黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

南勢多郡の廃寺・瑞雲寺

2021-01-26 15:04:43 | 南勢多郡の廃寺

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ました。

数日ぶりの若いもんの散歩です

上の沼まで行ってきましょう。

まず、堀之内をでて、岩神沼です。

この間は、大きなシラサギがいました。

今朝はどうかな?

だれもいないよ、つまんないね

上の新沼に行きます。

こちらは、何名かカモさんがいます。

おや、ボートの所にシラサギさんがいます。

ボートに乗ってます

あ、飛び立ちました。

東岸に生えている大木に停まります。

ツル草と同じくらい細い足です

水辺に降りて何か探しているようです。

みんな仲良く共存しているようです

 

早く帰ってご飯にしよう

そうしましょう

 

 

 

先日、旧勢多郡粕川村(前橋市粕川町)で、兎川(うさぎがわ)にかかる寺後橋(てらごはし)を渡りました。

北には赤城山が見えます。

東南には、膳城趾と粕川歴史資料館が見えます。

北東の角には、中公園です。

 

そしてすぐそばに墓地が広がります。

もしかして、お寺があったかな?

 

サイクリング中の、地元のおじさんがやって来ます

「こんにちは、ここにはお寺があったんですか?」

「中寺(なかでら)だ、大きかったんだよ。」

おじさんちも、おじさんの本家もここの墓地だそうです。

 

あまりウロウロするのもちょっとはばかられたので、雪の翌日出直しです。

中公園の駐車スペースに駐車して、まず奥にあるメルヘンの世界のトイレを確認です。

 

童話の世界なのでしょう。

何のお話かな?

遊具もあって、児童公園になっているようです。

でも、子どもの姿はありません。

 

お昼山がみえます。

 

さて、中寺(瑞雲寺)を探索です。

 

「南勢多郡の廃寺」( 群馬県勢多中部仏教会 内田憲治 平成23 )によると、

瑞雲寺(宗派不明)

中字寺後に存在した。寬保2年(1742)『前橋藩領内寺院本寺幷所附帳』や明治10年(1877)に内務省地理局へ出された『上野国郡村誌』に記載が無いことから、この間に建立されたが幕末から明治初め頃までに廃寺になったものと考えられる。3反余りの寺域があり膳村の龍源寺尼寺で通称中寺と伝承されているが詳細は不明である。

 

寺院の跡等はなさそうです。

目に付いた石造物の皆様です

 

墓石なのでしょうね。

美しい人だったのでしょうか?

 

こちらは、穏やかそうな如意輪観音です。

 

天明8年(1788)、僧形の墓標です。

天明8年には、和尚さんいたのでしょうね。

 

左は阿弥陀如来かな?

 

天神宮もあります

隣の石が気になりますけど、ウーンわかりません

 

権大僧都の文字が見えます

こちらにも権大僧都の文字が見えます。

修験系の人の墓石でしょうか?

 

広大な寺域を持った修験系の寺院とは考えにくいです。

江戸時代、修験者は天台宗か真言宗の寺院に属さなければならなかったといいます。

天台宗か真言宗の寺院だったかな?

すぐそこの龍源寺は曹洞宗ですね、うーん

 

後ろに見える家々は山上(旧勢多郡新里村大字山上)です。

右の森は山上城です

 

こんなに広大な寺域を領していても、詳細不明なのですね。

 

 

 

 

 

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