黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

ちょっぴり哀しい玉日姫(親鸞の妻?)御廟

2019-10-13 15:39:44 | 親鸞ゆかりの旅

野分の朝(あした)です。

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を西に出て、諏訪神社の向こうの高台を歩いてきました。

浅間山は見えませんでしたけど、榛名山と赤城山ははっきり見えました。

(カメラを忘れました、残念

 

みんなの写真がないとちょっと寂しいので、ちょうど15年前、2004年の秋のメモリーです。

ピチピチギャルの七海ママです。

このころ、ひめちゃんちには、「ムーちゃん」というペルシャ猫のおばあちゃんがいました。

ひめちゃんちは、ムーちゃんち(むーはうす)だったのです

 

 

西念寺のあと、玉日姫廟(たまひひめびょう)に向かいました。

いただいた資料によれば、

親鸞の妻、恵信尼の廟(墓)とされている。恵信尼は、越後の豪族三善氏の娘で、親鸞の妻となり、越後に流罪となった親鸞とともに常陸にやってきた。~中略~恵信尼は、弘安3年(1280)9月18日、87歳で亡くなった。稲田大古山の木崎台で荼毘に付され、墳墓が作られた。恵信尼が玉日姫とされる説もあり、御廟を「玉日姫廟」と呼んでいる。

 

大正年間に「玉日講」の人々によって、山門・休憩所・参拝所・灯籠などが整備されたともあります

「玉日講」と言えば、西念寺でも、この文字を見かけました

奥津玉日講とあります。

説明板の右には、滑川玉日講とありました。

玉日講が盛んな時代があったのです


参道ではなく脇から境内に入りました。

思ったよりりっぱな、雰囲気のある山門です

でも、ちょっとくぐって、正面を確認です。

古き良き日本の雰囲気です


右手の休憩所です。

ジャパネスクという感じです。

御詠歌らしいですけど、文字が消えかかっています


正面の参拝所は、きれいに整えられています

恵信尼の肖像も懸かっています


手を合わせたあと、参拝所の後ろに回ります。

りっぱな宝篋印塔です。

でも、周囲はちょっぴり哀しい状態です

行政の補助とかは望めないそうです


山門を出て、参道を帰ります。

参道の入り口には、「玉日君本廟」と大きくあります。


帰宅後検索すると、恵信尼と玉日姫は同一人物なのか、別人なのか、はたまた実在の人物なのか、いろいろ説があるようです

 

 

バスが駐車した所に戻ります。

そこは小さな神社でした。

鳥居の石は、この地方特産の石だそうです

これから、鳥居の向こうの山腹中央に見える、石切山脈に向かいます

 

 

 




 

 

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