黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

由良長尾会合の事付けたり水論注進の事・その3 (御茶の会、酒宴事終わりて)

2024-08-28 20:43:04 | 桐生老談記の世界

ひめちゃんには、最近「演技派女優」なんて、陰口がささやかれています

寒くないのに震えたり、たいしたことないのに行きも絶え絶えの演技をするのです。

5年前、7歳のひめちゃんは天真爛漫だったようです

でも、6月に7年間養子に行っていた獅子丸が帰ってきて、ちょっと考える犬になっていたかな?

 

 

 

由良長尾会合の事付けたり水論注進の事・その2

 

則長公これを聞き、

「それがし兼ねて左様に存じ候えども、佐野と一家のことなれば、後日に必ず兵乱を起こし、国の難渋に及ばん故、延引いたしよく思案なされてしかるべし」と、おおせられければ、

折節、御一門には横瀬勘九郎、由良能登守、桃井内膳正、岩松千代、脇屋三右衛門佐、

御次には、大沢下総守、林越中守、鳥山伯耆守、高橋隠岐、彦部加賀、御医師方には、荻野養意、田中隆庵いずれも御持成し成の為に、相詰めたる折節なれば、

大沢下総守申されけるは、「紀伊守は桐生に縁者候えば、内通の儀、仰せられ然るべし」と申し上げけるに、直ちに紀伊守へ仰せつけらる。

斯くてその日、晩景に及び御茶の会、御酒宴事終わりて各退出なられけり。



あらすじです。

由良成重(成繁)は、暑気払いで一家や重臣が集まった席で、桐生又次郎を追放して桐生を手中に収めようと作戦会議をします。


弟の(長尾)則長は、「自分もかねてからそう思っていたけれども、桐生氏は佐野家と一つの家なので、追放した後、佐野勢を連れて巻き返しにでて、こちらが苦戦しそうなので、先延ばしにしてよくよく考えたほうがよいでしょう」とおっしゃったところ、

ちょうどご一門では横瀬勘九郎、由良能登守、桃井内膳正、岩松千代、脇屋三右衛門佐がいて、

御次には、大沢下総守、林越中守、鳥山伯耆守、高橋隠岐、彦部加賀がいて、

御医師方では、荻野養意、田中隆庵ともに患者がいなかったので、ちょうど此の席にいたところ、

大沢下総守がいいました。「藤生紀伊守は桐生に縁者がいるので、内通の儀を仰せつけるのがいいでしょう」と。

そこで、ただちに藤生紀伊守に内通作戦を実行せよとの命令がくだった。

かくてその日の夕方、お茶会と酒宴が終わって、みんな退出された。

 



酒宴だけでなく、お茶会も開かれていたのです

戦国武将は茶の湯を好んだといいます。
由良家中も、例外ではなかったのです

 

今年の6月6日、最終回の鄕右衛門忌がありました。

上野国山上、赤城山常広寺の開基・本橋院殿(山上鄕右衛門顕将)の命日に、ささやかなイベントが続いていました。

とりあえず今回で最終回と言うことで、常広寺と縁の深い銘酒「七ッ梅」の利き酒も行われました

さて、その容器に困りました。

そこで、我が家にあった、紫陽花の抹茶茶碗を使用しました

二胡の演奏に来てくれた1人が、利き酒の後、「私は新潟の生まれで、お酒大好きです。」と言って飲み干してくれました

その後、いろいろあって、抹茶茶碗の事は忘れてしまいました

先日、常広寺に行ったとき、「忘れもの茶碗どうする?」

大黒さんは、「私のお茶の先生は、90歳だけど、お茶のおかげで元気です。兄弟がみんな糖尿病なのに、彼女だけ、お茶をやっていて元気です。お茶は身体にいいみたいよ。うちでも時折点ててます。」

「喜捨します

我が家には、使ってない抹茶茶椀が結構あります。

我が家も、簡単お茶席しようかな?

 

 

初稿  2019.07.26  FC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」

改稿  2024.08.28

 

 

(つづく)

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