月26日撮影)

 上流側から・・・

(2005年6月26日撮影)

 交通量は少ないものの,車も渡ることのできる橋だった。

 この潮見橋の上流側で,川は木之下川と和田川の2つに分かれる。

(2008年11月10日撮影)

 その2以降はそれぞれの川にごとに記事を分ける予定。

※その2(和田川・木之下川)へ続く。


(201) 川の水源

2009年10月10日 23時24分49秒 | 遡上
 ブログパーツのカウンターについているアクセス解析で検索ワードを見てみると,川の上流や源流のようなキーワードが意外と多い。水源に興味を持ち,検索サイトからこのブログにアクセスしている方が多いという現状を知り,上流までの記事が完結していない川ばかりなのを申し訳ないと感じた。
 河口や下流部は町になっていたり,開発も進んでいるので見かけることも多いが,上流部となるとなかなか行く機会のない場所のような気がする。さらに水源ともなれば,そこへ行くための道すらないことも多い。甲突川のように水源地へ行けるのは,珍しいのかもしれない。(その甲突川に限って水源までたどり着くことができなかった。)
 川の水源は行けそうで行けない場所のようだ。

 そんな水源という場所を熊本で見たことがあるのを思い出した。

(2007年8月28日撮影)

 阿蘇の白川水源。
 池のような場所から泡が出てきている。
 今まで思い描いていた川の水源のイメージとはだいぶ違った。

 ここの場合,水の汲める観光地のように整備されており,水源を守るための寄付金も徴収される。

 この気泡が川幅を広げて行き,海へ流れ出ていると考えると不思議だった。

 カテゴリの一つにもしている遡上の記事だが,鹿児島を出てからは川の長さが長くなり,このスタイルでの存続は危ぶまれつつある。川のある風景ぐらいに路線変更かな・・・