時戻素

昔の跡,やがてなくなる予定のもの,変化していくもの,自身の旅の跡など・・・

(153) 神瀬

2009年07月26日 05時08分53秒 | 現在の中の過去
 前回の記事を書いた後,またPCの調子が悪くなり,キーボード入力不可の状態でした。今,調子がいい状態が続いているので記事を書きます。


 県庁の18階の展望室からの眺め。


(2008年7月12日撮影)


 目の前のマンション建設が阻止されなかったら,また違った眺めになっていたかもしれない。そのとき問題にされたのは5階の知事室からの眺めだったが,18階にも全く影響がなかったわけではないように思う。

 この写真からは,見にくいが,桜島の前に灯台の立った岩場のようなものが見える。

 望遠鏡でそこを見てみる。

(2008年7月12日撮影)


 神瀬と呼ばれる浅瀬であり,確か地形図にも載っていたように思う。

 この神瀬,鹿児島市から島嶼部へ向かうフェリーからも見える。

(2007年2月26日撮影)


 薩英戦争の時にはここを目掛けて砲台の訓練が行われていたようだ。

 成因は全く知らないのだが,あの水深の深い錦江湾にこのような浅瀬が島のように存在しているのは,珍しい光景であるように思う。

7月の更新

2009年07月16日 23時55分47秒 | 事務記事
 パソコンの調子不良でしばらく更新どころか管理すらできませんでした。今のところ,調子は良好ですが,またストライキをするかもしれません。
 また,データの整理や時期的な忙しさもあってしばらく更新頻度が減ると思います。8月近くまではこんな感じで行きたいと思いますので宜しくお願いします。

(152) 神戸日帰旅・壱 (H21.4.11)

2009年07月16日 23時45分27秒 | 旅・散策の足跡
 関西に来た数日後,神戸勤務になった高校の同級生と神戸の町歩きをした。関西のことをまだ知らない段階の人間が,しかも前日の夕方以降の立案という即興的な計画で歩いたルートを振り返ってみたい。

 元町駅集合。
 色々とあって集合時間が1時間30分ぐらい遅れることになったので,駅周辺を歩くことにした。

 兵庫県庁。

 ここに来るまでも坂道になっていた。

 写真にある郵便局は土曜はATMの取り扱いがなかったため,さらに山手の方へ。案内地図を見つつ,山本通り郵便局に着いた。
 ほぼ同じ道を折り返し,元町駅へ。

 山側から駅を見ると高架駅には見えない。
 海からすぐに山が迫る神戸の地形の関係かと思っていたが,この右手にある道路の下が鉄道のトンネルとなっているようだった。
 駅に戻ったがまだ時間があったので今度は三ノ宮駅の方へ行ってみた。「←元町駅200m 三ノ宮駅500m→」の案内の出たところで折り返し。駅間はかなり短いようだ。
 商店街を見ながら元町駅へ着いたが,時間があるようなないような中途半端な時間だったので,駅内で掲示物を見ていた。福知山線の脱線事故の掲示は毎年更新しているようだった。最近になって,この関係のニュースをよく耳にしたように思う。ここ2ヶ月JRを全く利用していないが,この掲示物も社長名を更新したものになっているのだろう。ダイヤにゆとりを持たせるようになったとはいえ,新快速の130km/hのスピードや環状線の遅延などを見ると不安になるときがある。その一方で速さを求めて普通や快速ではなく新快速を選んだり,天王寺などで乗り換え無しに大阪駅まで行けることを便利に思ったりとしている自分がいるわけだが・・・

 駅の改札口には・・・

 国体シンボルから県のマスコットになった「はばタン」の人形が下げられていた。このキャラクターの描かれたパンフレットを見て翌日も兵庫へ足を運んでいた。この1ヵ月後,三ノ宮駅を訪れる機会があったが,自動改札機の扉にまではばタンのイラストがあった。観光への取り組みへの力の入れ具合が伝わってきた。しかし,この日こそが,夜に新型インフルエンザの国内感染が発覚したあの日だった。夜9時ごろはインフルエンザの菌は飛び散っていたのだろうが,至って平和な時が流れていた。翌日にはマスクの人であふれるなんて想像すらつかない状況だった。観光に力を入れている年にこのような人を遠ざけてしまうような出来事が起こったのは大きな打撃だっただろう。

 13時30分集合時間になり,駅を出た後は中華街で昼食を取った。
 中華街から神戸中央郵便局を経由し,神戸駅の方へ向かった。
 途中見かけた地下鉄の駅が同居している建物。

 歴史的建造物なのだが,何の建物だったか忘れてしまった。

 港エリアに着くとまず遊園地の中を通った。

 そしてこの灯台の方へと抜けた。

 海風が気持ちよくてしばらく休憩していたと思う。



 その後,奥のほうへ見える神戸タワーへ。

 山手の方を見てみる。

 大都市でありながら海と山が近い。
 この山の向こう側も神戸市であることはこのときは知らなかった。地図で見てみるといかにも合併で編入したような飛び出し方をしているが,1947年3月から神戸市だったのに驚かされた。
 
 海の方を見ると,

 港の貼り紙に出没注意と書かれていた海賊船が出没していた。

 港を離れた後は神戸市博物館へ行った。

 閉館1時間前の入場で全てをじっくり見るということはできなかった。
 博物館にはもともとあまり興味がなかったのだが,関西に来てからはそれも少しずつ変わってきた。展示が魅力的なのか,自分の興味が変わったのか,出身地の博物館はつまらないと勝手に思い込んでいたのか理由はよく分からない。

 神戸市役所の前を通り,三ノ宮駅へ。
 
 それから生田神社へ行った。

 
 次は,駅裏の東急ハンズで少し変わった店内構造を楽しみつつ,最上階まで商品を見た。

 最後は飲んで締めようということで店を探した。
 郷土料理の文言からこの店へ。

 薩摩料理を提供しながら薩摩のことをほとんど知らないであろう店員を前に薩摩の話をしていた。
 このときはまだこの店が関西にたくさんあることは知らず,神戸に来た鹿児島の人がはじめた店だと思っていた。

 飲んだ後は,家の場所を案内してもらい,春日野道駅で解散した。

 次回は山手ということになっていたが,先述のインフルエンザ騒ぎなどから実現には至っていない。確か7月17日から一部の施設が無料開放されるようなので,そのうち(個人的にでも)行きたいと思う。

(151) 公営渡船(1)

2009年07月06日 23時53分08秒 | 現在の中の過去
公営渡船の記事
(1) 落合上・落合下・千本松
(2) (千本松)・木津川・千歳・天保山
(3) 船町・甚兵衛


  桜島と天保山の記事で少しだけ触れていた公営渡船。歩行者と自転車のみ利用可で,道路扱いのため料金は不要になっている。現在は8箇所運営されており,天保山のものを除いては大正区が関わっている。今回は大正区と西成区を結んでいる3つの渡船について北側から順に見てみたい。

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 落合上渡船場。
 (大正区側の待合所の案内板より)大正区千島一丁目と西成区北津守四丁目の岩壁間100mを結んでいる。大正区側の旧町名は「新炭屋町」で,1763年に炭屋三郎兵衛により炭屋新田が開発された場所。現在は埋め立てられた大正運河の木津川入口も渡船の南側にあった。

 なお,この渡船のみ2008年5月1日より民間業者による運航などが行われている。とはいっても,挨拶や誘導などが他と比べて丁寧であることや乗船員の服装が違うこと以外には差はあまりない。
 渡船の標準時刻。

(2009年6月24日撮影)

 15分間隔が基本で,朝夕のラッシュ時は10分間隔に増発されている。

 大正区側の乗り場。丁度,大正区役所のほぼ裏側に位置している。

(2009年6月24日撮影)


 堤防を下るスロープの途中には・・・

(2009年6月24日撮影)

 この中で亀が飼われているものと思われたが,姿はなかった。

 西成区側の乗り場から大正区側の乗り場を見る。

(2009年6月24日撮影)

 大正区側は,区役所の周辺で住宅や商業施設などが見える。向かって左側には標高約30mの昭和山が見える。

 船の上から北側を見る。

(2009年6月24日撮影)

 木津川の水門がある。基本的に開放されているが,毎月1回程度,試験運転のために閉められるそうだ。



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 落合下渡船場。
 (大正区側待合所の案内より)大正区平尾一丁目と西成区津守二丁目の岩壁間138mを結んでいる。1839年に描かれた新田細見図にもワタシの文字が見られている。津守も平尾も新田であった。10月から4月にかけてユリカモメが数百羽飛来する。

 標準時刻表。

(2009年6月1日撮影)

 基本的には落合上と同じだが,夕方ラッシュ時の増発が少しだけ早く終わっている。
 大正区側の待合所。

(2009年6月1日撮影)

 上屋などの設備は新しく感じる。 

 大正区側から西成区側を見る。

(2009年6月1日撮影)

 対岸には工場が多く見える。

 船の上から見た下流側。

(2009年6月1日撮影)

 千本松大橋が見える。

 西成区側の乗り場。

(2009年6月1日撮影)

 乗り場周辺は工場が多く感じるが,少し移動すれば住宅や高校もある。

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 千本松渡船場。
 (大正区側の案内より)大正区南恩加島一丁目と西成区南津守二丁目の岩壁間230mを結んでいる。1973年に千本松大橋(自転車歩行者通行可)が建設された後も廃止はされなかった。江戸時代には北前船など諸国の船が多く来航しており,安全運航のために澪標が多く立てられ,1832年には1.58kmに及ぶ石の堤が築かれていた。千本松はこの堤防に植えられた松並木により,南恩加島は1829年開発の新田の名に由来している。

 運航標準時表。

(2009年6月1日撮影)

 上記の2つと同じく,ラッシュ時10分間隔,他は15分間隔になっている。

 大正区側の入口。

(2009年6月1日撮影)

 ループの下は公園のようになっていて,野球の練習が行われていた。

 船の上から見たループ。

(2009年6月1日撮影)

 橋の高さ34mで,橋の道路の全長は1228.3mにも及んでいる。2段の螺旋形状からめがめ橋とも呼ばれている。(大阪市HPより)

 西成区側の乗り場から大正区側の乗り場を見る。

(2009年6月1日撮影)


 西成区側の渡船の入口。

(2009年6月1日撮影)





 3つとも夕方17時から19時に利用したが,仕事帰りの人や学生などで利用者は多かった。船が出た後でも待合所に人がいることは少なくなかった。負担は大きくても代替手段がないわけではない。にもかかわらず,無料で渡船のサービスが行われていることは興味深かった。

その2へ続く。