黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

晩秋のそうがくぼ探訪

2021-11-14 20:03:47 | 群馬県・旧勢多郡

ひめちゃんの恋の季節は、過ぎたようです。

みんなで諏訪神社のむこうの高台・山上の薬師の道を歩いてきました。

獅子丸との若いもんのコンビも復活です。

獅子丸は、捨てられたブロッコリーの葉っぱに夢中です。

タバサねーちゃんも、若いもんに負けずに元気に歩きます。

最近ここらへんは、ブロッコリー畑が多くなりました。

 

 

 

一昨日、みんなで諏訪神社の向こうの高台を突き当たりまで行きました。

舗装された道は終ですけど、あぜ道があって、むこうの窪地に降りられるようです

好奇心旺盛のおじさんと獅子丸&タバサねーちゃんは、さっさと進んで行きます。

この先は、山上字相窪(そうがくぼ)です。

相窪は、もともとは、僧ヶ窪だったと思われます

上野第四の碑・山上多重塔は、山上の相窪にあるのです

 

窪地の北の風景です。

先日、みんなで歩きましたけど、なかなか山上に戻る道が見つかりませんでした

今回は南に行きます。

 

右上に、電柱の陰に山上多重塔が少しだけ見えます

 

電柱の前の道を、南に歩きます。

何処に行くのかな?

 

ここから、山上に帰れそうだよ。

左に行く道があります。

見たことある山上の新興住宅群です。

でも、進みます

 

振り返ると、はるかに足尾の山が見えます。

あのお昼山です

新田の古老の話では、画面中央の奥、二つのとがった山の間に、お昼になると陰が出て、畑に居てもお昼が分かったと言います。

ここは案外見晴らしのいいところだったかもしれません

水田の何かの給付対象の札があります。

ここの住所は、「字丙相窪」です

 

突き当たりまで下りました。

向こうに見える森は、膳城です。

今回は右折してみます。

さらに、また川沿いに右折して北に進みます。

何処に出るかな?

 

おや、石造物です

馬頭観音です。

大正七年四月三日 馬頭観世音 馬名𠮷花號鈴木氏之建  

愛馬の墓標であると同時に、道行く人々を見守った馬頭観世音だったのでしょう。

大正時代にも、馬頭観音が建立されていたのです

 

道の右側には、白いガードレールも顔を覗かせています

かつては、そこそこの人通りだったのでしょう。

 

何故か、獅子丸とタバサねーちゃんは、飛んでます

あたちも、飛びたいなあ

 

行く先に、山上多重塔が見えてきました

この道は、多重の塔からまっすぐ南に下る道だったのです

 

西を見ると、(前橋市粕川町)近戸神社が見えます。

 

上野第四の碑・山上多重塔です。

桐生市のHpによれば、

平安時代初期の延暦20年(801年)7月17日に、僧道輪によって建てられた供養塔です。塔には安楽と平和を願う45の文字が刻まれ、当時の仏教文化を知る上で大変貴重な遺産となってます。

着いたね

 

この下には、古代の寺院の遺構があると言います。

「そうがくぼ」という地名からしても、かつては僧房が建ち並んでいたことがうかがわれます。

かなりのパワースポットだったようです。

もう少し古代の姿を解明して欲しいところですね

 

 

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