時戻素

昔の跡,やがてなくなる予定のもの,変化していくもの,自身の旅の跡など・・・

(167) 薩摩の大川

2009年08月20日 03時31分05秒 | 現在の中の過去
 薩摩大川駅。

(2009年4月5日撮影)

 大川という地名だけではどこにあるかなかなか分からない。
 鹿児島県内には大川駅がもう一つある。

(2006年5月21日撮影)

 指宿枕崎線の頴娃大川駅(関連記事)だ。切り通しの中という少し寂しい場所に駅がある。すぐ近くに海があるとは考えがたい。この駅ができたときに既に薩摩大川駅があったため,頴娃大川という名前になったのだろう。慣例からは外れているのだろうが,こっちの方が場所はずいぶん分かりやすい。
 薩摩大川駅はそこからかなり北にいった阿久根市の南の方にある。市長のおかげで全国ニュースにもデビューしたあの市だ。もともと鹿児島本線の駅だったが,新幹線の開通により肥薩おれんじ鉄道の駅となっている。

 駅舎の入り口に行くと…

(2009年4月5日撮影)

 ホームは段の上にあり,駅舎と反対側のホームへは線路の下の通路を通っていく仕組みになっている。写真では見にくいが,通路の奥に見える「出水熊本方面のりば」と書かれた看板がさびの具合からかなり古そうだ。JR時代のものの使いまわしだろう。
 駅舎側の1番のりばへ向かう階段の上から駅舎を見てみる。

(2009年4月5日撮影)

 変わった造りの建物だ。
 駅舎の2階は…

(2009年4月5日撮影)

 待合室となっているが,駅舎内からはつながっていない。待合室の下の部分は客は立ち入ることはできない。待合室の脇のドアで中はつながっていそうだ。

 奥の2番のりばの階段をのぼってみる。

(2009年4月5日撮影)

 片側の階段は封鎖されていた。

 ホーム。

(2009年4月5日撮影)

 下が複雑な割には広々と感じる。
 電線が通っていて,24時間通電しているらしいが,おれんじ鉄道の列車は気動車だ。これはJRの貨物用で,1日5~6本程度だったと聞いた気がする。維持費がかさむのかもしれないが,せっかくの設備が勿体ない気がする。
 ホームもこれだけ長いが,停まる列車は1両がほとんど。長くて3両のようだ。
 一番栄えていた頃はこのホームを全て使うぐらいの列車が停まったのだろうか?
 
 駅の川内方向は…

(2009年4月5日撮影)

 すぐにトンネルとなっている。
 このトンネル,反対側は…

(2009年4月5日撮影)

 線路は1本しかない。トンネル内に分岐があるようだ。
 2番のりばから駅の外を見てみる。

(2009年4月5日撮影)

 駅は内陸部寄りの斜面に近い部分にあるが,海が近い。海のほうへ行くと漁師町の印象を受ける場所もある。
 写真中央の比較的新しそうな建物は郵便局で,奥に見える橋が国道3号線だ。この橋ができる前の旧道が郵便局の前の道で大川の集落を経由していたようだ。
 郵便局の辺りから駅を見てみる。

(2009年4月5日撮影)

 2番のりばの裏は川で,駅には近寄れない。そのためか駅の入口は国道とは反対側の斜面側に作られている。
 国道(川内側)から駅へ行くには…

(2009年4月5日撮影)

 一度,線路の下をくぐる必要がある。

 駅から見えた国道3号が通っている橋の川内側に道の駅阿久根がある。駅からも歩いて5~10分程度で行ける。

(2009年4月5日撮影)

 阿久根の特産物を買ったり,レストランで食べたりできる。阿久根の特産品用に「ブログ市長シール」が作成されたらしいが,どのぐらいの効果をもたらすのか楽しみだ。シールの市長は作業着姿らしい。どこかで見たことのあるスタイルだ。そこまで真似しなくても…

 道の駅から見た東シナ海。

(2009年4月5日撮影)

 ここから阿久根市街側は岩の上に鳥居の見える牛ノ浜,川内側は人形石の西方海岸と景色がいい。
 

 おれんじ鉄道のホームページの駅紹介には「海が見え隠れする間にある駅。もっと海の方へ、「道の駅あくね」と一体になった駅になりたい。」と書かれている。両者の行き来は道の駅いぶすき(最寄り駅:生見駅,薩摩今和泉も大体同じぐらい)と比べれば便利な方だ。ただ,鉄道アクセス可能というのは,道の駅ということもってあまり知られていない気がする。車で道の駅阿久根に行く人も,国道に沿って薩摩大川駅という案内もないので,国道から離れている駅の存在には気付かないだろう。車社会であることに加え,運賃が高めなのを考えると一体化はなかなか難しいかもしれない。


ご参考までに…
東シナ海の景色関連の記事
(167)大川(312)人形石(349)牛之浜

(166) 筑豊と鹿児島の交差点

2009年08月19日 23時54分11秒 | 過去になる現在
 18切符で姫路から博多までの移動を予定していたが,まだ日が暮れる前に九州に入れたので,九州北部を回ってみることにした。そのとき乗換えで使った折尾駅。

(2009年3月11日撮影)

 別の方向から。

(2009年3月11日撮影)

 雰囲気のある建物で,近くの橋にもこの駅舎が描かれている。

(2009年3月11日撮影)

 かなり昔からありそうな感じの建物であるし,地域のシンボルのような存在なのかもしれない。
 駅舎の中の改札を抜けると…

(2009年3月11日撮影)

 筑豊本線の列車の停まる1・2番のりばがある。
 ホームの屋根も古くからありそうな感じだ。
 2番ホームに接して…

(2009年3月11日撮影)

 西口の小さめの駅舎がある。
 北の方から駅の方を見てみる。

(2009年3月11日撮影)

 線路と線路が交差している。
 駅舎だけ見ると普通の駅だが,複雑な造りになっていそうだ。

 1番のりばの改札脇。 

(2009年3月11日撮影)

 足元にのりばの案内がたくさん書かれている。
  4・5番のりばの方へ行ってみると…  

(2009年3月11日撮影)

 折尾神楽が飾られていた。
 その脇に通路がある。

(2009年3月11日撮影)

 突き当りまで行くと…

(2009年3月11日撮影)

 トンネルのようになっている。
 この上を線路走っているようだ。
 この先に行くと…

(2009年3月11日撮影)

 高架上のホームへ行くための階段がある。
 階段を上ると…

(2009年3月11日撮影)

 鹿児島本線の列車の停まる4・5番のりばに着く。鹿児島本線といっても今では鹿児島まで線路はJR線だけでつながっていないが…
 階段を上れば着く向かい側の3番のりばと比べて,移動距離は長く感じる。そして,曲がる箇所が意外とあるのでどちらの方向に向かっているのかが分からなくなってしまった。
 1番のりばから見た3~5番の高架ホームの真下。

(2009年3月11日撮影)

 さっきの通路も含めて,レンガが歴史を感じさせる。
 1番のりば(東口)と2番のりば(西口)の移動は高架上の3番のりばを通過することになる。

 この駅のホームはこの他にもまだある。
 東口の駅舎と道路を挟んだ向かい側の店が並ぶ中にこんな建物がある。

(2009年3月11日撮影)

 工事現場の脇を進んでいくと…

(2009年3月11日撮影)

 鷹見口と呼ばれる入口がある。

 この中に6・7番のりばがある。

(2009年3月11日撮影)

 こちらには鹿児島本線の小倉方面と筑豊本線の南側へ直接乗り入れる列車が停まる。時刻表を見ると…

(2009年3月11日撮影)

 本数は少ない。
 1~5番のりばの列車と6・7番のりばの列車を乗り継ぐ場合,改札外乗換えとなる。
 3~5番と6・7番のりばでは駅名の看板のイラストが異なる。
3~5番。

(2009年3月11日撮影)

6・7番。

(2009年3月11日撮影)

 上は折尾神楽だろうが,下は分からなかった。
 駅の周りを川が流れているので,その川に関するものかもしれない。

 この辺りは線路に挟まれており,また川も流れているので移動は単純には行かない場合もある。
 筑豊本線の南側にはこんな場所もある。

(2009年3月11日撮影)

 もともと線路を越えるための通路があったような感じだが,100m先の踏切まで行くようにとされている。この100m,歩いてみると結構長く感じた。
 その踏切の警報機には監視カメラ設置と書かれていた。
 6・7番のりばをつないでいる踏切にもこんなことが書かれていた。

(2009年3月11日撮影)

 監視が好きだなと思ったと同時にこれだけ線路に挟まれた環境にいれば,踏切を待てなくなるのかもしれないと感じた。
 この駅も将来的には全て高架のホームにする計画があり,この複雑で歴史を感じさせられる駅も見られなくなるようだ。しかし,このごたごたした場所では,高架にする工事も大変そうだ。

 この駅の名物。 

(2009年3月11日撮影)

 かしわめし。日付が変わる頃に鳥栖駅の待合所にて。

(165) 台地を利用した建築物

2009年08月18日 07時11分33秒 | 現在の中の過去
 天王寺動物園と環状線の間の坂を東の方へ上りきると・・・

(2009年3月10日撮影)

 天王寺の駅ビルが見えてくる。この駅ビルも最近は…

(2009年7月31日撮影)

 改修工事が行われていた。
 駅名どおり天王寺区に駅はあるが,区の中でも南の端の阿倍野区との境界付近になっている。
 駅から歩道橋で…

(2009年8月17日撮影)

 近鉄の駅と連絡はしているが,こちらは完全に阿倍野区にあるためか…

(2009年8月17日撮影)

 駅名は阿部野橋となっている。区名の表記は阿倍野であり,使用している漢字が子他なる。もともとは阿部野とも書いたことの名残のようだ。それにしても多くの言語が使われた看板だ。
 西口改札口。

(2009年8月17日撮影)

 終着駅なので,改札を抜けると全てのホームに上下移動なく行くことが出来る。

 横には近鉄百貨店の本店もあり,地下にも改札口がある。
 この駅ビル,詳細は忘れたが,○○一の高さになる高層ビルにする計画があるらしい。

 この駅ビルの横の阿倍野筋には…

(2009年8月3日撮影)

 阪堺電車の始発駅もある。こちらも所在地は完全に阿倍野区と思われるが駅名は天王寺駅前となっている。道路中央ののりばへは歩道橋か地下街からつながっている。
 ホーム。

(2009年8月3日撮影)

 阪堺の駅には珍しく窓口が設けられている。

 近鉄と阪堺の間の歩道橋の下を見ると…

(2009年7月22日撮影)

 石ででこぼこが作られている。
 この目的はホームレス対策らしい。阿倍野再開発地区を抜ければ,釜ヶ崎であるし,天王寺公園付近にも路上生活者の姿はよく見られる。

 この地下には市営地下鉄の「天王寺駅」もある。区の境界にある駅であるにもかかわらず,市営地下鉄にしてはシンプルな駅名だ。谷町線の隣駅は「四天王寺前夕陽丘」という素晴らしい長さだが…
 御堂筋線のホームがJRと近鉄の間の道路の下付近なのに対して,谷町線は阿部野橋を北に行った商店街の下あたりに駅があるようで,駅内部の乗り換えには相当の地下移動がある。御堂筋線はここで折り返しの電車があってホーム数も多い。さらに歴史が古いためか電灯も少し変わっている。

(2009年6月27日撮影)

 写真は淀屋橋駅のものだが,これと同じような電灯が使われている。

 歩道橋の上から北の方を見てみる。

(2009年8月17日撮影)

 道路が阿倍野橋でJRの線路を越えている。ここあたりに谷町筋と阿倍野筋の境界があるようだ。
 少し左手の方に目をやると…

(2009年8月17日撮影)

 天王寺公園や新世界が見える。
 橋の上から線路を見てみる。

(2009年3月10日撮影)

 環状線と大和路線の重複する部分であり,線路の数も多い。左端に金網で隔てられた線路がある。これが廃線になった南海支線の跡らしい。
 天王寺駅のJRのホームからMioの方を見ると…

(2009年8月1日撮影)

 駐車場がある。ここにかつては南海のホームがあったようだ。そのことからかMioの運営会社に南海が出資しているようだ。

 JRの駅構内。以下,中央改札口の高さを1階と表記。

(2009年7月30日撮影)

 阪和線の1~9番ののりばには改札を抜けて上下の移動なく行ける。
 9番ののりばの脇を見ると…

(2009年4月8日撮影)

 下に下りる階段があり,そちらにも大和路線と環状線のホームがある。
 上の写真の9番のりばの真下が…

(2009年8月1日撮影)

 下にある11番のりばに停まる電車の線路となっている。
 ホームの高さの違いを別の場所から見てみると…

(2009年7月22日撮影)


(2009年8月1日撮影)

 ホームの位置の違いはもともと別の鉄道会社によって運営されていたことに起因するらしいが,そうとはいえ,よくこんな複雑な建築物を考えたものだなと思わされた。

 中央改札口だけでなく,東側にも線路を越える通路は設けられている。1階の丁度ホームの高さが変わる付近。

(2009年8月1日撮影)

 そのまま1階のホームにつながる道,階段を下ってホームにつながる道,階段を登って1階にある線路を越えて別のホームに下る道があり,複雑だ。
 写真右側の階段を登り,改札内では一番高い場所と思われる場所へ。

(2009年8月1日撮影)

 ホーム番号の色が塗り分けられている。ただ,その色が何を意味しているのかは分からなかった。下の方のホーム同じように路線カラーというわけではなさそうだ。
 東側の通路の1階にも改札口がある。その東口の改札口のある建物。

(2009年7月23日撮影)

 周りの建物が高いだけに,かなり小柄な建物に見える。
 写真右手に通路があり,線路を越えて天王寺区側に行くことができる。


(2009年7月22日撮影)

 駅の上を渡っていくことになる。
 同じ高さある阪和線のホームの手前まで来ると…
 
(2009年7月22日撮影)

 坂になっていて今度は線路の下を通ることになる。
 どんな計画で作られた道か分からないが,駅の真中を抜ける道路という道路も珍しい。
 大和路線のホームの東側から阪和線のホームの方を見てみると…

(2009年8月9日撮影)

 間に道路を隔てるせいかかなり遠くにあるように感じる。
 
 この駅自体,上町台地を切り崩して作られたようだ。電車を使うと台地を上っている気はしないが,道路を通ると坂になっているので,台地の存在を感じることができる。

 駅のスタンプ。

(2009年8月1日撮影)

 四天王寺とともに名水が描かれている。
 それとの関連性は分からないが東口の地下には湧水があるらしい。一般人は入れない場所なので,井戸は見ることはできなかったが,その湧水を利用した施設を見ることができた。

(2009年8月16日撮影)

 東口改札付近のトイレの洗浄水だ。しかし,排出されると書かれていると湧水も汚く感じられてしまうのは気のせいだろうか?きれいな水であればトイレには使えないのかもしれないが…

(2009年8月16日撮影)

 小便器内を水がずっと流れている。
 少し気になったのは,小便器がセンサー付きのたいぶ新しい型であることだった。
 この駅の北口も含め,大阪市のJR駅のトイレは,全面改装ではなく,部品だけ変えたようなものが多い。

 写真は野田駅のものだが,もともとボタンが付いていたのを付け替えて,センサーで洗浄できるようにしたような印象を受ける。こんなトイレが多い中で,センサーの必要のない水が常時流れる便器に限って新しいものというのがよく分からなかった。もともと,湧水を利用する予定がなかったとかそういう理由だとは思うが…

 台地の傾斜を利用したとはいえ,こんな複雑な駅の設計をよく考え付いたものだなと夜の電車の待ち時間に駅内を見ていて思わされた。(この駅には何度も行って入るのだが,この駅で乗り降りをしたことはまだ1回もない。)

(164) 鹿駅

2009年08月17日 02時56分03秒 | 現在の中の過去
 市の名前をそのまま名乗る鹿児島駅。

(2009年3月29日撮影)

 駅名の看板のイラストにも桜島が描かれ,鹿児島の中心のイメージがする。
 このイラスト,若干リアルに描かれているような気がするが,少し違うものもある。

(2009年3月29日撮影)

 こちらの方が柔らかい印象を受ける。

 このいかにも鹿児島市の中心的役割を果たしていそうな駅の姿を見てみる。

(2009年3月29日撮影)

 結構小ぶりな印象だが,ロータリーがあり,市電が走っている道路の突き当りに駅舎がある。駅まで行かない車やバスは手前で左折して踏切を渡っていく。
 駅前には・・・

(2008年10月29日撮影)

 市電の電停があり,駅の入口からは屋根のある通路でつながっている。市役所や繁華街に行くにはここで市電に乗ると行きやすい。
市電の乗り場の脇から駅の方を見てみる。

(2008年10月29日撮影)

 列車の進行方向と同じ方向に駅の入口が空いている。
 その入り口を入ると…

(2008年10月29日撮影)

 すぐに階段になっている。
 階段の一番下の両側には居酒屋のような店とキヨスクがあった跡がある。今では駅舎内に店はなくなっている。
 この階段を除いて駅の中へ行く道はないので,バリアフリー化も全くされていない。
 その階段を昇ると…

(2009年3月29日撮影)

 少しせまめの有人改札口が現れる。その脇に切符売り場があり,反対側には待合室が設けられている。椅子があったり,地域の方々の作品が展示されていたりする。
 写真左手には,トイレと駅長室への入口がある。
 ここのトイレ,他とは少し違う点がある。

(2008年10月29日撮影)

 個室の壁が空のようなものになっていて明るく感じる。
 窓からは駅舎の線路側を見渡すことができる。

 改札を抜け,線路を越え,3・4番ホームに降りる。
 桜島側にある1・2番ホームを見てみると…

(2009年3月29日撮影)

 1番ホームにはすでに線路はなく,駐車場と化していた。
 屋根の上から桜島が少しだけ顔をのぞかしている。
 そのさらに向こうには…

(2009年3月29日撮影)

 貨物のコンテナが置かれている。
 ほぼ隣接して貨物駅があり,海岸のあたりまで広がっている。この近くの敷地にサーカスのテントが張られたこともあった。
 ホームの屋根に見える「かごしま」と書かれた看板の一番下には「桜島観光は当駅にて下車」と書かれている。

 今度は反対側の方を見てみると…

(2009年3月29日撮影)

 ホームのような段の上に,駅名の看板が立っていたり,記念碑が建っていたり,植樹がされていたりする。もともとはホームだったような感じだ。駅舎側の方を見てみると…

(2009年3月29日撮影)

 階段があったような跡がある。
 竜ヶ水側を見てみると…

(2009年3月29日撮影)

 使われていなさそうな感じの車両が置かれていた。
 写真には写っていないが,さらに竜ヶ水の方には作業が行えそうな建物もある。

 鹿児島駅は,島津家が清水城を居城としていたころから城下町としての歴史を持っている地区にある。鹿児島の街の形成の上では重要な地区だが,中心は南の方の天文館地区に移ってしまった。(その天文館も中心と呼べないような現状になりつつある。)鹿児島本線と日豊本線の終着駅であるが,日豊本線の列車も隣の鹿児島中央駅が始発駅となっているものが多い。鹿児島~鹿児島中央間は路線名は鹿児島本線であるのだが,事実上日豊本線の一部のような状況になっている。駅の機能面からしても,廃れてしまった印象がある。
 昔の規模の大きかったころの跡がところどころに見ることのでき,鹿児島の街の変遷を理解できる駅なのかもしれない。

(163) 「西」がつくと街には着かない!?

2009年08月16日 01時52分33秒 | 現在の中の過去
 2つの駅のホームの写真。

(2009年3月10日撮影)



(2009年4月12日撮影)

 日本の標準時子午線でほとんどの中学生が知っている明石市の駅なのだが,片方は「明石駅」もう片方は「西明石駅」だ。
 どちらがどちらの駅か分かるだろうか?

 上の方は高架上に駅があり,下の方は高架上にはないが線路の奥で高架と交差している。ホーム数は一見したが多く見えるが,上の方も反対側にまだホームがある。

 この段階では高架にある上の方が街の中心の可能性が高そうに思える。

 
 正解は…

 上が明石,下が西明石だ。市街地の分断や渋滞の解消を考えると高架の駅の方が中心のように思える。
 明石駅。

(2009年4月12日撮影)

 ホームの写真で前に見えたのは明石城の公園だ。明石氏の観光名所へ行くには西明石駅よりもこちらの明石駅の方が近い。

 ここまでの内容は取り立てて記事を書くまでもなく,一般的な内容だ。しかし,西明石駅にはある設備がついている。その正体がホームの奥に見えた高架だ。

(2009年3月10日撮影)

 ホームから駅の外を見てみる。道路を挟んだ先に駅舎がある。駅舎へは階段を昇り歩道橋の上をどうろをこえていくことになる。
 ホームと駅が離れているのには理由がある。

(2009年3月10日撮影)

 新幹線の線路に沿って作られたホームがあるからだ。

 自分自身の出身地での経験上驚いたのは,「西明石駅」のまま新幹線駅が成り立っていることだった。西鹿児島駅は新幹線の開通を機に「鹿児島中央」と名前を変えてしまった。西鹿児島では県外の人が鹿児島に着くのか不安になるというのが理由の一つにあったように記憶している。
 西明石の場合とは年代も大きく異なるだろうし,条件は同じとは言えない。西明石駅に新幹線が通った際にも,駅名改名などの動きがあったのかどうか気になった。明石市で問題になっていなければ,鹿児島の場合も多額の金をかけたり,親しまれていた「西駅」の愛称を消したりしなくても良かったのではないかと思わされた。逆に駅名だけは立派にその都市の名を語っているのに,都市の中心部から大きく離れていて,在来線でも行きつくことができない駅も多いことを考えると,それなりの名前の駅に行けば,その町の中心に行けるという考えをすることに問題があるように感じた。

(162) 【隣の愛3】 お乗換え 

2009年08月15日 01時56分10秒 | 現在の中の過去
【隣の愛】の記事一覧
※撮影は周囲に配慮しましょう。

1(136) 数十年後の日本の姿かもしれない地区(概観)
2(144) 新しい駅
3(162) お乗換え
4(176) 災害時の避難場所
5(179) 公園の姿
6(189) 寝床
7(194) 学校の周りは…
8(199) 自由恋愛や!
9(208) 大正ロマン
10(348) 地区のど真ん中を貫いた鉄道
11(366) 10年ぐらい続いた乗り換えルート


 前回の記事である「お乗換え」はこの記事の内容と合わせて再編して「新しい駅」という記事に書きかえました。こちらでは主にJRの駅を取り上げています。この記事では,新今宮駅から乗り換えられる動物園前と南霞町を中心に書いています。

 JRのホームから西口の方へ出ようとすると途中鉄橋のようになっている部分がある。その下を見てみると…

 阪堺電車の線路が走っている。
 この下へ行ってみると…

 奥に見えるのが南霞町駅のホームが見える。
 その奥は国道と踏切で交わっている。初めここに来た時は駅は高架なのに踏切があったことに驚いたように思う。
 太子の交差点から踏み切りの方を見る。

 交差点の角に駅舎のような建物がある。
 そこに近寄ってみると…

 パチンコ屋だった。
 しかし,看板の下には阪堺電車と地下鉄の駅への案内があり,店の前に通路が設けられている。
 この通路は通らずに,南霞町駅へ。

 簡単な駅舎と,建物に張り付くようにホームがある。改札口もあり,ラッシュ時などは駅員がいて改札をしていた。前の駅舎の消失理由は暴動での放火のようだ。場所も移っているようだが,どこにあったのかは把握できなかった。
 この駅の付近だけ線路にある変化がある。

 

 何か分かっただろうか?
 この駅の部分だけ線路の砂利がないそうだ。
 少しだけ恵比寿町方面(上の写真の奥の方)へ行ってみる。

 ホームと比べて砂利は少しはあるように見える。

 この理由として,暴動の時に石が投げられないようにという説を聞いたことがある。暴動の影響がこんなところにも現れているなんて…

 近くには地下鉄の動物園前駅の入口もある。御堂筋線と堺筋線の2路線が交差しているため,出入り口も多い。先ほどのはんぶんやの入口の他にも…

 天王寺駅側の道路の幅が狭くなる部分にある入口。すぐに動物園前商店街の入口があり,安い屋台なども見られる。

 破綻してしまい,廃墟化してしまっているフェスティバルゲートの地下にも…

 入口が現存している。

 堺筋線は隣の天下茶屋駅が終点であるが,反対側の終点の駅から阪急の線路につながっていて,阪急の車両も乗り入れている。(※写真は2つ隣の日本橋駅で撮ったもの。)

 地下ではあるものの大阪市南部でこの電車が見られたのは意外だった。地下鉄の車両も阪急の路線に乗り入れていて,過去には京都市まで乗り入れたこともあるらしい。大阪市所有の車両と考えると市の規模では考えられない移動のようにも思える。
 この動物園前という駅名,動物園までやや距離があることやほぼ同じ場所にある駅が別々の名を名乗っていることを考えると適切なのかなと思う面もある。
 
 地下鉄や阪堺の駅はJRと南海の乗換えと違い,駅舎内での乗換えができない。そのため,通勤の人も駅の外に出る。新世界,動物園や宿を求めて,この駅で下車をする観光客の人々も少なくない。そして住民の人も含めると本当に色々な人が道を歩いている。いろいろな人と出会うことのできる場所なのかもしれない。

(161) 【西駅3】 0番ホーム

2009年08月14日 23時36分35秒 | 現在の中の過去
【西駅】の記事

1 今なお残る「西駅」の名(65)
2 地下通路(76)
3 0番ホーム(161)
4 幅の狭まる開かずの間(423)


 中央駅の1番ホーム。

(2008年12月1日)

 指宿枕崎線の列車のみが利用しているため・・・

(2008年12月1日)

 線路の鹿児島駅方向は行き止まりになっている。
 指宿枕崎線の始点であることを示す「0」と書かれた白い柱のようなものもある。

 この1番ホーム他のホームと比べてみると・・・

(2009年4月5日)

 手前にある3・4番ホームと比べて,奥に見える1番ホームは簡単な造りに見える。
 改札のある階から見てみる。

(2008年12月1日)

 1番ホームだけが長く延びている。
 この1番ホーム,2番ホームの指宿側に突き出た形になっていて,他のホームと比べて階段を降りてからホームにたどり着くまでの道のりは長い。
 駅の外から見た1番ホーム。

(2009年2月12日)

 他のホームよりもかなり指宿寄りに設置されている。

 このホーム,駅舎が現在の真っ赤なものに建て直される前は存在しなかったように思う。そして建てかえられてしばらくもここは1番ホームではなかった。
 そのときの1番ホームの跡が現在の2番ホームの向かい側にある。

(2008年12月1日)

 「1」と書かれたホーム番号の上にシールのようなものが貼られている。
 この旧1番ホーム現在は…

(2008年12月1日)

 駐輪場へ向かうための通路となっている。
 線路よりも,他の用途に使った方が駅周辺の開発には有効だったのだろう。
 現在の1番ホームは,この線路がなくなる前は0番ホームと呼ばれていた。
 このときの0番ホームも離れた場所のように感じていたが,駅舎が建て替えられる前の0番ホームはもっと離れて感じた。さっきの駐輪場へ向かう通路よりもさらに桜島側に存在していた。東口改札を使った場合,地下通路を通らなくていいので上下運動は少なかった。しかし,列車が停まっている場所にたどり着くまでが長かった。西口改札を利用したときや鹿児島本線のや日豊本線の列車から乗り換えるときは地下通路を通った上に端まで移動してと,0番ホーム発という案内を見るだけで遠いなと感じていた思い出があった。

 AMUが建ってからホームの列車が停まる位置も指宿側の方に寄ったし,線路の幅も狭まっている。そしてその跡もまだ意外と残されていた。

(160) 門司港駅

2009年08月08日 04時36分43秒 | 現在の中の過去
 駅という建築物は,地域の雰囲気に合わせたものや地形の制約を受けたものなど同じ駅という目的のために作られたものであっても,個々の特徴がよく現れているように感じる。160番台の記事では「駅」をテーマに書いてみたい。150番台が「水辺の景色」をテーマにしていたので,境界となる160番の記事は水辺にある門司港駅について書いてみたい。

 門司港駅の駅舎。

(2009年3月11日撮影)

 1988年に国の重要文化財にも指定された大正3年築のネオルネサンス風建築物だと案内が出ている。もともとは門司駅だったようだ。
 写真では見たことはあったが,実際見てみると駅前の広場がかなり広く感じた。

 もう少し暗くなると・・・

(2009年3月11日撮影)

 駅前広場のイルミネーションも含めて,雰囲気がさらによくなる。

 駅前広場と道路を挟んですぐ海が見える。

(2009年3月11日撮影)

 名前から考えると海の近くなのは当たり前なのだが,海がここまで近いとは思っていなかった。

 駅舎内も広々としていて,レトロな雰囲気を演出している。
 待合室。

(2009年3月11日撮影)

 文字もそれなりの書体で右から左へ読むようにされている。 

 こんな近代的な設備にも・・・

(2009年3月11日撮影)

 自動券売機も文字が旧字体も用いて書かれている。

 トイレも・・・

(2009年3月11日撮影)

 流石に便器は現代的だが,レトロな雰囲気だ。

 トイレ前には・・・

(2009年3月11日撮影)

 手水鉢や

(2009年3月11日撮影)

 「帰り水」の水道がある。
 左奥に鏡が見えるが,そこが洗面所だったと思うが,この場所に関しての写真は撮っていなかった。
 他にも食堂,駅長室や忘れ物取り扱い所なども同様の演出がされている。

 次に改札だが・・・

(2009年3月11日撮影)

 自動改札機が設置されている。自動改札機が雰囲気を乱すとの意見もあったようで,それなりの色のものになっている。駅員も学ランのような衣装を着ていて,学生が職場体験をしているのと勘違いしてしまった。
 自動改札機の脇には・・・

(2009年3月11日撮影)

 有人の改札口も残されていた。
 本来は3つぐらい並んでいるのだが・・・

(2009年3月11日撮影)

 残りの2つはふぐの灯りの土台となっていた。

 改札内から改札を見ると・・・

(2009年3月11日撮影)

 駅の窓口の建物に乗り越し清算機があり,脇にはいすが並んでいた。
 その後の改札内外の仕切りはやたら低く見える。

 ホームは鹿児島本線の終着駅ということもあり,

(2009年3月11日撮影)

 線路は行き止まりになっている。

 改札口を写した写真に見えるように,ホーム番号は1,2,4,5番のりばと3番が抜けている。
 1,2番のりばと4,5番のりばの間には・・・

(2009年3月11日撮影)

 0哩の碑,その後には車輪や安全の鐘などがある。

(2009年3月11日撮影)

 駅名も隣の駅名とかもかかれず,ホームの屋根から進行方向に見えるようにつるされていた。

 流石に列車まではレトロではないが,周囲のレトロタウンに合わせた駅になっている。

(159) 8月6日といえば…

2009年08月06日 03時41分55秒 | 現在の中の過去
  「8月6日は何の日?」と尋ねられた場合,返ってくる答えは広島原爆投下がほとんどだろう。しかし,鹿児島市周辺では別の答えが返ってくる割合も高くなると思われる。地元では8月6日になると,必ずといっていいほど「8・6水害」という言葉を聞く。集中豪雨により起こった水害のことで,自分自身も家に帰ろうとしたのが数分遅れていれば,川の氾濫で帰宅できなかったという経験をした。これまでにも竜ヶ水五石橋の記事でこの水害の影響については触れた。今回は「名越」地区を取り上げたい。

とりあえずしゃしんがあがったのでこうかいします。ぶんはようすをみていれます。8月8日文章追加。

 国道3号線沿いにある名越のバス停。

(2009年3月26日撮影)

 ここは,理科の教科書にも掲載された場所で,道路が陥没した場所だ。

 現在は諏訪滝公園となっている。

 国道とこの公園の間には水路があり,有刺鉄線つきの金網で囲まれている。

(2009年3月26日撮影)

 公園には狭い通路を渡って入る必要がある。

 公園の奥には…

(2009年3月26日撮影)

 一部高台になっている場所がある。この奥を現在の甲突川が流れている。

 その高台から国道の方を見てみる。

(2009年3月26日撮影)

 国道と公園の間が開いているのが分かる。

 公園内の案内板の災害前,災害後,復旧後の地図を比較してみると,この公園一帯がシラスが削られ,陥没し,甲突川の河道となってしまった場所のようだ。

 公園の奥から現在の甲突川の様子を見る。
 上流の方。

(2009年3月26日撮影)

 河道の蛇行を改良し,落差18.5mの箇所に魚道つきの多段式落差工を設置したと案内されている。

 下流の方。

(2009年3月26日撮影)

 こちらも落差が大きいように思える。

 公園の高台から階段と反対側を見てみる。

(2009年3月26日撮影)

 ところどころ崩壊している箇所が見られるが,蛇行していたときはここも川だったと思われる。

 国道からも見えづらく,気付きにくい場所にあるが,災害の爪痕を感じることのできる場所だ。


☆ 関連シリーズ
【遡上・甲突川】の記事一覧
その1(15)その2(393)その3(543)その4(612)
関連記事
五石橋(16)諏訪之滝公園(159)

(158) 京都の川辺の風景

2009年08月05日 00時03分50秒 | 風景
 ふちょうのため、きほんしゃしんのみでかきかけです。2009年8月6日1時45分記事完成。

一部この記事との重複もあるので,画像だけ別のものを使って書いてみます。

 鴨川を下鴨神社付近からみる。

(2008年9月7日撮影)

 京都は都会だから自然はあまりないという勝手なイメージから,初めて見たときには緑の多さに驚いた。政令指定都市の川でありながら,開発を感じさせないゆったりとした感じに浸りながら川沿いを歩いていた。(今考えてみると,大阪の淀川や大和川はかつてのイメージとは違った様子に見える。来る前は大和川の水なんか飲めたもんじゃないと元大阪住民から聞いていたし。)

 もう少し下流の方へ近づくと…

(2008年9月7日撮影)

 立派な親水公園となっている。
 出身地の川が川原に降りれないものが多いので,親水環境としての川もほとんど考えていなかった。

 さらに下流の方の三条駅付近。

(2009年7月17日撮影)

 テレビなどでも紹介される床も見られる。

 夜少し暗くなってくると…

(2009年7月17日撮影)

 神幸祭の神輿が八坂神社を出発した後に撮影したもので,橋の上の行列はおそらくそのものと思われる。


 また上流の方へ戻り,加茂川と高野川の合流地点付近に位置する下鴨神社へ。

(2008年9月7日撮影)

 神社内の御手洗(みたらし)川。輪橋(そりばし)がかかっている。土用の丑の日に足をつけて疫病や病封じを祈願する「足つけ神事」などの祓いごとが行われるそうだ。

(2009年5月15日撮影)

 南側の糺(ただす)の森の瀬見の小川。
 森の中にいると,心が落ち着き,都市にいることを忘れてしまう。この日は葵祭で人であふれていたが,それでも落ち着いた気持ちになれた。
 神社境内の川がどのようにつながっているのか,あるいはどこに流れて行っているのかは把握できなかったが,鴨川との関わりがあるように感じる。


 今度は東の方へ行き,哲学の道へ。

(2008年9月7日撮影)

 その脇を琵琶湖疏水が流れている。
 1900年をまたぐ20年ぐらいの間に作られた人工的な川なのだが,周囲との一体感があるように思う。東側の山を越えて水を引いてきた技術の存在を知った時は本当に驚かされた。

 部分的に琵琶湖疏水と合流する白川が,祇園を流れている様子。

(2009年7月17日撮影)

 橋の上から撮影している。
 鴨川との合流点に寄ってみる。

(2009年7月17日撮影)

 店の脇を川が流れ,店へは橋を渡って入ることになる。
 

 松原通り近くの高瀬川。

(2008年9月7日撮影)

 江戸時代に運河として作られた川で,文学作品で名前を知った川だったが,そのイメージとは大きく違った。

 場所はかなり離れるが,嵐山の渡月橋。

(2009年4月8日撮影)

 桂川沿いにはしだれ桜も見られた。

(2009年4月8日撮影)


 京都の川は周囲の建物や緑などと見事に調和している。川の流れ自体だけなら,他にも同じような川は多くありそうだが,他の川とは明らかな差異が表れている。川を町へ溶かしこむ演出がすごいと感じた。